第一話 王都炎上 その1
夜更け。マリアは激しく吹き荒れる風とバチバチと窓を叩く雨粒の音で目を覚ました。
まだそれほど寝ていない様な気がして、マリアは暗闇の中目を凝らす。すると案の定、枕元の置き時計の針はまだ日付をまたいではいない。
少し肌寒いのはこの雨のせいだろう。マリアはベットから立ち上がると傍らの椅子に掛けてあった薄手のガウンを肩に羽織った。
ドドンと言う大きな雷鳴と共にカーテンの隙間から差し込んだ稲光が部屋を真っ白に照らす。
思わずマリアは肩をすぼめて小さく身震いをした。
彼女は、もともと雷が苦手なわけでは無い。しかし今夜は、なぜだかその音が、そして稲光が、無性に恐ろしく感じられてならない。
(――何もこんな日に……)
王城務めの夫は、珍しく昨日から仕事で家を空けている。
長かった戦が一段落して、ここ最近はその夫も彼女のもとで過ごす日が多くなった。
それは戦に明け暮れた不安定な日常の中で、ずっとマリアが待ち望んでいた平穏な日々だった。しかし近頃のマリアは、ついこの間まで平気に思えた些細な出来事が、たまらなく不安に思えてしまう時がある。
まだ慣れきっていない平穏で幸せな日々の中。彼女は些細なきっかけでそれを失ってしまうのでは無いかと考えてしまうのだ。
病気や事故――
戦があった頃はそんな突然訪れる不幸にも覚悟が出来ていた。しかし、平和が訪れた今だからこそそれが怖い。
結局マリアは再び床に着くの諦めて、暗闇のなか足下に気を配りながら窓際へと向かう。そして外の様子を確かめる為にそっとカーテンをめくった。
案の定、外は秋の嵐であった。
普段なら視線の先には、その視界を阻むように真っ黒く巨大な壁――いわゆるこの王都を囲む城壁が見えるはずである。しかしその城壁も夜の闇と激しい風雨によって今は全く見ることが出来ない。
ゴロゴロと言う大きな音をたててまた雷が鳴った。その瞬間、一瞬だけ真っ白な王都の街並みが目の前に広がる。
いまだ見慣れぬ街並み。異国情緒溢れる木造の建物に瓦屋根――遠く離れた彼女の生まれ故郷にはこの様な建物は無かった。建物といえば石造りにスレート葺き、もしくは銅葺きの屋根。木造の建物といえば、切り出した木をそのまま積み重ねた狩人の簡素な丸太小屋くらいなものだった。世の中に、木材だけで造られたこれほど巨大な都市がある事など、数年前の彼女は想像することすら出来なかっただろう。
大陸の西の果て――そして極北に位置する小国が、大きな気候変動の為その土地を追われることとなってはや十年以上の歳月が過ぎ去っていた。いつの間にかその小国は南へ東へと目の前に立ち塞がる国家を次々とその支配下に収めて、気がつけばその勢力は大陸全土へと広がって行く。
その国の名をエーデルと言う。
彼らが最後に支配下に収めたのは、大陸の極東に位置する大国『夏』。
そして――ついにこの大陸の大半を勢力下に収めたエーデル国は、この極東の大地にてその長い旅路を終え、『夏』国の都があった場所を王都とする『大エーデル王国』を建国したのである。
十数年の間、国の移動と共に住む土地を転々としてき極北の大地の民。美しき金色の髪と、白く透き通った肌――そして内に恐るべき戦闘力を秘めた常勝の民。
それはこの大陸の歴史における一陣の風。
マリアはそんなエーデル国の貴族の出であった。
雷鳴が轟く度に、マリアは肩をすぼめ――家を空けている夫に思いを馳せる。
今日に限って、なぜにこれほど不安が襲って来るのだろうか――
(――このままじゃぁ、とうてい眠れそうにない……だったらいっそ、雷が止むまで起きていよう。)
マリアは再び床に着くの諦めて、部屋の四隅にあるランプに一つずつ火を灯した。部屋がほんのりと暖かな灯りに包まれる。これで稲光は部屋に差し込まないはずだ。ならば今は雷鳴だけを我慢すればいい――。
コンコン
騒がしい雨風の音に紛れて、ドアをノックする音が聞こえた。
「奥様――まだ起きておられたのですか?」
それは彼女が聞き慣れた少し低めの落ち着いた声。
「ハンナですか?」
扉越しに、くぐもった声が返ってくる。
「はい。扉の隙間から灯りが漏れていましたので……お声をかけさせて頂きました。」
それは、いかにも使用人らしく丁寧な言葉であった
。
「ついさっきまではちゃんと寝ていたのよ。でも、雷で目が覚めてしまって。ちょうど今ランプに明かりを灯したところです――」
「さようでございましたか。しかし――夜更かしはお体に障りますよ。特に今は大切な時期なんですから。」
「ええ、分かっていますとも。でも……今夜はどうにも気が立ってしまって……。ところでハンナこそこの様な時間にどうかしましたか? もう夜も遅いですよ。」
「実はわたくしも今夜はこの雷のせいで上手く寝付けなかったのです。手持ち無沙汰だったので屋敷の見回りをと――」
いつも気丈なはずのハンナが、何故か今夜は少し気恥ずかしそうにそう答えた。
「じゃぁ、ハンナも私と一緒だったのね。なら私の部屋で少しお話でもしませんか? 」
こんな夜更けに同じ境遇の女が二人。マリアにとって相手が使用人であろうが、そこは気心の知れた仲である。ならば、今は一人よりも二人のほうが心強い。
不安で眠れない夜を過ごしていたのは自分一人では無かったことに、マリアの表情はほんの少し安堵の色を見せていた。
扉へと向かうマリアの足取りは心做しか弾み、急くように部屋のドアを自ら開ける。
そして、ランプの灯りが赤く揺らめくその寝所にマリアは手を取ってハンナを招き入れた。
数多くある作品の中から、私のこの物語を選んでくれてありがとうございます。
第二話は明日、2024/10/29に投稿する予定です。