表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
9/15

09 どちらさまですか



「ちょちょちょ、困りますって! 勝手に中に入られたら!」

「ほう? 私は遍歴聖女なので大抵の施設には押し入ることができますし、たまに民家にも入らせてもらって床面積とかを計算していますが?」

「本当に聖女様ですか!?」


 一言一句同じことをノスターは思っている。


 侯爵家の地方管理所に着くや「この建物……間取りを計算したくなってきましたね」と言い出した聖女が馬車からぴょーん。どしどし押し入ろうとして、侯爵家の騎士たちに大慌てで止められているのを見ながら。


 こんなのが聖女。

 世も末だ。


「すみません、責任者の方ですか?」

「違います」


 反射的に責任を回避しながら振り向くと、そこにいたのはやはり管理所勤めの騎士らしい女性だった。向こうこそここの責任者なのだろうか。他の騎士たちに比べて幾分か落ち着いている。


「そうですか。では、此度の当地域への訪問について、改めてその意図をお伺いすることはできますか?」

「あらかじめ侯爵家には伝達させていただいたはずですが」

「待て、ノスター」


 割り込んだのはクザロだった。


「形式的な質問と所持品調査が主だろう。ここは従うべきだ。今回の我々の訪問は決して侯爵家に圧力を加えることが目的ではないし、何より彼女たちは侯爵家に仕える騎士なのだから。自分たちがお守りする方の安全確保を最優先するというのは、当然の主張だ」


 今回は特に腹は立たなかった。

 まあ、クザロの言う通りだと思ったから。武官に対する対応は彼に任せた方が円滑に進むし、穏当そうな騎士が相手だから、特に大きな不利益を被ることはなさそうだ。


 こういう場面に遭遇した時に大抵問題となるのは、むしろ自分よりも同行している上司や貴族の方なのだが、今回は幸い殿下との旅だ。彼はかなりおおらかな性質であるし、合理性を重んじつつ、相手の面子を立てることも忘れない。


 話をうんうん聞いていれば、そのうち先には進めるわけだし、彼も特に暴れることもないだろう。


「では殿下。クザロの言うとおりそういうことで――」


 振り向く。


 あいついねえ、と気が付いた。





「…………」

「何か言うことは?」


 そのちょっと前。

 レテリアの父であるところの侯爵は、レテリアの母であるところの侯爵夫人に怒られて、床に座らされていた。


 夫人はその手の中に一枚の紙を持っている。それはある手紙の写しだ。差出人は侯爵その人で、宛先は第一王子。


 本当にざっくり要約すると、こんなことが書いてある。



『来たけりゃ来ればいい。

 だが、娘に会えると思うなよ!

 バーカ!』



 はあ、と夫人は頭を抱えて溜息を吐いた。


「いい年した大人なんですから……」

「大人とかそういう問題ではなくないか!」


 くわっ、と侯爵は勇気を出して食って掛かった。


「あの小童が! レテリアを傷付けておいて一体どの面下げて!」

「……傷付いたのが、あの子だけとは限りませんが」


 え、と侯爵が虚を衝かれた顔をする。

 物思いに耽るような表情を見せた夫人は、しかしすぐに元の冷静さを取り戻し、


「とにかく」

 と宣告する。


「聖女様をお連れしてレテリアの様子を見てくださるというのは、こちらとしても悪い話ではありません。そのことはわかりますね?」

「……まあ……」

「それで事態が好転するようなら、あの子にとっても良いことでしょうし。それに、会うのを断るにしてもその前段階で止めようとすれば王家と侯爵家の争いになり、かえって揉めます。本当にあの子が会いたくないなら、個人の判断として屋敷の中から出てこなければいいだけの話です」

「それはそうだが、あの子にとってはそれすら負担かもしれないと思って」


 夫人は黙る。

 細く息を吐くように、彼女は、


「……私たちにも、そういう時期はあったでしょう」

 それ以上は、もう有無を言わせなかった。


 夫人は言う。いいですね。これから私は地方管理所に詰めている騎士たちに「殿下が来たら簡単な人員や所持品の確認をしてお通しするように」と伝えますから。はい書き終わりました。内容を確認してください。


 そして侯爵もまた、有無を言うつもりはなかったらしい。

 急に大貴族らしい落ち着いた態度になって、夫人が作成した指令書を受け取る。変更を求めることも、いやだ送らないと駄々をこねることもなく、文末に自らのサインを加える。


 そうして、その手紙が地方管理所に向かっていく。


 この結果、騎士たちはエイデン一行を通すつもり満々である一方、エイデンは絶対にここで止められるものと思っているという奇妙な構図が発生した。





「えーっと……こっちではあるんですけど……」

 この少女騎士には悪いことをしたな、とエイデンは思っている。


 馬を駆る姿こそは、流石は侯爵家の娘を守る騎士の一人と思わせるだけの凄まじさがあったものの、恐らく高位貴族を相手にすること自体に慣れていないのだろう。もぞもぞと、やりにくそうに肩を縮こまらせている。


