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火六事務所へようこそ  作者: 守野伊音
一章 はじめての事件簿編
3/31

3怪






 空いている日程を聞かれ、出来るだけ早くお願いしたい旨を伝えると、今日これから来てくれることになった。

 私は夏休みに入っているので全く問題が無いが、火六さんは大丈夫なのだろうか。年齢は分からないが、私と同じほどに見えるので学生なのか、それとも社会人なのか。学生だったら私と同じで夏休みなのだろう。社会人だった場合……これが仕事だから問題ないのだろう。

 部屋へ向こうことが決まれば、火六さんは準備があると奥の部屋に入っていった。その間、スマホを充電させてもらう。朝から地図とにらめっこしていたから、少々充電が怪しい。充電させてほしいと図々しくも願い出た私に、火六さんは表情一つ変えずどうぞとコンセントの位置を教えてくれた。かなりいい人である。

 さほど時間をかけず戻ってきた火六さんは、上下ジャージになっていた。学ランのように襟まできっちり締めたジャージに、リュックを背負っている。その姿を見て、失礼だとは思ったが思わずぽかんとなってしまう。


「……あの、暑くないんですか?」

「地獄の業火もかくやというレベルで暑いです」

「え、えぇー……」

「正直暑すぎて世界を呪いたくなります」

「えぇー……」


 ならば何故、この灼熱地獄のような暑さに長袖長ズボンで立ち向かうのか。更にリュックを背負っていては背中に熱が籠もって大惨事だ。

 そんな気持ちが顔に現れていたのだろう。それとも同じ疑問を言われ慣れているのか。火六さんは私が何かを言う前に自分から答えた。


「対応している際に掴まれると酷い痣になったりもするので、後々のことを考えるとまだ長袖のほうがマシなんです」


 何でもないことのように言われた言葉を、一瞬理解できなかった。理解した瞬間、ぞっと胃の腑が冷えた。ベランダにいたあれが自分の腕を掴む光景を想像してしまった。そんなものを想像した自分を呪いそうだ。吐き気すら催す怖気で、一瞬にして身体中に鳥肌が立つ。

 窓を隔てていても堪えられないあの男と、同じ空間で対峙する。触れられる距離にいて、何にも遮られず伸ばされた手に掴まれる。頭の中の自分が金切り声を上げたのに、それすら定かではなくて。もう一人の私は声すら出せず、男へと引きずり込まれていく。

 きっと私は青ざめていたのだろう。火六さんはちらりと私を見たが何も言わず、肩を竦めた。


「その時だけ長袖なのと、痣が消えるまで長袖を着続けるのとでは、僕は一瞬の地獄を選びます」

「成程……」


 大変納得のいく答えだった。あまりに普通すぎて、さっき感じた恐怖が穏やかに散っていく。

 そして、失礼だが、以外と普通の人なんだなと思う。

 こういう職業の人は、私の勝手な想像であるが、どこか浮世離れしている印象があったからだ。

 だけど彼は、話していると普通の男の子である。いろいろ丁寧に答えてくれるので、むしろ愛想がいいほうだ。それに、きっと優しい人なのだと思った。あれこれ全てへ手を差し伸べてくるのではなく、気づかなかった振りをしてほしいときに流してくれる人は、本当にありがたい。流してほしい話題を追いかけられると、傷が開く場合があるからだ。


 事務所を出て火六さんは扉に鍵をかける。鍵の持ち手部分には柴犬のカバーがかかっていて、大変可愛らしい。淡々とした無表情と可愛らしい小物のギャップが微笑ましく、ちょっと和んだ。だが暑い。そして、私も実家で柴犬を飼っているのでその小物をどこで買ったのか是非とも教えて頂きたい。

 むあっとした熱気に、せっかく落ち着いていた汗がじわりとにじんでくる間、風鈴は沈黙を保っていた。こんな時こそ気分だけでも涼ませてほしいのだが、こんな暑さでは風鈴も働きたくないよなと勝手に納得してしまう。

