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ギフト・オブ・ファングズ  作者: アルキム
16/16

16.夜明けの密室

翌日。


空が白み始めた頃……たぶん。

年中薄暗いこの部屋では、時間の感覚なんてあってないようなものだ。


俺は混沌とした微睡みから、ガバッと跳ね起きた。

意識より先に体が反応する。

スタントマンも顔負けの流麗な動きでベッドから飛び退き、瞬時に部屋の隅へと移動して防御態勢をとる。


日光なし、ヨシ。

ドアの外に不審な気配なし、ヨシ。

殺人魔法のトラップは?


息を止めて十数秒待つ。

……うん、怪しい魔法が発動する気配もない。

部屋の中はいつも通りだ。隅っこで間抜けなポーズをとっている俺を除けば。


「ふぅーー……」


俺は長く息を吐き出した。

ここ数日の「モーニング・サプライズ」が心臓に悪すぎて、吸血鬼のくせに被害妄想の条件反射が染みついてしまったらしい。


「んぅ……二度寝するか」


俺は輝く金髪に背を預けるようにして再びベッドに横たわり、全身の力を抜いてあくびをした。

今日は国王のところで、例の小隊メンバーと顔合わせしなきゃならないんだっけ……ああ、面倒くさい。


ん?

いま、何か見えたような?

いや、それより……。


俺は少し尻の位置を直し、後ろへとにじり寄る。

背中に触れる……柔らかくて、豊かな弾力のある感触。


「んぅ……つめたいよぉ……」


とろけるような寝起きの鼻声。

これは、まさか……。


いや、落ち着け、ウィラン・白塚……クールになれ。

よく思い出してみろ。不運にもこの異世界に召喚されてから、勇者業を始めたこの三日間、こんな極上の福利厚生があったか? いや、ない。


これは夢だ。間違いなく夢だ!

それ以外にありえない!


いやぁ、そろそろこういう旖旎いにはな夢を見てもいい頃合いだとは思っていたんだ。

この世界に来てからというもの、一度だって「リフレッシュ」できてないからな。

健全な男子高校生として、夢の中でくらいハメを外して、こういうドキドキする展開を楽しんだってバチは当たらないだろう?

うん、正常だ! 何も恥じることはない!


俺は背を向けたまま深呼吸をし、震える手を後ろの「ぷるぷるな夢」へと伸ばした。


指先に伝わる、シルクのような布の感触。

ちょっと、つまんでみる。


「んっ……だから、冷たいってばぁ」


想像以上に滑らかで、温かくて、柔らかい。

俺の体温が低すぎるせいで、可愛らしい抗議の声が上がった。


これは夢だ。これは夢だ。これは夢だ。

俺は心の中で呪文のように唱え、意を決して――


勢いよく振り返った!


液状の黄金のように滑らかな長髪が、枕の大半を覆っている。

完璧なバランスで描かれたような小さな顎、少女特有のあどけなさを残した鼻梁。

そして俺の動きに反応してゆっくりと開かれた、矢車菊ヤグルマギクのように鮮やかな青い瞳。


俺の視界の先には、閉ざされたカーテンがある。

その向こうには俺を灰にする太陽光が待ち受けていると分かっているのに、今すぐあのカーテンをむしり取りたい衝動に駆られた。


「ちゃんと着てますよ? 勇者様」


ムクドリのさえずりのような、澄んだ声。

俺が硬直している間に、ジャンヌは身を起こしていた。

あられもない姿……ではなく、傍若無人に革のスカートのベルトを調整している。

肩に散らばる金髪は少し乱れ、頬には何やら怪しげな紅潮が浮かんでいた。


「な・ぜ・こ・こ・に・い・る」

俺は歯の隙間から声を絞り出した。

「お前は、あの白髪ポーカーフェイス女の――」


「あの王女殿下の口真似はやめてください! たく、どうやって入ってきたんだよ! 昨日の夜、鍵はかけたはずだぞ!」


「ふふ、私には私のやり方がありますから」

彼女はパチリとウインクしてみせる。


それにしても、なんでこいつなんだ?

