第二話:遠足
「皆も楽しみにしているであろう高校生一番最初のイベントが、もう来週にまで迫っているぞー」
担任教師である高田がそうクラスルームで伝えれば、ざわざわと辺りが騒がしくなった。
高校に入って最初のイベントと言えば、それぞれではあるがほとんどの場合は遠足だろう。冬月たちの通うこの「日桜仙高等学園」も例外ではない。
「グループについては各自、自由に決めてもらう。今から五分くらいで決められるだろうし、グループが決まったら役割分担とどういう風に回るか計画立ててくれー。ちなみに四人班で頼む。俺はちょっと寝るわぁ」
教師としてあるまじき姿かもしれないが、入学式の時からずっと怠けたような人物だったためクラスの大半は諦めている。
班を決めるためにざわざわとし始めたクラスの中、冬月は躊躇いもなく隣の席に目を向けた。どうやら日々谷も同じことを考えていたらしい。ばっちりと目が合って、どちらともなく笑ってよろしくと声を掛け合う。
「班の人数、四人だよなあ。あと二人どうする?」
「それについてはちょっとアテがあるんだ」
きょとんと目を瞬かせる日々谷に笑って、冬月は目当ての人物の方へ向かった。
彼女たちも誰にするかを決めかねていたのだろう。二人で話しながら困ったように眉を下げていた。
「小春田さん」
「ぴっ!」
声を掛ければびくりと体を跳ねさせた小春田に思わず冬月が笑うと、小春田は頬を赤く染めながら振り向いた。そんな小春田の向かい側に座っていた三枝が二回ほど瞬きをした後、何かを思いついたように顔がぱっと明るくなった。
「冬月君じゃん!どうしたの?」
あたふたしている小春田を一瞥したあと、三枝がにっこりと口角を上げながら笑顔で冬月に問う。その笑顔に隠された真意に冬月も笑みを返した。きっと彼女も、冬月たちと班を組もうと思ったに違いない。
「小春田さんと三枝さんは、班決まってるのかなって」
「え、あ……」
顔を覗き込むようにして冬月が聞けば俯いていってしまう小春田に、三枝は小さく首を振って「やれやれ…」と呟いた。
「まだ決まってないよ。私たちも二人で組んでるんだけど、あと二人足りなくて困ってたの」
「じゃあ丁度良かった。僕もこの秋人と組んでるんだけど二人足りなかったんだ。一緒の班になってくれないかな?」
「おい、『この』って言うな」
喚く日々谷を軽くスルーして冬月が首を傾げると、三枝は快く了承した。戸惑う小春田の傍らに膝をついて、小春田を下から見上げるようにして冬月が「小春田さんは?」と優しく聞く。
「あ、えっと……」
「もしかして、嫌だった…?」
眉を下げながら聞くと、小春田はぱっと顔を上げてぶんぶんと頭を振った。
「嫌、じゃないです……!」
「そっか、良かった。もし嫌って言われちゃったらどうしようかと思った」
安堵から笑みを零して言うと、驚いた顔をしたあとに小春田も柔らかく微笑んだ。先ほどまで俯くばかりだった小春田の笑みを見て、一瞬だけ動きが止まってしまった冬月に小春田も誰も気付かない。冬月はとくりと鳴った心臓に見て見ぬふりをして、話し合いのために机を動かし始めた。
*
「あ、小春田さん」
放課後、早く帰ろうと冬月が昇降口を出たところで小柄な後ろ姿を視界にとらえて声を掛けた。
きょとんとした顔で振り返った小春田は冬月だと気づいた途端「あっ、えと……!」と慌て始め、その様子が可愛くて冬月は思わず笑みを零しながら頭を撫でてしまった。
ぴったりと動きを止めた小春田に慌てて謝れば、ぷるぷると震えながらも「大丈夫です……」と返して貰えて無意識に安堵の溜息を吐いたことはここだけの話にしておこう。
いたたまれない気持ちになって「帰ろうか」と冬月が声を掛けると、小春田は何度も頷いて歩き始めた。
「小春田さんも電車?」
「あっ……はい、で、電車です……!三つ目の駅で降ります」
「本当?僕も三つ目の駅で降りるんだけど……よければ一緒に帰らない?」
「ぜ、ぜひ!」
良い返事がもらえた事に胸を撫で下ろし、小春田の歩幅にあわせて冬月も歩き始める。小柄な小春田の歩幅は冬月からすれば決して大きいとは言えないが、歩くスピードはそこまで嫌いではない。ゆったりと歩きながら初春の風を楽しむのはむしろ好きだな、と考えながら冬月は小春田の方へ顔を向けた。