 暑く薄暗い階段を、火六さんの後について降りていく。そういえば、さっきはあれほど抑えていた眼鏡に今は触れていないと気づく。よく見ると、髪の流れが変わっている。どうやら、眼鏡の蔓をゴムのような物で繋ぎ、後ろで止めているらしい。ただ話しているだけであれだけずり落ちていたので、きっとサイズが合っていないのだろう。

 シャッターをくぐった瞬間、熱気どころか灼熱がそのまま襲いかかってきて慌てて日傘を開く。幾分か熱が和らぎ、ほっとする。普段だってこの暑さはきついのに、寝不足で弱っているときには耐えられる気がしない。

 私より数段暑そうな格好をしている火六さんを見れば、あまり露出している部分はないにせよ、肌が白いことに気づいた。痩せ型で、ジャージを着ていてもだぼついているのが分かる。身長は火六さんのほうが私より高いが、ヒールを履けば追いつけるほどだった。事務所でも思ったが、どうやら華奢で小柄な人のようだ。

 言えば失礼に当たると分かるから決して口には出さないが、体格が似ているおかげで威圧感を感じず、女友達と歩いているような気楽さがある。

 その為、話しかけやすかった。


「あの、火六さんはおいくつですか?」

「十八です」

「あ、同いです」

「そうですか」


 淡々とした会話に、普段なら怯んだかもしれない。けれど肉体的にも精神的にもが散々弱った今は、現状で唯一明確な光となった人に自分でも気づかないうちに勝手になついてしまっていると気づく。

 さっきから改めて気づき直していることばかりで、どれだけ自分がいっぱいいっぱいになっていたかにまた気づき、苦笑した。

 つらい時、苦しい時、視野狭窄に陥ると大学の授業で学んだが、いざ自分がなった上でそれに気づいた初めてこういうことかと分かった。今まで思い当たる節がなかったから、幸せな人生を歩んできたと改めて思う。ありがたいことだ。


「火六さんは、いつからこのお仕事をされてるんですか?」

「親から事務所を継いだのは十六の時です」

「そうなんですか! 凄いですねっ…………」


 それは、凄いを通り越して何か事情があるレベルに達しているのでは?

 そう気づいてしまい、あからさまに口を閉ざしてしまった。気まずい沈黙が流れる。火六さんはそんな私へちらりと視線を向けた。


「両親が離婚した、仕事で死亡した。失踪した」

「は、はい!?」


 一体何組両親がいるというのか!

 驚愕に戦いた私に、火六さんはゆっくりと頷く。


「などと言うことは全くありませんのでお気遣いは不要です」

「そ、それはよかったです」


 本当によかった。だが絶妙な場所で区切ってくれたおかげで、私の脳内は大惨事であったので、出来るならばもう少し返答の仕方を工夫して頂きたかった。

 なんと過酷な過去がと驚くべきか悲しむべきか悩んでいたこの気持ちの置き所がない。しかし、火六さんに悲しい過去がないのならそれに越したことはないなと思い直してすぐに立ち直った。


「祖父母がそろそろ膝が痛くて山奥などに出向けなくなってきたことを機に、引退とまではいきませんが第一線から退くことになりまして。祖父母の事務所を両親が継ぐことになり、僕が両親の事務所を貰っただけです。やはり長くやっていた事務所の方が固定客も多く厄介な仕事が持ち込まれやすいので、僕一人では面倒、失礼、難しいので」


 いま面倒って言ったな、この人。

 言い直したことなどなかったかのような顔でしれっと前を向いているので、私もその話題は追いかけずに見送ることにした。

 それにしても、失礼なのかもしれないが、思っていたより平穏な理由だった。高齢のご両親を持つ大人の人からよく聞く話だ。高齢の両親と同居するため、店を継ぐためなど、結構聞く。流石に霊能者の人から聞いたことはなかったけれど、意外と普通だなと思った。十六歳で一人店を継ぐなんて凄いと思った気持ちは揺るがないが。