間違いなく、あの混乱を愛する王女様の命令だろう。「自分が禁足処分だからって、部下を使ってハニートラップか?」

チッ、あの王女を見くびっていたようだ。


「つまり、エリアンと組んで俺のスキャンダルをでっち上げ、王宮から追い出す気か?」

……待てよ。もしそうなら、意外と悪くない話かもしれない。


「ふふっ」

エリアンの名を聞いて、ジャンヌは口元を押さえて笑った。

「殿下ですか? あの方は確かに勇者様を気にかけておられますが、時々子供のように純粋なところがありますよね。そう思いませんか?」


彼女は小さくため息をつく。

「でも、今回は殿下とは関係ありません。私の独断です」


独断? なんの?

<ruby>吸血鬼<rt>ヴァンパイア</rt></ruby>に夜這いをかけて、既成事実を作る独断か?


「……で、結局何がしたいんだ?」


「国王陛下が、勇者様に前線へ向かう先遣隊を作らせると聞きました」

彼女の声色が、初めて真剣なものに変わった。

「ですから、私をお側に置いてください。ぜひ、その隊に加えていただきたいのです!」


「隊だって? え、なんでお前がその話を……」

その話が決まったのは昨日の深夜だ。俺は誰にも話していないはずだぞ?


「あはは、細かいことは気にしないでくださいよ、勇者様。ね、今回だけお願い聞いてくれませんか?」

彼女はすぐにまた天真爛漫な表情に戻り、距離を詰めてくる。

上目遣いのうるんだ瞳で、両手を合わせて拝むようなポーズ。あざとい。


「でも、エリアンはどうするんだ……お前、護衛とかじゃないのか?」


「私はただの護衛じゃありませんよ。もう、勇者様は何もご存じないんですね」

彼女はひらひらと手を振った。

「それに、殿下も私が隊に加わることを強く支持してくださっています。『勇者様をしっかりとお世話してあげてね』って」


彼女はわざとらしく「お世話」という単語を強調した。

背筋に冷たいものが走る。あの主従、一体何を企んでやがる?


「勝手にしろ。だが、人選は俺の一存じゃ決められないぞ」

俺は慌てて責任逃れの線を引く。

「正直、俺自身なんでリーダーやらされてんのか理解不能なんだ。入りたいなら陛下に直談判してくれ」


「えぇー? ダメなんですか? あんなことまでした仲なのに」


「あんなこと?」

口に出した瞬間、意味を理解した。

「してない! 俺たちは何もしてないぞ!」


「そうですか? でも、私、あんなところを触られたのは初めてなんですけど……勇者様、しらばっくれるおつもりですか?」

彼女はわざとらしく頬を膨らませてみせる。


くそっ、誤魔化しがきかない。

さっきの「ぷるん」とした感触……あれは、確かに触ってしまった。


「あれは……不可抗力で、その……」

俺は力なく、形式だけの抵抗を試みる。ダメだ、話題を変えよう。


「コホン。……なぁ、なんでそこまでして、その隊に入りたいんだ?」

わざわざ俺の部屋に夜這いまでかけて。


ジャンヌの顔から、笑みが少しだけ引いた。


「私には……行かなければならない理由があるんです。勇者様、どうか私を連れて行ってください。決して悪いようにはしませんし、あなたに害をなすつもりもありません。必ず、あなたの頼れる力になります。それだけは信じてください」


