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火六事務所へようこそ  作者: 守野伊音
二章 はじめての孤島編
30/31

30怪





 先に電話で連絡していたからか、私達が家へと戻ったとき、既に木賀矢さんはそこにいた。

 土砂崩れがあった現場にいたのだろう。裾や袖が土で汚れている。顔にも乾いた土が擦れた後があった。

 そんな己の身なりを整えることもなく、呆然と突っ立っている様は、事情を知らなければ心配するか避けてしまうかのどちらかだろう。表情からぽかんと力が抜けているのに、瞳だけが爛々とぎらついている。どう見たって、正気には見えない。


『見つけました。お連れします』


 多くは語らない短い連絡を受けて、そこで待っていたのだ。突っ立ったまま、一歩も動けずに呆けたような顔で、ぎらつく瞳で睨んでいる。何だか、ぐっと老け込んだように思えた。皺が増え、髪が白くなり頬が萎んだように見えた。


「どちらに下ろしましょうか」

「あ、はい。家に……あ、いえ、車、車の後ろを、開けます、ので」


 心ここにあらずといった風に、言葉がぼろぼろと零れていく。けれど、彼女が消えた家へ帰すのは気がかりだったのだろう。言葉と視線がうろつき、車へと止まった。

 浮ついているのか、地面を踏み抜かんばかりに力が籠もっているのか分からない動きで、木賀矢さんはワゴンの後ろ扉を開けた。

 昨日までそこに積まれていた荷は全て下ろしている。だから今は、何もない。

 山を出る前に解いた手が、そっと荷を下ろす様子を黙って見つめる。その中から取り出された塊に合わせて、木賀矢さんの瞳が揺れる。身体は微動だにせず、瞳だけが強く追う。

 風呂敷は、下ろされるに合わせて形を変える。重たいものではないが、ふんわり包んだ形が、ゆっくりと沈んでいく。

 ぺたりと下りきった風呂敷の結び目を、意外と長い指が解いた。

 するりと解けた中から真っ先に現れたのは、汚れ解れた白いブラウスだ。ひゅっと、なり損なった呼吸の音が木賀矢さんの喉から漏れた。

 風呂敷を広げきり、重ねていたブラウスを横へと置く。これ以上の損傷を防ぐ為、スカートとブラウスで挟んでいた骨が、現れた。

 行方不明者の発見。待ち人の帰還。

 彼にとっては、長年の悲願であろう瞬間だ。けれど彼は動かない。瞳も一点に固定され、瞬きすら忘れ去られている。

 長年の悲願だ。帰還は為された。

 けれど本当は、本当の悲願は、最早潰えて久しい本当の願いは。

 ただ、彼女の無事であっただろうに。


「とも、え」


 虚ろなのに狂気が宿る瞳から、ぼたぼたと雫が零れ落ちる。震える指が伸ばされ、骨に触れる前に止まった。


「ともえ」


 一拍の間を置き、木賀矢さんの指先が、寬枝さんに触れた。

 木賀矢さんの膝が折れた。砂利の上へ倒れ込むように蹲り、嗚咽を上げる。その手には、強く、けれど決して崩れないよう柔く握りしめられた寬枝さんがいた。

 歯を食いしばり、臓器ごと吐き出してしまいそうな唸り声と嗚咽が響く。

 かけられる言葉などない。そんなもの、この世のどこにも存在しない。彼に言葉をかけられる人物がいるのなら、それは寬枝さんだけだろう。


「――これにて依頼完了とさせて頂きます。こちらの遺骨が寬枝さんであることの

証明が僕には出来ませんので、警察に届け出ることをお勧めします。DNA鑑定があれば一番の証明になります。後は、契約書に乗っ取り、前金と同じ口座に残りの金額をお願いします。異論があれば、契約時に交わした書類に書いてある連絡先にお願いします。火六の弁護士へと繋がります。また、後日火六から調査の為に人が来る場合があります。その際は、こちらからご連絡させて頂きます」


