3.だから、吸血鬼勇者なんて……
シャンヤ・ヨアン。 自称・聖女の銀髪美少女だ。
彼女は今、俺を見下ろしている。 吸い込まれそうなほど深く、美しいスミレ色の瞳。 そのあまりに整った顔立ちに、俺は思わず視線を逸らしてしまった。
眩しすぎる。ルックスも、そのオーラも。
「……召喚?」 俺は低い声で繰り返した。
「はい。私たちは丸一年もの歳月を費やして祭祀と準備を行い、ついにあなた様を異世界より召喚することに成功したのです」 「そうか……」
何が「そうか」だ! 全然「そう」じゃないだろ!
そもそも同意なんてしてないぞ? 俺が召喚された時、利用規約も同意ボタンも見てないはずだ。
全くもう……せっかく勇気を出して、「吸血鬼としての第二の人生」ってやつを迎える覚悟を決めたのに。 半日どころか、吸血鬼生活を一秒たりとも満喫することなく、こんな訳のわからない場所に引っ張り込まれるなんて。 召喚される側の意思も尊重してくれませんかね!?
とんだ糞ラノベ詐欺だ。 まるで悪徳マルチ商法みたいな吸血鬼勧誘に、誘拐同然の強制転移。こんなのが好きな奴がどこにいるんだよ。
それにだ。異世界に召喚されたなら、普通は何か特別な特典があるだろ? 聖剣とか、チート能力とか、あるいはダメ女神とかさ。
「勇者様。あなた様が今いらっしゃる場所はペレシュ。五大人間王国の一つです。不幸なことに、最北に位置するワラキア王国はすでに魔王軍の手によって……」 「ステータスッ!」 「……?」
俺の唐突な叫びに遮られ、シャンヤは不思議そうに小首を傾げた。
「い、いえ……すみません」
チッ、ステータス画面すら出ないのかよ。
「えっと、聖女様。さっきから俺のことを勇者と呼んでいますが……」 彼女は一呼吸置いてから、再び口を開いた。
「先ほど申し上げた通りです、勇者様。我々の世界は魔王の蹂躙に苦しめられています。それゆえ、一年の時をかけて召喚の儀を執り行い、勇者であるあなた様をこの世界にお招きしたのです」
俺が? 俺が勇者?
「何かの間違いじゃないですか? 俺は元の世界じゃ、ただの一般人……だったはずですけど」 たった半日の吸血鬼体験なんて、勇者の履歴書には書けないだろうし。
「勇者様。あなた様には、勇者となる資質があります」
「聖女様、どうしてそれが分かるんです?」
俺が満点を取ったことなんて、小学校低学年のテストくらいだぞ。
「それは……秘密です」
彼女は人差し指をそっと唇に当てた。 その口元が、微かに――目の錯覚かと思うほどの速さで――緩んだように見えた気がした。
「今はまだお話しできませんが、間違いありません。あなたこそが、私たちが求めていたお方です」
そこで話を切るなよ! 「いずれ分かる」系の謎めいたキャラも、異世界の標準装備なのか!
とはいえ、彼女がそこまで断言するなら、とりあえず現状を受け入れるしかない。もしかしたら、この世界の平均戦闘力が著しく低いのかもしれないし。 王道パターンでいけば、俺だってそこまで弱くはないはずだ……。
それに、今の俺はもう完全な「人間」ではないしな。
俺があれこれと思考を巡らせていると、部屋の外からノックの音が聞こえた。 鎧をまとった護衛たちが先に入室し、整然と左右に分かれて直立する。
おいおい、病人を少しは休ませてくれよ!
続いて入ってきたのは、白い髭を蓄えた老人――先ほど大広間にいた国王だった。 金糸の縁取りが施された赤いマントを羽織り、顔には宝くじでも当たったかのような満面の笑みを浮かべている。
「おお、勇者よ!」
彼は朗らかに口を開いた。
「ここの暮らしには慣れたかな。余はこの国の王、アレクサンドル・コンスタンティン・ミハイツェ・ペレスク四世だ」
なんて名前だ! 誰が覚えられるんだよ!
