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火六事務所へようこそ  作者: 守野伊音
一章 はじめての事件簿編
12/31

12怪






「三日徹夜後とはいえ、大変、大変申し訳ありませんでした」

「こちらこそ、大変、大変、大っ変不名誉な勘違いを勃発させてしまい、誠に申し訳ありませんでした!」


 翌日、夕食を食べないまま眠りについた私と柚木さんがまずしたことが腹を鳴らしながらの土下座であったことは、二人だけの秘密である。

 世の中にはまだまだ私の知らないことが沢山あると知ったばかりだが、二人の初めての秘密が土下座になるだなんて、人生とは本当に何があるか分からないものである。

 必死な私と淡々とした柚木さんによる、台所IN土下座DE謝罪合戦はしばらく続いた。


 合戦の終了は、窓から上がった大きな音だった。

 閉めきったカーテンの向こうから、ばんっと何かが窓にぶつかった音がしたのだ。

 弾かれたように顔を上げた私は、酷く青ざめていただろう。

 だって、もう終わったと心の底から安堵したのに、あの音が、また、しかも朝から聞こえたのだ。動揺しないはずがない。昨日は怒りに震えたが、突然だとちょっと心の準備が出来ていないのである。

 真っ青になって小刻みに震える私に一言断って立ち上がった柚木さんは、特に何の躊躇いもなくカーテンを開いた。

 もっと私の心中を慮ってほしかったような、柚木さんまで脅えていたら本当にもうどうしようもないと絶望が襲ってくるような、複雑な気分である。

 そして、彼の眼鏡は度が入っていなかったのだなと、今はどうでもいい情報を知った。

 本当に不思議な目の為だけにかけていたようだ。何故なら、起きてから一度も眼鏡を探していないのである。テーブルの上にありますよと言おうと用意していた台詞は、謝罪合戦が終わった後も出番がないままだ。

 そんなことを頭の中でつらつら考えたのは、一種の現実逃避だったのかもしれない。


 夕食も食べず、気絶するように、柚木さんはまさしく気絶だ、眠った私達の朝は早かった。だから、カーテンの向こうの世界はまだ灼熱地獄を迎えてはいない。それでもそれなりの暑さは健在だと、既に晴れ渡った青空が知らせている。

 だが、それだけだ。

 ベランダには誰もいない。そんな当たり前のことに、目眩がするほど安堵した。

 いつの間にか指先一本に至るまで強ばっていた身体は、そんな急激な変化に耐えきれず、力が抜けると同時にどっと汗が噴き出す。

 そんな私を振り返ることなく、これまた何の躊躇いもなく窓を開けた柚木さんは、その場にしゃがみ込みベランダに手を伸ばした。


「これです」


 その手には、足をうごうご動かす茶色い物体。よく見ればゴキブリに似ている腹、掌に収まる平べったい身体、どこを見ているのか今一分からない目、じっじっと大絶叫へのカウントダウンを始めている声、長いのか短いのか今一よく分からない命。

 つまり、どこからどう見ても生きた蝉が摘ままれている。

 そして、何故、摘まんだまま、部屋に戻ってくるのか。

 夏らしい光を浴びて明るく輝く私の部屋には、私の悲鳴と蝉の金切り声が響き渡った。

 私の声量は蝉に大敗したことをここに記しておこうと思う。


「あと、梓さん。火六事務所にようこそ」

「今このタイミングでそれ言います!? あと、蝉が凄まじくやかましいです!」


 話している最中も、濁点がつきそうな勢いと声量でわめく蝉はちょっと存在感を主張しすぎである。


「梓さん」

「何ですか!? それと蝉早くぺっしてください! ぺっ!」


 何故持ったままなのか。この部屋はペット禁止なので、早いところ放逐していただきたい。外に。

 必死の形相で蝉の放逐を訴える私の要望はすぐに叶えられた。柚木さんの指から解放された蝉は、こんな所二度と来てやるものかと言わんばかりに一目散に飛び去っていく。

 彼(仮定)の言い分は至極真っ当である。ここは彼(過程)の同胞の死骸が沢山、文字通り山ほど積み重なっていた地獄のような場所だ。これに懲りたら、二度とこの領域には立ち入らない方が彼(仮定)のためである。そして何より私の精神安定のために。

