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火六事務所へようこそ  作者: 守野伊音
一章 はじめての事件簿編
8/31

8怪




 ゴンッっと、重たい音が玄関から上がった。びくりと飛び上がる。完全に油断していた。

 ゴン、ゴン、ゴン

 重たい音が続く。このリズムには、覚えがあった。


「額を、打ち付けて、る」

「そうでしょうね。拳で駄目だったので頭のほうが固いと思っているんでしょう。まあ、間違いでもないですが、人間は頭打ちつけたほうがダメージが大きいのでやらないほうがいいですね。やるなら拳か、足が一番です」

「足」

「現場に行けば霊障によりよく閉じ込められますが、大体蹴り開けます」

「物理で開けるんですか!?」

「一応塩入り酒をぶっかけてから蹴り開けます。知り合いの坊さんは、拝んでから蹴り開けてましたし、神主も御神酒ぶっかけてから蹴り開けていたので、大体みんな蹴り開けてます」


 私が思っていた厳かなお祓いへのイメージが音を立てて壊れていく。玄関からは異様に低い声が「んー、んー、んーん――ん――――――――――――――――っ!」とぐずる子どものような音を上げているというのに、脳内イメージが愉快すぎてそれどころではない。


「わ、私、怖がりそびれた気がします」

「それはよかったです」


 笑いそうになるけれど笑える場合ではない。怖がる場合だけれど、怖がれる状況でもない。しれっと頷いた人に、私はどんな顔を向けるべきなのか、本当に誰か教えてほしい。


「僕は人間のほうが怖いですが」

「本当に怖いものは人間だからですか?」


 よく聞く言葉を選んで問うた。だけど彼はゆるりと首を振る。


「怖くない理由は、対処が可能だからです。対処できるから、怖くないんです。本当に怖いものは、対処できないものです。だから、それが対処できないものなら、僕は全て怖いと思います。人間が一番怖いと言われるのは、何を考えるか分からないからです。そのくせ何でも作り出す。命も呪いも死も救いも、何でも。後始末もつけられないくせに生み出す術に長けている。更に変質までする。変わらずあり続けるだけなら対処が効くけれど、時間の流れや環境の変化で有り様があっさりと変質するものだから、対処しようがない。変質するくせに、他者からの変化を受け入れようとしない。だから怖いんです」


 ゴン、ゴン、ゴン、ゴン、ゴゴンゴゴンゴゴン、ゴンゴンゴンゴンゴゴンゴンゴンゴンゴッゴッゴッゴッゴッゴッゴッゴッゴッゴッゴッ


「私やっぱりあっちのほうが怖いです!」

「まあそうでしょうね」

「火六さんは人のほうが怖いんじゃなかったんですか!?」

「怖くはありませんが激しく存在を主張してくるので意識に入りやすいですし、怖い人には怖いでしょう。ですが、対処のすべがないのに怖くなくなったら大変問題なので、怖いままでいるほうが人として健康的です。健康的な人間のほうが長生きできるので、是非そのままでいてください。健康的な人間が多ければ多いほど、僕らは暇になるので楽が出来ます」

「最後、最後いらなかったです!」

「そうですか」

「そうですよ!」


 低い男の声で駄々をこねる子どものような唸り声と、額を打ち付ける音が響き続ける。


「……見ないのも気になるんですが」

「見たければ見てもいいですが」

「いい、ですが?」


 妙な箇所で区切られた。

 緊張でうまく飲みこめなかったつばの音が、やけに大きく聞こえた気がした。どっどっと心臓がやけに張り切った音を立て、ちりちりと吐き気を含んだ緊迫感が胸を焼く。

 火六さんは、私の肩越しにちらりと視線を向けて、静かに続けた。


「ドアしか見えませんよ?」

「そりゃそうですね」


 私の緊張感を返してほしいし、妙な箇所で区切らないでほしい。

 思い切って振り向くつもりが、拍子抜けしながら振り向く羽目になった。


 火六さんと話していると、非日常がどこまでも日常の延長にしかならない。ある意味とても凄い人だと感心する。

 振り向いた先に向けた視線は、開けっぱなしの扉から台所を通り過ぎ、玄関扉に辿り着く。確かに、火六さんが言うとおり扉しか見えなかった。全く変化のない、いつもと変わらぬ何の変哲もない扉である。

 だが、音も声も続いていた。なのに扉は全く変化がない。いつもと同じく、揺るがぬ屈強さで外側と内側を隔てている。たかだ扉一枚。されど扉一枚。扉があればここは内だ。


「火六さん」

「何でしょう」

「あれは、どうして、取っ手に手をかけないんでしょう。それと、どうして扉に移動したんでしょう。ずっと窓にいたのに」


 ちょっとつっかえてしまったが、比較的平静に質問できた自分を心の中でこっそり褒める。あれを見たいと言ったのは自分で、そうして何の変哲もない扉を眺めた。その結果、見るも無惨に取り乱したり、聞いただけで分かるほどの動揺が声に滲み出していなくてよかったとほっとする。

