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火六事務所へようこそ  作者: 守野伊音
二章 はじめての孤島編
15/31

15怪





 柚木さんの荷物を取りに行くついでに朝食を買って始発に乗り、乗り継ぎに乗り継ぎを重ね駅弁を買い、ついでにおやつでもと寄ったコンビニで昨日話したフラグ……失礼、期間限定芋栗商品を見つけたのでそれも買い、食べながら窓の外の景色を指さして同じ話題を楽しみ、長時間揺られながら熟睡し、派手に揺れた衝撃で互いの頭をぶつけたことで凭れ合っていた事実に気付き、気付いたところで変わらずまた眠り。

 紆余曲折を経て目的の駅まで辿り着いた。


「柚木さん、柚木さーん。起きてくださーい。降りるのこの駅ですよね?」

「……あと、三日」

「延長時間豪快すぎません?」


 ここまでの経緯で仕事と思える箇所は早起きしかない。

 ほぼ楽しい休日である。




 幾つか手前では駅舎も広く、ほとんどの乗客がそこで降りていった。しかし乗ってくる人はほとんどおらず、私達のいる車両はほぼ空のまま進んだ。その後もぽつぽつ降りていくばかりで、トンネルを潜ってからは誰も降りなくなってしまった。

 この駅で降りるのは私と柚木さん二人だけだった。

 駅は無人で、先頭車両の運転士さんに乗車券を渡して降りる。列車が去ると、一気に生き物の気配が消え失せた。

 手入れが行き届いていないのだろう。掲示物は薄汚れ、端が黄ばんでよれている物が多い。何となく日付を見れば、五年以上前の物まであった。コンクリートの隙間から生えた雑草は好き放題伸び、私の腰の高さにまで到達している。

 列車停まった以外、この駅が稼働している証明がなく、特に気にせず駅から出て行く柚木さんがいなければ、降りる場所を間違えたのではと心配になるところだった。

 蜘蛛の巣に引っかかりぐるぐる巻きにされた獲物が垂れ下がり、白い蓑虫のようにぷらぷら揺れている駅舎を出る。山の中にぽつんとあるらしく、周囲は木に囲まれ道は一本しかなかった。その唯一の道も、奥へは通じておらず、駅の前で唐突に途切れている。

 駅舎があるスペースはかろうじて平らだが、木々はそれすらも覆い隠すように伸び、日の光が遮られた周囲は薄暗い。清涼感ある森の匂いはせず、じめじとした重苦しい葉の臭いが噎せ返るようだ。年中日が当たらない場所で湿り続ける苔を煮詰めたような濃い空気が充満している。


「うーん、お店があるような雰囲気じゃありませんね」

「そうですね。島には一応あるにはあるようですが、コンビニなんて便利な物は期待できませんので幾つか軽食は持ってきました」

「あ、私もです。あと、おやつも。後で分けっこしましょう!」


 駅舎から続く道にはかろうじてコンクリートが敷かれていたが、それらはひび割れ、やはり草が伸びている。道路はひび割れた箇所や端がぼろぼろと崩れ、小石と一緒に地面を滑らせる一要因となっていた。駅を見ても分かる通り、あまり人が利用していないようだ。

 道は田舎ではよく見る土との境目が曖昧な道は下り坂になっていた。先へと視線を向けても木々に埋もれて見通しはよくない。


「街灯が全然ないんですね。夜に通ると怖そう。まだ三時前なのに薄暗くて、既に怖いですし」

「そうですね。木の合間に結構いますから」

「え!?」


 さらりと怖さを倍増させる柚木さんの言葉に、慌てて周囲を見回した私の喉からは、なり損なった呼吸がひゅぅと掠れた音を立てた。

 いる。確かに。わんさか。

 木の陰をさっと何かが過った、ならよかったのに、しっかりばっちりそこにいる。木の陰どころか、木と交互に立っているほどだ。



 死霊がいた。

 木と、死霊と、木と、死霊と、木と、死霊と。

 数えるのも馬鹿馬鹿しいほどに。


 生きてはいない。それは分かる。

 人ではない。生気を喪いのっぺりとした肌をしたそれらは、コンビニで見た女のように首を長くしているわけでも、関節の動きを無視したひしゃげ方をしているわけでもない。身体に異常を来たしているわけではない状態でそこにいるのに、視界に入った瞬間身体中に鳥肌が走った。

 魂にまで届いた怖気は、私を命の底から凍らせる。

 人ではない。あれは、人ではない。相違点を逐一連ねることはできないけれど、生ある生き物とは明確な線が引かれた存在だと、私の生命としての本能が知っていた。

 点、点と、点々と、途切れず立つそれらに共通点はない。老若男女様々だ。ただ、服装は少し古いという特徴があった。着物が晴れ着としてではなく、普段着として着用されていた時代の格好も多い。洋服の姿をしている人もいたが、着物も洋服も、ファッションや歴史に詳しくない私が見ても時代の段落が見て取れた。