 彼(仮定)を見送る眼に、朝日が染みる。私の部屋を朝日が照らす。そんな当たり前が失われていた日々を思うと苦い気持ちがこみ上げる。だけど今はそんなものは散らし、久しぶりとなるこの光景を堪能したい。

 真夏の日差しに熱される部屋にうんざりするのはきっとすぐだろう。だけど今はそれさえも楽しみだ。

 眼を細めて、取り戻した今まで失われていた日常を堪能している私に影が落ちた。


「今日、何か予定はありますか?」

「窓を開けられるようになったし、掃除しようかなって思ってます」


 うきうき告げた私は、何か違和感を覚えた。何にそんなものを覚えたのだと首を傾げ、ぴたりと動きを止める。淡々とした喋り方。無表情。それを一貫して貫き続けた柚木さんの口元が、僅かにだが綻んでいた。驚いた私の肩が掴まれた。


「そうですか。ですが残念ながら、掃除は諦めてください」

「はい?」


 柚木さんは、ポケットの中から何かを取り出した。それは、昨夜臨終したはずの履歴書だ。ゴミに成り果てる寸前というか、ほぼなっているというか。仮死状態の履歴書は丁寧に折り畳まれてポケットに収まっていたらしい。

 目が覚めるや否や飛び起き、即座に台所IN土下座DE謝罪合戦を開戦したというのに、一体いつ折り畳む暇があったのだろうと驚く。

 だが、問題はそこではない。重要なのは、何故いま、そんな貴重な笑みを浮かべてそれを取り出したのかである。


「梓さん」

「ひゃい」


 舌がうまく回らなかったが許してほしい。


「貴女は履歴書を出し、僕はそれを採用しました。今日から……いえ、昨日から貴女は火六事務所の従業員です。そんな貴女に朗報です」


「ひゃい」

「今日も昨夜肝試しに行った大学生関連の依頼が既に来ているため、仕事です」

「ひゃい」


 私の知っている朗報と、彼の知っている朗報はどうやら赤の他人のようだ。世の中には似た人が三人いるというが、朗報も似た他人が二人はいるようである。私は朗らかな報告である方が好きなので、彼の言う朗報とはちょっと分かり合えないだろう。

 だが、仕事は仕事。初バイトで初仕事。張り切る要素しかない。ここ最近私を苛んでいた憂いは全て吹っ飛んだ。ならば、ちょっと出鼻をくじかれたくらい何のことはなかった。

 両手を揃えて、ぺこりと頭を下げる。柚木さんもゆっくりと頭を下げた。


「初仕事、頑張りましょう。よろしくお願いします。末永く」

「こちらこそ、よろしくお願いします! ほどほどに」


 最後にぽろっと本音が出てしまったが、柚木さんはさらっと流してくれた。大人だと判断すべきか、聞かなかったフリをされたと判断すべきか。それに関しては大変悩ましいところだが、何はともあれ。


「朝ご飯、食べませんか?」


 腹が減っては戦はできぬ。古今東西、生きている限り絶対の決まり事。お腹が空いたら戦どころか掃除する気力も笑う元気だってなくなってしまう。

 そう太古の昔から、命が誕生した時から決まっているのである。

 ふんふん気合いを入れ、冷蔵庫と冷凍庫の中身を頭の中で検索していると、ふっと小さな吐息が聞こえた。今度こそ、私はぽかんとなった。だって、柚木さんが笑っていたのだ。気のせいかと思うような僅かなものではない。確実に、百人中九十九人が笑っていると答えるだろう笑みを浮かべている。

 ちなみに、否定する一人がいるとしたら柚木さん自身ではないだろうか。


「そうですね。梓さんさえよければ、事務所一階の喫茶店で食べませんか? 勿論、経費で」

「ご相伴にあずかります!」


 自らが出せる最大速度で挙手した私は、バイトの大変さより先に旨みを味わうこととなった。その後、働く苦労というものも、しっかりばっちりがっつり味わうことになるのだろうが、それはそれ、これはこれ。今は今なのである。