シャンヤはすでに振り返り、優雅に国王へ一礼している。 まずい、俺も何かリアクションを……。 ベッドから這い起きようと身じろぎすると、国王は手を振って「そのままでよい」と制した。
「はっはっは、勇者は我らの貴賓だ。堅苦しい礼儀など不要、楽にしてくれればいい」
彼はズカズカと歩み寄ると、椅子を引き寄せて腰を下ろした。まるで孫の顔を見に来たお祖父ちゃんのような親しみやすさだ。
「大広間にいた時より、だいぶ顔色も良くなったようだな。余も家臣たちも、そなたの容態が心配でならなくてな。急ぎの公務を片付けて見舞いに来たのだ。……ところでシャンヤよ、ペレシュについての説明は済んだか?」
「はい、陛下」 シャンヤの声は相変わらず涼やかだ。 「ちょうど今、勇者様に説明しようとしていたところです」
彼女は俺の方を向き直る。その紫の瞳は、静かな湖面のように潤んでいる。
「勇者様。おそらく、我々の置かれた状況をまだ完全には理解されていないことでしょう」
まあ、大体その手のテンプレだろ? 小説とギャルゲーで培った知識が、俺の理解を助けてくれている。
「数年前、異界より降臨した魔王が怪物の軍勢を率い、アルドラ大陸への全面侵攻を開始しました。北方のワラキアはかつて大陸最強の王国でしたが、今や完全に陥落しています」
ほら、やっぱりな。
「私はその災厄を、この目で見ました」 彼女は淡々と事実を述べる。 「魔王軍の圧倒的な力の前では、抵抗など無意味でした。都市は焼かれ、民は虐殺され……あれは戦争ではありません。一方的な狩りでした」
彼女は言葉を切った。
「現在、その災厄の濁流は中部平原を守るムスチェル王国へと押し寄せています。彼らは人類連合における最大の防壁。しかし、魔王とその配下の怪物たちを前に、ムスチェルの戦線も後退を余儀なくされています」
彼女の視線が窓の外へと向けられる。
「そしてペレシュは……大陸最南端の王国であり、連合における最も脆弱な環です。もしムスチェルの防衛線が崩壊し、魔王の軍勢が雪崩れ込んでくれば、我々の末路は……」
実に見事な王道展開だこと。
「ペレシュの運命を、大国任せにするわけにはいかんのだ!」
国王が突然、身を乗り出して熱弁を振るう。
「だからこそ余は、王国の財と人材にまだ余力があるうちに、シャンヤに一年もの時を費やさせてあの儀式を執り行い、運命に選ばれし勇者をこの世界へ招いたのだ!」
一年……。 一体いくら溶かしたんだ? もし今、俺が「人違いでした、サーセン」と謝ったら、元の世界に送り返してくれるだろうか?
「まあ、少なくとも今は勇者が我らの味方だ」 国王は話の矛先を変え、再び抑えきれない笑みを浮かべた。 「それにしても、儀式が一発で成功するとはなんと幸運なことか。シャンヤの話では、この儀式の失敗率は相当高いらしい。運が悪ければ、呼び出されたのが……コホン、あまり好ましくないモノだった可能性もあるからな」
好ましくないモノ?
国王は声を潜め、もったいぶった様子で言った。 「もし魔物を喚んでしまったら目も当てられん。一般的なゴブリンやスライム程度ならまだしも、最悪のケースでは、吸血鬼やドラゴンなんかが現れることもあるそうだ」
あぁ! だから俺が目覚めた時、衛兵たちが泥棒を見るような目で囲んでたのか。
「あはは、それは本当にラッキーでしたね――えっ!?」
待て! 今、吸血鬼って言ったか?
「だからこそ、こうして勇者の召喚に成功して本当によかった。そうだろう、シャンヤ?」 「はい、国王陛下」
良くないだろ? 何が「天に選ばれし勇者様」だ、これ完全にハズレくじじゃないか!