……中身が何もないセリフだ。

元の世界なら、面接官にその場で「お祈りメール」を送られるレベルの具体性のなさだぞ。


「……怪我はどうなんだ? 昨日の<ruby>吸血鬼<rt>ヴァンパイア</rt></ruby>、結構手酷くやられただろ?」


「<ruby>吸血鬼<rt>ヴァンパイア</rt></ruby>」という単語を聞いた瞬間、彼女の瞳に暗い影が走った。

だが、それは瞬時に甘い笑顔の下へと隠された。


「そのことなら平気です。ただのかすり傷ですから、簡単な治癒魔法ですぐ治りますよ。あ、もしかして……勇者様、私のこと心配してくれてるんですか?」


「いや、ただ分からないだけだ。なんでお前が急に――」


ジャンヌは人差し指をすっと伸ばし、俺の唇に押し当てた。

言葉が遮られる。


「なんで私が、急にこんな態度をとるのか、ですか?」

「……」


「言ったでしょう。私には、どうしても勇者様の隊に入らなきゃいけない理由があるんです」


彼女はさらに一歩、身を乗り出した。

胸が触れそうな距離。さっき整えたばかりの襟元を、彼女自身の手が再びゆっくりと寛げていく。


「たとえ、こういう代償を払ってでも」


彼女は完璧に近い笑みを浮かべていた。

だが、その矢車菊色の瞳の奥底には――笑意など欠片もなかった。

何か、もっと重たくて、ドロドロとした執念のようなものが渦巻いている。


「……やめろ」

俺は視線を逸らした。彼女の目を見ないようにして、長くため息をつく。

「……考えておく」


「本当ですか!? やったぁ!」

彼女はパッと花が咲いたように笑った。

「じゃあ、私も精一杯、勇者様にご奉仕させていただきますね! わ、私、初めてなんですけど……よろしくお願いしますっ」


「待て待て待て! 誰が奉仕しろなんて言った!? あと脱ぐな! 早く着ろ!」


「え? しないんですか?」


「するわけないだろ! お前、そんなキャラじゃないだろ!」


ジャンヌは「ぷっ」と吹き出し、手を止めた。

「ふふ、勇者様。今ならまだ、変更可能ですよ?」


「変更しない!」

本当は、ちょっとだけ後悔してるけど。


「エリアン殿下の言う通り、やっぱりこういう人なんですね、勇者様って」

彼女はさらに楽しそうに笑い、俺を押しのけると、ベッドに腰掛けたままお腹を抱えて笑い出した。

その顔からは、あの能面のような優等生の偽装が少し剥がれ落ちていた。


瞳の奥の重たさは、まだ俺の不安を煽るけれど。

少なくとも彼女に悪意はない……と信じたい。だが、この腹黒そうな娘が抱えている事情は、一言二言で聞き出せるようなシロモノじゃなさそうだ。


「それじゃ、私は準備をしてきますね」

ジャンヌは目尻に浮かんだ笑い涙を指で拭った。

「約束ですよ。私は、勇者様の仲間になりますから」


彼女は手早く服を整え、背後の金髪をキリッと活発なポニーテールに結い直すと、元の優等生モードへと戻った。

軽やかにドアを開け、ひょいと顔を出して左右を確認する手際の良さ。

そのコソコソした背中を見ていると、なぜか俺まで背徳感を感じてしまう。


よせ! 俺は何もしてない! 断じて!


彼女は振り返り、小悪魔的にウインクを一発決めると、煙のように部屋から消え去った。


          ◇


ジャンヌの奴が去ってから、俺はたっぷり五分間を費やした。

彼女の挑発によって過剰に高ぶった心拍数と、思春期男子として極めて正常な身体反応を鎮めるために。


まあ、吸血鬼になっても「そのへんの機能」は健全だということが臨床試験で証明されたのだけは収穫だ。


俺は安寧を求めて枕に顔を埋めた。

だが、そこには彼女が残していった、生温かくて甘いラベンダーの香りがこびりついていた。

その匂いは羽毛のように俺の鼻先をくすぐり、崩壊寸前の理性を執拗に刺激してくる。


チッ、本当に厄介な置き土産だ。


俺は疲れ切って寝返りを打ち、彼女の気配が残る空間に背を向けた。

しかし、視線が枕元の一点に吸い寄せられる。

明らかに俺のものではない金色の髪の毛が数本、濃い色のシーツの上で際立っていた。


俺は魔が差したように手を伸ばし、それを指先で摘まみ上げた。

想像以上に柔らかい。薄暗い部屋の中でも、それは不思議な光沢を放っていた。


……ジャンヌ。あいつ、一体何を隠しているんだ?


