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ギフト・オブ・ファングズ  作者: アルキム
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7.宴の洗礼

 シャンヤ殿下は、すでに宴会場の入り口で待っていた。


 彼女は今日、銀白の祭司服に着替えていた。昨日着ていたものよりずっと格式高そうだ。

 襟元と袖口はきっちりと絞られ、彼女の元より完璧なプロポーションを、より一層清楚で優雅なものに引き立てている。銀色の長い髪は高く結い上げられ、精緻な銀の冠が添えられていた。


 うわ……マジで美人だな。もう少し笑ってくれれば最高なんだが。


 俺たちが近づくと、シャンヤ殿下はアデルに軽く頷き、それから極めて自然な動作で俺の腕に手を回し、絡めてきた。

 アデルは無言で恭しく一礼し、影のように脇へと控える。

 ねえ、君たちやっぱり似てない?


 シャンヤ殿下にエスコートされ、二つの高いアーチをくぐる。視界が一気に開けた。

 そこは、円形の巨大なホールだった。


 その瞬間――。


「うわっ!?」


 頭上のシャンデリアが、ホール全体を白昼のように照らし出していた。

 俺は本能的に肩をすくめ、一番近くの物陰に逃げ込みそうになる。

 なんだよこれ! 魔導ランプか!? 明るすぎだろ!


 直後、強烈な匂いが鼻腔を直撃した。

 肉の焦げる脂の匂い、焼き菓子の甘ったるさ、高級な香水の芳香、多種多様な酒のアルコール臭……ありとあらゆる匂いが渾然一体となって襲ってくる。


 く、臭い……。


 かつて人間だった頃の俺なら、これは『盛宴』の香りだっただろう。だが今の俺にとって、この油と香料が混ざり合った空気は、下水道よりも恐ろしい『暴力』だ!

 胃袋の中で何かが暴れ回る。俺は必死に鼻を押さえたい衝動を堪えた。気を抜けばその場で戻してしまいそうだ。

 俺がそんな失礼な挙動に出るのを唯一踏みとどまらせたのは、目の前の光景だった。


 ホールは人で溢れかえっていた。着飾った男女が三々五々集まり、優雅な談笑とグラスの触れ合う音が、上流階級特有のホワイトノイズとなって響いている。


 俺の姿が見えた瞬間、そのざわめきが潮が引くように静まり返った。

 無数の視線が一斉に突き刺さる――好奇、品定め、驚嘆、探求……。


 覚悟はしていたけど、注目度高すぎないか!?

 くそっ! 昨日魔法陣から『空から降ってきた』時より緊張するぞ。

 これ、マジで吐くかも。


 シャンヤ殿下が俺の狼狽を察したのか、組んでいる腕にわずかに力を込めた。

「ご心配には及びません、勇者様」

 彼女の声は低く、平坦だが、不思議な安らぎを含んでいた。

「今宵、貴方様はペレシュ王国で最も尊き賓客なのですから」


 人混みの中の誰かが、最初に手を叩いた。

 続いて、宴会場全体が拍手の波に飲み込まれる。

 口笛も、野次もない。ただ小気味よく、リズムの整った拍手だけが響く。まるで舞台劇のカーテンコールのような、洗練された敬意だ。


 歓迎の儀式は短く、格式高いものだった。拍手が引くと、再び会場は穏やかな会話の羽音に包まれる。

 ……よかった、この世界の貴族は民度が高いらしい。

 俺は密かに安堵の息を吐いた。


 いつの間にか背後に控えていたアデルが、素朴な木製の杯を差し出し、手際よく酒を注いでくれた。

 一口含む。昨日と同じ、ハーブの香りがする清涼な甘さが広がる。

 ようやく、爆発寸前だった嗅覚を少しだけ鎮めることができた。


 俺は周囲を見回す。あの名前の長い白髭の国王陛下は見当たらない。シャンヤ殿下の説明によると、国王は公務で毎晩遅くまで執務室に籠もっているらしい。

 トップに立つ人間ってのは大変だなぁ。あんなお爺ちゃんなのに。


 やがて、貴族たちが秩序正しく挨拶にやってきた。

 熱烈な者、慎重な者、言葉の端々に値踏みするような響きを隠さない者。

 シャンヤ殿下は常に俺の隣に立ち、絶妙なタイミングで介入しては、簡潔に相手の身分を紹介してくれる。相手の話鋒が鋭くなり、腹の探り合いや勧誘が始まりそうになると、彼女は予知していたかのようにサラリと言葉を挟み、話題を安全圏へと逸らしてくれた。


