第五章:やはり俺の青春舞台劇はまちがっている。(1)
月曜日の朝、空気にはどこか憂鬱な気配が漂っていた。
――というのも、この週末、いろいろありすぎて、最後に学校に来たのがずいぶん前のように感じられる。
「おはようっす、アニキ! おおっ、手のケガもう治ったんすか? やっぱアニキは違うっすね、たった数日で完全復活とは!」
登校途中、偶然中村と出くわした。彼は大きな声で話しかけてきた。普段遅刻かサボりばかりの中村が朝からちゃんと登校してるのなんて、史上初めてのことだ。
よく見たら、いつもシワくちゃな制服も今日はピシッとアイロンがけされてるし……こいつ、本当に不良をやめたようだ。
「だからアニキって呼ぶのやめろって。お前も不良やめたんだろ?普通に名前で呼べよ」
「えっ、それじゃなんか失礼じゃないすか……それにずっとアニキって呼んできたし、今さら変えるの難しいッすよ」
「何事にも初めてがある。今日から変えろ」
「わかりましたアニキ……!」
鋭い視線で睨みつけると、中村は即座に言い直した。
「辰哉……くん……えへへ……」
そう言いながら、中村は頬を掻き、照れくさそうに笑った。
「何で照れてんだよ、気持ち悪い」
「仕方ないすよ、だってさ……へへ…」
「だから気持ち悪いっつーの!」
俺は遠慮なく一発ケツを蹴って、バカ笑いを止めさせた。
「見て……橘と中村の不良コンビ……」
「あいつら最近不良グループを壊滅させたらしいよ、しかも何人か殺したとか……」
「えっ?!こわ……」
「しかも、うちの誇る高嶺の花――水宮さんも巻き込まれたんだって……」
「『狂犬姫』の水宮真紀乃が?!災難だな……」
学校が近づくにつれ、すれ違う生徒たちの視線と囁き声が増えてきた。みんな、俺たちのことをまるで犯罪者を見るような目で見てくる。目が合うと、さっと視線を逸らしてくるし。
学校で噂が広まるのは予想していたが、人殺し扱いされるとは思わなかった。人を殺して平然と学校に来るような、反社会的な殺人鬼だとでも思ってるのか?
『変態ストーカー誘拐魔』
俺に当てはまるのはせいぜい「変態」くらいだ。
「俺が黙らせに行こうか?」
「やめとけ。余計に誤解を招くだけだ。根も葉もない噂は、そのうち自然に消える」
作家として、炎上対策は必修科目の一つだ。噂に反応すればするほど、話が膨らんでいくもの。こういうことはもう慣れっこで、放っておけば自然に収まる。
「アニキ……かっこいいッス……」
「お前こそ黙れ」
◇
「昨日のドラマ見た?主人公めっちゃイケメンだった~」
「頼む!世界史の宿題見せて!」
「昨日ゲームで徹夜しちゃってさ、今マジで眠い……」
「……っ!」
教室の扉を開けると、廊下まで聞こえていた騒がしい声が一瞬で静まり返った。
「え、橘って警察に逮捕されたんじゃ……?」
「しっ!声大きいってば!」
「ヤバい……殺される……」
実際には病院で簡単な事情聴取を受けただけなのに、いつの間にか逮捕されたことになっている。
「噂は自然に消える」などと綺麗事を言ってはみたものの、いざ自分がその渦中にいると、これがなかなかしんどいもんだ。せめて真紀乃だけは変な噂に巻き込まれなければいいが。
静まり返った教室で、俺は黙って自分の席に向かう。主役であるはずの四人――優木、真紀乃、奈月、桐山――がちゃんと揃っているのに、なぜか今、一番目立っているのは俺だった。
「そういえば、憂司くん、昨日真紀乃ちゃんとのデートどうだったの?」
「「?!?!」」
奈月の何気ない一言が、その場の空気を一変させた。特に大声を出したわけではないが、この静かな空間では教室中に響き渡る。
「水宮さんと優木くんが?!」
