今から魔法少女に
「――キミは今から魔法少女になるんだ」
黒くてフヨフヨとした猫でも犬でもない小型の生物がそう告げる。変な形の尻尾を左右に持て余すように揺らしながら重力を無視して当たり前のように宙に浮かんでいる。
焦点が定まらない瞳はどこを見ているか分からない。それでもその目はじっとこちらに視線を向けていると感じた。気味悪く上がった口角の奥には舌すら見えない虚空な口腔が広がる。普通の生物ではない。そしてそれは答えを浮遊しながらじっと待つ。
「……え、嫌ですよ」
今から数分前の事。何かに誘われるようにいつの間にか気味が悪く、通った事のない路地に足を踏み入れていた
導かれているように動く脚は初めての道を迷う事無く進み続ける。ビルの間は日の光が届かずに建物の壁には深緑色のコケがびっしりと生え、時折水滴が静かに落ちる。排気口からは油と鉄とが混ざり合い、嗅いだことの無いような変な匂いが漂う。明らかに人間が通るような場所ではないのが窺える。
ネズミが驚き横を逃げていき声も出ずに固まる。引き返すべきだが、こちらに行くべき気がし、進み続ける。何本もの分かれ道を抜け、自然と足が止まる。
何も無い汚い路地裏かと思えばガサゴソと何かが動く。またネズミが地面を這っていると思った矢先、ぎょろりとした気味の悪い単色の目玉がこちらを向いた。ネズミ同等の気持ち悪い登場に思わず小さな悲鳴を漏らす。
一歩後ずさりし、その場を離れようとするとその小さな体がフワフワと空中に浮き始める。暗い路地の光がそれの全身を照らし、その異形の二頭身の姿に、逃げる脚が止まる。
「もう新しい子が来るとは……やあ、ボクはウィルネ。魔法少女を導く存在だよ――」
そして冒頭に戻る。きっぱりと断られる事を想定していなかったのか、少しの間沈黙の時間が訪れる。けれど顔色は変わらずに黒いままだ。
「……魔法少女に興味無いのかい? 最近ボクが付いてた子が魔法……悪い敵に負けちゃってね。次の子を探していたんだ」
「テレビとかで憧れを持った事はありますけど……悪い敵とは戦いたくないです」
悪い敵。魔法少女の敵。昼夜問わず現れては魔法少女と戦う悪。しかしテレビの放送ではいつも負けているか窮地に立たされ逃げ出す所しか映し出されない。けれどその勢力は衰える事は無く常に攻撃を仕掛けてくる。
魔法少女。人間の見方。敵が出ては倒してくれる正義。十歳から十八歳の少女が突然力を手に入れ魔法少女となる。日々現れる敵は魔法少女しか倒せないためその存在は貴重とされている。
気味悪く上がっていた口角が下がり始め、最初見た笑顔を上下反転させたように口角が下がっている。この雰囲気からいつ逃げ出そうかと頃合いを見計らう。
ずりずりと後ろに下がり始め距離を取り始めると背後に飛んで周り、身の上話を始める。その表情は本当に困っている表情だが、内容があまり頭に入ってこない。
「――だから頼むよ。キミのお願いを何でも叶えてあげるから」
その言葉が耳に入り逸らしていた顔を向ける。食いついたのを悟られたのか下がっていた口角が再び上がり始め、笑っているのに怖さしかない笑顔に戻り始める。
「本当だよ。キミが魔法少女になって沢山力を集めれば願いを叶えることが出来る。魔法みたいでしょ? こんな浮いて喋ってる生物が実際に力を与えるんだよ。本当の事さ」
願いを叶える。その言葉を聞いた瞬間思い出すのは無機質で面白みもなく、機械の音しか聞こえて来ない静かな部屋。そんな空間で眠りにつく妹の存在。もう長く話していない。目も合わせてくれない。ただ静かな病院で横たわり、微かに息をしているだけの妹。もう一度話がしたい。その願いだけで私の心を動かすには十分だった。警戒の目はいつしか羨望へと変わりその力を欲しいと心から思った。
魔法少女となる戦闘は避けられない。痛みを伴うのは確実だ。それでも、己の身を犠牲にしてでも妹の笑顔が見たい――葛藤を振り切り、拳を強く握る。
「私、魔法少女になります」
強い決意を宿した真っすぐな瞳でウィルネを見つめる。その瞳の輝きは魔法少女に相応しい輝きを放ち、希望に満ち満ちたような明るい表情になっていた。そして同様にウィルネの気味の悪い笑顔も大きく、喜んでいるようだった。
「よく決心してくれた。じゃあ、まずは力を与えようか」
黒い手の部位を重ね合わせ、丸い目が閉じる。真っ黒のその身体から暗い光が漏れ始め、段々とその光は明るさを増していくが、その中心の暗さは反対にさらに深い黒色へと変わっていく。
両手で丁寧に持たれた光を差し出され、その光を受け取る。掌に広がる熱が本当に力を持った光という事を指し示す。ゆっくりとそれを胸まで運び、押し当てる。スッと入って行く光は体の中心で熱を発し体中が熱くなる。感じた事の無い何かが体の中を暴れるように流れていき、今にも何かが溢れ出しそうな感覚が全身を襲う。
「ぅう……っ! っく……! っはぁ……はぁ……」
「驚いたね。ボクが今キミに与えた力は少ないのに変換効率が高いね」
じんわりと残る熱の感覚に頭をぼやかされながらも確かにある力を実感する。本当に願いがかなうかもしれないという希望が湧き出て思わず笑みがこぼれる。
「なんだが気味の悪い笑顔だね」
「ウィルネさんには言われたくないです」
笑顔を咄嗟に隠すももう遅い。やる気は完全に向こうに伝わっている。ウィルネの笑みは止まない。
「とりあえず変身してみようか。合言葉は――」
「……ウィルネさんって本当に魔法少女側なんですよね?」
合言葉に違和感を覚えつつも言われた通りに反復する。二頭身の分かりにくい動きを見様見真似で切り抜け、胸に手を当てる。
「黒き星に願いを――トランスフィグラーレ……!」
大きく胸が弾けるように鼓動し、入ってきた時のように全身が熱くなる。
「っ……っん」
胸から指の先まで広がる熱は全身を包み、感覚を薄くする。服の感触が消え、身軽になった身体。よく聞く噂通りに本当に裸になっているような感覚。そんな感覚もすぐに終わり、ピチピチとした少しきつめの服に締め付けられる。長い手袋、ストッキング、太腿にひんやりと触れる金属の感触、首元を絞める何かと次々に小物に覆われていく。
熱が全身に満ちて安定した事を確認し、ゆっくりと目を開け自分の姿を確認する。想像していた魔法少女の変身姿よりも黒く引き締められている。ピンク色でもなければ青や黄色でもない。紫色ならば何とか出来たかもしれないが、言い逃れようのない黒色の服。
「魔法少女と言うよりかは敵の幹部見たいな格好してますけど……」
ジロジロと回りを飛び、確認される。きっとこれは何かの間違いなのだろう。黒い魔法少女など見たことがない。けれどウィルネから飛び出した言葉は『完璧』という言葉だった。
「――よし、じゃあ早速力を溜めに行こうか。その力は実践で慣れた方が早い」
「えっと……敵を倒したら力が溜まるんですか?」
先に進もうとする脚を止め、ゆっくりと振り返る。逆光に照らされその黒い姿が際立ち、そこにはっきりとした丸い目と、裂ける程の笑顔でこちらを見つめる。気味の悪さからどこか嫌な予感が走る。
「そうだよ。魔法少女を殺せば力が手に入るんだよ」