第四章:デート・ア・ヒロイン(7)
「こちら、『すっぱあま✿シトラスボム』でございます。どうぞお召し上がりください」
「あれ?注文してないのですが」
「……?あっ、大変失礼いたしました!番号を間違えてしまったようです、申し訳ございません」
メイドはオーダーを確認し、テーブル番号を間違えたことに気づく。休日の混雑でメイドたちはてんてこ舞いで、何人もの客を同時に受け持っていた。実際、このメイドのトレイには複数のドリンクが並んでいた。
メイド店員が間違えて運んできたドリンクを回収しているとき、隣のテーブルの客が突然立ち上がった。
その肘がトレイにぶつかり、メイドの手元がぐらついた——そしてその拍子に、トレイの上にあった色とりどりの飲み物が真紀乃に向かってこぼれ落ちた。
「危ない!水宮さん!」
「わっ…!」
優木が咄嗟に手を伸ばしたが、テーブルを挟んでいる距離では到底間に合わない(手で防げるようなものでもない)。
まずい、もし真紀乃がこのままびしょ濡れになったら、せっかくのデートが台無しになる。どうすれば……
あっ。
俺は反射的に、真紀乃に向かって飛んでくる液体へ左手を差し出した。
手のひらに不思議な力が集まり、そのエネルギーが広がって——
液体はまるでモーゼのように、左右に分かれた。
飲み物は真紀乃を避け、きれいに両脇を通って床へと落ちていった。
まさか水を分ける「神の力」が本当に役に立つ日が来るとは……もしかしてこの状況もあのロリ天使の仕組んだことか?
「水宮さん、大丈夫?濡れてない?」
「う、うん……大丈夫……」
「本当に申し訳ありません、お嬢様!私の不注意で……!」
「気にしないで、ちょっとびっくりしただけで、大丈夫です」
メイドが深々と頭を下げ、慌てて謝罪する。グラスが割れる大きな音に店内がざわめき、周囲の視線が集まったが、すぐに他の店員が後片付けに駆けつけ、騒ぎは自然と収束していった。
「本当に大丈夫?ガラスの破片でけがとかしてない?」
「本当に大丈夫ってば。でも……気のせいかもしれないけど、飲み物が飛んできたとき、なんか……途中でスパッと分かれたように感じたの」
「はは、きっと錯覚だよ~飲み物が勝手に分かれるわけないじゃないですか。でもけががなくて本当によかったよ」
「……!うん……ありがとう……」
優木の優しい笑顔に、真紀乃は視線を逸らし、照れくさそうに顔を背けた。
【あたしみたいに口が悪くて態度も悪い人にまで、優木は笑顔で心配してくれる……本当に優しい人なんだね……】
そう、——優木は特別イケメンでもなく、背が高いわけでもなく、特別な才能があるわけでもない。
でも、その「優しさ」こそが、彼の最大の武器であり、多くのヒロインたちを惹きつける理由だ。
やはりどの時代のラブコメでも、優しい主人公は永遠の王道ってわけだ。
「じゃあ、早く食べよっか。パンケーキが冷めちゃうよ」
「あんたこそパフェの方気にしたら?アイス溶けちゃうわよ」
「あはは、そうだよね」
真紀乃は笑顔で肩をすくめ、呆れたような口調で言った。それに対し、優木は頭をかきながら苦笑いで返した。
◇
こうして二人は何事もなくメイドカフェでのんびりとしたティータイムを楽しみ、その後近くのゲームセンターで大鼓のマスターをプレイしたり、プリクラを撮ったりした。真紀乃は優木がクレーンゲームで取ってくれたタヌキのぬいぐるみを大事そうに抱えていた。口元は自然と綻んでいる。
「ん~今日は本当に楽しかった」
「ま、まあまあってとこね?」
「えっ、水宮さん、楽しくなかった……?」
「そこまで言ってないわよ……」
「よかった……そういえばもうこんな時間か。家まで送りますよ」
「いーよ、帰る方向違うし、駅までで充分よ」
「うん、わかった」
【水宮さんって、案外話しやすいし、こんなに可愛い一面もあるんだな……今日でちょっと距離、縮まったかな】
「……」
「……」
夜の帳が下り、街の喧騒も和らいできた。
昼間の賑わいが嘘のように静かになったアキバの路地を、二人は肩を並べ、静かに駅へ向かう。二人の影がネオンの光の中で時折重なり合い、歩くうちに、偶然手が触れ合っては、顔を赤くしてそっと距離を取る。そんな繰り返し。
——もう話すことがないわけじゃない。