 あちこちに愛想笑いを振りまきすぎて顔面が筋肉痛になりかけた頃、背筋の伸びた、日焼けした肌の中年男がグラスを片手に近づいてきた。

 肩の階級章が、灯りを反射して鋭く光る。


「彼は王国の軍務大臣、パットン将軍です」

 シャンヤ殿下が耳元で囁く。

 おおっ! この威圧感、確かに軍人って感じだ。


「勇者殿!」

 彼の声はよく通り、重厚だが、裏表のない率直さが滲み出ていた。

「シャンヤ殿下の召喚魔法なんぞ、予算をふんだくるための茶番かと思っておったが! まさか本当に、あんたのような人物を招き寄せるとはな! ガハハハハ!」


 彼は豪快に笑いながら、俺の肩をバシバシと叩く。

 おい! 痛いってオッサン!

 俺がどんな人物かは置いといて、勇者(吸血鬼)でもその力加減はキツイぞ!


「さあ、一杯やろう!」

 パットン将軍は豪快にグラスを掲げ、俺の杯にカチンとぶつけた。

「あんたが加われば、この戦争は勝ったも同然だ! あんたと、我がペレシュが誇る陽鷹騎士団がタッグを組めば、一ヶ月もしないうちに魔王軍のクズ共は北の実家へ逃げ帰るだろうよ!」


「パットン将軍」

 シャンヤ殿下が冷ややかに口を挟む。

「北方はかつて、人類の故郷でもありました」

「ガハハハ、殿下の仰る通り。いやぁ、つい忘れてしまいますな」


 将軍は適当に笑ってごまかすが、あまり気にしていない様子だ。


「将軍が魔王の出自について無知であらせられるなら、いつでも教会へお越しください。歴史の講義をさせていただきますよ」


 底冷えするような声が、会話に割り込んできた。

 顔を上げると、そこには陰気な顔つきの老人が立っていた。背後には修道服を纏った従者を数名従えている。


「お初にお目にかかります、勇者様。ペレシュ教会の司教、サミュエルでございます」

 彼は俺に向かって恭しく首を垂れた。


 パットン将軍の顔から笑顔が消滅した。爛々としていた瞳は警戒と怒りに細められ、突然割り込んできた、口を開けば嫌味しか言わないこの司教を睨みつける。だが、さすがにこの場を弁えているのか、低く鼻を鳴らしただけで、不満を沈黙の中に押し込めた。

 おいおい、犬猿の仲ってやつか? 出会い頭に一触即発ってどういうことだよ。


 サミュエル司教は、将軍の燃え上がるような視線などどこ吹く風だ。その老婆のように皺深く陰気な顔に、辛うじて『笑顔』と呼べなくもない表情を貼り付け、俺に向き直る。


「勇者様」

 彼の声は大きくはないが、粘着質に響いた。

「魔王と奴の軍団は、単なる血に飢えた野獣ではございません。奴らは異界の侵略者。その力の根源も、行動原理も、我らアルドラ大陸の生けるものとは決定的に異なります」


「もしその本質を見抜くことなく、単に匹夫の勇に頼るならば……いかに鋭利な刃とて、我が方の将兵の命を無駄に散らすだけに終わりましょう。あるいは……敵に利用されるか」


 語尾に合わせて、彼の視線が意味深に、隣で顔を青くしているパットン将軍へと流れる。その当てこすりはあまりにも明白だった。


「力には知恵による導きが必要であり、信仰こそが魂を闇の侵食から守るのです。我らペレシュ教会は……」

 司教様のありがたい説法は延々と続く。


 だが、俺の意識はすでに司教様の『演説』から離脱していた。

 つい先ほど、視界の端に懐かしい姿を捉えてしまったからだ。宴会場の中央、屋内噴水のそばにいるあの姿――アンルさんだ!


