22怪
夕飯は、実家でもアパートでもお世話になっている、湯がき仕込みの乾燥スパゲティ・トマトバジルレトルトソースあえ・ペットボトルの緑茶を添えて、だ。
ミートソースよりさらりと食べられるので気に入っている。しかしミートソースも好きだ。和風もペペロンチーノもクリーム系も好きだ。つまりは、何でも好きである。
二人前と書かれている見慣れたパッケージを横にし、対角線上の二角を摘まんで傾けていく。茹で上がった麺がくっついてしまう前に手早くかけなければならない。
いろいろ均一になるよう、二つの皿へ交互に分けて入れていく。底に沈んでいた具が平等になるよう入れ終わると、袋を縦に三折りして絞る。更に底の部分から細かく折り込みながら絞りきった。
最終的には掌の中央にちょこんと収まる大きさにまで袋を折り畳む。最後までしっかり入れ切った出来映えに満足しながら、台所へ向けて声を張り上げる。
「柚木さーん、食べましょー!」
「はーい」
離れた距離に届かせるための大声で少し間延びした返答後、廊下の軋む音が近づいてきた。部屋の前に辿り着いた音と磨りガラス越しに見える影は、一度動きを止めることなく流れるように扉を開けて部屋へ入ってくる。
スパゲティとソースを茹でていた鍋を洗っていた柚木さんだ。柚木さんは捲っていた袖を下ろし、ペットボトルを並べている私の向かいに座った。
「いただきまーす!」
「いただきます」
あんなことがあろうとお腹は空くのだ。あんなことがある前から空いていたので当然である。
流石に一人で台所に立つ勇気は出なかったし、柚木さんからもそれはやめたほうがいいと言われたので部屋での盛り付け担当となったが、その役目はきっちり果たした。
ソースたっぷりで美味しい。ちなみに、フォークはなかったので何本か入っていた紙袋入りの割り箸を使用した。
「岸霧島、もとい願切島。何でも、元々ここは流刑地だったそうです」
「流刑地? あの、罪人を流すっていう?」
「そうですね」
その昔、罪人を都や人里から遙か遠くへ追放する罰があった。追放先は周りを海に囲まれて逃げられないという理由で島が多く、島流しともいった。
そんな歴史がある場所なのかと感心しながら、割り箸から逃亡を図った麺を追いかける。
「ただしここは、奉行所などの公的な機関が罪を確定して送っていた地、というより、この辺りの集落の人間が、私刑に使っていたようです」
「死罪、って、こと、ですか?」
「死罪の死刑ではなく、わたくし刑の私刑です」
「あ、成程。……それはそれで怖い気がしますが」
私刑は、手軽で無責任で曖昧だ。証拠がなくとも感情と人数が揃えば、罪人を確定させてしまえるからだ。しかも、冤罪だった場合でも誰も責任を取らない。
「そうですね。この島に流されると、それは人生が終了すると同義だった。全ての願いが潰える。だから、願切島、だったようです」
「はぁー……地名って歴史がありますよね」
「そうですね。昨今の統合と改名の流れは、あまり宜しくないと思います」
かつてこの島に流された人達は、どんな思いで残りの人生を生きたのだろう。本当に罪を犯したのか。はたまた、冤罪だったのか。
今は普通に人々が暮らしているのだから、勿論流刑地などでは無くなっている。いまこの島に住んでいる人々は、かつてこの島に流された人々の子孫なのか、それとも開かれてから移住してきた人々なのか。私には分からなかった。
そして柚木さんにも分からないらしい。
この島出身だと知られれば、島を出た後もその名がついて回り、迫害を受ける。だから、流刑地ではなくなった後でも、島を出た人間は口を閉ざした。そうすれば、この島から近い位置にある集落の人間も、島出身の人間が混ざっているのではと迫害を受け始めた。
元より、島流しにはならずとも、邪魔者扱いされた人間がこの島に近い場所へ追いやられた事例もあったのだそうだ。
その人々は、記録を残すより忘れられることを望んだのかもしれない。この島の名も、在り方も、いつか時の流れに追いやられてくれたなら、迫害を受けずに済むのだと。
それほどに、資料が残っていなかったと、柚木さんは言った。
何となく会話が途切れ、箸に挟んだスパゲティを啜り、咀嚼する。ぽち君は柚木さんの腕の中ハウスに収まっているので、その姿はない。その形が砕けて以来、長くは出ていられないのだそうだ。
副菜がないのであっという間に食べ終わった。野菜が取れていない分は、先日分までの貯蓄と、明日の自分に期待しよう。
明日の私さん、サラダと煮物とお鍋と野菜炒めとおひたしと揚げびたしと、その他諸々食べたい物が満載なのでよろしくお願いします。肉も魚も野菜も果物も、嫌いなものがないので毎日楽しい。
夕飯を食べ、後片付けを済ませ、おやつを食べてしまえばやることがなくなった。時刻はいつの間にか九時になろうとしている。この家にテレビはない。ちなみに私の部屋にもテレビはないので特に苦ではない。
スマホを軽く確認した私達は、短い協議の結果、満場一致で頷き合った。
やることがないなら、明日に備えて寝よう。これ一択である。
かくして、塾に行っている小学生より余程早い時間に就寝することが決定した。朝が早かったので、既に眠たくなってきていたのだ。