「こういう依頼って、よくあるんですか?」

「事務所をやっていける程度には」


 それは多いとみるべきか少ないとみるべきかの判断は、私にはつけられなかった。けれど、そういった事に一切触れてこなかった身としては、多いと思った。世の中には、私の知らないことが本当に沢山あるのだと思い知る。小難しいことは勿論、常識だと思っていた部分にも、恐ろしいほど沢山存在していたのだと、分かった。

 自分がこんな目に遭わなければ知りもせず、知ろうともしなかった事実に目眩がする。


 人間をコンクリートの鉄板で焼こうとしている太陽の光を浴びているのに、眉一つ寄せていない火六さんを視線の端で見て、私は小さく息を吐いた。


「橘花さん?」


 名前を呼ばれて、はっと顔を上げる。いつの間にか足下を見ながら歩いていた。上げた視界には、知った顔があった。


椎木つちきさん?」


 ボブの髪がよく似合う彼女は、同じゼミの生徒だ。いつもあまり会話に混ざらずに静かに本を読んでいる人だからあまり話したことはない。


「こんにちは、偶然だね」

「そうだね」


 あまり話したことはないと言っても、まったく会話をしたことがないわけではない。ゼミの中でもそれ以外でも、顔を合わせば短い会話くらいはする。

 椎木さんは、私の横に立っている火六さんをちらりと見た。


「知り合い?」


 普通の問いなのに、答えられなくてぐっと詰まってしまった。そんな私をどう思ったのか、椎木さんはちょっと眉を寄せる。


「メンテナンスの依頼を受けた業者の者です。こんにちは」

「こんにちは……」


 さらっと嘘とも本当とも言い切れない説明をした火六さんに助けられた。

 その横顔は、相変わらず淡々としていて感情は読み取りづらい。焦りも動揺も一切見られない様子に、慣れているんだろうなと考える。幽霊に悩まされていてなんて、さらりと口に出す勇気を私は持てていないし、同じ人は多いのではないだろうか。そんな人達の為に、当たり障りのない説明をする術に長けたのではないかと当たりをつける。

 椎木さんは、火六さんに軽く頭を下げた後、私へと視線を戻した。


「橘花さん、最近顔色がよくないから、気をつけて」

「うん、ありがとう。椎木さんも、毎日暑いから気をつけてね」

「ありがとう」


 いつも似たような会話になってしまうけれど、お互いが持つ共通の話題が増えていない以上それも仕方がないだろう。毎日うんざりするほど暑いし、彼女も一人暮らしだと聞いているので、本当に体調には気をつけてほしい。

 いつもならこれでじゃあまたねと別れるところだけど、今日の椎木さんは少し違った。


「橘花さん、よかったら、ライン交換しない? ゼミのグループだけじゃなくて。お互い一人暮らしだし、何かあったとき相談とか出来たら嬉しい」

「え? いいの? 是非是非。わー、嬉しい。私もお願いしようと思ってたんだけど、いつの間にか夏休み入っちゃって」

「橘花さん、最近具合が悪そうだったから。……登録できた。じゃあ、またラインするね」

「うん、ありがとう。今日会えてよかったー」


 この偶然がなかったら、夏休み明けまで話す機会はなかったかもしれない。ここ最近ずっと気持ちが晴れなかったのに、今日は本当にいい日だ。嬉しくて笑顔が溢れる。椎木さんも、珍しく小さく笑ってくれた。



 軽く手を振って椎木さんと別れた後、ずっと待っていてくれた火六さんにお礼を言う。


「お待たせしてすみません。それと、あの……説明、ありがとうございました。私じゃうまく説明できなかったので、助かりました」

「いえ。……さっきの方は、ご友人ですか?」

「はい、同じゼミの人なんです。すっごい綺麗で可愛い字を書くんですよ。綺麗なのに可愛い字で、初対面の挨拶より先に字を褒めちぎっちゃいました……あれで引かないでいてくれた、凄くいい人なんですよ。ご飯一緒に食べたいなーと思ってるんですけど、ゼミがちょうど三限でお昼終わってるんで、なかなか機会がなくて」