「……それゆえ、これらの神聖なる祝福は、貴方様が真の――」

「すみません! ちょっと失礼!」


 俺はもう我慢できず、司教の話が終わるのも待たずに、その長ったらしい演説を強制終了させた。

 司教とパットン将軍が呆気にとられた顔をする中、俺は二人を置き去りにして、心待ちにしていたあの人の元へと一直線に歩き出した。


「失礼いたします」

 シャンヤ殿下も小さく一礼すると、すぐに俺の後を追ってきた。まるで出来の悪い子供を見守る保護者のようだ。


 向こうも俺たちに気づいたらしい。アンルさんはすぐにこちらへ駆け寄ってきてくれた。その笑顔は変わらず甘く、愛らしい。

 彼女の隣には、仕立ての良い服を着た五十代くらいの男性が立っていた。細められた瞳には知性の光が宿り、俺をぐるりと観察すると、人好きのする笑顔を浮かべた。


「おや、もしやこちらが、我々が待ち望んだ勇者様ですかな?」

 その声には、政治家特有の滑らかさと親しげな響きがあった。


「こちらはペレシュ王国の宰相、ワイザー卿です」

 シャンヤ殿下が紹介する。

 ワイザー……ということは、隣の……。


 ワインレッドのドレスに着替えたアンルさんは、相変わらず小柄で愛らしかった。滑らかな亜麻色の長髪はゆったりと優雅に結い上げられ、花の彫刻が施された髪飾りで留められている。左目の泣き黒子ボクロが、茶色の瞳をより印象的に飾っていた。

 彼女は宰相の隣に立ち、少しでも背丈を合わせようとしているのか、一生懸命に背伸びをしている。

 ただ、彼女の視線が俺と交差したとき、その美しい瞳に一瞬だけ微かな狼狽が走り――すぐに程よい歓喜と羞恥へと変わった。


「あぁ、勇者殿、紹介します」

 ワイザー宰相はそう言うと、極めて自然な動作で手を伸ばし、アンルさんの肩を親しげに抱き寄せた。


「私の家内、アンルです」


 え?


 家内。つまり、宰相夫人。

 いや、宰相殿の奥方。

 違う、つまり……妻。


 ……。


 あああああああああああああ!

 どう好意的に解釈しても、二人はそういう関係ってコトじゃねーか!


 午前中、俺の前で少し恥ずかしがり、俺の言葉に頬を染め、近所のお姉さんのように優しく可愛らしかった『アンルさん』が、まさか……。

 まさか、俺の親父よりも年上に見える宰相殿の、奥様?


 終わった。

 俺の異世界ドリーム、これにて終了。

 ……心が痛い。

 これって、二度目の失恋になるのか?


「ゆ、勇者様、またお会いできましたね」

 アンルさん……いや、今はアンル夫人と呼ぶべきか。彼女は緊張した面持ちで挨拶し、ドレスの裾を不安げに握りしめている。

「ひ、昼間の件は……すべて手配できましたか?」


 彼女は心配そうに尋ねてくる。そして、隣の宰相殿に向かって、俺たちが午前中に会った経緯を必死に説明し始めた。

「あ、はい……」

 俺は曖昧に頷くことしかできない。


 うぅ……もう何も言わないでくれ。これじゃあ、俺一人だけが勘違いして舞い上がってた馬鹿みたいじゃないか。


 そういえば、こっちの聖女であるシャンヤ殿下も、ペレシュの『王妃』だと自己紹介していた気がする……。ということは、彼女もあの白髭の国王陛下と……。

 男子高校生の豊かな想像力が、瞬時に健全ではない絵面を脳内に生成してしまう。


 ゴフッ!

 悔しすぎる! せっかくの異世界だぞ? なんでこんな、嫉妬で奥歯が砕けそうなリアリズムを見せつけられなきゃいけないんだ!?


 シャンヤ殿下といい、アンルさんといい、この世界の人たちは結婚が早すぎないか!?

 見た目は俺と変わらないくらいなのに、こちとらファーストキスもまだなんだぞ?


 俺はもう、幸運の女神にデコチューされたような超ラッキーガイ・ワイザー宰相と世間話をする気力など残っていなかった。

 適当な相槌でその場を凌ぎながら、俺は自身の『悲惨な運命』に対する無言の嘆きへと、完全に沈んでいった。


 なんでだよ……。

 なんで異世界転生してまで、ラブコメの負けヒロインみたいな展開を味わわなきゃいけないんだよ……。

 不公平だ!

 この世界、異世界勇者に対して厳しすぎるだろ!

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