「突然こんなことを言うのも変かもしれないけど……僕、小春田さんとしっかり話をしてみたかったんだ。良ければ仲良くなりたいなって思って」
冬月がそう言いながら笑いかけると、小春田は冬月の顔をぱっと見上げた。
「わ、私も仲良くなりたいと思ってました……!」
「え、本当に?やったあ、小春田さんも思ってくれてるなら嬉しいな」
冬月がそう言いながら笑えば、小春田も頬を赤く染めながら微笑んだ。
それから冬月が小春田を家に送るまで二人の好物や逆に嫌いなもの、よく聞く音楽などの話に花を咲かせた。
*
「おはよう、小春田さん」
「お、おはようございます!冬月くん」
遠足当日。バスが来る集合場所にいち早く来ていた冬月が気付いて声を掛けると、小春田は一瞬俯いたもののぱっと顔を上げて冬月に挨拶を返した。
今日は待ちに待った遠足だね、と冬月が笑いかけると、小春田は嬉しそうに顔を綻ばせながら大きく頷いた。どうやら本当に遠足は楽しみだったらしい。
ちなみにこの間の放課後に一緒に帰ってから何度か一緒に帰っていたが、小春田はそれだけで冬月に結構心を開いてくれていた。
まだ若干俯いたり言葉に詰まったりすることはあるものの、しっかりと返事をしようとしてくれる気持ちが垣間見えることに、冬月は嬉しさを感じている。
「小春田さんは遠足、好き?」
「はいっ!大好き、です……」
段々と声が小さくなっていく小春田にくすくすと笑いながら「楽しいもんね」と相槌を打てば、小春田は恥ずかしそうに俯きながらも頷いた。
冬月が「可愛いなぁ」と口の中だけで呟いていると、ぱたぱたと駆けてくる足音が聞こえて冬月と小春田は同時に音の方に顔を向ける。
「おっはよー!冬月君、あまね!」
「はよーす」
長いハーフアップした髪を揺らしながら手を振る三枝とだるそうに手を上げる日々谷が並んで小走りで近づいてきていた。
「おはよう、三枝さん。ついでに秋人」
「ついでに言うな!」
「お、おはようございます」
班員が揃ったことを担任の高田に報告しに行った冬月が戻ると、さっと数人周りに集まった。
「おはよー冬月くん!」
「おはよう、峯岸さん」
真っ先に集まった数人の中で挨拶をしたのはクラスの中でも断トツで可愛いと囁かれている峯岸桜。ピンクがかった腰までのストレートな髪の毛をツインテールにしており、前髪をピンで止めている「桜」という名前がぴったりの女の子である。
峯岸とは中学の時に初めて会い、その頃からなにかと冬月に話しかけてきていた。
「同じ班になれなくてざんねーん。ねぇ、今度なにかある時は私と班組もうよ!」
「何かあればね」
微笑みながら冬月が言えば「絶対よ!」と言いながら自分の班の元へ帰っていく峯岸に続いてぞろぞろと他の人たちも挨拶もそこそこに戻っていく。漸く開放された冬月は肩を竦めた。
「お前さあ……またあんな約束して大丈夫なのか?」
「約束はしてないからね。大丈夫だと思う」
「ふぅん……」
日々谷が冬月にこう聞いたのは、最近冬月が小春田を気にしていることに気づいているからだ。そして日々谷が気づいてくれていることに冬月も気づいているからこそ、何かあれば助けてくれると信頼している。
「さて、もうそろそろ時間だしバスに乗ろうか。……小春田さん?」
手の甲を上にして腕時計を見ながら冬月が言えば、遠足を楽しみにしていたためいち早く反応すると思っていた小春田が全く声をあげないことに、冬月は疑問を覚えた。
どこか悲しげな表情をしている小春田に声をかけると、ぱっと顔を上げた小春田は戸惑ったように目を泳がせてから歪ながらも笑った。
「……どうかした?」
「い、いえ、なんでもないです……。は、早くバスに乗りましょうっ」
焦ったようにそそくさとバスに乗ろうと動く小春田に冬月は眉を顰め、何か悲しむことがあっただろうかと考える。しかしどれだけ考えても出てこない答えに冬月は眉を困ったように下げた。
順番にバスに乗りこんでいると、前に並んでいた三枝がバスに乗る寸前急に振り返って冬月の腕をひっぱり、屈んで耳に顔を近づけるよう指示した。
「バスの座席、私とあまねが隣だけどさ。班内での移動って自由だよね?私と座席変わらない?」
「えっと……僕は大丈夫だけど、それって小春田さんは大丈夫?」
「私が保証してあげる。絶対大丈夫だから」
