第二章:俺の負けヒロインがこんなに可愛いわけがない (6)
言ってねーよ。こいつ、小学生みたいなズルしやがって。
「分かった分かった……でも次も負けたら、そっちの奢りからな」
「もっかい! じゃんけん、ぽん!」
グー対チョキ、また俺の勝ち、もう諦めろ。
「……五本勝負だ!」
「お前どこまでズルすんだよ……ったく、今回は本当に最後だぞ」
「じゃーんけーんぽん!」
三連勝。今日の俺、運勢良すぎじゃね?
「あ~っ!わかったわかった!行けばいいんでしょ行けば! あーあ、この冷血兄、妹を大雨の中買い物に行かせるとかありえないでしょ!」
さっき大雨の中で兄をアイス買いに行かせようとしてたのは、どこのどいつの妹だ?
絵梨花はふてくされながら二階へ財布を取りに行き、戻ってくると俺を睨みつけた。耳をつんざくような雷の音にびっくりして靴を落とし、二度目の雷では完全にへたり込んでしまった。
「おいおい、可愛い妹よ。お前もう中三だろ?雷ごときでビビってたら来年高校で笑われるぞ?」
「うっさい!怖いもんは怖いんのよ……わあっ!!」
三度目の雷鳴が轟いた瞬間、絵梨花は玄関から慌てて走ってきて、俺の右腕にしがみついてきた。
かすかに震えるその体と、柔らかい感触が伝わってくる。
「ただの雷だぞ、大したことないって」
「あんたが怖くないから平気でそんなこと言えるのよっ!」
目をぎゅっとつぶって、必死にしがみついてくる妹。
「……はぁ、しょうがねえな。さっきのは俺の負けでいいよ、俺が行くならいいでしょ」
なんて優しくて思いやりのある兄なんだ。自分が好きになりそうだ。
「……ホントに?」
「だから俺が気が変わる前にな早く離れろ」
「じゃあ抹茶味で。よろしく〜」
あっさりと手を離すと、彼女はリビングに跳ねるように戻り、ソファに座ってドラマの続きを見始めた。
「……おい、さっきまでの怯えっぷり、演技じゃないだろうな?」
「え〜〜?ホントに怖かったんだよぉ〜〜。でも、お兄ちゃんがそばにいてくれたから安心したの〜〜♡」
「……そのお兄ちゃん呼び、心こもってないならやめろ」
「うわ、お兄ちゃん呼びされたいとかキモすぎ。さっさと死ね。いや、アイス買ってきてから死ね」
兄妹関係を解消するにはどんな手続きが必要だ?あんな性格の悪いクソガキと兄妹だなんて認めたくない。
「……いつか天罰が下るぞ」
「べーっ」
左目のまぶたを引っ張って、舌を突き出す。こいつマジむかつく……
文句は山ほどある。けど最終的に、俺は靴を履いて、傘を手に取り、雨の中へと出て行く。
一応言っておくが、俺は別にシスコンじゃない。
ただ家族との平和な関係を大切にしているから、彼女に譲ってやっているだけだ。
……せいぜいちょっとだけ甘やかしてる程度だ。
だって、今の俺には彼女がこの世界で唯一の家族だから。
幼い頃に両親が離婚し、母は病気で早くに亡くなった。父は俺たちを捨て、新しい家庭を作った。生活費だけ振り込まれてくるけど、それ以上の関係は何もない。
兄妹で支え合って生きてきた。
だから絵梨花が多少ワガママを言っても、結局俺はなんだかんだ言いながら応じてしまう。
俺が不良になった理由も、彼女と関係がある。……まあ、それはまた別の話だけどな
——まったく、なぜただのモブキャラにこんな重い設定をぶち込んだんだよ。
◇
雨のせいで、普段人通りの多い通りも、まるでゴーストタウンのように閑散としていた。
たまに車が水飛沫を上げて通り過ぎていくくらいだ。
もともと土砂降りだったのに、歩いているうちにさらに雨脚が強まってきた。
傘に打ちつける雨粒の音が、耳の中で絶え間なく響き続ける。
傘を差していても、膝下はすでにびしょ濡れで、靴下にも水が染み込み、足にぴったり張り付いて気持ち悪い。
「くそっ……さっき甘やかすんじゃなかった。あのアイス、あいつに買いに行かせりゃよかったんだ……」
コンビニまでは家からそう遠くない。
ぶつぶつ文句を言いながら歩いていると、すぐにコンビニの看板が見えてきた。
こんな太陽の見えないどんよりした天気の中では、青白緑のネオン看板の明かりがやけにまぶしく感じる。
傘を軽く振って水を落としてから店内に入る。
「いらっしゃいませ」と店員の声とともに、聞き慣れた入店音が流れた。
アイスのショーケースを覗き、抹茶味のアイスバーを一本手に取り、
ついでにドリンクケースからは、今日新発売のマンゴー味の「神爪」を選んだ。ちょっとした冒険ってやつだ。
ピンポン。
再びチャイムが鳴り、俺はなんとなくそちらへ目をやった。
すると――びしょ濡れの真紀乃が店内に入ってきた。
なんでコンビニまでこいつと会うんだ……
俺は思わずキャップのつばを深く下げる。なるべく顔が見えないように。
ミニスカートに可愛い白のブラウスという、なんとも女子力高めな服装の真紀乃は、雨に打たれて全身ずぶ濡れだった。
ブラウスは水を吸って肌に張り付き、下に着ているブラのシルエットがうっすら見えている。
スカートからは水が滴り、歩いた跡には濡れた足跡が残っていた。
「……傘、ひとつください」
彼女はレジまで歩き、かすれた声で店員に頼んだ。
「申し訳ございません。傘の在庫、ちょうど売り切れてしまいまして……」
「……」
真紀乃は無言で振り向き、髪の先から水を垂らしながら店を出ていった。
その背中は、いつもの気高いお嬢様とは違い、どこか脆くて、今にも壊れてしまいそうだった。
何があったのかは分からない。でも、きっと良いことじゃないだろう。