俺がそんなことを考えて呆けていると、突然ドアノブが「ガチャリ」と音を立てた。


戻ってきたのか?

ドアが数センチ開く。


「勇者様、アデルです。国王へい――」


「うわああああああ!」


俺の脳内は瞬時にホワイトアウトした。

思考より先に体が動く。脱兎のごとくダッシュし、ドアに体当たりするようにして「バンッ!」と押し返した。

全体重をかけて死守する。


「ま、ままだ服を着てない! 着てないんだ!」

俺は裏返った声で叫んだ。心臓が喉から飛び出しそうだ。


ドアの向こうに一瞬の沈黙が落ちた。

アデルのあの無表情な顔で、眉毛がピクリと片方だけ上がる様が目に浮かぶようだ。


数秒後。

抑揚のない声が、分厚いドア越しにくぐもって響いた。

「……勇者様。陛下が書斎でお待ちです。至急、ご準備を」


なんだって? 早すぎだろ!

今何時だと思ってるんだ。あの爺さん寝てないのか? 吸血鬼より夜更かしとか勘弁してくれよ。


俺の脳はフリーズ状態から一気にフル回転へと移行した。

マズい。非常にマズい。

俺の手には今も金髪が握られている。ベッドは先ほどのたうち回ったせいでグチャグチャだ。おまけに部屋中には残り香が漂っている。

もしあのメイド長にこの惨状を見られたら、明日には王宮内の噂が『王女にいじめられる可哀想な勇者』から『いたいけな少女に手を出す鬼畜勇者』へと光速進化を遂げてしまう!


「ちょ、ちょっと待ってくれ! 入るなよ!?」


俺は慌ててベッドから飛び退き、手の中の金髪をどうにかしようとした。

どうする? 窓から捨てるか!

カーテンを少し開け、陽光に触れた瞬間――


「あつっ! 熱っ、アッツゥ!?」


反射的に手を引っ込める。手の甲を無数の針で刺されたような激痛が走り、思わず悲鳴を上げてしまった。

忘れかけてた! 俺、日光NGなんだった!


「勇者様? いかがなさいましたか?」

ドアの外から、アデルの冷淡な声が飛んでくる。


「な、なんでもない! ちょっと小指ぶつけただけだ、心配すんな!」


俺は痛む手をさすりながら、金髪をサイドテーブルの引き出しの奥へ適当に押し込んだ。

すまないジャンヌ。これじゃまるで変態のコレクションみたいだが、俺にそんな趣味はないからな! 緊急避難だ!


俺は猛スピードでベッドへダイブし、シーツのシワを力技で伸ばし、枕をパンパンと叩いて形を整える。

アデルが入ってくる前に、ここを「何事もなかった普通の寝起き部屋」に偽装しなければならない。


「ふぅ……」

証拠隠滅を完了し、俺は大きく息を吐いてドアを開けた。


アデルがそこに立っていた。

微かに眉をひそめ、俺が今まで何をモタモタしていたのか訝しんでいるようだ。

だが幸いなことに、彼女の関心はすぐに俺のみすぼらしい寝癖と着崩れた寝間着へと移った。


「お急ぎください、勇者様。陛下をお待たせしてはなりません」


彼女は遠慮なく部屋に踏み込むと、クローゼットから正装を引っ張り出した。

その手際は迅速かつ冷徹。まるで着せ替え人形でも扱うかのように、有無を言わせぬ圧力で俺を服の中へとねじ込んでいく。

抵抗する間もなく、彼女の手が伸びてきて俺の髪を整え始める。

クシを通す力が強すぎて地肌が痛いんですけど……。


……とりあえず、誤魔化せたか?

何もバレてないよな?


なのに、なんでこんなに心が重いんだろう。

俺、本当に何もしてないのに。

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