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13 月に引かれて



 思えば、確かに心当たりはあった。


 雨に降られたお出かけの日は、店で買い物をしているとき、どんなものを買って帰ったら家族が喜んでくれるかなと考えていた。


 看板役者がお休みだった観劇は、その前日、劇団がすごく苦労をして公演にこぎつけたという話を聞いていて、これからもこんな風にたくさんの人に評価されるといいのになと思っていた。


 靴が壊れて弦も切れた楽器の発表会では、もちろん一緒に演奏する人たちの無事の成功と、聴いてくれる人たちの喜びを祈っていた。買い付けたお茶の葉が悪くなっていたときも、あれははっきりと覚えている。その前に、友人がその演奏会の結果を受けて海外への留学を認められたことを、一緒に喜んでいた。


 そして、何より婚約中。

 デート中。


 当たり前のことだけど、隣を歩く人の幸せを祈らないことなんて、なかった。


 別れてからだって、未練がましく、ずっと。





「……何も起こらないな」

 だから、エイデンが何の気なしのように呟いたその言葉の裏には、レテリアの血の滲むような努力が隠れている。


 必死だった。


 運命の神がもたらした提案は、あっさりと受け入れられてしまった。未婚の男女が一つ屋根の下で……と聖女ソラは一度だけ諫めたが、ノスターが「婚約してた頃は日常茶飯事だったしいいんじゃないですか」「神もお許しなわけですし」「どうでも」と投げやり気味に言えばあっさり矛を収めてしまった。後はどうぞごゆっくり。一行はこの家を去ってゆき、今はこうして、取り残されている。


 レテリアは、エイデンと二人。

 小さな家で、二人きり。


「レテリア。普段はどのくらいの頻度で事故が起こっていたんだ?」


 少し離れた椅子に座る彼が訊ねる。レテリアは迷う。たくさん起こっていましたと言えば、しょっちゅう自分がエイデンのことを考えていたと告白することになる。全然でした、と言えば「それならまだまだ確かめるのに時間はかかりそうだ」ということになる。


 恐ろしいことに、どちらになっても嫌な気持ちにはならない。

 それが嫌で、返事はこう。


「普通、ですね。その……普通です」

「普通か……。色々、今まで大変だったのだな」


 それでも気遣いなんてされるものなのだから、もう堪ったものではない。

 いえ、と短く答える。どうにかして気持ちを抑え込もうとする。口を噤む。この家には時計がないから、言葉を発さないでいると沈黙が身に染みる。


 その真剣な静寂の中で、レテリアは考えている。


 自分は今、彼との関係をどこに着地させたいと思っているのだろう?





 土下座してでも結婚してもらうつもりで来た。

 だというのに、エイデンは珍しく、ここに来て自信をなくしていた。


 始まりは、彼女に逃げられたことだ。

 久しぶりの再会だった。この家の外で振り向いて、彼女の姿を見つけたとき、自分の心の中にはっきりとした喜びが咲くのを感じた。


 しかし、彼女は逃げ出した。

 それなのに、今度は自分のことが好きだからこういう風になっていた、なんてことも言う。


 もうすっかり、エイデンはどうしたらいいかわからない。

 婚約破棄したときもこうだったと思えば、ふと、静けさが不安をかき立てた。


「この家は、」

「はいっ」


 声を出せば、飛び上がるような勢いでレテリアが答える。

 気持ちはわかった。だから彼女を緊張させないよう、できる限り優しい声でエイデンは語り掛ける。


「君が一から作ったと聞いたが、本当か?」

「はい」


 頷くから、エイデンは立ち上がる。

 壁を撫でて、


「木材の処理が完璧だな。初めてでこれだけのものができるなら、職人としても一流に大成するだろう。それに自分で図面を引いたなら、建築家としての才もあるのかもしれない」

「……何度も、失敗しましたから」


 だから大したことではありません、とでも言いたげな態度。

 もちろんそうではないことをエイデンはわかっている。そしてきっと、レテリア自身もわかっている。その手のひらにできたマメに、自分で気付かぬわけがあるまい。もしも他人が同じことをしていたら、彼女だって称賛の言葉を口にしないわけがない。