「心配するな」

 だから、エイデンは言った。


「俺が無理を通したのだから、君の処遇は俺が取りなす。王位継承順第一位から命令されたとなれば、君が責任を追及されることもないだろう」

「いや、自分の行動の責任は自分で取るのでいいんですけど……」


 うーんむーん、と口を引き結んでは悩み続けている。

 ああ、とそれでエイデンは頷いた。そうした意識があるなら、彼女が心配するのはこのことだろうと、


「レテリアが俺に会いたくないというなら、無理に屋敷の中に押し入るつもりはない」


 騎士、ニーナがこちらを見た。


「彼女に不利益をもたらすつもりはないということだ。確かに強引なやり口であることは認めるが、無理に王宮まで攫ってしまおうというつもりではない」


 もにょもにょと、ニーナは引き結んだままの口を動かした。

 乗っている馬ごと迷い足になる。右へふらふら、左へふらふら。「いいのかな~……」なんてことを不安そうに呟いている。


 けれど、そうして悩んだ末の行動なのか、あるいは単なる普段の仕事の一環として身に付いた癖なのか、本能なのか。


 あっさりと、その家はエイデンの目の前に現れた。


「ほう」

 彼はまず、それを見て眉を上げた。


 なかなかの建物だと思ったからだ。侯爵家の娘が住むにしては随分粗末でちんけなものだとは感じるが、しかしそれを補うだけの造形上の趣向がある。建物の主体は木材でできていて、補強やデザイン上の要請として、一部に石細工が用いられている。辺境の地にあるがための資材の調達制限のためなのか、どれも完全な調和を達成しているとは言い難いが、しかし細かな造作を見れば、非常に丁寧に作られた居宅であることが窺える。


 誠実な仕事だ、と思った。


「良い家だな」

「……! じゃあ、あの、こっちです!」


 急に騎士がやる気を出して、先導を始める。

 そのことに少しだけエイデンは首を傾げるが、まあ、その反対ならともかく、協力的になってくれたというならこちらとしては何も困らない。はて、とその建物の妙に新しいのに首を傾げたりもするが、大人しくニーナの後をついて行く。


 石造りのドアノッカーを鳴らす。

 出てこない。


「……中で倒れてるんじゃないだろうな」


 不安になって訊ねるが、しかしいつものことなのだろうか、ニーナは特に慌てていない。ドンドン、と何度もドアを鳴らしながら、


「出掛けてるのかもしれないです」

「管理所の方に? 入れ違いか」

「いや、入れ違いってわけじゃなくて」


 向こうの、とニーナが振り向いたときのことだ。

 彼女がドアを叩くのを止めたからだろうか。急に足音がエイデンの耳に届く。家の中で、廊下を歩く音だ。玄関の方に向かってくる。ひとまず倒れていたわけではなさそうで、ほっと彼は息を吐く。その直後、久しぶりの対面になるということを改めて認識して、胸のあたりがきゅっと縮こまるような心地を覚える。


 それから、気付いた。

 どうも足音が、大きい気がする。


 エイデンは思い出していた。自分と婚約していた頃のレテリアの歩きぶりのことを。彼女はこんな風にどすどすと大股で歩いていただろうか。というか、こんなに大きな音を立てるほどの体重があっただろうか。


 記憶と照合する前に、扉が開く。




「はい。どなたかな」

 上裸のセクシーな男が出てきた。




 頭の中が真っ白になった。


 もうエイデンは、ろくに思考ができていない。なぜ侯爵家の娘が婚約破棄されてすぐにセクシーな男と同居しているのかという疑問に気を取られて、そもそもあの父親がそんなことを許すはずがなくないかとか、レテリアくらいの家の娘であれば相手役になる男の顔をあらかじめ自分は知っているはずだとか、隣でニーナが「おじさんなんで裸なの」と訊いていることとか、それに男が「ああすまんすまん、さっきまで水浴びをしていたところでな。ところでこちらはどちらの?」と答えていることとか、「こちらは――」とニーナが特に予想外の事態に慌ているでもない様子で自分を紹介しようとしていることとか、そういうのに一切の意識を割けていない。


 だというのに。

 がさっ、と後ろで鳴った物音には、完璧に反応した。


「――――、」

「ど、」


 そこに立っていたのは、レテリアだった。


 不格好というわけではないが、明らかに粗末な服に身を包んでいる。彼女は頬に土の汚れを付けて、芋やら果実やらが収められた木の籠を両手に持って、少し高い場所からこちらを見つめていた。


「どうして……」

 そして、その木の籠が地面に落ちていく。


「レテリア!」


 名を呼べば、それが契機になったように彼女は踵を返して走り出す。


 その場に残す者たちに一言断ったかどうかを、エイデンは覚えていない。

 とにかく、彼女の背を追って走り出した。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