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火六事務所へようこそ  作者: 守野伊音
二章 はじめての孤島編
20/31

20怪






 素っ裸を、ジャージとブラトップキャミにTシャツという簡易包装で包む。気持ちは無料包装だ。仕事では動きやすさが第一である。

 ちなみに張り切ってお洒落する際は有料包装だ。

 仕事では常に寝起きでも外に走り出していける格好が望ましい。しかし、ジャージと一口に言ってもいろいろ種類がある。スタイリッシュな物から、可愛らしい物まで様々だ。

 そんな中、高校のジャージをチョイスしてしまう私にお洒落は期待しないでいただきたい。唯一の救いは、柚木さんも高校のジャージを着てくることである。

 芋ジャージ、二人で着れば怖くない。

 しかし、怖くはないが悲しい点として、私も柚木さんも出身校が違うのに二人とも芋ジャージであったことと、それを着用して外に飛び出していった場合、何かしら切なさを感じるのは私だけであって柚木さんは特に何とも思っていない二点が上げられる。



「柚木さーん、お風呂お先いただきましたー」


 ぽち君を連れて廊下に出る。爪と廊下が擦れ合うちゃかちゃかした音に、私の体重を乗せて軋む板の音が混ざり込む。

 廊下はバキバキと乾いた音では鳴らず、みしりみしりとどこか湿った音を響かせる。もしこの廊下が割れるときは、ぱっくり口を開けるのではなく、上に立っている人間ごと沈めていきそうな、そんな光景を思わせる音だ。


 全部屋灯りをつけたままにしているので廊下は明るい。しかし、全部屋を回ったから分かったことだが、なんとこの家、廊下に光源がない。電球をつけていないのではない。つける場所がまず存在しないのだ。

 他の部屋から光源をもらうからいいのだといわんばかりの怠惰仕様である。

 玄関から一直線に続く廊下を基盤とし、左右に部屋をくっつけている構成だというのに、廊下に灯りがない。

 廊下さえ明るければなんとでもなるというのに、廊下にはないとはこれ如何に。


「ゆーきーさぁ――ん」


 脱衣所を出てすぐに声を出して呼びかけているのは、黙っていたらなんとなく怖いからである。ぽち君がいなければ、廊下に出るのも憚られただろう。

 いくら他人の家で、古い造りの家で、ここが怪異により人が消えた可能性を持つ島で、島に着いた途端幽霊と思わしき子ども達による恐怖の花いちもんめを見てしまい、家の中が薄暗かろうと、普段の私はここまで怖がりではない。

 しかし、この家、なんだかちょっと怖いのだ……家の恐怖云々かんぬんもそうだが、怖がる自分が特に問題ないくらいにはしっかり恐怖要素が揃っているなと今更気が付いた。

 ならば家が怖いわけではなく、ただ連鎖した恐怖が積み重なって持ち越されただけなのかもしれない。

 よかった、私は怖がりではない。


 びくびくしながら廊下を進み、ついには玄関に到達してしまった。

 私は玄関へ背を向け、他の部屋から漏れ出た灯りだけを光源とした廊下を見て途方に暮れた。足下できちんとお座りしたぽち君も、心なしか途方に暮れているように見える。

 だって、私の足の甲に座っているのだ。大変可愛らしい。幸せだ。風呂上がりの素足にチクチクとした感触が刺さるが、幸せが勝ってそんなのどうでもよくなる。

 まあ、ぽち君は途方に暮れたのではなく、どっこいしょとお尻を落とした場所に私の足があっただけのことだと分かってはいるのだが。

 ただし、横着をして座ったまま背後を振り向き、私の顔と自分のお尻がある位置を確認した後、ふうんと溜息とも欠伸ともつかぬ息を吐き出したきり動かないので、私の足は腰掛けとして認めてもらえたこということだ。幸せであることに変わりはない。


「ゆきさーん?」


 廊下へ沿うように部屋が配置されている家だ。どこの部屋にいようが、私の声に気付かないということはないだろう。

 どこかへ出かけてしまったのだろうか。だったら何かしら連絡を入れてくれているはずだ。

 そういえば、島に着いてから一度もスマホを見ていない。柚木さんから連絡がないか確認しよう。そうは決めても、足が幸せすぎて動けない。


「はい」

「うおわぁ!?」


 幸せな途方に暮れた私は、突然開かれた玄関の音と、一緒にかけられた声に飛び上がった。

 その勢いにつられたのか、ご主人様の帰還によりテンションが上がったのが、ぽち君も立ち上がったので私の幸せなひとときは呆気なく終わりを告げた。

 その代わりに当初の目的は達成できたので、悲しみは少ない。


「すみません。外にいたので」

「そうだったんですか、びっくりした……お風呂お先いただきましたけど、何かあったんですか?」


 脱いだ靴を揃えるため、腰掛けて深く屈んだ柚木さんの旋毛に話しかける。柚木さんは男性にしては線が細く小柄だが、なんだかんだと私よりは背が高いので屈んだときしか旋毛は見えない。