「食事はどうしていたんだ? 畑か」

 訊ねれば、流石に、とレテリアは苦笑した。


「短期間でそんなものは作れませんから」


 家も大概短期間じゃ作れないだろと思ったが、エイデンはその部分については一旦考えないことにした。


「普段は山で採ってきたものを食べています。農耕は、狩猟や採集によって食糧備蓄が賄えている場合はそこまで必須の営みでもありませんから」


 ふむ、と頷いた。

 確かにそれはそうかもしれない。問題は人口が増えていくがために食料の供給量を増やす必要があるということで、また人が集まって暮らせば政治や経済が生まれてくる。それらが村や都市の規模になるにつれ、安定性や計画性が重要視されるようになり――


 ふと思う。

 それが、この場所では必要とされなかった理由。


 ここには、誰もいないから。


「……よし。では、食事の準備を手伝おう」

「えっ、いえ!」


 殿下にそんなことは、とわたわたするレテリアに、エイデンは微笑みかける。ちょうどいい口実は、すでに見つけていた。


「何、さっき運命の神も『家政で鳴らした』と言っていただろう。これで、子どもの頃から厨房に潜り込んでいたこともあるからな。料理の腕では負けられん」


 しばらく躊躇った後、では、とおずおずレテリアが答える。彼女が「爆発の巻き添えになってしまうと危ないので」と外に作ったらしい貯蔵庫に案内してくれるのに、後ろからついていく。


 その、華奢な背中を見ながら思う。


 彼女はひとりだった。

 それでも、こんな風にたくましく生きていける。



 なら、自分は彼女と、どうなりたいのだろう?

 それを、どんな言葉で伝えるべきなのだろう?





 緊張して、眠りが浅い。

 秋の虫の声に、レテリアは目を覚ました。


 今は何時だろう。この部屋には時計がない。太陽はとっくに沈んでしまったし、月の位置が何時を指しているのかはちゃんと計算してみないとわからない。


 暗いことだけは確かだ。

 青白い部屋の中で、レテリアは身体を起こした。


 経験上、こういうときはもう一度眠りに落ちても浅いままで、かえって疲れてしまう。折角月の出ている日なのだし、何か仕事でもして疲れるのを待ってみようか。夜中に音を出すわけにはいかないから、今できることは――と。


 考えながら、窓辺に足が向いていた。

 その向こうに、背中を見つけた。


 少しだけレテリアは悩む。けれど、その時間は長くはない。外着を羽織って、もう一枚を手に取って、扉を開けて外に出ていく。


 月の下に、佇んでいた。


「殿下」

「ん」


 彼が振り向く。


「眠れないのですか」

「ああ。起こしてしまったか?」

「いえ、私もです。窓の外を見たら、お姿があったので」


 手に持った外着を渡せば、おお、とエイデンは笑った。


「すまないな。外からのこのこやってきて、世話になってばかりだ」

「そんなことはありません」


 いつも、と続けかけた。

 その言葉を、レテリアは呑み込んだ。


「いつも?」

「…………」


 問い掛けても答えがなければ、エイデンは自分をどう思うだろうか。


 悪く思われた方がいい、という気持ちもある。その正反対のものも。自分がどうしたいのか、どうしたらいいのかわからなくなる。


 いつもあなたに助けられていたのは、私の方ですと。

 その言葉を、胸の奥に抱えたままで。


 ただ静かに二人、並んで月を見ていた。


「……冷えるか?」

 エイデンがくれたのは、もっと答えやすい問いだった。


 いいえ、と答える。素直な気持ちだ。夏は過ぎ去り、冬は近付き、それでもまだ寒さに震えるほどではない。秋の、涼やかな夜の空気が額に心地よかった。


「そうか。それなら一つ、話をしていいか」


 エイデンが言う。レテリアは頷く。

 彼は、口を開いた。



「婚約破棄の外堀を埋めたのは、君だな?」



 声が出なかった。

 レテリアは、ただエイデンを見つめる。彼もまた、こちらを見つめ返している。だから、そのこと自体が一つの答えになったのだと思う。


「やっぱりな」

 彼は、泣きそうな顔で微笑んだ。


「そうだと思ってた」



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