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ギフト・オブ・ファングズ  作者: アルキム
15/16

15.勇者の受難

旧市街で起きた予期せぬ遭遇戦。 その事実は、国王陛下のトップダウンによって秘密裏に揉み消された。


俺が<ruby>勇者<rt>ゆうしゃ</rt></ruby>であるという噂だけはペレシュの市井に広まりつつあるようだが、表向きには大きな波風は立っていない。


だがしかし。 エリアン王女に無理やり王宮の外へ「ピクニック」に連れ出されて以来、王宮のメイドたちが俺を見る目に変化が起きた。 なぜか、そこには妙に生々しい同情の色が混じっているのだ。


「勇者様、いじめられてません?」 「王女殿下ったら、また真夜中の三時に限定クリームパンの行列に並ばせたんですか?」 「髪型がダサいとか、将来絶対ハゲるとか言われませんでした?」


さすがにそこまで言われてはいないが、彼女たちの義憤に満ちた口ぶりから察するに、あの王女殿下、普段からメイドたちに一切容赦がないらしい。


ついでに言うと、ジャンヌさんが俺の部屋の天井に風穴を開けたせいで緊急工事が必要になり、俺は国王陛下お墨付きの「勇者用スイート」から、来客用の予備室へと「一時的に」追い出されていた。 以前の部屋に比べれば豪華さは数段落ちるが……なんというか、日当たりに関しては随分と「控えめ」になったので、むしろ好都合だ。


体の傷については、<ruby>吸血鬼<rt>ヴァンパイア</rt></ruby>特有の変態的な自然治癒力のおかげで、シャンヤと共に王宮へ戻る道中にはあらかた治っていた。 元の世界の常識なら数週間は入院コースであろう骨折や筋断裂も、今では特定の角度で動かすと少し張る程度で、平常時とほぼ変わりない。


もっとも、メンタル面に関しては……。 もし今後も、あんな強度の敵ばかり出てくるというなら、本気で早期退職を申請したほうがいいかもしれない。


エリアンについては、メイドたちへの聞き込みでその後の情報を入手した。 どうやら「無断外出、騒乱の誘発、皇族(自分)を危険に晒した」など多数の規約違反により、国王陛下直々の命令で丸一ヶ月の謹慎処分となったらしい。 常習犯の王女にとってお仕置きなど日常茶飯事だろうが、今回の雷はかつてないほど大きかったようだ。


正直、自業自得だとは思う。 だが、あの不意打ちのような「ありがとう」という言葉を思い出すたび、胸の奥で複雑な感情が渦巻いてしまう。 俺のせいで彼女は<ruby>吸血鬼<rt>ヴァンパイア</rt></ruby>に目をつけられ、あの危機に巻き込まれたのかもしれない。 それに、彼女とシャンヤの間に漂っていた、あの息が詰まるような微妙な空気……。


まあ、少なくとも彼女が謹慎している間は、俺の部屋の天井の安全係数は多少なりとも向上するはずだ。


          ◇


同日の夕刻。 シャンヤが数名の医師を引き連れ、俺の部屋にやってきた。 体温測定、脈拍チェック、瞳孔反応テスト――それらを俺は断固として拒否し、最低限の外傷チェックだけを許可した。


異世界に来てまで、なんでこんなに<ruby>吸血鬼<rt>ヴァンパイア</rt></ruby>に優しくない身体検査を受けなきゃならないんだ。


最終的にシャンヤは不服そうに頷き、俺の体に問題がないことを渋々認めた。 だが帰り際、彼女は特製の回復薬らしき瓶を強引に俺の手に握らせた――正確には、俺がそれを一気に飲み干すのをじっと見届け、ようやく満足して去っていった。


満タンだ、HPは満タンだって言ってるだろ! 昔のRPGで、無理やりチュートリアルを受けさせられている気分だ。


シャンヤが去って数分もしないうちに、また誰かがドアをノックした。 もし「忘れ物をした」という口実で様子を見に来ただけなら、俺としても非常に困るのだが――。


立っていたのは、アデルだった。


「勇者様、こんばんは」 予想通り、抑揚のないフラットな声だ。


「アデルさん? どうかしましたか?」 「聖女殿下より、旧市街での遭遇戦において勇者様に異常なしとの報告がなされました」 彼女は恭しく一礼する。 「陛下はそれを聞き、大変安堵されておられます。同時に、至急ご相談したい儀があるとのことです」


うわ、なんだその鬼のような効率は。 こっちが死んでないことを確認した瞬間に、残業をねじ込んでくる気か? くそっ、さっき仮病を使っておけばよかった!


