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救われない僕

作者: 傀儡の傀儡

前作より抽象度は抑えて意味を濃くしました。抽象的な話を書くための練習作となりますので、ご意見が頂ければ幸いです。


 今、隣の席で僕の軽口に笑うこの人の笑顔に指を差す。


 僕は僕のことを基本的にその手の「価値」がない人間と再確認する。彼女の存在は自分に対してある種の肯定感を与えてくれていたことも。今でも僕はそれに飢えている。


 僕がその肯定感のために積極的に動ける人間であればまだ救いようはあったのかもしれないが、僕は生まれながらにして、その言動は悲しいほどに他人にとっての不全で規定されていている、理性を備えていると喧伝できない部類の人間だ。要するに、肯定感を苦労して得て、「価値」を得ることに価値を見いだせなかったということを言いたい。「悲しい」というのは、僕が自らに対して「価値」が無いと共に、価値があると考える逆説に向けられた形容詞だ。


 だが、心の成長というものは憎たらしいもので、無理矢理にでも「価値」に目を向けさせる。自然と湧き出る憎悪には鍵をかけてしまいこんだ。


 こうして自由意志に則っているとも、「価値」の恩寵に従っているとも言えない、肯定を受動的に求めるエンペラーが誕生したのである。




 話は変わるが、本文の三文目から読み取れる情報として、過去形で示されているというものがある。当然、今は違う状態にあると推察も可能だ。そう思ってもらっても全く問題がない。事実、僕は彼女のもたらす肯定感が価値あるものなのか疑っていたのだ。


 学年をそこそこ積み重ねて、「価値」に執着するようになって、それが終わりを備え得るものなのかと疑問も抱いていた頃。隣の彼女は話しかけてきた。この際会話の内容などはどうでもいい。兎にも角にも重要なのは、ここである種の肯定感を覚えたことだ。


 しかし、彼女に彼氏がいるらしいことを知ってからは、どうにもその肯定感を疑わずにはいられなかった。彼女はどこかで嘲笑っているのでは、と。


 それと同時に、恐怖をも感じていた。それは、単純に肯定感への懐疑に起因するものではない。もっと、ずっと、根源的なものだ。謂わば不全を判断する漠然とした主体が彼女という確固とした輪郭を得ることへの恐怖。「価値」の明確な否定。それに加えて、かの主体の前では、何人もその識別符号を失った単体に成り下がる。それは主体を形成出来ないことに対する痛ましいほどの孤独を産む。




 しかし、まだ過去形が表現から抜けない。つまり、今になってその疑念を変質させる何かが起こったということだ。


 彼女は、疑いなく二人にきちんと応対していた。しかし、異変は起きる。実際の原因について、二人は意識していなかっただろう。しかも、行為者にとってもそれは過失だったかもしれない。


「異変」と表現するくらいだから、それはあまりにも突然だった。何気ない一言が引き金となって、彼女は拒絶した。


 彼女は慌ててそれを否定したが、一度付けた墨を消すことができないように、その事実のみが残った。


 ただ、孤独のみが残った。






 しかし、その様は、非常に昂らせる。


 恐怖は、ない。


 なぜか。その質問に答えるのは簡単で、長年の疑念が正しかったと証明されたからとしか言いようがない。彼女を暴いた歓喜を表現するには、こうするしかないのだ。悪感情にかかっていた鍵が、初めからなかったかと思わせるほどに機能せず(少し後から振り返ってみれば、鍵はこの時点で消失していたと思う)、憎悪は歓喜へと変換された。


 だが、その疑念が遺した否定がある。ただ識別されない存在という自己認識だけが遺る。しかし、そうなることを恐れていたらしいが、どうやら今においては歓喜しか湧き上がらない。一方で、歓喜とは別の位置にある否定は、確かにその存在を主張してくる。結果として疑念解消のための犠牲となったことへの憐みを訴えているのか。





 おかしい。他人が、識別されない否定を認識している。そもそも、孤独は恐怖を伴わないのか。他人の総合が不全を判断する主体のはずだ。もしも認識したというなら、被行為者本人でないというのに、その他人でないということになる。この矛盾を解決させるには、他人という位格を捨てるしかない。つまり、被行為者になる、ということだ。


 ここで、ある事を思い出す。二人の両方が、識別符号を失った単体に成り下がっていることを。双方を区別する術がないというなら、その二人は同質な存在と考えても問題はない。つまり、彼女に不全を判断する行為者としての主体の総合が降りたのと同時に、二人は不全と規定される被行為者の総合を形成していた。最初から、他人の位格など持ち合わせていなかったのだ。


 ここまで来れば、被行為者の総合に安堵を感じ、異質で旧態依然とした主体は敵であると見なせる。かの主体の総合とは、何人もの偉人・才人を縛り付けて来たレッテルの集合体なのではと義憤の念さえ湧いてきた。それらの人々は無論のこと被行為者側であるから、もはや敵への畏怖など消え去っている。


 片方が総合を騙れば、もう片方も騙れるようになる。第三の法則が示すがごとく、至極当然のことである。被行為者の総合があると認識した今、孤独と誤認していたものの正体は、主体を形成出来ないと自覚したことで生まれた何かしらの感情であったのだ。それを具体的に言えと言われれば、確固たる正解がないとしか答えられないのが残念だ。




 ここには、識別の手掛かりとなるものは何もない。「価値」を無くした単体が総合を成すのみである。「僕」というものも存在しないだろう。それはかの主体にとっては通過する地点である。その主体は身勝手に「僕」を補完して「価値」なき風景へとなり下げ、すぐに「価値」を見込んだ対象を見つけすり寄る。無「価値」を自覚していて、その一連の動作が起こることを予期できているこの身にとっては、この動作全てが、予め定まっていたものに過ぎないことが分かる。解決は予定されていたのだから、最初からつらつらと書き並べてきたことに、意味はなかったのだ、としたい気持ちもあるが、予定の結果を証明するための行為とすれば、意味は生まれる。




 より大きな総合としての僕を得て、孤独を克服して初めて、タイラントは形を成さないレゲイリアを手放す。




 「「『価値』が、全てが逆転する」」




 僕は内側に向けて問いかける。




 「お前も、そうだよな?」

よければ感想をお願いします。

前回の後書きで触れた作品はチマチマと書き進めている最中です。

異世界×学園×ロイヤル×SF(的な何か)となります。

詰め込みすぎたかな......

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