第一話:王子様と出会う天然お姫様
「んしょ…よいしょ…」
自分の視界よりも高い、ぐらぐらと揺れる荷物を抱えながら彼女は教室へと向かう。
高校へ進学して一週間。出席番号順に座ると窓側から二列目の一番前という理由だけで日直に当たってしまった彼女は、一人で仕事をこなしていた。
「う、あ、うぇ、わあ!」
重さに耐え切れず、思わず重心が後ろに傾きもう少しで倒れる寸前。自身に痛みが来ることはなく、むしろ誰かに支えられる感覚に疑問を覚えてゆっくりと目を開けた。目の前には整った顔が心配そうに彼女をのぞきこんでいる。さらりと揺れた黒い前髪に、二、三回目を瞬かせた。
「…大丈夫?」
「ふ、ぇ?」
優しく問われたそれに答えることが出来ず、硬直してしまう彼女に首を傾げるその人物は、彼女をお姫様抱っこするかのように抱えている。それに気付いた彼女は恥ずかしさで顔が熱くなるのを感じながら、じっと目が離せない。
まるで、運命的な出会いをしたかのように。
二人は、そのまま見つめ合っていた。
*
「あ、あ、あの、ごっ…ごめんなさい!」
恥ずかしいのか申し訳ないからか、女子生徒が目を少し潤ませながら謝る。そんな彼女に、冬月天音は微笑んで首を振った。
「いいよ、大丈夫。それよりも……怪我はない?」
彼女は顔を伏せて小さく頷いた。綺麗な少し明るいクリーム色の髪の毛の間から覗く肌は、少し赤い。熱でもあるのだろうか。
「本当に大丈夫?顔、少し赤いけど…」
頬に手を添えて覗き込むと、ゆでだこのように真っ赤な顔をしてうずくまっていく彼女に、冬月は困り果てて眉を下げた。うずくまってしまうほど体調が悪いのであれば、ちょうど今彼女を困らせていた元凶である荷物たちを放ってでも保健室へ彼女を連れて行かねばならないと冬月は考えて手を伸ばしかけた、その時。後ろから小走りで誰かが近づいてくるのを感じて振り返ると、さらさらとした茶色の髪をハーフアップに結わいている少し長身の女子生徒が焦ったようにこちらに向かってきていた。
「あまね!」
名前を呼んでいるところから、彼女と仲の良い人物だと伺える。今の状況を一瞥して、冬月の方をちらりと見て頭を下げた。
「すみません、私の友人がご迷惑を……」
「いえ、そんな。大丈夫ですよ」
友人であろう女子に微笑んでから、気の知れた人物が来たのなら大丈夫だろうと判断した冬月が今抱えている少女を支えながら立ち上がる。顔をあげた彼女が小さく「ありがとう、ございます…」と呟いたのを聞いて、冬月はまた口角を上げた。それと同時に何か違和感を感じたが、冬月はすぐさま思考を消した。
「またドジ踏んでもうてる!あんなに気ぃつけてって言うたのに!」と、京都弁混じりに怒りながら散らばってしまった荷物を拾っている友人に対して、「ごめんなさい~」と半泣きで謝っている彼女。二人の様子を見て思わず吹き出しそうになった冬月が、慌てて誤魔化すように荷物拾いを手伝い始めた。
「これで全部だね。えっと……これ、どこに運べばいいかな?」
全てを拾い終わった後、茶髪の女子からも荷物を受け取りながらそう尋ねる冬月に「い、いえ!自分で運べますから…!」と慌てたようにクリーム色の髪を振り乱す少女は、頭を振りすぎたせいか少し目を回した。しかし先程転びそうになっていたのを思い返すと放っておくことも出来ないと冬月が言えば、少女は渋々口を開いた。
「……三階の、多目的室です。次の授業でそのノートを使うらしくて」
「分かった、多目的室だね」
歩き始める冬月に慌てて付いて来る少女。そういえば彼女は確か同じクラスの人だったよなあと考えながら「よいしょ」と荷物を抱えなおしながら、とてとてと横を歩く彼女に笑いかけた。
「えっと、小春田さん…で良かったよね?」
急に話しかけられたからなのか、普段から大きな目をもっと大きくぱちくりと開いてから、弾かれたように「あっ!」と声を上げた。
「は、はい!小春田天音です…!」
「あまね……やっぱりいい名前だね。最初の自己紹介のときもいい名前だなあって思ったんだ」
「えっ、いやそんな」
またも慌てたように顔を真っ赤にしていく彼女が可愛くて、冬月は思わず吹き出す。しばらくくすくすと笑っていると、小春田が困ったように「あう~…」と声を漏らしていた。その様子は、さながらうさぎのような小動物だ。
「あとね、名前の漢字が一緒だったから…ちょっと気になってたんだよね。ほら、天の音って書くから」