「事態は一刻を争います。陛下は書斎にてお待ちです」 アデルが言葉を継ぐ。その口調は、普段よりも重々しい。 「直ちにご同行願います」


新人勇者は異世界の労働基準法に守られていないのか。


俺はアデルの後ろにつき、いつもより広く、静まり返った回廊を歩いた。 空気には目に見えない緊張が張り詰めている。たますれ違う官僚や従者たちも、心なしか足早で、顔には隠しきれない憂慮を滲ませていた。 どうやら、旧市街での「<ruby>吸血鬼<rt>ヴァンパイア</rt></ruby>接触」が残した余波は、俺の想像以上に深刻らしい。


国王の書斎の前には、完全武装した衛兵が数名配置され、物々しい雰囲気を放っていた。 アデルが進み出て、その一人に低く用件を告げる。衛兵は無言で頷き、重厚なオークの扉を押し開けた。


書斎の中の光景は、廊下よりもさらに重く、澱んでいた。


巻物や文書が床に乱雑に放り出されている。窓は全開で、夜風が絶えず吹き込んでいるが、頭を冴えさせるために焚かれたであろう強い香の匂いは消えていない。 部屋の中央にある机を、国王とパットン将軍、そして見知らぬ参謀数名が囲んでいた。机上には巨大な地図が広げられ、無数の小さな旗や印が密に突き刺さっている。


うわ……完全に臨戦態勢じゃないか。


「陛下、勇者様をお連れしました」 アデルが報告する。


地図に顔を埋め、パットン将軍たちと議論を交わしていた国王が顔を上げた。充血した目には明らかな疲労が滲んでいる。 彼はすぐにパットン将軍へ目配せをした。


「ウィラン殿が来たか」 国王の声は少し嗄れていた。 「将軍、そちは下がって城壁の警備引き継ぎを手配せよ。二度と『ネズミ』が入り込むのは御免だ」


ネズミ、か。俺の瞼がピクリと跳ねる。


パットン将軍の顔には、昨夜の晩餐会で見せたようなだらしない表情は微塵もなかった。 彼は「ザッ」と踵を鳴らし、国王に対して完璧な軍礼を行うと、太い声で答えた。 「はっ、承知いたしました」


参謀たちを引き連れて俺の横を通り過ぎる際、彼はその無骨な掌で俺の肩を叩き、強張った顔で不器用な笑みを向けてきた。 ……その仰々しさ、逆に不安になるんだが。国王はいったい俺に何を話すつもりだ?


重いオークの扉がパットン将軍の背後で閉ざされ、書斎には俺と国王の二人きりになった。 先ほどまで議論と反論が飛び交っていた空間が、息が詰まるほど静かになる。


国王はすぐには口を開かなかった。 疲れたように眉間を揉み、地図の机を回り込んで窓辺に立ち、俺に背を向ける。漂う濃厚な香でさえ、彼から溢れ出る焦燥感を隠せていない。


「ウィラン殿」 ようやく彼が口を開いた。その声は、先ほど衆目の前にいた時よりもずっと低い。 「娘が……世話になったな」


「滅相もありません、陛下。こちらこそエリアン殿下には『お世話』になりました」 俺は努めて誠実なトーンを装った。エリアンの「世話」がどれほど常軌を逸していたかは、神のみぞ知るだが。


「シャンヤから事の顛末は聞いている。此度の不測の事態、そなたには大いに尽力してもらった。誠に……苦労をかけた」


実のところ、俺は二発殴られ、一発蹴り飛ばされた以外に、これといった活躍はしていない。 そもそも今回の事件を誘発した当事者は俺なのだ。


「ああ、あの娘には本当に頭が痛い」 国王の声には諦めが混じっていた。 ゆっくりと振り返ったその顔からは、張り詰めていた王の威厳が抜け落ち、代わりに一人の父親としての深い憂いが浮かんでいた。