 しかし、屈んだりしゃがんだり階段の下を歩いたり、座って鍋を食べていたり隣で寝ていたりするので、結構な頻度で見る機会は多い。


「番地を確認していました」

「番地、ですか?」

「はい。僕もお風呂行ってきますので、読むのならどうぞ」


 ぽんっと渡されたのは柚木さんのスマホだ。落とさないよう慌てて両手で持ち直す。画面は消えて真っ黒だが、何故か私は柚木さんのロックナンバーを知っているので問題はない。それは、問題ないのだが、別の面では多いに問題である。


「柚木さぁん」

「はい?」


 玄関入ってすぐ、左手の部屋に置いた鞄から荷を取り出し、風呂支度を整えていた柚木さんは、情けない声を出した私を振り向いた。


「いつも思うんですけど、ぽんぽんスマホ渡すと危ないですよ。ロックナンバーも簡単に教えちゃうし。私が悪事を働く極悪人だったらどうするんですか。柚木さん、ちょっと浮世離れした雰囲気があるように思います」

「そうですか?」

「はい。なんか、仙人みたいです」

「仙人……」


 珍しく柚木さんの声がしょげた。しかし表情は変わらない。


「見られて困るものが特にない事と、人を選んでいるつもりなので大丈夫だと思っています、が……僕、浮世離れしていますか?」

「テンポが独特だなぁってよく思います」

「梓さんに言われたくないなと思います」

「えぇ……」


 心外である。

 私はついこの間まで霊感なんて欠片も持っていなかった、極々普通の通行人Gなのに。……Aよりもっと雑多な名称にしようと思ってアルファベットを進めてはみたが、Gはやめておこう。気分が宜しくない。とても悲しい気持ちになる。

 そんな私に、柚木さんはちょっと幼い顔を向けた。純粋な疑問を持っているとき、柚木さんはこういう顔をする。動作もちょっと幼くなるのだ。本当にちょっとなのだけど、可愛いなと思っている。


「ちなみに、僕がそのスマホを梓さんに預けたとして、自分がどんな悪事を行うと想定しているんですか?」

「え!? 考えたことなかったですね……えぇー……勝手にアルバム見ちゃうとか?」

「この前の出張中、待ち時間が暇だったので一緒に見ましたね。梓さんのも見せてくれました」

「そうですね、柴犬パラダイスでしたね……。じゃあ、アルバムから勝手にぽち君の写真を私のスマホに送るとか……」

「この前送りましたが、まだ欲しい写真ありましたか?」

「ほぼ全ていただいたので今は多分ないです。いつか三郎太とぽち君のツーショット撮りたいです、けど……えぇー! 悪事って案外難しくないですか!?」


 意外とやることがないぞ。

 うんうん唸っている私の足を、何故かぽち君が舐めている。くすぐったい。そこ、さっき君が座った場所ですよ。


「ちなみに、梓さんの悪事の定義は何ですか?」

「定義!? えーと、……スマホに関しては、勝手に何かしちゃうことが悪事じゃないんですか?」

「成程」


 自分で言っていてぴんと来た。


「勝手に電話しちゃうとか!?」

「誰に?」

「え!? ……多分、電話帳に入っている中で私が知っている人、吾川さんしかいませんよね」


 吾川さんとは、知り合いの刑事さんだ。正確に言えば、柚木さんの知り合いの刑事さんである。

 私とは、仕事の関係上ちょくちょく会ったことがあるくらいの知り合いだ。柚木さんは仕事の関係上、警察の人と顔を合わせることが多かったようで、その流れで知り合ったと聞いている。

 確かに、依頼が幽霊に関することならば、どこかに死者がいるということだ。事件であれ事故であれ、警察は関わっているだろう。中には柚木さんのような人達を胡散臭いと毛嫌いする人もいるそうだが、おおっぴらにではなくともひっそり受け入れてくれる人が多いらしい。

 死体または思念が強く残りそうな事件に向き合うことが多い警察の人達は、柚木さんが取り扱っている関係の出来事を、なんとなく感じることがあるのだそうだ。


「流石に、刑事さんにいたずら電話する勇気はないです……もう後は、ズームした畳の目を無意味に連写してデータ圧迫するくらいしか」

「最後の最後に極悪な悪事が登場しましたね」


 柚木さんの悪事の定義が今一分からない。しかし、そう言われれば悪い気はしない。なんとなく胸を張る。私の足に再び座ったぽち君も、心なしか胸を張って得意げな顔をしているように見えた。