「優木この野郎、こっそり抜け駆けしやがって!」
「優木……絶交だ」
「呪う呪う呪う呪う……」
突然話題に上がり、優木と真紀乃は呆然とする。反応する間もなく、優木は男子たちに囲まれ、教室の注目は一気に主人公たちに集まった。
「被告・優木憂司は女子とこっそりデートした罪により、即刻死刑を言い渡す」
「「「「異議なし!!」」」」
「弁解の余地もないのか?!」
男子たちは机を異端審問所のように並べ、中央に立たされた優木を「女子とこっそりデートした」罪人として糾弾した。クラスの男子は全員敵で、一致団結して極刑を下そうとしている。
「男子ってほんとバカね…」
「ねえねえ、水宮さんと優木くんのデートって本当なの?」
「……っ! べ、別に、荷物持ちを頼んだだけよ……」
「え~もっと詳しく教えてよ~」
「う、うう……スイーツ食べて、ゲーセン行って、ぬいぐるみ取ってもらって……」
「それってめっちゃデートじゃん!? 他には? 他には~?」
一方、真紀乃は女子グループに囲まれていた。普段「狂犬姫」と呼ばれる彼女も、今は好奇心旺盛な女子たちに追い詰められ、小さなチワワのように縮こまっている。
この騒ぎは1時間目の予鈴が鳴るまで続いた。奈月がわざとやったのかどうかはわからないが、彼女のおかげで教室は平常運転に戻った。
でも、もし奈月がわざと話題をそらしたのだとしたら、どうして俺のためにそんなことを……?そういえば、あの屋上での会話以来、奈月は妙に親しげに接してくるような気がする。
理由はわからないけど、これは悪いことじゃない。真紀乃と優木をくっつけるためには、奈月の牽制も重要だ。彼女から近づいてきてくれるなら、この機会を逃す手はない。
俺はノートから一枚破った紙をくしゃくしゃに丸めて、奈月の机に向かって放り投げた。
――のつもりだったんだが、狙いが外れて、紙は奈月の後ろに座っていた真紀乃の横顔に直撃した。
……俺は悪くない。だって、席が二列も離れてるんだぞ?多少の誤差は仕方ないだろ?
ていうか、ラブコメの主人公たちがいつも隣の席なのがおかしいんだよ。
作者の都合で教室内のやり取りをしやすくするための、ただのご都合主義設定だ。
紙玉をぶつけられた真紀乃は眉をひそめ、周囲を見回して犯人を探す。そして俺と目を合わせた。
「お前宛てじゃない、奈月へのメモだ」
小声で伝えると、真紀乃は無視して俺を睨みつけ、勝手に紙を広げた。
『さっきは助かった。よかったら、昼休みに一緒にご飯でもどう?』
「……」
真紀乃は紙を再び丸め、後ろの可燃ゴミ箱に無言で投げ捨てた。
こいつ何なんだよ。
その時、ポケットの中でスマホが震えた。送信者は真紀乃だった。
『完全ダメね』
『は?』
『あんたの誘い方、誠意もロマンスも感じられないわ』
『はあ……』
『どうせ女の子誘った経験ないんでしょ、そこのキモオタクチンピラ?』
『はあ?人を勝手に童貞扱いすんな。デートの経験くらいもちろんあるけど』
この時、妹との外出も当然カウントされる。
『誰も童貞の話してないけど……とにかく、昼休みに屋上に来なさい。作戦会議するから』
「冬美は簡単に渡さないって言ったのに?」と聞こうとした瞬間、先回りするようにメッセージが届いた。
『言っとくけど、これは借りを返しただけだからね!勘違いしないで!』
はい、出ました、ツンデレ真紀乃。わかりやすい可愛いやつだ。
ちょうどその時、チャイムが鳴った。英文の高松先生は最後の問題の答えを黒板に書き、授業を終えた。
「ここは中間テストに出るから、しっかり復習してね。そうそう、さっきホームルームで言い忘れたけど、部活希望届の提出は今日の放課後までだからね。忘れずにクラス委員に提出するように~じゃ、終わり!」