「あやつは、朕と亡き妻との唯一の子だ。幼い頃から甘やかしてしまったが……もし今回、万が一のことがあれば、あやつの母親になんと詫びればよいか」


「ご安心ください、陛下」 俺は言葉を選び、国王の心情に寄り添うように言った。 「私ができる限り、王女殿下をお守りします」


国王の白い髭が震えた。 彼はしばし沈黙し、父親としての弱さを再び心の奥底へ押し込めようとしているようだった。 次に口を開いた時、その口調には、ある種の重みと威厳が戻っていた。


「エリアンの無鉄砲、そして……あの『事故』」 国王は『事故』という単語に意図的に力を込めた。 「それらは、我々に警鐘を鳴らしている」


「旧市街の騒乱は、恐らく始まりに過ぎん。王宮内部の徹底的な洗い出しを許可したところだが、我々の後方は、想定よりも遥かに脆弱かもしれん。それに……」 彼は言葉を切り、視線を俺に向けた。 「魔王軍の忌々しい密偵どもが、勇者殿に関する情報をどこまで掴んでいるか、我々には皆目わからんのだ」


……待て。 ちょっと待て。


言われてみれば……そうだ。 先日遭遇した同業者の<ruby>吸血鬼<rt>ヴァンパイア</rt></ruby>。 奴は俺が召喚された勇者だとはまだ気づいていないが、俺が<ruby>吸血鬼<rt>ヴァンパイア</rt></ruby>であるという「底札」は完全に把握している! もし奴が魔王のもとへ戻り、「人間側に吸血鬼が紛れ込んでいる」と報告したら、俺はどうなる?


「前線からも報告が入っている。魔王軍の攻勢は波状的に激しさを増し、その手口はより狡猾かつ陰湿になっていると」


国王は俺の内心の葛藤になど気づくよしもなく、地図の前まで歩み寄った。 ペレシュ王国の領域を指先で強く叩き、そのまま北へ――現在、人類連合が魔王軍と対峙している最前線、遥か彼方のムスチェル地方へと指を滑らせる。


「朕はただ、奴らの爪牙が、まさかペレシュの内部にまで浸透しているとは思わなかった」


そうだ、爪牙は既に浸透している。もし奴らが逆に、俺の正体を人間側に暴露する作戦に出たら……? 『お前らが崇める勇者様、実は吸血鬼だぞ?』――そんな情報が漏れたら、俺は社会的に即死刑じゃないか! 吸血鬼なんていう一発アウトな体質、弁解の余地すらない。


この世界に来てから数日で何度オーバーヒートしたかわからない俺の脳内で、両陣営から追い回される修羅場シミュレーションが駆け巡る……。 いや、いやいや、そんなバカな。 こういう時って、いわゆるラノベのお約束的に、ご都合主義な展開で危機を脱するもんじゃないのか!?


「本来、朕の計画では、王都でしばらく休養を取り、こちらの文化に慣れ、必要な訓練を受けてもらうつもりだった。反攻作戦はそれからじっくりと進めるつもりだったのだ」


冷静に分析しろ。今の状況で、俺の正体がバレたとして、誰が俺を信じてくれる?


「だが今や、悠長に構えている余裕はなくなった。時間は待ってくれん」


シャンヤ? ダメだ、あの女の表情は読めない。 アンル夫人は味方してくれるか? 王室聖騎士団にも結構いい顔をしておいたが、見逃してくれる保証はない……。


「そこでだ。朕は、絶対的に信頼がおけ、迅速に行動でき、強固な意志を持つ先遣隊を組織し、精鋭としてムスチェル王国の北方前線へ急行させる必要があると判断した。後方での魔王軍の浸透工作と活動報告を、直接、完全かつ確実に前線へ届けねばならん。正規軍も準備が整い次第、合流させる手はずだ」