布団が用意されていた開き戸の部屋は、柚木さんにより却下された。いわく、何かが侵入してきたとき、分かりづらいとのことだ。
怪異は、律儀に扉や窓といった人間も出入り可能な部分から現れることが多い。人だった頃の名残と、本来扉や窓は、家の外である外界との出入り口及び接触部に当たる。
そういう物として作られ、そういう物として認識されている。
数多の人間に、長い歴史上そう認識されて続けてきた。その概念が適応され、家や部屋は結界として作用するとのことだ。
正直、「任せてくれ! 柚木さんが何を言っているのかさっぱり分からないぜ!」といったところだが、外で怪異と出くわした場合、逃げ切れなかったら外にいるより何かに区切られた場所、つまり建物内かそれが駄目でもせめて敷地内に逃げたほうがいいらしいとは、かろうじて分かった。
ここは既に家の中に侵入された経歴があるが、部屋に入ってくる際には扉側で何らかのアクションがあると仮定される。だから、ドアノブを回すだけですぅっと入ってこられる部屋ではなく、開く際にからからと音が鳴る引き戸の方がよいという判断のようだ。
「でも、その場自体が怪異の呼び口またはきっかけとなっている場合は道路の方が安全です」
「呼び口、ですか?」
「はい。家の中であろうが、そこが怪異の巣である、怪異を閉じ込めてある、通り道である、怪異をその場に呼びだしたまたは発生地点だった、等ですね」
「最悪ですね」
どれだけ私が怪異についての素人であろうと、怪異のスタート地点に引き籠もろうとは思わない。
専門家である柚木さんから教えてもらう怪異への対処知識は、自分では考えもつかなかったであろう方法だったり、そりゃそうだと思う方法だったりする。
しかし、事前に意識しているのとしていないのとではだいぶ違う。
いざというとき、混乱した頭はろくな対処法を叩き出してくれないのだ。他にも注意点はあるのかと教えを請う。柚木さんは基本的に、理解力が乏しく把握までに時間がかかっても鬱陶しがったり面倒臭がったりしない。いつだって丁寧に質問に答えてくれるので安心して聞くことができた。
「ちなみに道路に逃げる際、一番大切なのは」
「一番大切なのはっ」
「車に気をつけて、左右確認は怠らず、捕まる寸前でなければ横断歩道は青になってから渡りましょう」
「ですよね」
交通ルールは大事だ。
畳の部屋に持ってきた布団を、頭と片側方向が壁になる位置へ敷く。入り口へは足を向ける形になる。その隣に柚木さんが布団を敷いた。柚木さんのほうが窓側と入り口側、両方を占めてしまう。せめてどちらかは私が担当したいが、どうやら狙われているのは私のようなので柚木さんがどちら側も買って出てくれたのだ。
何故上陸半日の私が、初日から狙われなくてはならないのだろうか。悲しい。
それはともかく怖いといえば当然怖いので、柚木さんの布団を心持ち多目にこっちに引っ張り、端を私の布団に重ねる。
……これはこれで段差が出来て、咄嗟に転がり込めないなと悩む。だがちょっとでも近くにいてもらったほうが安心精神が勝った。
布団に正座したまま、深々と頭を下げる。
「面倒かけてすみません」
「いえ、当然のことです」
「柚木さん!」
申し訳なさは募るが、きっぱりと言い切った柚木さんに私は感動した。
「このご時世にこれだけ怪しげな仕事をしている万年人手不足な当事務所でバイトをしてくれ、真面目で誠実に働いてくれ、他に選択肢がないとはいえどう考えても怪しいこの家で眠ることに文句一つ言わないでいてくれる従業員を守るのは雇用主として当然の行いです。梓さんを逃すと後続のバイトを雇える気がしません。そして事務所が回らなくなりますので全力で守ります。友達ですし」
「省いて! 前半、というか最後以外の大部分をごっそり省いて! 心の内に秘めて!」
何故だろう。感動が霧散した。
不思議だな。泣いてなどいない。だって私達は友達……友達の、はずだ。
今日の疲れがどっとのし掛かってきて、もそもそ布団に潜る。
「この部屋、電気どうします? 柚木さん、寝るときの灯りは全部消す派ですよね?」
「梓さんもですよね。でも、一応つけておきましょう」
「一応?」
「消されるときは電源関係なく消されるので、意味がない可能性もあります。恐らく気休めにしかなりませんが、視界が明瞭に越したことはないので」
「おぉう……」
ちっとも安心できない決定で、一応電気はつけて眠ることになった。
今日はほとんど移動だけで、怪異解決のためには何もしていないのにいろいろあった。朝はとても早く、森の中での出来事は思い出そうとするだけで震え上がり、人生で初めて船に乗り、人生で初めて恐怖の花いちもんめに遭遇し、畳の上で盛大にすっころんだ。
ちょっとありすぎではないだろうか。疲れて当然だ。もう眠い。
この家が恐ろしい気持ちは確かにあるが、柚木さんは隣にいてくれるし、その腕にはぽち君がいる。
今日は本当に疲れた。布団に入っただけで、肩にのし掛かっていた疲れが身体中に流れていく。手足の先まで行き渡った疲れは睡魔を発生させ、身体中に浸透する。目を閉じたらすぐにでも眠ってしまいそうだ。
「梓さん」
「はい……」
「今日はお疲れ様でした。おやすみなさい」
「柚木さんこそお疲れ様でした。おやすみなさい……」
自分の物ではない布団は、慣れない感触と知らないにおいがした。