高松先生は副担任も務めているため、よくホームルームの時間を授業に流用する。そのため、ホームルームで伝えるべき連絡事項が抜け落ちることが多い。今回はちゃんと思い出してくれてよかった。俺もすっかり忘れてたし。
部活動――真紀乃と優木にとって、これは数少ない接点の一つだ。原作では二人とも奈月のいる演劇部に入り、初共演が第2巻のクライマックスとなる。
本来なら、奈月が優木を誘い、真紀乃が二人を気にして後を追う、という流れでことは進むはず。俺がわざわざ介入しなくても、自然とうまくいくはずの展開だ。
――けど、ちょっと試してみたいことがある。
◇
あっという間に時間は過ぎた。
――まあ、第二時限から五時限までずっと寝てたからな。
再び高校に戻って、同じような内容の授業を受けるなんて、正直退屈にもほどがある。
昼休み、約束通り屋上で真紀乃と待ち合わせた。
「遅いっ!同じ時間に授業が終わったはずでしょう? 何で今さら来るのよ?」
ベンチに座った真紀乃は不機嫌そうに言った。
「寝てたんだよ。起こしてくれてもよかったのに」
「バカなの?人前であんたと話してるの見られたくないから屋上を選んだんでしょ。教室で話しかけたら本末転倒じゃない」
まあ、今回は彼女の言い分にも一理ある。
「遅れてごめん……」
真紀乃はふんっと鼻を鳴らした。俺が座ろうとすると、彼女は止めた。
「あたしの隣に座らないで。あっちのベンチに座りなさい」
「えー……」
スパイ映画でもやってるのか?
だが言われた通り、隣のベンチに座った。
「……で、何の用だ?」
両手の指を組んで、広い空を見上げながら、長官との連絡を待つスパイを演じてみた。
「あんた本当に頭おかしいわね……あんたの茶番に付き合うつもりないから」
おい、最初にスパイごっこを始めたのはそっちだろうが……合わせてやったのに文句言われるとは……
「……まあ、俺のことはいいや。それよりお前のことだ。聞くけど、部活はどこに入るつもり?」
「冬美がいる演劇部にしようかと思ってる。何よ?」
「優木を誘って一緒に入部しろ」
「はあ?!なんであたしがあいつを誘わなきゃいけないのよ?」
「よく考えてみ?お前と優木が一緒に入部すれば、放課後も会えるし、共通の話題も増えるだろ?」
真紀乃ははっとした表情を浮かべた。どうやら部活を通じて優木と距離を縮めるという発想はなかったらしい。
「まさかあんたからまともな提案がくるなんて……」
「……」
キャラクターデザインが可愛いから許されるんだぞ。そうでなければ、お前の取り柄なんてどこにもないからな。
「ま、まあ?もし優木のほうから一緒に入ろうって言ってくるなら、考えてあげなくもないけど?」
もともと入るつもりだったくせに。
「こういう時にツンデレはいいから」
「はあ?!誰がツンデレよ?!あたしツンデレなんかじゃないんだからっ!」
顔を真っ赤にして、ぷんすか怒る真紀乃。
――うん、これがまさに典型的なツンデレの反応だ。
「はいはい、とにかくまずは誘ってみなよ。今後のデート誘いの練習だと思って」
俺は屋上の扉の前まで歩いて、親指で開いた扉を指しながら、優木のところへ行こうと合図を送った。
「ま、待ってよぉ……まだ心の準備が……」
真紀乃は肩を落とし、指先をもじもじといじっている。
「また変なこと言っちゃって、全て台無しにしちまうのが怖いの……」
「お前が口悪いのなんて今に始まったことじゃないだろ。大丈夫だ、優木がそんなことでお前を嫌いになるわけないってわかってるだろ?」
俺は自販機に五百円玉を入れて、タピオカミルクティーのボタンを押した。缶が「カコンッ」と音を立てて落ちてくる。