そもそも、この異世界の人類が、自分たちの故郷を蹂躙する怪物を心から受け入れるわけがない。 冗談じゃない。ここの住人の目は全員、「異端は死ね」と言わんばかりだ。 そんな状況で、俺が誰かを無理やり巻き込んだりしたら……それは間接的に反逆を教唆するようなもんじゃないか? 「魔王軍を隠匿した」なんて罪状がついたら、最後は仲良く手をつないで火刑台行き、同年同月同日に炭になるのがオチだ。


「旅路は長く、道中では今回のような魔王配下の怪物に襲われる可能性もある。ゆえに先遣隊には、あらゆる事態に対処できる十分な戦力が必要だ。前線到着後も、独立して遊撃支援を行えるだけの実力が求められる」


ダメだ、どう考えても詰んでいる。 逃げるか? だが土地勘もないし、ここは人類連合のど真ん中だ。三日も経たずに地元の村人に竹槍で突き出されて賞金首になるのが関の山だ。


「そこで朕は考えた。この部隊を率いるのに相応しい人物を……」


うん、降伏しよう。 他に手はない。早めに白旗を上げて、少しでも楽な死に方を選ばせてもらおう。


「貴殿をおいて他にない! ウィラン・白塚殿!」


「国王陛下、俺を太陽の下でバーベキューにしないと約束してくれるなら、何でもしますよ」


しまった。 俺、いま何を言った?


国王陛下の白い髭がピクリと跳ね、驚愕が一瞬顔をよぎる。 だが直後、安堵と狂喜が彼の顔いっぱいに広がった。


「おお! 真か!? それは重畳!」 国王の声は突然オクターブ上がり、先ほどまで丸まっていた背筋がピンと伸びた。 「まさかウィラン殿が、これほど即座に快諾してくれるとは!」


ん? 彼は俺の前半のセリフを綺麗にスルーして、『何でもします(やります)』という単語だけをキャッチしたのか? ということは……俺、とりあえず助かったのか? ていうか、そもそも彼が頼もうとしていたことって何だったんだ?


「ハッハッハ! 流石は天命を受けた勇者よ!」 国王陛下は脳内で勝手に生成したヒーロー補正に完全に火がついたようで、俺の肩を抱いて称賛の嵐を浴びせてくる。 「この危急存亡のときに即断即決するその果敢さ! まさに伝説の英雄だけが持つ気迫だ!」


「いえ、陛下、実は俺が言いたかったのは……」


「謙遜は無用だ、勇者殿!」


国王は俺に釈明の機会を一切与えない。「分かっているとも!」と言わんばかりの表情と、どこから湧いてきたのか不明な謎のハイテンションで、俺の言葉をことごとく封殺していく。


「貴殿の決意、しかと受け取った! 今日は色々とあり、ウィラン殿も疲れたであろう。まずは部屋に戻り、英気を養ってくれ」 国王は興奮した様子で、卓上の戦術ノートに何かを書きなぐり始めた。 くそっ、異世界知識のスキル値が低すぎて何を書いているか全然読めん。


「明日は必ず顔を出してくれ。この小隊にうってつけの人材に、心当たりがあるのだ!」


……もはや、弁解の余地は微塵も残されていなかった。


          ◇


俺は吸血鬼と殴り合った直後よりも覚束ない足取りで、国王の書斎を出た。 アデルがドアの前で待っていた。


「お部屋にお戻りになりますか? 勇者様」 平坦なその声が、今はやけに安心感を与えてくれる。


「ああ、頼む……」 俺の声は、運命を呪う疲労感に満ちていた。


「では、こちらへ」 彼女は恭しく一礼し、案内するように手を差し伸べると、一糸乱れぬ動きで前を歩き出した。 余計なことを聞かないプロフェッショナルさ、こういう時は本当に助かる。


どうやって最後の体裁を保って部屋まで戻ったのか、記憶が定かではない。 アデルが静かにドアを閉めた瞬間、俺は糸が切れたように後ろへ倒れ込んだ。


唯一、今の俺の惨めさを包み込んでくれるキングサイズのベッドへ沈んでいく。


……せめて、今夜だけはゆっくり寝かせてくれ。

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