「あの喫茶店気になってたんです! 嬉しいです! 着替えてきますから待っててください! あ、このあと仕事ってことは動きやすい服装がいいですか? ジャージ……ジャージあったかな? 確か高校の時のが……学校名入ってるから、これ着てそと出るのは中々にチャレンジャー……」

「待つのは貴方ですし、ここは貴方の部屋なので着替えるのであれば僕が外に出ますし、動きやすい服装であれば必ずしもジャージである必要はありません。ですが出来れば長袖でお願いします」

「え? 私もぽち君を腕に入れる可能性があるんですか?」


 最初は異形と取っ組み合いになったとき痣になっては困るからと説明されていたが、今ではぽち君が入っている痣を隠すためだと知っている。だからそう問うたのに、柚木さんは何だか妙な顔になった。あまり変わらないが、眉と口がちょっとひん曲がっている。

 これはどういう感情の表れなのだろう。私にも柚木さんの瞳のような能力があれば彼が考えていることが分かったのだろうか。その瞳で見た表情もこれだったらどうしよう。どっちにしても何も分からない予感がひしひしとする。


「火六の家系でなければハウス代わりにはなれません。長袖は単に、肝試しが行われるような場所は基本的に廃墟や現在は使用されていない建物及び人の出入りがほとんどない場所であることがほとんどです。なので、怪我をしないように長袖長ズボンが推奨されます。山登りと一緒です。低い山でも長袖長ズボンが推奨されています。虫刺されや擦り傷、体温低下を防ぐためです」


 成程。それにしても、ぽち君のハウス代わりにはなれないのか。ちょっとわくわくしていただけにしょんぼりだ。


「そういえば結局ぽち君は何を食べるんですか?」


 昨日聞きそびれた答えを、せっかく思い出したついでに聞いてみる。火六さんは無言で自分の袖をまくり上げた。そこには真っ黒い痣が広がっている。昨日も見たが、明るい日の下で見るとちょっとだけびっくりしてしまう。まあそのうち慣れるだろうとまじまじ見つめる。これはぽち君から直接聞けと言うことだろうか。そう思い口を開いた私より、柚木さんの一言の方が早かった。


「よし」


 一言の指示で痣が蠢き、一斉に飛び出した。


「わっ!?」


 いつの間にか頭上に出来ていた蚊柱のように、黒い靄が飛びながら集合している。不思議と音はない。これでぶんぶん鳴っていたらちょっと慣れるまで時間が必要だったかもしれない。

 やがて靄柱は一つ一つが大きくなるにつれて床へと下りていく。最終的に一つの塊となるのと床に着くのは同時だった。

 ぱふっと柔い空気が抜けた音がして、目を見張る。

 そこに現れたのは、赤毛の柴犬だった。

  左にくるりと一回転半した尻尾、四つ足の先に靴下を履いたかのような白、アーモンドのように涼しげな瞳、濡れた鼻、真っ白な胸元に鬣のように一部もさっとした背中。丸まったままの尻尾をくりくりと自分で動かし、その尻尾を追って一回転した彼は(正しく彼だった)、ここがいつもの事務所ではないと気づいたのだろう。

 ちゃかちゃかと爪を鳴らし、フローリングの床を闊歩する。


「ぁ、ああ……」


 堪えられず、思わずしゃがみ込む。


「梓さん?」


 不思議そうな柚木さんに呼ばれ、がばりと視線を上げた。


「かっわいい! 柴! 柴だ! 可愛い! ぽち! 正統派!」


 もう駄目だ。テンションが壊れた。だって、ぽちだ。柴犬で、ぽちだ。可愛くないわけがない。


「ぽちくーん、おはようー。こっち、こっち来て……こっち、こっち見た! あ、可愛い……待って、可愛い、嘘、こっち来た。柚木さん、ぽち君こっち来た……」


 ふんふんと鼻を鳴らしている彼の前に両掌を差し出す。彼は濡れた鼻をぺとりと私の掌につけても気にせず、丹念に匂いを嗅いでいる。

 すまないっ、おやつは持っていないんだ。不甲斐ない女でどうか許してほしい。本当にすまない!