 淡々と、事務的な要件が済まされていく。木賀矢さんは、柚木さんの言葉を理解しているのかは分からないが、幽鬼のような虚ろな目で顔を上げた。


「では、僕達は失礼しようと思います。飛浦さんと連絡を取って頂けますか」


 未だ止まらない涙はそのままに、木賀矢さんの瞳に僅かな正気が宿った。それは常識や礼節といった、彼がこれまでの人生で培ってきた、大人としての何かがそうさせたのだろう。


「ま、待ってください。まだお礼も……お詫びも、何も、何も。待ってください、すみません。いま、何か……島の人達にも、紹介、を」

「申し訳ありません。僕達は依頼が終わればすぐにこの島を出たほうがいいんです」


 狼狽えながら何とか立ち上がった木賀矢さんは、ふらついた身体を支えきれず、寬枝さんの横に手をついた。


「それは、どういう」

「この島はかつて、災いと困難を来訪者によって退けました。けれどそれは更なる厄災だった。僕達は来訪者です。来訪者が、島に蔓延る厄災を退けた。かつてと全く同じ状況なんです。歴史は繰り返す。それはそこに道があるからです。既に出来てしまった道は、長い時を隔てなければ道で在り続ける。僕はこれ以上、轍を深くするつもりはありません。ですから、すぐに退去します。ご理解の程、どうぞよろしくお願いします」


 頭を下げた柚木さんと一緒に、並んで私も頭を下げる。どんな理由を切り取っても、私達はこの島に長居しないほうがいい。

 山から下りながら、そう柚木さんが教えてくれた。私は教えられるばかりで、自分の頭があるのにすべきことへ考えが至らない。それが恥ずかしい。さらりと、当たり前のようにその事実へ辿り着く柚木さんは、凄い。


「そう、ですか……」


 その一言の間に、木賀矢さんは支えなく立っていた。顔を上げた私達の前に立っていたのは、青褪め、泣き腫らし、瞬き一つの間に十も年老いてしまったかのような人だ。けれど。


「失礼と、ご迷惑、そしてそう呼ぶことすら許されない非道を行いましたこと、本当に申し訳ありませんでした。お詫びは後日、必ず。お礼も勿論ですが、必ずお伺いさせて頂きます。この度は、遠いところにお越し頂きましたこと、心よりお礼申し上げます。そして、寬枝を見つけてくださって、本当にありがとうございました」


 深々と頭を下げたその人は、確かな大人だった。

 木賀矢さんの後ろで、薄紅色のスカートが揺れる。柔らかな白いブラウスと共に、美しい髪が靡く。深々と下げられた二つの頭に、私達も再び頭を下げた。







「雨、間に合いましたね」

「そうですねー」

「慣れない山登りに雨だと、怪異関係ない事故が起こるので」

「ほんとですよ。特に私が!」


 怪異関係なく、元気いっぱいに斜面を転がり落ちる自信しかない。

 ぽつぽつきたと思ったら、あっという間にどす黒く渦を巻いた雲から大粒の雨が降ってきた。慌てて船の中に転がり込んで事なきを得たが。土の上だろうが海上だろうが、雨に降られた人間がすることは変わらないんだなと、当たり前のことに何故かしみじみした。

 土砂崩れの件で、もし怪我人がいたらすぐに出発できるよう待機していた飛浦さんは、巻き込まれた人がいないと分かった後も船を用意したまま待っていてくれた。おかげで、私達はすぐに島を出ることが出来た。お礼を言ってもなしのつぶてで、さっさと乗れの一言であったが。

 お礼に笑顔や穏やかな言葉を返せという道理もなし。私達は彼に感謝しつつ、ありがたく船に乗った。

 行きとは違い、海風が少し遮られた場所で荒れてきた波に揺られる。濃厚な潮の香りを纏った風と、どす黒い雲は、慣れぬ山登りと精神疲労で疲れた身体に追い打ちをかけるようだ。