 火六さんは、私の質問に少し考える素振りを見せた。


「さあ」

「さあ」


 この人と会話すると、鸚鵡返しが増えるなとしみじみ思う。


「手がないか招かれないと入れないのかそんなこと考えつかないほど頭が壊れているのか。窓に来ないのは、さっき清めたからと、蝉の死骸始末でちょっと出してる奴があるので、それを避けてのことでしょう」

「成程……あの、あの音って、近所迷惑にならないでしょうか。今までも心配してたんです。不動産の人から電話もないですし、一応まだ苦情は入ってないみたいなんですが……」

「他の人には聞こえていないと思いますので平気でしょう。勘のいい人や波長の合った人には聞こえるでしょうが、こんなおかしいことしてる奴の音を聞いて人間がしていることだと思う人は少ないですよ。聞かぬ振りして、さっさと引っ越して終わりです。あれのターゲットはあくまで貴方のようですし、他の人間についていくことはないでしょう」

「はあ……それならいいんですが」


 いや、よくはないなと思い直す。苦情が入らないことはいいけれど、私に張り付かれても困る。何もよくない。

 扉からは未だに音と声が消えないし、消える様子もなかった。夜と同じだ。朝が来るまでずっと、飽きることなく延々と額を打ち付け続ける。今は声までプラスされてしまった。


「………………私が引っ越してもついてきますか?」

「恐らくは。貴方に執心しているようですので」


 最悪だ。決して温かくない懐を痛めて引っ越しても意味がないなんて。私は泣き出しそうな気持ちでがっくりと項垂れた。


「億万長者になりたい……」

「……いま、そんな話でしたか?」

「引っ越し、懐が痛む、意味がない、億万長者になりたい、という流れです……」

「さっぱり分かりません」

「自分でも突飛すぎたかなって思います……じゃあ、バイトしても駄目ですね……」


 机の横に積んである教材の、一番上に乗せた平べったい袋をつつく。買ったままの姿でビニール袋に入れっぱなしだった物が、かしゃりと、小さく薄いなんとも頼りない音を出す。

 別にこれ自体に罪は無いものの、何となくいじけた気持ちでつっつき続けている私に、火六さんは問うた。


「それは?」

「……履歴書、です。夏休み中バイトして、引っ越そうかと、思って、ました。でも、駄目なんですよねぇ!」


 わっと嘆いた私に、火六さんは淡々と頷く。


「そうですね。大変申し上げにくいのですが、引っ越し費用が無駄になった挙げ句、徒労で終わります」


 大変申し上げにくそうには全く見えない様子で淡々と、私のささやかであり、昨日までは唯一だった希望をぶった切られた。

 家族にも話せない以上、突然引っ越したいから費用を出して欲しいだなんて言えるはずもない。かといって、バイトをしたこともなく、毎月奨学金をやりくりして過ごしている私の貯金もそんなにあるわけではない。お金がないなら働くしかない。元々、大学生活に慣れてきたらバイトをするつもりだったのだ。

 けれど、ちょうどいいと思うには少々状況が悪い。何をしても男のことが頭を過り、新しい何かへ気力を向けることも叶わず、億劫で、憂鬱で、気持ちが悪くて。

 それに、夜にシフトがある仕事も気が重かった。夜、暗くなった時間に外から帰ってこられるのかと自分に問えば、否と私の全てが拒絶する。


 だって、もしあれと鉢合わせになったらどうするのだ。ベランダにいたあれは、外にいるのだ。もし、音を出していなかっただけで、玄関前にいたら? 何を隔てることなく、私の目の前に立っていたら? もし、もしも、家のベランダだけではなく、外で、学校内にまで、現れるようになったら?

 起こっていない何かを考え出せば切りなどなかった。理想も妄想も、起こっていないもしもは考え放題で。自分で生み出す恐怖と不安に溺れ、その状態から抜け出そうともがくことは状況の改善を考えることで。考えても考えても答えが出ない不安に、結局思考は堂々巡りを繰り返した。自分の恐怖に自分で溺れていく無様さを笑えたら、どれだけよかっただろう。


「……どうして、私なんでしょう」


 今まで我慢していた疑問が、ついにぽつりとこぼれ落ちてしまった。

 どうして私なのだろう。

 世界中にこれだけの人が、日本中にこれだけの人がいて、この県にこれだけの人がいて、この市にこの町にこの一帯にそれなりの人がいて。それなのに、どうして私なのだ。

 私が何をしたというのだろう。火六さんは私に非がないと思っていると伝えてくれたけれど、それでも思うことは止められない。

 私が何をしたというのだ。大学に進学し、初めての一人暮らしを楽しみにしていた。大学も一人暮らしも、慣れないことは大変だけれど総合的に見ればそんな苦労も楽しい。

 あれが現れるまで、全部一人でしなければならない大変さに四苦八苦しながらも、大人になれた気がして胸を張れたのに。今は、あれに脅えて背を丸め、身なりを整えることも出来なくなって、料理を勉強するつもりで買った本も開けずに、夜も眠れず思考もまともに働かなくなって。