ただデートの終わりに、お互いを感じたかっただけ。
今この沈黙すら、心地よかった。
「じゃあ僕はこっちの電車に乗るよ。本当に家まで送らなくていいの?」
「うるさいわね、一人で帰れるって言ってるでしょ」
「わかった。じゃあ気をつけて帰ってね。水宮さん、また明日学校で」
「うん、また明日」
真紀乃はぬいぐるみを抱きながら、その小さな手を振って優木を見送った。
【この瞬間が永遠に続けばいいのに……】
電車が去り、ホームには真紀乃とわずかな乗客だけが残った。俺は歩み寄って声をかけた。
「だから言っただろ?俺に任せればデートは万全だって」
「そうね……もし途中で、某ストーカーがいちいちメッセージ送ってこなかったり、ずっとこっそり見てなかったら、もっとスムーズだったかもしれないね」
「えー……」
よく言うよ?一日中隠れながらどれだけ大変だったか。ましてや俺がいなければ共通の話題もなかったし、びしょ濡れになる所だったんだぞ。
『ドアが開きます、ドアが開きます』
この時、品川行きの電車が到着し、俺と真紀乃は同じ電車に乗った。家の近くのコンビニで彼女と会うことから、おそらく近所に住んでいるのだろう。
日曜日の夜ということもあり、明日は学校や仕事があるためか、まだ8時半だというのに車内には俺と真紀乃しかいなかった。
俺は左端の席に座り、真紀乃は……わざわざ一番右端に座った。
五つの席を挟んで、見事な距離感。さすがにちょっと傷ついたわ。
「……今日のデート、楽しかった?」
真紀乃はちらりと俺を見て、まだ話しかけてくることに驚いた様子だった。しかし数秒後、小さな声で答えた。
「うん……それに久しぶりに優木と話せて、彼のことを少し知れた気がする。アニメの話をしてる時の優木、目がすごくキラキラしてて……」
真紀乃は声をだんだん小さくしていき、頬を少し赤らめた。
「まだ二次元の魅力はよくわからないけど……でも彼の好きなもの、彼のこと、もっと知りたいの」
「そうか。じゃあまずは今話題の『推理の子』からだな。配信でも見られるし、Netflag入ってるだろ?」
「うん、観てみる……ってか、あんたってオタクだったの?イメージとぜんぜん合わないわね」
「金髪に染めてようがアニメ好きだろうが別に関係ないだろ。アニメ好き=オタクってわけでもないし。そもそもオタクの定義って……」
「うわっ、キモ。キモオタは近寄らないで」
「……」
そうか、オタクの定義を考え始めた時点で、俺はもう完全にキモオタ認定されるのか。
最寄り駅で降りると、真紀乃も同じタイミングで降りた。予想通り、彼女の家は俺の家のすぐ近くだった。出口も同じ。
【やっぱり言うべきなのね……】
?
「ねえ」
改札を出たところで、真紀乃が俺を呼び止める。振り返ると、彼女は足早に近づいてきた。
「手、出して」
「ん?あ、あぁ……」
「これ、あげる……今日一日手伝ってくれたお礼よ……」
真紀乃が俺の手に押し込んできたのは、『推理の子』の綾音のキーホルダーだった。しかも吸血鬼バージョンの限定品だ。
「そのキャラ、あんたが好きかどうかわかんないけど、もう買っちゃったんだから、嫌でも受け取りなさい」
「いや、好きだよ……綾音はちょうど俺の推しの子だ。ありがとな」
「……!そ、そう……なら、よかった……」
真紀乃は俺に背を向け、顔を赤らめているのを隠そうとしたが、耳まで赤くなっているのがばれていた。
【本当は、あたしの方こそお礼言うべきなのに……ありがとう】
…!またもや不意打ちの心の声。ツンデレのタイミングが絶妙すぎる。
「ま、まあ。これからもサポートするからさ、その……よろしくな」
「うん……よろしく……」
「じゃ、また明日学校でな。俺、こっちだから」
なんか俺も恥ずかしいこと言っちゃったな。ここは早く退散して、自分の発言に恥ずかしくなる前に逃げよう。
「いや、あたしもこっちだけど?」
……は?
真紀乃の家、俺んちからひとつ目の角を曲がったところにある。
まさかの隣人だったのかよ?!
友達と別れたと思ったら、結局同じ道を歩くことになる……この恥ずかしさ、わかってくれる人はいるだろうか……
家までの道のりが、これほど長く感じたことはなかった。