「そうですか。さっきの方、橘花さんのこと凄く心配なさっていたようですね」

「そう、でしたか? 全然気づかなかった……心配かけちゃうくらい酷い顔してたのかな……椎木さん本当にいい人だ……よし、今度絶対ご飯誘って、もっと仲良くなろう」


 暑いのでさすがに室内と全く同じとはいかずとも、いつもとほぼ変わらない涼しげな表情をしていた椎木さんを思い浮かべながら返事をしたので、後半はほぼ独り言になってしまった。一人で決意を固め、ガッツポーズを決める。この件が片付いたら、ラインしよう。

 今朝まで八方塞がりで、何をどうすれば状況が変わるのか全く見当もつかなかったのに、今はこの件が終わったらなんて考えられる。


「火六さんのお仕事、素敵ですね」

「…………は?」


 唐突すぎて怪訝な顔をされてしまった。慌てて補足する。


「私、今朝まで本当にどうしたらいいか分からなかったんです。何をどうすればいいのかも分からなかったし、誰に相談すればいいのかすら分からなくて、絶望ってこういうことなのかななんて、思ったりしてました。でも今は、吐きたいくらい気持ちが悪いのに吐き出せない不安感でしんどかった気持ちが、少し浮上してるんです。誰かの救いになる仕事って、いいですよね」

「……橘花さんは、少し変わった人なんですね」

「そ、うですかね?」


 そんなことないですよと言おうとしたけれど、無表情で淡々と言われると否定しづらい。しかし、だからといって肯定もしづらい内容なのが困った。

 結局曖昧を返答とした私に、火六さんは真顔で頷いた。

「状況が状況ですので仕方がない部分も多分にあるんですが、普通は気味悪がります」

「確かに……お化けは気味が悪いですよね。いいお化けもそりゃいるんでしょうけど、今はなかなかそう思えません……」

「霊のことではなく、霊を見る人間のことです」

「幽霊を見る人間を気味悪がったら、私いま、自分のことを盛大に気味悪がらなきゃ駄目なんですけど」

「ご自分は棚上げすれば宜しいかと」


 淡々と面白いこと言うな、この人。

 無表情で面白いことを言ってのけるので、笑うタイミングを逃してしまう。だからといって、面白さが消えるわけではない。表面には出ていないだけで、心の中では笑いの種がふつふつと停留している。気を抜けば噴き出してしまいそうだ。いきなり噴き出したら不審者この上ない。私はぐっと気持ちを引き締めた。


「いや、そりゃ確かに私おかしくなっちゃったのかなとは思ったんですけど、幻覚じゃなくて本当に幽霊がいるなら、見えてもおかしくなったわけじゃないのでセーフだと思いますし、せっかく同じ物見えてるなら棚上げして気味悪がるんじゃなくて、幽霊あるある話なんかで盛り上がれたら嬉しいかな、と」

「幽霊あるある……」

「女子高生あるあるとか看護師さんあるあるとか美容師さんあるあるとか、雑誌で特集されてるの見かけたりするんで、そういうあるある話な感じで、幽霊見える人にとったら鉄板話とか、何かありますか?」


 普段関わりのない職種の人だからこそ、せっかくなのでこれを機に話を聞いてみたい。どんな話が聞けるのか全く想像もつかないので、例えばこんな感じの話をと例題すら思い浮かばなかった。

 火六さんは、ちょっと考える素振りを見せた。視線を一カ所に固定して、じっと考え込んでいる。やがて何かを思いついたのか、私を見て淡々と答えた。


「霊がしでかした事件の犯人にされる」

「初っ端から重いっ!」

「霊が張り付いた人にそれを伝えるか悩む」

「悩みが重い……」

「肝試しに行った奴もそれを肯定した奴も肝を抜き取りたくなる」

「それはちょっと共感までの過程が高度でなんとも……」


 幽霊が見える人あるある話を聞くには、かなりの覚悟が必要のようだ。







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― 新着の感想 ―
[一言] 怖いのに会話がのどかで笑っちゃいます。そして肝試しについての意見は同意。零感ですが。
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