 情けない。みっともない。悲しい。悔しい。苦しい。そんな感情がぐるぐると渦を巻く。


「私は、あの人に、何か、してしまったんでしょうか」

「橘花さん」


 これ以上何かを言えば泣き出してしまいそうで、俯いたまま黙り込む私に、何も変わらない淡々とした声が呼ぶ。

 一瞬、それが目の前にいる人なのか玄関にいる何かなのか分からなくなった自分が馬鹿馬鹿しくて、殴りたくなった。玄関にいるあれはずっと唸り続けているから喋れるはずがないし、あれと目の前の人を一緒にするなんて失礼にも程がある。


「……はい」

「それは考える必要のないことです」


 火六さんは、きっぱり言い切った。

 淡々とした口調でありながら、どこか強さのあるはっきりとした言葉だった。少し違って聞こえた声音に、思わず顔を上げる。


「あれを理解しようとしてはいけません。他者を慮り、自らの行いを省みることができるのは美点ですが、あれに関しては悪癖となります。あれに限らず、そういう類いの人間においても同じ事です。誰の何もどうでもいいんです。自分がしたいからしているんです。何も考えてなどいません。自分のものにしたい、不幸にしたい、不幸になればいい、自分が得をしたい、相手に損をさせたい、貶めたい、傷つけたい、災厄を齎したい。そんな害意の塊です。そこには何もないのです。何の理由も存在しない。空っぽの頭に、他者への害意だけが詰まった禍です。それらが貴方へ向かったとしても、そこに貴方の責任はありません。理由も何もありません。害意の手が届く範囲にいてしまった、ただそれだけの不運の結果でしかないのですから」


 淀みなく紡がれた言葉達が、異国の言葉のように聞こえた。彼は確かに日本語を話し、私はそれを理解できるはずなのに、まるで遠い国の知らない言葉を喋っているようだ。

 けれど、耳を塞ぎたくなるほどやかましい扉からの音と声の中で、それらは酷くはっきり私の耳に届いた。

 火六さんは、小さく息を吐く。


「貴方は、他者の事情を汲もうとする人です。今も、あれが来ていると分かっているのに何もしていない僕に、今すぐどうにかしろと要求したりはしていない」

「そ、れは……何か、理由があるのかと思って」

「そうですね。時間帯が悪いんです。今は逢魔が時。様々な存在が活発に移動している時間です。大半の人間は一日の終わりを思い気が緩み、人外も昼から夜へ渡ろうとしている為、通常ならば表に出てこないものまで行き交っています。ですから、あれに釣られた何かがこの辺りをうろついている可能性があるんです。それは、僕が対処できるものではないかもしれない。あえて藪をつつく必要もないので、移動が落ち着く夜を待っているんです。ですが、僕がそれを説明していないのに、貴方は何か理由があるのだろうと事情を汲んだ。僕はあまり説明がうまくないので助かります。ですが、それをあれらに向けてはいけません。相手が人外であれ人であれ、同じ事です。それは、自分を壊す理由を作るだけです」


 一切の淀みなく紡がれる言葉は、それらが既に彼の中にあるからだと気づいた。既に彼が持っている結論であり、答えであり、経験だ。だからこそ長い言葉の何一つも迷うことなく、まっすぐに私を見つめながら言うことが出来るのだ。


「……貴方は素直で、善良な人なんでしょう。だから、気にするなと言われても気になると思います。どうしますか。何かで気を紛らわせましょうか」

「………………お願いします」


 彼の言うとおり、気にするなと言われても気にしないようにすることは難しい。あのぐずるような声が、癇癪を起こしたような音が、耳にこびりついて離れない。

 また俯いてしまいそうな顔を必死に持ち上げる。何とか上げた状態で顔を固定した私の、恐らく引き攣っているであろう顔を見つめ、火六さんは一つ頷いた。


「分かりました。では、僕の名字が元々は火六じゃなくて、神の威を借りて人外を退治していた一族ということで神威だった事と、僕は人が実際にしている表情ではなく心の中で思っている感情が浮かんだ表情が見える特殊な目を持っている事と、神から借りた力は何代か前の先祖が強力な敵と戦った時に砕けたことで今は散り散りになった力の残滓でなんとかしている事と、僕らに力を貸してくれた神もその時砕けてしまったが為に神が元の姿を取り戻すまで借りた力を返すこともできない事、どれが気になります?」

「どれも気になりますが!?」







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