第四章:デート・ア・ヒロイン(1)
「知らんない天井だ……」
目を覚ました俺は病院のベッドに横たわり、ゆっくりと目を開けると、水染みのついた真っ白な天井を見つめながら、この「人生で一度は言ってみたい」中二病全開台詞を口にした。
「バカじゃないの? 骨折じゃなくて脳までやられたんじゃない? はぁ……つい数日前に『不良やめる』とか言ったばっかりなのに、見てよこの有様。左肩刺されて、左腕は骨折。よく一晩で退院許可もらえたもんよ」
絵梨花が病室のドア枠にもたれながら、呆れた目で俺を見下ろすように言う。
まったく……わかってないな。病院で目覚めたら、最初のセリフはこれに決まってるだろう?
「もう退院手続き済ませてあるから、さっさと荷物まとめて。せっかくの休日があんたのせいで台無しなんだから」
「そんな急かすなよ。こっちは怪我人なんだぞ……」
まだ荷物をバッグに詰めている最中なのに、絵梨花は先に病室を出て行ってしまった。左腕がギプスで固定されているため、不器用に片手だけで荷物を詰める羽目に。ドタバタと追いつくと、彼女はすでにエレベーターの前で待ちくたびれた様子でドア開ボタンを連打していた。
帰り道、二人は並んで歩きながら、一言も口を利かなかった。
「……怒ってんの?」
「別に」
絵梨花は顔を背け、淡々と答える。明らかに怒ってるな、これ。
まあ、理由はなんとなくわかる。
「ごめん」
「何が?」
「怪我して心配かけて、悪かった」
「別に心配なんかしてないし。ただあんたがまた怪我されると、こうして私が面倒見なきゃいけない羽目になるだけよ」
「はいはい……」
この素直じゃないところ、どこかの誰かにそっくりだ。
ちょうどその時、通りかかったコンビニ——あの雨の日に真紀乃と出会ったあのコンビニの前を通り過ぎた。
「アイス食べる?」
隣のコンビニを指差しながら、横目で絵梨花の反応を窺う。
「……食べる」
「じゃあ買ってくか」
「言っとくけど、あんたのおごりよ」
「可愛い妹のためなら、命も惜しくないぜ!」
「何それキモ」
絵梨花は呆れたような口調で言いながらも、顔にはかすかな笑みが浮かんでいた。
妹ってのは、こういう気まぐれな生き物なんだ。
……うちの妹、まじでかわ……いやいや、重申するが俺はシスコンじゃない。
どっちかって言えば絵梨花の方がブラコンだ。
「ふんふ〜ん♪ どれにしようかな〜」
絵梨花は軽快な鼻歌まじりで、冷蔵ケースのガラス面を指でなぞりながら選び耽る。
「彼氏選びじゃあるまいし、さっさと決めろよ」
「ちょっとくらい待っててくれてもいいでしょ?そういうとこだからモテないのよ」
……さっきまで「早くしろ」とせかしてたのはどこのどいつだよ。
「はあ……」
彼女が選んでいる間に、俺は雑誌棚までぶらつき、時間つぶしに新聞をパラパラとめくっていた。すると、ある見出しが目に留まった。
《女子高生が地元の不良グループに拉致されるも、犯人全員逮捕。少女に怪我はなし》
予想通り、奴らは結局元々真紀乃を拉致していた不良(本来は俺だったはず)と同じ末路を辿った。あの時見逃したことが何の影響も及ぼさなかったようだ。
怪我はなかったとしても、真紀乃は普通の女子高生だ。あんな目に遭ったら、トラウマが残るかもしれない。
そもそも、あれは全部俺のせいだし。もし彼女がそのせいで学校に来れなくなったりしたら、俺はどんな顔して彼女に会えばいいのか。
「真紀乃、今どうしてるんだろう……」
「ん?」
声の方へ振り向くと、思わず「あっ」と声が出た。
真紀乃がビニール袋を両手に提げ、新聞を持つ俺と目が合った。いつものツインテールではなく、手軽なプリンセスヘアにまとめ、シンプルな私服姿ながら、その白い肌が一層引き立ち、普段の高飛車な雰囲気とは違って、今はどこか柔らかく見える。
「おにいー、決めたよ~新発売のパインパッションフルーツ味と定番の抹茶味で悩んだけど、まあ両方買っちゃえばいいよ……あれ?おにいの知り合い?」
「えっと……知り合いってことでいいのかな?」
「初めまして、水宮真紀乃と申します。あなたは橘くんの妹さん?」
「あ、はい。橘絵梨花です。兄がお世話になってます」
絵梨花は突然の丁寧な挨拶に面食らい、思わず敬語になっていた。真紀乃も急に「お嬢様モード」に切り替わり、しかもちゃんと「橘くん」と呼んでいる。変態ストーカー誘拐魔とかじゃなく。
「本当はお見舞いに行くつもりだったけど、もう退院されたって聞いて……ちょうどここで会えたので、これを」
真紀乃は袋を差し出した。中にはリンゴとスポーツドリンクがいくつか入っていた。
「お、おう、ありがとう……」
「それではお二人の邪魔をしないように。学校でまた」
真紀乃が去る後姿に、袋の重みが急に実感としてこみ上げてきた。絵梨花が俺の裾を引っ張り、目を輝かせながら詰め寄る。
「おにいー!今の美少女誰!?お見舞いに来ようとしてたんだって!?不良やめる決心したのって、あの子が原因!?」
「お前までそんなこと言うのか……」
「恋愛とか全然縁のなさそうなあんたに、見舞いに来てくれる女の子がいるんだよ!はああ~あの子が私の未来のお姉さんか~うん、全然あり!美人だし、上品だし~」
真紀乃は俺の知る女性の中で、おそらく「上品」から最も遠い存在だ。
でもまあ、美人なのは確かだけど。
「俺たちそうい関係じゃないから。ただのクラスメートだ」
「ウソつけ。金髪ヤンキーに見舞いに来るただのクラスメートなんているわけないじゃん」
「説明すると長くなるから、とにかくそういうのじゃないって」
「ふーん……? じゃあとりあえずアイス代よろしく」
絵梨花は疑いの眼差しで俺を見つめると、さっとアイスを俺の手に押し付け、真紀乃の後を追いかけた。
「は?! お前なにするつもりだ!?」
慌てて会計を済ませて追いかけると、爆弾発言が聞こえた。
「――うち、すぐ近くなんです。よかったら寄っていきませんか?お兄さんへのお見舞いのお礼もしたいし」
マジで何やらかしてんだ、このバカ妹。
「絵梨花、水宮に迷惑だろ?すまん、水宮、無理に付き合わせなくても──」
「お邪魔でなければ、あたしは構いませんよ」
???
目を丸くする俺。この上品に微笑む女子が、俺の知ってるあの真紀乃なのか?
絵梨花はウィンクして親指を立て、「任せて」という眼色を送ってきた。
「いやいや、それは……」
「良かった!じゃあ行こ!水宮さん、アイスいる?」
絵梨花は俺の言葉を遮り、俺の手からアイスを奪い取り、真紀乃に差し出した。
「あたしは大丈夫です。それから、『水宮』でいいですよ」
「はい、水宮姉さん!」
「『水宮』だけで……」
「水宮姉ちゃん!」
「……『水宮さん』でお願いします」
あの高飛車女王様・真紀乃ですら屈服するとは……妹という生物は、やはりこの世の頂点に君臨する存在なのだ。
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