25怪
「行ってしまわれた……」
「そうですね。よそ者の僕達が言っても手伝えることはあまりないでしょうし、人手がいるなら声がかかるでしょう。人も巻き込まれていない感じでしたし。ですから、それまで資料を調べつつ、朝食を取りましょう」
柚木さんに促され、正直入るのは若干抵抗がある家の中に戻る。玄関に足を踏み入れた瞬間、私は、はっと立ち止まった。
「梓さん?」
動きを止めた私を不思議そうに振り向いた柚木さんに、私はきっと沈痛を滲ませているであろう表情を向けた。
「柚木さん……」
「はい?」
「昨日スパゲティ食べたので、あと残ってる食料、カレーしかないです」
中辛である。
「大変スパイシーな朝食ですね」
鞄には一応非常食代わりのおやつと、皆おなじみ黄色い箱に入ったバランス栄養食がある。だが、おやつはともかく他は非常食なので、食料が尽きたときまで置いておきたい。
私と柚木さんは顔を見合わせ、静かに頷き合った。
離島生活二日目朝食。文明開化チンしたレトルトご飯・熱湯五分茹で仕込みレトルト中辛カレーかけ・ペットボトルの水を添えて。
「…………スプーンがないことを失念していました」
「梓さん、礼儀作法は捨てる戦法でいきましょう。幸い、ここには僕達しかいません」
「了解です! 割り箸で掻き込みましょう! カレーは飲み物あっつぅ!」
鼻孔を擽るどころか競い上がってくるスパイス感溢れるルー。大変美味しく頂きました。
新聞、ノート、何だか懐かしい藁半紙のプリント。それらがごったに詰め込まれた段ボールをひっくり返し、中身を確認していく。
カレーの残り香が漂う部屋では、紙を捲る音だけが響いている。お互い行儀を気にするより効率を優先しているため、片膝を立てたり胡座をかき、黙々と読み込んでいく。
「大男と七人の子ども……恐らくこれですね」
「そのまんまですね」
それ自体も古いバインダーに挟まれた黄ばんだ紙を捲っていた柚木さんに、四つん這いで近寄る。立つ手間を省いたものぐさ移動の私に見えやすいように、バインダーが傾けられた。その拍子に重たい眼鏡がずるりと落ち、バインダーで一段階入れて畳に落ちる。
「柚木さん視力が悪いわけじゃないのに、読み物中外さないんですか?」
落ちた眼鏡を回収し、傷がないか光に空かしていた柚木さんは溜息を吐いた。
「依頼の現場では出来る限りつけていないと、咄嗟の時につけるの忘れてしまうんです。早くバンドを買いに行きたかったんですが、何分、忙しくて……」
先日道具生命を全うした留め具のバンドは、それはもう無残に千切れ、だましだまし使うことすら出来ない有様だった。躊躇いもなく捨てていたが、後任を任命する時間を取れなかったのが敗因である。
本当に、怒濤の依頼だった。あっちの部屋で怪異が、こっちの家で怪異が、そっちの庭で怪異が、どっちの道で怪異が。
「忙しかったですもんねぇ……。そうだ。買いに行くとき私も一緒に行きたいです。そしたら、次は私だけでも買いに行けますし」
「あ、じゃあ、そのときこの前言ってた喫茶行きませんか? 店の近くなので」
「そうなんですか!? 行きましょう行きましょう!」
「俄然レポートする気力が湧いてきました。依頼も急いで片付けましょう」
今までは失せていたのか。レポート心と秋の空。やる気とは移ろいやすいものなのだ。
そう察し、そっと涙を拭いながら、彼の手元を覗き込む。
岸霧島(旧願切島)に関する逸話。そう書かれたタイトルの下にはいくつかの項目があった。先頭から三つ目、大変目を引くタイトルが・の印の後に続いている。
大男と七人の子ども。
絵本のタイトルにもなれそうな、何の捻りもない事実を述べただけのタイトルである。
「どんな内容ですか?」
自分で読んでもいいのだが、横着して説明を求める。柚木さんは嫌そうな顔一つせず、解説役を担ってくれた。
「そうですね。島は基本的に、罪人(仮)だけで構成された住人で回していたようです」
「罪人(仮)」
「真偽の程は定かではありませんので一応。時々送られてくる罪人(仮)で住人は増えつつ、なんとかやっていたようですが、あるとき酷い水不足に陥ったそうです。井戸を掘ろうにも罪人(仮)の中に、その手の技術を持った人間はおらず、また外部から呼ぶことも出来ない。途方に暮れた罪人(仮)達の元に、一隻の小舟が流れ着きました。すわ新たな罪人(仮)かと思いきや、それに乗っていたのが」