「ほら、これ。うまく誘えたらご褒美にやるよ」
「もし断られたら?」
「始める前から失敗を考えるなって。失敗したら……慰め賞としてやるよ。」
「なにそれ、成功しても失敗しても結果同じじゃない」
真紀乃はあきれたような口調でそう言ったが、さっきまで浮かべていた不安な表情は少しやわらいでいた。
表情を引き締め、胸に手を当てて深く息を吸い込む。
「……よし、準備できたわ……行きましょう」
「おお」
「……ところで、缶のタピオカミルクティーってあんまり好きじゃないんの。タピオカが硬くてまずいし。」
「……空気、読もうな?」
ちなみに「行きましょう」と言ったものの、実際には真紀乃に先に行かせて、俺が後ろからついていった。
理由は――説明するまでもないだろう。
俺たちは教室でちょうど昼食を終えた優木を見つけた。彼は弁当箱を片づけているところだった。
「うぅ……」
廊下の窓からそっと覗き見る真紀乃。いざ話しかけようとするその瞬間、再び緊張が押し寄せてきたようだ。
「リラックスな?大丈夫だって」
「あんたが聞くんじゃないんだから緊張しないのよ!」
「俺が代わりに声かけたら意味ないだろ……まったく、しょうがないな」
小声でそう言うと、俺は先に教室に入り、真紀乃の緊張を和らげようとした。それを見た真紀乃はやっと勇気を振り絞り、優木の前に進み出た。
「ゆ、優木……ちょっといい……?」
「うん? 別にいいけど……どうしたの?」
「ここじゃ話しにくいから、場所、変えてもいい?」
「え? ああ……もちろん……」
優木は少し困惑した表情を浮かべつつも、素直にうなずき、教室を出ていく。
俺もすぐさま後を追った。
「橘さん、教室に入ってすぐ出て行くけど……」
「さあ……」
……
モブ二人の会話で、自分がどんだけ恥ずかしいことをしたか気づかされた。
今すぐ穴があったら入りたい。
真紀乃と優木は中庭に移動し、俺はいつものように壁際の影に隠れて彼らの様子を伺っていた。
「わざわざ中庭まで来て……何かあったの?」
「その……優木、部活ってもう決めた?」
「一応いくつか見学には行ったけど、まだ決めてないよ」
「ふ〜ん……どんな部活見学したの?」
「アニメ研究部、文芸部、演劇部、それからボードゲーム部かな。どれも面白そうだったよ。」
「……っ!」
「演劇部」という言葉を聞いた瞬間、真紀乃は目を見開いた。そして、ぽつりとつぶやく。
「そ、それなら、あたしと一緒に……演劇部、入らない……?」
そう言いながら、真紀乃の視線は泳ぎ、優木の反応を見るのが怖いようで、同時に返事を待ちきれない様子だった。
「いいよ」
「えっ?いいの?」
あまりにもあっさりとOKされたことに驚いたのか、真紀乃はまるで夢でも見ているかのような表情で、再度確認した。
「うん、いいよ。え?もしかして水宮さんがわざわざ僕を呼び出したのって……それだけ?」
「わ、悪い……?」
「……っ!いや、全然そんなことないよ……」
逆に質問されて、優木は言葉を失い、固まってしまった。
「と、とにかく!今日の放課後、演劇部の部室で待ってるから!」
「え、ちょ……水宮さん? 水宮さーん!」
真紀乃は残っていた勇気ゲージを使い切って、一目散に逃走。
優木だけがその場に取り残されてしまった。
っていうか、同じクラスなんだから一緒に行けよ……わざわざ部室で待つ必要あるか?
とはいえ、さっきの真紀乃の頑張りは、かなりの成長だと思う。
まだちょっとツンツンしてた部分あるけど、ちゃんと自分の気持ちを伝えられたのは大きな一歩だ。
「ツンデレにとっては小さな一歩だが、真紀乃にとっては偉大な一歩である」と言えるだろう。
「なんでこそこそ彼らのこと覗いてるの?」




