Interlude:《僕の冴えないラブコメ ♭》
「優木くん……手、繋いでもいい……?」
桐山はベッドに横たわり、発熱で赤らんだ頬が、より一層恥じらいを感じさせた。
布団の中から細い右手をそっと差し出し、指先は微かに震えている。
「桐山……僕……」
言い終わる前に、彼女は突然僕の手を掴み、そのまま勢いよくベッドへと引き寄せた。
冷却シートを貼った額の下、大きく潤んだ瞳が僕を真っ直ぐに見つめてくる。頬はうっすらと赤く染まり、髪を下ろしているせいか、普段とは違った雰囲気にドキッとさせられた。
狭いベッドで桐山と並んで横になると、びしょ濡れの服を脱いだ彼女は薄手の下着姿で、布団で体を隠しながら、息をするたびにシーツがかすかに波打つ。
二人の距離はわずか5センチ。
「優木くん……私のこと、どう思ってるの?」
「な、何言ってんだよ……」
「私のこと、好き……?」
「僕は……」
彼女の温かい吐息が頬に触れ、手のひらから伝わる体温、汗とフェロモンが混じり合った淡い香り――すべてが、僕の理性をじわじわと溶かしていく。
外は風と雨で嵐のような騒がしさ。時折、雷鳴が鳴り響いていた。
桐山の家には今、僕たち二人しかいない。何をしても誰にも知られず、何をしてもバレない。
なぜこんなことになったかと言えば、それは5時間前に遡る――
◇
昨日、水宮が突然「今週末付き合ってて」と僕を誘ってきた。
正直、彼女には嫌われていると思っていたから、この誘いは意外だった。
『たまたま重い荷物持ってほしかっただけよ。べ、別にデートじゃないから、勘違いしないでよ、バカ!』
……とはいえ、休日に一緒に出かけてくれるのは事実だ。
水宮とは仲良くしたいし、その日も特に予定がなかったので、快くOKした。
――が、今日になって豪雨。気象庁からは大雨警報まで出ていた。
半分寝ながらスマホを確認すると、時刻は11時30分。約束の時間まではあと30分。
この大雨じゃ、さすがに中止になるだろ……と、思っていた。
あ、そういえば、まだ水宮と連絡先交換してなかったっけ。まあこの天気なら、外に出る人なんていないよな……
せっかくの休日なんだし、もう少し寝かせて……
……
スマホの着信音で、再び目を覚ました。
寝たまま左手を伸ばし、指先で「通話」と「スピーカー」ボタンをタップした。
「もしもし……どちらさま……」
『はあ?!まさかまだ寝てたの?!信じられない!』
スピーカー越しに、水宮の怒号が炸裂した。
「み、水宮……? なんで僕の番号知ってんの……?」
『そんなの今はどうでもいいでしょ! それより今何時か分かってる!?』
思わず体を起こす。時計を見れば、12時35分――
すでに約束の時間を30分も過ぎていた。
「い、いや……こんな大雨だし、自動的にキャンセルだと思って……」
『あたしが中止だなんて言った!? このバカ!! あたし雨の中30分も待ってたのよ!!』
このときようやく状況の深刻さに気づき、血が一気に頭に上り、眠気なんて一瞬で吹き飛んだ。
「ごめん! 今すぐ向かう!切るね!」
『ちょっ、待――』
電話を切ると同時に、タンスから適当に服を掴んで着替え、寝癖のままで家を飛び出した。
水宮がいつも言ってた通り、僕は本当にバカだ。
雨で中止になると勝手に思い込んで、結果、彼女を一人雨の中で待たせて……
最低な男だ。僕は。
「はぁっ、はぁっ……」
びしょ濡れになりながら走る。
雨が顔に打ちつけてくるのも構わず、水たまりを踏み越えて進み続ける。
もう彼女をがっかりさせてしまった。
これ以上、失望させたくない。。
そう思っていた矢先――僕の足が止まった。
街灯の下で、倒れている人影――桐山だった。
雨に濡れたまま倒れ、その手にはビニール袋。
中にはスポーツドリンク、冷却シート、風邪薬が入っていた。
「……!」
声を出そうとしたが、衝撃が強すぎて何も言えなかった。
急いで駆け寄り、彼女の体を抱き起こす。
雨で冷たいはずの体は、異様に熱かった。
「おい、桐山! 聞こえるか!? 返事しろ!くそっ……!」
桐山を背負うと、柔らかな胸が背中に押し付けられるが、そんなことを感じている余裕はない。ただ桐山を家に送り届けることだけでいっぱいだった。
「しっかりしろ……今すぐ家まで送るから……」
くそ、こんな華奢な女の子を背負うだけで息が上がるなんて、普段からもっと筋トレしとけばよかった……!