その自信がどこから来るかは分からないが、それなら……と冬月が頷けば三枝は満足そうな顔をしてバスに乗りこんだ。それに続いて冬月も乗車し顔をあげれば、三枝が隣に座らないことに疑問と焦りを覚えた小春田が見えた。
本当に大丈夫なのかと内心怯えながら冬月が隣に立って「隣、大丈夫?」と聞くと一瞬だけ放心した小春田が頬を真っ赤に染めながら頷く。どうやら本当に大丈夫ならしい。三枝の言葉が本当だったことに一縷の感心を抱きながら冬月が座席に座れば、小春田は緊張したように肩を強ばらせた。
「あはは、そんなに緊張しなくても」
「ごごごめんなさい……」
「どうして小春田さんが謝るのさ」
くすりと笑うと、幾分か緊張がほぐれたのか小春田の肩からやんわりと強ばりが取れた。そのことに冬月は安堵して小春田との話題探しを始める。そこまで考えなくても話題は出てくれるのだが、もっと小春田を知ることのできる話はないかなと探してしまうのが最近の冬月だった。
「あまねー、お菓子食べすぎなようにねえ」
「そんなに食べないよう!」
むう、と頬を膨らませる小春田を見て、冬月はそんな顔もするのかと目を丸くする。いつも顔を赤くして俯いてしまうか、時々へらりと笑ってくれるくらい――それでも充分嬉しいのだが――だったため、この調子なら今日はほかの表情も見られるかもしれないなと内心ちょっと楽しみになった。
「小春田さん、お菓子好きなの?」
「ふぇ、あ、はい……!」
「この前の話の中にお菓子ってなかった気がするなあ」
「そ、それは……」
好物の話をしたときにはお菓子という単語を全く出していなかったような気がして冬月が腕を組めば、小春田は恥ずかしそうに眉を下げながら「子どもっぽいかなって……」と呟くように言葉を紡いだ。
冬月はその言動が可愛くて、頬が緩んでしまう。その顔をちらりと見た小春田が馬鹿にされたと思ってしまったのか、「うう……」と首まで赤くして俯いてしまった。
「あっ、いやごめんね。子どもっぽいなんて思わないよ。むしろ僕も好きだから、美味しいお菓子とか教えてくれたら嬉しいな」
その一言をかけるだけで、小春田はぱっと顔を上げて目を輝かせる。感情豊かで面白いなあと頭の片隅で考えたが、その思考は顔に出すまいと冬月は気を引き締めた。
ふと、いつの間にか消えていた小春田の悲しみの表情に冬月は胸を撫で下ろし「良かった」と小さく呟けば小春田はきょとんとしながら首を傾げた。なんでもないと首を振って、次の話題を探しつつバス内を楽しんだ。
*
「着いたー!」
バスを降り、ぐっと伸びをした三枝の背中を日々谷がばしんと叩いたことに小春田が困惑しながら冬月の顔を見たが、冬月は小春田に笑みを返すばかりだった。
どうやらあの二人も着々と仲良くなっているらしい。冬月は微笑ましいなあと思いながら、「女子を大切にしなさいよ!」「いやだね」と言い合いをしている二人をにこにこと見つめた。
「さあ、二人とも。仲良し喧嘩はそこまでにして、とりあえず並ばなきゃ」
「仲良しじゃない!」
「仲良しじゃねえ!」
見事に重なった声に「おお」と冬月と小春田が感心していれば、三枝は「感心してる場合!?」と腰に手を当てて怒った。
ごめんね、なつちゃんと真剣に謝っている小春田にすぐに折れたのか、腰に当てていた手を下ろしておとなしく並び始めた。
帰りの集合時間やしてはいけないことなどの注意事項や諸々の説明を聞き、漸く自由時間となり動き始める。わっと冬月の周りには人が集まってきており、自由時間であるのにも関わらずクラスの大半はその場に固まったままだ。
「冬月さま!一緒に回りませんかっ!?」
「あっちにコアラがいるんだって!」
「この公園、色々あるみたいだぜ!アスレチックもあるらしい!行こうぜ冬月ー」
「こっちには花もたくさん咲いているみたいですよ、冬月さん。僕と回りませんか?」
止みそうにない誘いの中へ峰岸が割り込むと、周りの人はさっと一歩下がる。異様な存在感を放つ彼女に、誰も逆らうことができないらしい。
「冬月君!その、よければ私とも回らない?」
少し頬を赤らめながら言う峰岸に、冬月は困ったように笑った。
「でも……僕には僕の班がいるし、皆にも決めた班があるでしょ?だから、今日は班で回ろう?」
やんわりと冬月が断れば、その場にいた全員が「そうだよねー、せっかく班決めしたし」とぞろぞろと動き始める。漸く人が少なくなり、それでもまだ近いところからちらちらとこちらを伺っている人物もいることを横目に確認しながら冬月は三人に謝罪を述べた。