「大男と七人の子ども達!」
「正解です」
やったーと喜びたいところだが、他に答えなどない気がする。逆に他に答えがあったら、つけるタイトルを間違えていると思うのだ。
「子ども達は、一歳から七歳までだったと書かれています。大男は、自分達は罪人ではなく遭難したのだと言ったそうです。ですが、これも何かの縁だと、大男は井戸を掘った。するとその井戸からは溢れんばかりの水が溢れ出し、水不足は一気に解消されたそうです」
あら便利。
「その後も、男は飢饉や流行病など、様々な事象において住人達を助けました。しかしある時、今までの見返りに女性を一人求めました」
あら物騒。
「住人達は彼がこの島に定住してくれることを祈り、女性を差し出しました。嫁入りとは書かれていません。そして女性が男達の元へ行ってすぐに、七人の子どもに女児が一人増え、八人となったそうです。時々女性の姿もあったそうですが、その時は子どもの数も七人だったそうです」
あら怪奇。
「それから数年経ち、男は再び住人の中から一人を要求しました。その時は、首も据わらぬ生まれたばかりの赤子です。男達の元へ捧げられた赤子は次の日、七人の子ども達に混ざって花いちもんめをしていたと書かれています。赤子が捧げられたその日、死体となった女性が家に帰されたそうで、あ、梓さん。廊下は見ないでください。子どもがいます」
あら恐怖。
「うぁああ――……」
あら恐怖じゃない、あら恐怖じゃ! 大変な恐怖だ!
さらりと告げられた緊急事態に、喉奥から変な唸り声が出てしまった。苛立ちと恐怖がない交ぜになった、よく分からない悲鳴である。
可愛らしい声を上げられたらよかったのだけど、何故か廊下からきゃあきゃあと子ども特有の甲高い可愛らしい声がしているので、私が担わなくても全く問題なかった。
間違っても廊下を見ないよう背を向け、手元の資料に視線を固定する。
「出現頻度高くないですか!?」
「高いですね。ぽち、追うなよ」
腕を捲ってぽち君を出した柚木さんは、もう廊下への興味をなくして次なる資料を探していた。ぽち君は廊下へ向けて唸っているので、私からは姿が見えない。ただ、私の背中に、警戒を現わしてゆらゆら揺れる尻尾が当たっている。
一気に幸せになった。
「これ、家の中でやらないほうがよかったんじゃないですか!?」
「雨が降りそうだったので」
「うぅん……」
なら仕方ない。流石柚木さんだ。私は空なんてちっとも見ていなかった。
背後ではぱたぱたどたばた、きゃあきゃあきゃらきゃらきぃー! 様々な音と声が乱雑に、それこそ縦横無尽に走り回っている。背中を向けるのも怖いが、背中にはぽち君がいてくれるのでなんとか耐えられた。
「胃が痛くなりそう……」
「カレーが効きましたね」
「それもあります……」
「ところでその子ども達なんですが」
「凄いさらっと怖い話題に戻してくる!」
「すみません。僕、早く帰りたいんです」
「いや、私も長居したいって訳じゃないんですけどね!?」
「気が合いますね」
「ここで気が合わない人稀すぎると思いません?」
すっと冷静になる。柚木さんは全く意識していないのだろうが、彼の通常運転は、私の平常心に大変な貢献してくれるのだ。良くも悪くも。
そんな私を気にせず、柚木さんは手元の資料ではなく、その隣で開いていたもう一つの資料手を手に取った。どうやら、そっちにはもっと詳しい情報が載っているようだ。
「その子ども達は、何年経っても成長しなかったそうです。大男も年を取った様子はなく、島に流れ着いた当時のままだったと書かれています。どうやら、最初から人ではない、または人から外れた後の存在だったようです。その後も定期的に一人の生け贄を徴収しているようですが、一回の被害が一人なので、そこまで大事にはならなかったのでしょう。生け贄じゃなくても人はよく死にますから。生け贄を取る以外では、住人達の生活を助けていますし。一人くらいで被害が収まり、尚且つ利益までついてくる。現状を変えようとする人間は、おおっぴらには出てこないでしょうね。そのうち、捧げられる人間は住人自らが選定するようになったらしいですし」