 私だって立派に悪事をこなせるので、スマホを渡す際はしっかり警戒していただきたいものだ。


「それ」


 荷物を持っていないほうの柚木さんの手が、私が握るスマホを指した。


「まさしくさっき言った吾川さんに送ってもらった資料が入っています」

「あ、了解です」


 なんだ。仕事の資料か。それは読まねばなるまい。

 すとんと納得した気持ちと一緒に、畳に座る。柚木さんは律儀に部屋の引き戸を閉めていった。磨りガラス越しに柚木さんが移動していく様子が見える。古い廊下が軋む音も徐々に遠ざかっていく。

 体育座りをしている私の膝をぽち君が軽く引っ掻くので足を開くと、その間に収まってお座りしてくれた。

 私から背中しか見えないけれど、幸せで思わず抱きつきそうになった。しかし、そんなことをしてしまえば大変迷惑そうな顔をして逃げていってしまうことは分かりきっているので、根性で堪える。

 そして、後ろからぽち君を抱きしめるように抱え、柚木さんのスマホを持ち上げた。

 ロックナンバーは5597。

 数字の由来は、その時の所持金だそうだ。一円玉が多くて心が折れそうだったと無表情で淡々と言われたときは冗談なのか本気なのか分からなかったが、十の位も一円玉に浸食されていたと聞き、本気だったと判断した。

 一円玉は適宜使っていってもらいたいが、小銭の多くは財布の中に溜め込んでしまう柚木さんのお父さんがお母さんに発覚して怒られることを恐れ、横流ししてきたものだそうだ。


 ジャージ越しにちくちく肌を刺してくるぽち君の毛に幸せを感じつつ、ロックナンバーを打ち込めばぱっと画面が変わる。

 現れたのは、アイコンが並ぶホーム画面ではなく、文字が連なるページだった。どうやら、資料を開いたまま画面を落としていたようだ。画面をスライドし、ページを最初に戻して読み始める。

 書類の最初には、木賀矢寬枝失踪事件と書かれていた。


 木賀矢寬枝(当時23) 昭和54年10月2日(火) 自宅にて失踪。


 そんな文面で始まるページには、一枚の写真があった。ウェーブがかかった髪をした、柔らかな笑顔を浮かべた女性。

 この人が寬枝さんなのか。失踪当時の写真なのか、少し前の物なのか。私には判断できない。けれど、彼女が笑顔を浮かべている相手はきっと依頼人である木賀矢亨さんなのだろうと分かった。だって、嬉しそうで少し照れくさそうな笑顔。デートなのかな。そんな雰囲気がある。


「カラーなんだね」


 四十年も前だから、当時は白黒写真なのかなと無意識に思っていたようで、少し驚いた。

 視線をぽち君へ向ける。話しかけられば、顎を天へ向ける形で私を見上げてくれた。そのまま私の顎をぺろりと舐め、一仕事終えたといわんばかりに息を吐く様が愛らしい。仕方がないなぁと相手をしてくれている様子を見ると、まるで私が子守りをされているようである。


 本島からの応援及び島民を含め、延べ三百人体勢で行われた大々的な捜索にもかかわらず、寬枝さんの行方は知れなかった。手がかりすら、見つけられなかったという。

 家族・夫婦仲良好、友人・知人共に揉め事なし。

 つらつらと続く、文字でしか知り得ない寬枝さんの情報。会って、一言でも交わせば得られる情報を、文字でしか得ることができなくなった人。

 穏やかで温厚。優しい人柄。周囲の人々がそう口を揃えて言う人。木賀矢さんが探し続ける人。四十年間、行方不明の人。

 胸にずしりと重い塊が落ちて、知らず強張っていた肩に気付いた。落ち込んでいるわけでも、疲れているわけでもない。けれど痛みに似た重さは、どうしたって募る。

 見知った誰かならかの人との思い出が、見知らぬ誰かならばあったかもしれない出会いが潰えた可能性が、胸を締めつける。

 私達は何だって失える。知っている存在も知らない存在も、何だって。だからこそ悲しいのだ。

 意識して身体の力を抜き、続きを読む。失踪当日の服装は、白のブラウスに、プリーツが入った薄紅色の長いスカート、を、つい最近、よく似た組み合わせの服を着ている少女を、見た気がする。


 うぅ――……。


 振動が私の身体を震わせた。音よりも振動が強い。耳よりも先に震えた空気を拾ったのだ。

 無意識に視線を落とす。私の足の間に座っているぽち君が、唸っている。

 私が気付いたからではないだろうが、私が視線を落とすと同時に四つ足で立ち上がり、ゆらゆら尻尾を揺らす。これは威嚇だ。口元が手繰り寄せられたように捲れ、唸り声と一緒に牙が剥き出しになっている。


「ぽち君? 何を」


 見てるの。

 そう続けようとした言葉は、引き戸が開く音によって止まった。








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