 腰の曲がった老人から、まだ到底歩けるとは思えぬ月齢の赤子まで、存在する全員が目玉が零れ落ちそうなほどこちらを凝視し、指さしていた。指さしている。全員が、私達の存在を認識し、視線と指を向けている。

 笑っていた。

 誰も彼もが、満面の笑みを浮かべている。目を飛び出さんばかりに見開きながら、大きく開けた口元だけが吊り上がったそれを、笑みと呼んでいいのかは分からないけれど。

 喉の奥まで見えそうなほど大きく口を開けているのに、音はまるで出ていない。それが余計に不気味だった。何か言葉が、感情の発露が音として飛び出していれば恐怖は募っただろうがまだ理解が進んだだろう。

 だが、何も伝わらない。こちらへ笑みを向けているのに、決して友好とは思えないそれらの意図を汲めない。恐怖の形が分からない。そのほうが余計に恐ろしい。

 駅から出たとき、ここに生き物の気配がしないと思った理由が、いま分かった。鳥の声も、虫の音も聞こえないのだ。これだけ人の形をしたものが並んでいるというのにここに生き物の気配は存在せず、それが尚更恐ろしかった。


「梓さん」


 静かにかけられた柚木さんの普段と何ら変わりない声に、肩が跳ね上がった。


「行きましょう」

「は、い」


 ずり落ちかけた眼鏡を押さえた彼の表情は、いつも通り無表情だ。特に何の変化もない。話し方も、顔色すら変わらない。そんな彼の様子に背を押され、竦んでしまった足を必死に動かす。私が歩みを再開したのを見届けて、柚木さんもすたすた歩き始めた。

 私達が歩くにつれて、それらも指と身体の向きを変える。視線はどこまでもついてくる。発せられない声が不気味さを際立たせていた。


「まだ島に到達していない段階でこれだけ集まっているとなると、退治は大がかりになるかもしれません。蟻を退治したければ一匹ずつ潰すのではなく巣を狙って一網打尽するように、これもそういった対処が必要となる可能性が高いです。これが今回の依頼内容に関係あればの話ですが。どちらにせよ今回は離島ということで買い物もままならないと思ったので、蟻の巣を駆除できる装備も一応揃えていますので大丈夫です」

「蟻の巣を……」


 柚木さんは怪異退治の内容を虫退治に例えることがままある。おかげで色々イメージしやすいが、それはそれでどうなんだろうと思わないでもない。


「栗ようかんと芋ようかんどっちがいいですか?」

「栗ようかんと……あ、分けっこの話ですか!?」


 さすがにこの状況下でおやつの話が継続されるとは思わなかった。


「足が震えるようでしたら手を引きますが、どうしますか?」

「この話題の真ん中におやつ挟むの独特の感性ですね! よろしくお願いします!」


 お手数をおかけしますといつの間にか冷え切っていた手を差し出せば、私より何倍もぽかぽかした手が触れ、躊躇なく握ってくれる。そのまま柚木さんがすたすた歩けば必然的に私も引っ張られて前へ進めた。

 周りを見なくていいように、柚木さんの背中を見つめる。彼が歩く度、動きに合わせて背負った荷物が揺れていた。

 速く歩いてこの場を去りたいのに、足が竦んでまるで速度が出なかったのでありがたい。自分の意思ではどうしようもなくかたかた小刻みに震える手を握っても、柚木さんは知らんぷりしてくれた。だが私は、どうしても知らんぷり出来ないことが一つある。


「……柚木さん、手が物凄く温かいんですが、もしかして眠たいんですか?」

「ご明察です。梓さんは眠くないんですか? 朝あんなに早かったのに凄いですね」

「眠いは眠いんですが、この状況下で睡魔を享受できないくらいには繊細な自負がありまして」

「僕も一歳くらいまでは怖がっていたそうです」

「繊細さかなぐり捨てるの早すぎません?」




 濃厚な潮の香りと共に視界が開けた。山のすぐ傍に海があったのだ。

 視界が開ければ閉ざされていた陽光も帰ってくる。まだ日傘が必要だったかなと後悔する強い日差しと、真夏ほどではないがじんわり肌を焼く熱が、そういえば今が昼間であったことを思い出させた。

 さっきまで歩いていた道は、まるで日暮れだった。街灯を欲してしまうくらいに。


 道自体はそこから更に下らなくてはならないようだ。突然現れた急勾配の階段が何段か折れ曲がった先には道路が見えた。車のすれ違いは少々厳しそうだが、左右にはきちんと白線が引かれていて、森の中を通っていた道のように端から崩れているような危うさは見られない。

 道路の先には集落が見えた。晴れた海を背景にしているはずなのに、どこか薄暗く見え、私達が出てきた森の中の気配をそのまま纏っている。それでも、森の中にいるよりずっとマシだ。

 目玉が零れ落ちそうなほど見開き、端が裂けてしまいそうなほど口を開けた人々は、きっと今でも私達を指さしている。背中に突き刺さる異様な気配がそれを語っていた。

 森を振り返る勇気は、なかった。









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