「あっという間でしたね……」

「そうですね」

「柚木さんが急いでたのって、レポートだけじゃなかったって私分からなかったです……」

「九割はレポートです」

「そんなに……」


 思っていたよりレポートの比重が重かった。


「ですが、出来る限り関わらないほうがいいのも事実です。土砂崩れ然り、木賀矢さんが島を訪れる原因になった水質調査然り、本当はもう少し調査をした方がいいのでしょうが、島内の厄介事を解決した存在が長居するのは宜しくないので。恐らく、後日火六から人が出るでしょう」


 堪えきれなくなったのか、堪える気がなかったのか、柚木さんの口から大きな欠伸が飛び出した。手で覆っているものの隠し切れていない。


「柚木さんのおうちって、なんかその……凄そうですよね」

「そうでもないんですが、大金が関わる仕事に一族総出で取りかかっているので、法人化しているだけです」

「法人化」

「事務所は個々人の家でやっていますが、一応本家が本部として取り纏める形で。その方が色々便利でして。そうはいっても、本家も他と変わらない規模の事務所をやっていて、本家が本部というのも形だけですね。会計や総務的な役割の人達がいる場所が、実質的には本部みたいなものです。人事は、まあ、親族間のことですから。人手が足りない場所が出れば自然と把握できるので。でも、取り扱ってる仕事が怪しく金額が大きいせいで、しょっちゅう税務署から監査が来ます」

「分家とか本家とかある時点で凄い気がしますが、監査……」

「きっちり税金は納めていますよ。凄い額になりますが。その為に火六お抱えの税理士一家がいるんです」


 柚木さんのおうちが凄まじく遠い世界にあることはよく分かった。

 柚木さんは、とんでもなく興味を引かれるのに、突っ込んでいいのか駄目なのか判断出来ない情報をぽろりと零すので困る。

 疲れているから口が滑る情報もあるだろうと、これ以上は詳しく聞かないことにした。

 私も、くぁっと小さく欠伸をする。どうにもプールの授業後のような気怠さが抜けない。身体も精神も疲れていた。それも、泥のように。黙っていたら色々考えてしまいそうで、頭を無理矢理動かす。


「柚木さん」

「はい」

「私、ちょっと思ったんですけど」

「はい?」

「柚木さん自分のことスパルタって言いましたけど、辛い甘いより、予想してることを二割ほどしか言わないから、こっちの心の準備が整っていないのもあるんじゃないですか? でも、教えてくれるときは怒濤の如くなので、情報に溺れます」


 何も全ての考えを告げてほしいとは言わないし、それはそれで困るだろう。

 だが、予想や予定を、小出しでいいので教えてくれていたら、私はもうちょっとわたわたしなくてよかったのではないだろうか。

 勿論、私の考えが至らず、どんくさく、怖がりで泣き虫なのが大きな要因ではあるのだが。それは分かっているし、責任転嫁するつもりはない。今後の課題でもある。だが、ほんのちょっとくらいは、柚木さんのやり方もあるのではなかろうか。


「ぽち君のことだって、人の裏の顔が見える目のことだって、柚木さんさらっと教えてくれましたけど、そういうのってこう……もっと重々しく、大仰に教えてくれていいことだと思うんです。おやつはおまんじゅうかプリンかアイスどれにしますかみたいなノリでさらっと教えてくれましたけどね!?」


 無口なようでいて、わりとぽんぽん言葉を返してくれる柚木さんからの返答がない。すぐにいつも通りの淡々とした言葉が返ってくると思っていた私は、怒らせたかと不安になり、外を見ていた視線をそぉっと柚木さんへ向けた。

 船に乗る前にかけた彼の眼鏡が、ずりっと大きくずれた。それを直しもせず、柚木さんはぽかんとしていた。何だか小さな子どもみたいで可愛かったが、愛でている場合ではない。