その言葉に目をまん丸にしていく小春田を見て、思わず可愛いなあと声に出してしまった冬月の言葉に、小春田は恥ずかしさから俯くしかなかった。急に俯いてしまった小春田に、冬月は慌てて「ごめん」と謝るが、小春田はそれどころではないのか「大丈夫です……」と震えた声で呟くだけ。そんな小春田に困り果て、冬月も掛ける言葉を失ってしまったのか、それから多目的室に付くまで両者無言で過ごした。
*
「あの、本当にありがとうございました」
教室に着くなり、深々と頭を下げる小春田に冬月は慌てて手を振って頭を上げるように言った。自分の意思でやっただけであって、深いお礼をされるためにやったわけではないと説明したものの、小春田は何度も感謝を述べる。
「あまね、お帰り!あまねのこと、どうもありがとうございます、冬月くん。」
そこへ、多目的室へ向かう前に小春田のことを京都弁混じりに叱っていた彼女が冬月に頭を下げる。確か彼女の名前は三枝夏葵だったなと冬月は考えながら、いいえ、という言葉を添えてにこりと笑った。冬月は挨拶もそこそこに自分の席へ戻りながら、聞こえてくる彼女たちの会話を耳に入れた。
「ほー、あの『冬月様』がねえ…」
「えっ、なつちゃん、冬月君のこと知ってるの?」
「知ってるも何も、有名でしょ!女子達が騒いでる『王子様』だよ」
少し小さめの声で話す二人の会話に、随分と大層な異名が付いてしまったなあと頭を掻く冬月が席に着くと、右隣の席から小突かれてそちらを見やる。にやにやと嫌な笑みを零しながら冬月の顔を覗いていたのは、冬月の幼い頃からの親友である日々谷秋人だった。
若干金がかった髪の毛は少しくせっ毛で、連想させるのは犬だ。しかし当の本人は「犬より猫派」だそうだ。
顔は整っているし運動神経も抜群なため女子からの人気は密かに高い。しかし冬月のそばに居るため、その魅力は半減している……らしい。
「何だよ、お前。また女の子のハートを鷲掴みにしたの?」
「いや、誤解だよ。そもそも僕は誰のハートも掴んでないって」
日々谷の言葉に苦笑を零しながら答える冬月がひらひらと手を振った瞬間、後ろの方で駄弁っていたであろう女子たちがきゃあきゃあと黄色い声を上げ始めた。驚いて思わずそちらを見た冬月を、日々谷はくつくつと笑う。
こういう事態はよく見られる光景である。女子からも男子からも人気が高いと言われている冬月は、誰に対しても笑顔を絶やさずに生きている。それも確かに偽りではない。しかしそれよりもっと砕けて話を出来るのが日々谷なのだ。
日々谷の前ではわりかし緩んだ笑顔を見せており、それが女子の間で人気……というのを、冬月は日々谷から聞いていた。冬月としては、そんな女の子たちに「こんな僕の笑顔で喜ぶなんて、物好きだなあ」くらいにしか思わないのだが。
「にしても、自分が女子の心を鷲掴みにしていないと思っているあたりは鈍感だよな。恋愛以外のことなら鋭いんだけど」
「えっ、恋愛もそこそこ鋭いと思うけど……」
今までもたくさんの恋愛相談を受け持っていたからね、と自慢気に話す冬月の言葉を、日々谷はスルーしながら次の話題へ移っていく。なんとなく話を聞き流しながら前方を見ると、まだ三枝と話していたであろう小春田と目がばっちりと合う。やっぱり、どこか見覚えがあるんだよなあと口の中だけで呟いた冬月は記憶の引き出しを一つずつ開けていく。それでもやはり「小春田天音」という人物は出てこず、首を傾げるばかりだった。
彼女を支えた時から、どこか既視感があった。それは本当にデジャブのような感覚で、本当に彼女であったのかどうかも分からない。夢の中であっただけかもしれない。しかしそこまで考えた冬月は、今は考えるべきじゃないなと思考を放棄していた。しかしやはりもう一度見てみると、どこか記憶に突っかかりを感じる。でもどれだけ考えても出てこない答えにもっと首を傾げるしかできなかった。
冬月がじっと見つめていると、視線に気付いた小春田がまた顔を赤くしてあたふたしている様子を見て、冬月はくすくすと笑った。
「何で笑ってんの?今の話面白いとこあった?」
「いや、ごめん。話聞いてなかった」
「はあ!?聞けよ!折角俺の武勇伝を……」
「ごめんごめん、もっかい話して、聞くから」
ちらりともう一度小春田を盗み見てから、冬月は日々谷に向き直った。