最小限の被害で、大きな利益が手に入る。それも集落の明暗に関わる事柄なら、多少の被害に目を瞑りもするだろう。しかし、それらは全て、損得勘定の単位が人の命でなければの話だ。
どんな理由があろうと、人の命をそれで測ってはならない。人の世界で、人として生きるのなら、それは絶対だ。
合理性を盾にどんな屁理屈を並べようが、それを正しきものとして肯定するのならば、人の世界から弾かれても文句は言えない。
損得勘定で人の命を量ってはならない。どれだけ綺麗事だと馬鹿にしても、夢物語だと罵っても、それが超えてはならぬ一線であることに変わりはないのだ。
「その状態は百年以上続いたようです。しかし、段々要求される期間が短くなり、住人達は途方に暮れた。数年に一人だった生け贄が毎年に、半年に一度に、終いには一月に一度になった。贄に選ばれるのはほとんどが女子ども。一人ずつといっても、そんな短期間で奪われれば、やがて集落自体が滅びる。住人は途方に暮れましたが、やがて転機が訪れました。一人が山で死んだようです。沢に落ちたらしいんですが、そうすれば残りの七人も次から次へと同じ沢へと飛び込み、皆死んだと書かれています。その後、祟りを恐れた住人達により沢に墓が作られた」
おしまい、と、締められそうなお話である。だが、それで終わらないから、私達はいまここにいるのだ。
「事態は収束したかに見えたが、その十年後、一人の子どもが姿を消した。子どもは、七人の子どもと山で花いちもんめをしている姿が山狩りをした大人に目撃されています。その後も、二、三十年に一度、誰かが消えたようです。消える度、前回消えた人間が死体で帰ってくる……成程。死体が返されるくだりは珍しい気もしますが、概ねとしてよくある話ですね」
よくはない。よくはない。よくはない。
よくあって堪るか。
ふるふると小刻みに首を振るも、資料に集中している柚木さんはこっちを見ていない。背後ではまだ子ども達が走り回る声がする。ぽち君が唸る声もする。幸せだ。ゆらゆら揺らされている尻尾がふさふさ当たって幸せだ。時々、その固く真っ直ぐな毛がパーカーの生地を貫いて刺さってくるが、誰が何と言おうが幸せである。
私が幸せに浸っている間も、柚木さんは黙々と資料を読み込んでいた。やがて、小さく溜息を吐く。
「よく調べてあります。八人の墓がある場所、死んだとされる場所。被害者家族または子孫への聞き取り調査もしっかりしてある。……ここまで調べたのなら、生け贄をこちらから差し出す術も見つけたんでしょうね。ですが、僕の依頼が失敗するのを確認してから実行してほしかったです」
「どんな理由があっても実行してほしくはないですけど……でも、もうそれしかないって思っちゃったら、一直線になっちゃうんでしょうね」
追い詰められた人間は何をするか分からない。そして、長年停滞した人間もまた同様に。
大切な人を突如奪われ、その生を諦めるには充分な情報だけが集まり、その死を認めるのに充分な時間が経った。絶望だけが降り注ぐ時間が、深々と、時に雪崩れ込むように積み重なり続ける日々は、どんな色をしていたのだろう。
停滞した人間は、終わりを望む。終わりが絶望と共にあろうと、破滅であろうと、何も変わらない現状を打破できるならそれでいいと、やけにも自殺願望にも似た衝動で、終わりを手繰り寄せようとする。
寬枝さんは、きっともう死んでいる。それを思い知る為に、彼は柚木さんを呼んだのだ。
ずり落ちてきた眼鏡をまるで意識していない様子で、流れるように装着し直した柚木さんは、呼んでいた資料を閉じて次の資料へと向かう。
「そうですね。この資料を迎えの車に堂々と積んでいた時点で、悪事に向いていない気がします。気付かれてもいいと思っていたのか、気付いてほしかったのか分かりませんが」
「そうですね……全然気付きませんでしたけど!」
「人の荷物を一々詮索するのもどうかと思いますしね。そっちは何かありましたか?」
視線と一緒に問われ、私はさっきまで呼んでいた冊子に意識を戻した。シオリなんてものはないので、指を挟んで維持していたページを開く。