 私が何も持っていないことを確認したぽち君は、ふんっと一際大きな鼻息、そしてはっと口から吐き出した息を置き土産に、興味を部屋へと戻した。


「長時間は難しいですが、短時間であれば元の姿を取れるので、その間に普通の犬と同じ食事を取らせることが可能なんです」

「そうなんですか可愛い。ぽち君が柴犬だったなんて早く言ってくださいよ可愛い。私も実家で柴犬飼っておりまして名前は三郎太と申しましていつかぽち君とツーショットを撮らせて頂けましたらと可愛い」


 ちゃっちゃっと爪の音を鳴らして部屋を確認していくぽち君の視界に入る前に、ボールペンや髪留めなど飲み込めてしまう大きさの物は回収していく。その間も心はぽち君に夢中だ。見れば見るほど三郎太に会いたくなってきた。

 蚊の羽音にびびって腰を抜かす三郎太。自分でおしっこをかけて揺れた草にびびっておしっこを撒き散らしながら駆け寄ってきた三郎太。野良猫と遭遇し、威嚇する野良猫を前にへっぴり腰で逃げられなくなり……立ち向かい、間に落ちてきた蝉の抜け殻に双方脱兎の如く逃げ出し審判の私だけ取り残された三郎太。くしゃみして垂れた鼻水をいそいそ私のズボンで拭いて何事もなかったかのように立ち去った三郎太。呼んでも来ないのにヨーグルトの蓋を開けただけで気がつけば背後でお座りしている三郎太。格好いい思い出皆無だな三郎太。しかし全部問答無用で可愛いな三郎太。


「…………柚木さん」

「駄目です」

「まだ何も言ってません!」

「帰省は待ってください僕が死にます」


 珍しく早口で言い切られ、がっくり項垂れる。よく分かったなと感心もしたが。

 ベランダの男が実家にもついてきたらと思うと恐ろしくて、帰省なんてできなかった。ついてくるだけならまだしも、もしも実家に居着いたら、もし、もしも家族に危害を加えたらと思うと、帰省した自分を一生呪っても足りなかっただろう。

 三郎太は臆病で繊細で泣き虫で弱虫で頭がよくて可愛くて面倒くさがりで甘えんぼで神経質だから、あんな異質なものが現れたらきっと気づく。そして、勝てるとは欠片も思えない。

 何せ揺れる草と自分の影と羽虫と猫と前から飛んでくる飴の包み紙に負けた男である。お前何にだったら勝てるんだと問いたくなる男があんな恐ろしいものを見たら、大泣きしながら逃げ出してしまうだろう。大鳴きではない。大泣きだ。

 だから、だから、だから。

 危険な存在を断ち切るまでは絶対帰らないと決めていた。


 思い出せば出すほど会いたくなるから極力思い出さないようにしていた愛犬への気持ちが、ぽち君の足が動く度にぷりぷりしているお尻を見ていたら一気に蘇った。自分で匂いを嗅ぎに来ておきながら、はっと吐き捨てるように去っていくところなど誠にクールで最高だ。

 柴犬、そういうとこある。三郎太もそういうとこある。


「残ってくれるなら、ぽちを撫でても構いません」

「え!? ………………浮気じゃない、これは浮気じゃない。資金を稼ぎ、アレルギーがある三郎太のご飯代を稼ぐための手段……いや、違う、違います。ぽち君、違うの。君のことをお金稼ぎの手段だと思っているわけじゃっ!」


 確かに三郎太の食事代は重要な任務であるが、それは帰省しない理由であって、ぽち君をそんな目で見ているわけではない。それなのに、ぽち君はこっちを振り向き、眼を細めた。

 全て分かっている、お前はそういう人間なのだなと言いたげな眼だ。冷静に考えれば見返り美人をしているからほっぺたが潰れて眼が細まっているだけなのだが、冷静ではないのでそんなことは分からない。

 ぽち君はお座りした足を崩し、後ろ足で顎の下をかいかいかいかいと掻き始めた。この光景をしょっちゅう見ていたので、痒がっていると心配してしまう。そわそわしてしまった私とは違う心配を柚木さんはしていたらしい。