「なんで冬月君が謝るのよ。別に悪いことしてないじゃない」
「そうだぜ、そら。お前が気にすることは何もねーよ」
三枝の言葉と、それに頷いて同意した日々谷に「ありがとう」と微笑み、小春田の方へ視線を向けるとびくりと肩を揺らしたあとぶんぶんと頭を縦に振ったことに目を細めた。
「さあ、気をとりなおして自由行動開始だ!!」
三枝の大きな声に、四人でおー!と拳を振り上げる。歩き出した四人は計画を立てたときに決めていた一番最初の目的地へと足を向けた。
*
「小春田さんは動物、好きなんだっけ」
動物を見ながら冬月が聞けば、小春田は嬉しそうにはにかんで頷いた。帰り道にたくさん話をしていた中で出た話題の一つに動物の話があり、そこで小春田が楽しそうに「トラさんとか、ハムスターさんとか、わんちゃんとかも好きです!」と話していたのを冬月はしっかりと記憶していた。
「ふわふわしてて、ちっちゃくて可愛い動物さんもいいんですけど、きりっとしててかっこいい動物さんも好きなんです」
言葉に合わせてころころと表情を変える小春田の方が、小動物っぽくて可愛いんだけどなあと頭の片隅で考えた冬月は、それを本人に言おうとしてぐっと言葉を飲み込んだ。
「あっ、動物さんに餌をあげられるみたいです!」
「お、いいじゃん。あげてみようぜ!」
少し先に見えるテントを指さして言う小春田の言葉にいち早く反応した日々谷が走っていくのを見て、三枝が呆れたようにため息をついた。
「あはは、二人とも早いなあ。僕たちも行こうか、小春田さん」
「あっ、はいっ」
少し早足になって日々谷と三枝を追いかけると、慌てた小春田が足を躓かせた。咄嗟に振り返った冬月が腕を伸ばして小春田を受け止めるが、バランスを崩して小春田を抱きしめたままどさりと尻もちをついた。
「大丈夫?小春田さん」
「え、あ……ごめんなさい、大丈夫です!えと、えと…冬月くんこそ大丈夫ですかっ?」
慌てたように聞く小春田に大丈夫だと伝えて立ち上がると、急に小春田が顔を顰めた。
「小春田さん?大丈夫?」
「ごめんなさい、足が痛くて……」
痛いのであろう右足を庇いながら立ち上がり、泣きそうになりながら呟く小春田を冬月はさっと抱える。突然のお姫様抱っこにあたふたする小春田をよそに、冬月はテントに置いてあった椅子へそっと降ろした。
「すみません、この子が怪我をしたみたいで……」
「いいのよいいのよ、しっかり休んでちょうだい」
テントで受付をしていたであろう女性に一言断りを入れると、女性は優しく微笑んだ。
冬月は小春田の前に屈んで、上目で小春田の顔を覗き込むように見る。潤んだ瞳に見つめ返され、何故か居た堪れない気持ちになりながらも「靴、脱がせても大丈夫?」と聞けば、小春田は小さく頷いた。
「ちょっとごめんね、触るよ」
靴を優しく脱がせ、すっと足首に触れると少しだけ熱い。くいと柔らかく内側へ向けると小春田が「いたっ…」と声を上げた。
「ごめん、痛かった?」
罪悪感を感じているのか、ぎこちない動きで頷いた小春田に「大丈夫だよ」と一言声を掛けてから、冬月は鞄から救急セットを取り出して包帯を手に取った。
「一応、応急処置として包帯巻いておくね。そんなに酷い怪我じゃないと思うけど痛かったらちゃんと言ってね。普通に歩けはすると思うけど必要なら僕がおんぶするから」
ささっと巻いて小春田の顔を見て笑うと、小春田は頷いてから「ありがとうございます……」と俯いた。
よしよしと頭を撫でていれば、隣から「ひゅ~お熱いねぇ」と茶化す声が聞こえて、冬月が顔を向ける。にまにまと頬を緩ませる日々谷と三枝と何故か受付の女性が加わっており、冬月は苦笑を零した。
「おあつくなんてっ……」
「小春田さん、真面目に受け止めなくていいから」
顔を真っ赤にする小春田にツッコミを入れて、冬月はやれやれと首を振った。
*
「楽しかったー!」
帰りのバス内、三枝は元気に声を出して伸びをした。日々谷も「また行きてえなー」と返事をしながらあくびを零す。冬月はその声をうとうとしながら聞いていた。
「また皆で……」
ぽそりと小春田が呟いたのを聞いて、ふわりと微笑んだ冬月は「うん……一緒に行こうね」とおぼろげな意識の中で答えた。