「あー、その、王様……」 俺は恐る恐る尋ねた。 「その、吸血鬼についてなんですが……」
「ああ、吸血鬼か」 国王は眉をひそめ、表情を一変させた。 「勇者の世界に似たような魔物がいるかは知らんが、こちらの世界において吸血鬼とは、闇夜に活動し、人の血を啜る恐ろしい魔物だ。外見が人間と酷似しているため、しばしば村や町に偽装して潜伏する。極めて厄介な敵なのだよ」
国王の顔には、隠しようのない警戒と嫌悪が滲んでいる。
完全に詰んだ。 俺の笑顔は、すでに石膏像のように固まっていた。
「おっと、すまない勇者。こっちに来たばかりの初日に、余が長居して邪魔をしてしまったな。だが心配無用だ。明日の夜には歓迎の宴を用意してある。盛大に歓迎させてもらうぞ」
国王は立ち上がり、俺の肩をポンと叩いた。
「シャンヤ、そなたもあまり勇者を煩わせるなよ。早く休ませてやってくれ」
白髭の王は満足げに鼻歌を漏らしながら去っていった。 国王の姿が見えなくなると、シャンヤは無言でベッドの脇へと歩み寄る。声のトーンは相変わらず平坦だ。
「それで、勇者様……」 「ヴィラン・ハクヅカだ。ヴィランでいい」 俺は力なく答えた。
「ヴィラン様。今のご気分はいかがですか?」 彼女は静かに尋ねる。事務的な問いかけだ。
「ああ、まあまあかな」
最悪だ。 吸血鬼はこの世界でも極悪非道の魔物扱いかよ。二十四時間以内に三回も死刑宣告を受けるなんて、想像できるか?
シャンヤはベッドの端に腰を下ろした。
「お体は? どこか不調はありませんか?」
肉体的な疲労より、精神的なダメージの方が大きいんだが……。
「うーん……」
シャンヤは立ち上がり、傍らの棚から一本の瓶を取り出した。
「気分が優れないようでしたら、こちらの薬酒をお試しください」 注がれた液体は、神秘的な紫色を帯びている。 「地元特有の薬草をいくつか調合しました。召喚による不調も和らぐはずです」
グラスを受け取り、一口だけ舐めるように含む。 意外にも悪くない。清涼感の中にほのかな甘みがあり、優しい酔いが喉元へと広がっていく。
「お気に召したようで何よりです」
気のせいだろうか? シャンヤの表情が、ほんの少しだけ柔らかくなったように見えた。
「それでは私はこれで失礼いたします。ヴィラン様、どうぞごゆっくりお休みください」
彼女は優雅に一礼すると、足音を立てずに部屋を出ていき、静かに扉を閉めた。
部屋には完全な静寂が訪れ、俺一人だけが残された。 俺はふかふかのベッドに倒れ込む。体も心も、ダンプカーに何度も轢かれたような気分だ。
知らない天井。 知らない城。 そして、あまりに理不尽な異世界。
不安が音もなく体内に広がり、棘のある蔦のように首筋から脳裏へと絡みついてくる。
あまたの異世界転生モノの主人公たちを思い出す……彼らは本当に、こんな状況を平然と受け入れていたのか? 異世界召喚、魔王の侵略、希望を背負った勇者――なんで俺の番になった途端、こんな超高難易度のサバイバルゲームになってるんだよ。
『人類を率いて魔王を防ぐ』 国王の言葉が、まだ耳の奥で反響している。
俺は苦笑いを浮かべ、寝返りを打った。
「人類を率いる?」
勘弁してくれ。俺は自分の人生すらまともにコントロールできてないんだぞ。 ましてや、まだ昼間に外出することすらできない新米吸血鬼だ。「人類を率いる」前に、人類に狩られないだけで御の字だろ。
夜は更け、部屋の蝋燭の火も小さくなってきた。
……異世界に来たのはいいとして。
誰か、俺とシナリオを交換してくれよ。