道中、僕の頭を罪悪感が支配する。
でも、今はデートどころじゃない。
このまま桐山を道端に放置するわけにはいかない。
――俺は、最低の男だ。
(つづく)
風と雨の夜――ふたりきりの部屋、優木と桐山に運命の赤い糸は結ばれるのか?
そして、雨の中忘れられた水宮は、自分の恋心とどう向き合うのか――
交差する想い、その結末とは――
『僕の冴えないラブコメ』第2巻、近日発売!
◇
「なんだこれ!? ここで終わるとか、完全に読者を焦らしてるじゃん!」
ラファエルは本の最後のページを三度確認し、悔しそうに本を閉じた。
「院内では静かにしてください」
病室前を通りかかった看護師に優しく注意され、ラファエルは小声に切り替えた。
「まあまあ、まだ最新巻に追いついてないでしょ? いま第五巻まで出てるんだから、石器時代のロリ天使ちゃん?」
彼女はそう言って、ラファエルに第2巻の本を手渡した。
「おう、真紀乃ちゃんが表紙のヒロインだ! よかった、てっきりもう出番ないのかと思ったよ……」
「ふーん? 真紀乃推しとは意外だね」
「え? 真紀乃って一番人気じゃないの? 推してる人多いと思ったけど……?」
「……別に、そうでもないよ」
言うべきか少し迷ったが、彼女はラファエルの反応が見たいがため、残酷な真実を伝えることにした。
「まあいいけどさ~。どうせ人間のセンスなんて、あんまり当てにならないし。私は別に気にしないもん」
思ったよりつまらない反応――彼女は内心そう思った。
「わざわざ面白い反応なんか取らないよ」
「……今度来るときまでに、『読心禁止』の張り紙でも壁に貼っておこうかな。」
彼女は壁の注意書きを見渡す。ちょうど「禁煙」の横に、空いたスペースがあった。
「真紀乃か……私はあまり好きなキャラじゃないんだよね。なんか、昔の自分を見てるみたいでさ。素直じゃないせいで誤解されて、大切なものを逃してばかりで。たとえば、第一巻のラストとか――真紀乃がもっと早く優木と連絡先を交換して、『雨でも行くよ』って伝えてたら、遅刻もしなかったし、桐山とも出会わなかったはずでしょ。」
「もしかしたら、真紀乃ちゃんと似てるからこそ、私はよく君と話すのかもしれないね。そういえば、昔の君って、どんな感じだったの?」
「どんな感じだったの?」
「失礼だな、他人の記憶を覗くなんて倫理に反するでしょ。私はこんなことしないよ。」
「でも他人の心の声を聞くのは問題ない……げほ……げほ……」
「大丈夫? お水飲んで」
激しい咳に話を遮られ、ラファエルはテーブルのグラスを取り、空っぽのグラスに、水がスッと湧き上がった。
彼女はそれを受け取り、一口飲むと、ようやく咳が収まったようだった。
「大丈夫。ちょっと咳が出ただけ」
「そう……じゃあ、私はそろそろ帰るわ。2巻の続きはまた今度。」
「さっさと仕事に戻りなさいよ。私の療養の邪魔だから。」
「うるさいわね」
白い病室に響く、いつも通りのやりとり。
だが彼女の周囲には、いくつかの医療機器が増えていた。
点滴スタンドから透明なチューブを通して、薬液が静かに彼女の細い腕へと流れ込んでいた。