「こら、ぽち。毛が飛ぶから、ここじゃ駄目だ」

「生き物なんですから毛くらい飛びますし、飛んだら掃除すればいいので大丈夫ですよ。温かくなってきたもんねー、ぽち君。もう毛は生え替わったのかなー? これからかなー?」


 柴の生え替わりを嘗めてはいけない。寒くなればもこっとし、温かかった数日にほろほろと塊で抜け、また寒くなったらもこっとするを繰り返すのだ。

 その量、山の如し。

 どうせ掃除するつもりだったし、ころころは常備してあるので問題ない。掻くのをやめ、また部屋の散策に戻ったぽち君をうっとり見ていると、心なしか呆れた声がした。


「アレルギーがあるんですか? あと、生き物では……いや死んではいないので生き物?」

「死んでないなら生き物ですよ! 三郎太は普通のご飯だと血が出るくらい掻き毟っちゃって……アレルギー用のご飯たっかいんですよ。でも食べるのが一番楽しみで重要なのに、そんな苦行を味わわせるつもりはさらさらないので、アレルギー食以外の選択は最初からないんですけどね。……三郎太、ぽち君! どうして二人一緒にこの部屋に住んでくれないのっ」

「ここ、ペット可なんですか?」

「不可ですよぉ!」


 ペット可のオプションつく部屋は高いんだもん!

 わっと嘆く私に、犬は二人ではなく二匹ですと淡々と言い切った柚木さんはしばし考えた。


「ぽちを出している際に世話をしてくださるなら、その分もお給金に上乗せでどうですか?」

「え? ぽち君のお世話をさせて頂けてお給金も頂けるんですか? 払うんじゃなく? ここは天国ですか?」

「いいえ現世です」


 すっぱり言い切った柚木さんが神に見えた。現世なのに天国なんて、この世は救いに満ち満ちている。生きていくのが楽しみである。現世最高だ。


「よ、よろしくお願いします! 馬車馬の如く働きますのでどうぞ私を存分にお使いくださいぽち君!」

「雇い主は僕ですし、本業は悪霊退治ですのでお間違えなく」


 そうだった。柴犬による幸せな衝撃に打ちのめされていた私がはっと我に返ったのは、自分の腹から鳴る虫の音だった。ぐーっと鳴ったお腹を、私と柚木さんが同時に見下ろす。


「…………とりあえず、当初の予定通り朝食を食べましょう。話はそれからです。梓さんは着替えと支度を。僕は玄関前の掃除をしておきます。あっちはスプレーをしていなかったため、恐らく黒くなっているので。ぽち、戻れ」


 玄関に向けて歩き出しながら腕を向けられたぽち君は、尻尾をくりくり揺らしながら柚木さんに駆け寄り、ふっと靄へと溶けた。そのまま腕に収容され、部屋の中からは愛らしいちゃっちゃと鳴る爪の音が消えてしまう。

 急速に寂しくなった私を置いて、柚木さんはさっさと外へ出て行った。それに気づき、慌てて着替えと支度に取りかかる。私の部屋の玄関なのだ。彼は手伝う立場であり、メインで動かなければならないのは私である。

 大慌てで支度をしたにもかかわらず、掃除のプロはあっという間に仕事を終えていて、私が飛び出した時、既に勝負は決していた。

 次こそはと気合いを入れたが、この部屋での次があっては困る。



 家を出た後ちょっと遠回りしつつ、冷凍食品半額など家計の強い味方であるスーパーの前を通って場所を教えながら、少しでも役に立って色んな恩返しができればいいなと思った。

 まだ人通りが少ない時間でもじりじり熱くなり始めた空を見上げ、私は笑った。

 とりあえずこの後、昨日話したばかりの吾川さんが事務所へ持ち込んだ箱から濃縮還元された悪霊が飛び出し、火六さん渾身のラリアットが吾川さんの首を襲うことを、私達はまだ知らない。









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― 新着の感想 ―
[一言] 凄くテンションが高いですね。今までもその片鱗はありましたが……こんなに明るい人だったんだ。 幽霊、恐ろしや……。
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