「これ、木賀矢さんがメモ帳と簡単な日記に使ってたみたいなんですけど……ここ、どういう意味だと思います?」
私の手元を覗き込んできた柚木さんに見えやすいように、向きとページの角度を整える。綺麗と雑が綯い交ぜになった少し癖のある字は、けれど輪郭がしっかりしているからかとても読みやすい。
その字で紡がれた分を、人差し指でなぞりながら示す。
『あの伝承を見つけてから、この島の住人達は、寬枝を生け贄にするつもりで呼んだのではないかと、私は疑心暗鬼になってしまった。彼らは慣れぬ生活を送る私達に、とてもよくしてくれたのに。寬枝を失い、生活すらままならなくなった私を気遣って食料を届けてくれた飛浦さんにも、失礼な態度を取ってしまった。そんな私に、彼は土下座した。私がさせてしまったのだろう。飛浦さんは、島民達は水質が変わって魚が捕れなくなったことを本当に悩んでいたと、額を擦りつけながら言った。島民達は決して、寬枝を生け贄にするつもりではなかったと。だから、ここは、この家は、島で一番安全な場所だったのだとも』
「ん?」
「でしょう?」
私が気になった同じ場所で不思議そうに首を傾げた柚木さんに同意する。
私が開いていた冊子をそのまま渡せば、柚木さんは眼鏡を押さえながら読み始めた。その隣で私も文字を追う。背後からは、ぽち君の唸り声の向こうで、子ども達が騒いでいる声がする。相変わらず元気だ。
「どう考えてもこの家、島で一番幽霊警報発令中な家だと思うんですけど」
「そうですね……梓さん、そっちに日記ありました? 僕の方だと一冊だけしかなくて。補足がないか探したいです。こっちのをざっと見た感じ、どうも日記をまとめのように使用していたようなんです」
「こっちの段ボール、後はプリントばっかなので、あるとしたらそっちの段ボールだと思うんですけど」
あっちだそっちだこっちだどっちだ。
二人で段ボールを指さしているのは、中を探すのが面倒だからである。しかし、ずっとこうしているわけにもいかない。
覚悟を決めて段ボールへ向かおうとした四つん這いの私を、「そういえば」と柚木さんが止めた。無意識に振り向こうとした私の頭を、柚木さんが後ろから鷲掴みにした。
「そのまま見ると、奴らが運動会している廊下が見えますが大丈夫ですか?」
「全く大丈夫じゃございませんありがとうございますすみません!」
危なかったと胸を撫で下ろし、車庫入れのようにバックで元の位置へと戻る。私と一緒に、どうやら身を乗り出していたらしい柚木さんも、浮かせていた腰を落ちつかせていく。
九死に一生を得て視線を向けた柚木さんは、さっき彼が読んだ資料から一冊のノートを引っ張り出した。
「日記を探すまでもありませんでした。ここ、生け贄を探して家の周りをうろうろする霊についての記載があったんですが」
「既に読みたくない情報が満載ですね!」
「頑張ってください」
「はい……」
柚木さんは全く抵抗ないようなので、一緒に頑張りましょうじゃないところがみそだ。
しくしくする心と胃を押さえ、指で示された場所を読んでいく。
子ども達は夜間家の周りを走り回り、目が合った者を連れていく。
物騒すぎる。
対象は女子どもが多いが、稀に男もある。
節操がなさ過ぎる。
大男は丁度二階の窓に頭がくる為、二階は作るべからず。
怖すぎる。
夜間は絶対に窓の外を見るべからず。
当然である。
万が一家屋内に出没した場合、部屋の中に逃げ込むべし。
入ってくるの!?
心が悲鳴を上げる。しかし万が一という言葉に安堵しかけ、すぐに霧散した。いまこの家、万が一なんてレベルではない頻度で怪異が出没しているのだが。きっと私の知っている万が一とは違う万が一が存在するのだろう。
「というわけです」
「何が!?」
自分の勉強不足をしみじみ痛感していると、話が終わっていた。不思議そうな顔を返された。
「私は自分の理解力不足を痛感するのに忙しいので、是非説明をお願いします……」
めそめそする心と胃を押さえお願いすると、柚木さんは「はぁ」と気の抜けた声を淡々と出した。器用な人である。
そして彼の眼鏡はずり落ちた。