「ゆ、柚木さん?」

「――成程」


 しみじみ、本当にしみじみ納得したと言わんばかりの言葉が落ちた。


「僕、今まで、行動が読めないとか、どれだけ説明してもよく分からないとばかり言われてきたんですが」

「説明のタイミングが、ずれていたんじゃないでしょうか」


 あと、ノリ。

 様子がおかしい柚木さんに、おそるおそる返す。


「……梓さん、そういうことはもっと早く教えてください。正確には、物心ついた辺りで」

「柚木さん、私と出会ったの二ヶ月前だって覚えてますか?」


 いくら友達でも、出来る無茶と出来ない無茶があるというものだ。それなのに、柚木さんは何故か恨みがましげに私を見る。


「……え? 昔会ったことありましたっけ?」


 そんな記憶はない、が、幼い頃のことに確信は持てない。


「ありません、ので、不満です」

「えぇー……」


 理不尽である。


「改善できるかは分かりませんが、意識はしようと思います。ありがとうございます。ボーナスはずみます」

「さては柚木さん、疲れてますね?」

「へとへとです。そして、眠いです。でも、ここで眠ったら起きられない自信があるので起きています」


 賢明な判断だ。いくら柚木さんが小柄とはいえ、成人間近な男性を背負って駅までの道を歩むのは不可能である。

 ずり落ちた眼鏡を直しがてら目を擦り、隠しそびれたらしい欠伸を披露した柚木さんは、眠たそうに海を見つめた。


「寝るなら、電車乗ってからです」

「それは寝過ごすのでは……?」

「その場合、どこかで一泊して帰りましょう。どうせ、順調に帰り着いても深夜になりますから……」


 既に半分以上眠りかけている柚木さんは結局、絶対に寝過ごすことのない船の中で一睡もしなかった。

 その理由が分かったのは、船を下りてからだった。





「お世話になりました」


 柚木さんと並んで頭を下げる。

 飛浦さんは何も答えない。けれど、私達と一緒に船から下りた。また車で買い出しに行くには少々遅い時間だ。とまっている車へ足を向けることもない。

 雨は既に止んでいたが、海は少し荒れている。湿り気を帯びた風が吹き、髪と服を、乱す。

 飛浦さんの身体は、風が通り過ぎる度に酷く服が揺れる。初めて会った時も思ったが、痩せている。痩せすぎている。


「……学者先生の奥さんを見つけてくれて、感謝する」


 ぽつりと、言葉が落ちた。それは、窶れ、悔やみ、疲れ果てた人間の声だった。

 短い感謝の言葉だった。木賀矢さんの為に飛浦さんが紡いだ、礼。

 それなのに、何故だろう。何故か、深い謝罪に聞こえた。

 それは何について、誰に向けて。


「いえ、仕事ですから。それでは失礼します」


 理由も分からず凍り付いた私とは違い、柚木さんはさっぱりしたものだ。再び一礼し、ずり落ちた眼鏡を押さえて背を向けた。

 慌てて一礼し、私もその後を追う。数メートル歩いたが、どうしても気になって振り向こうとした。


「梓さん」


 こちらを見ていないのに、ちょうどのタイミングで呼ばれて振り向き損ねる。いつもより歩幅が大きい柚木さんに置いていかれそうになり、急いで速度を速めて追いつく。


「自分達では近づけないから、動物を使って骨を拡散させた」

「はい?」

「人間も動物です」


 息が、止まった。

 止まりかけた足は、けれど柚木さんに引かれた手によって叶わなかった。歩を進める。進んで、進んで、どんどん離れていく。

 誰から? 何から? 事実から?


「梓さん、帰りましょう。僕達は、帰るんです」


 強く引かれ、隣に並ぶ。私はどんな顔をしているのだろう。情けない顔をしているのか、強張っているのか。それとも何の表情も浮かべられていないのか。

 自分でも分からなかった。


「レポートしに」


 いっと笑った柚木さんに、つられて笑う。

 まるで幼い子どもが喧嘩するときに歯をむき出すような、本当にへたくそなその笑みが私の為に浮かべられている。

 それもまた、事実だ。それなら私は、私の事実を大切にしたい。






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