城へ!!
いつも僕は色々な事を考える。
いい事だったり、悪い事だったり様々だ。
でも、今回ばかりは良い事ばかりを考えてしまう。
僕たちを客分として迎えてくれると言ったアリアが連れて来たロンドリアンの都市ロキアーノはずいぶん遠かった。都市は遠くからでも美しい景観をしていた。
なんと言っても城だった。
城、城下町、賑やかな人々、美味しそうな匂いと料理が見える店が並んでいる光景が想像できる。ああ、その通りであって欲しい。
つまり僕が想像していたファンタジーの城がそこにはあったのだ。
ロキアーノへ向かう間に僕はノアとずいぶん打ち解けた。
僕は彼女にジェイクという名前がよく揶揄される事を教えると心底不思議そうに首を傾げて言った。
「素敵な名前だと思いますよ」
そうして尋ねると彼女はカード遊びをやった事がないらしい。父や兄がしているところを見た事はあるが負けた相手をジェイクと呼んでいるのは聞いた事がないと言っていた。
これはアリアも同様で彼女もジェイクの意味を知っておらずカード遊びを怠惰なものとして近付けないようにしているとまで言うのだった。
こうして僕はジェイクという名前を言う事でその人がカード遊びをする人か判断できるようになったのである。
まあ、これは無駄な事だけれど。
この名前の話から僕はこの世の中をあまり知らないのだと打ち明けた。それはすんなりと聞き入れられた。
「ロンドリアンとローグロウの国交が今よりも盛んだった頃は私もロンドリアンに行った事があります。もちろん、これから行くロキアーノにも行った事がありますから出来る限りは助けますよ。なんなりと言ってくださいね」
ああ、天使だ。天使って本当に居たんだなあ。
「言っておくけれどロキアーノに到着してもすぐに自由行動なんて甘い事はさせませんよ。まずは色々と質問に答えてもらいますからね」
アリアが忠告して来た。
まあ、すぐに自由にしてもらえるなんて思っていなかったから大丈夫だ。
それにしても僕は本当に異世界に来てしまったんだなあ。
未だに地球のどこかにいるんじゃないかと考えて来たけれどそうじゃないらしい。
「ロンドリアンは様々な国の人を受け入れている懐の深い国柄です。きっとそれほど長い拘束は受けませんよ」
ノアが声を潜めて教えてくれた。
囁き声まで素敵だった。
ところでノアはロンドリアンに行った事があると言っていた。それに高い教養を感じさせる丁寧な喋り方と訓練された魔法の力がある。
身分の高い女性だと僕は思った。
そして僕らを新しい土地へと連れて行こうとするこのアリアという女性をノアは皇女と言った。
日本でも一般の人間、一介の高校生が話が出来るなんて考えられない人たちなのかもしれない。
そうしてとても高い城壁が見えて来た。
大きな吊り上げ式格子扉の前までやって来た。
僕はとてもわくわくしている。この扉はマンションの3階くらいの高さがある。城壁に至っては6階、7階ほどの高さだ。
「見惚れていますね。あまり見た事がないんですか?」
「うん、すごいね!」
「ふふ、ここロキアーノの城壁は5層あります。これが1層目ですが順に厚く強固になっていきます。ここで特徴的なのはたくさんのアロースリットが見える事ですよ。ほら、ご覧ください。あの十字型の空隙を」
ノアが指で示したところを見ると十字型の窓がいくつも見えた。
ずいぶん詳しいんだなあ。
「詳しいな、まるで攻め込むために研究していたようじゃないか」
「あら、そんな事はしませんよ。私は魔法技術の向上のために建築の勉強をしていただけです。私の師がそうする事を勧めてくれましたからね」
「ふん、どうだかな」
べ、勉強!!
頭が痛くなる。きっとノアは僕よりも頭が良いのだろう。なんだかそう思う。
「前にも言いましたが私はロキアーノにも来た事があります。それも建築、つまりは魔法の勉強のためにですよ。ここの構造は明かされている点は知り尽くしています。まあ、公にされていない所は知りませんけれど。住んでいる貴方の方が詳しいでしょうね」
「ふん、あそこは複雑すぎて私も全構造を把握している訳ではない。それに層というのが好かん。悲しい事だがこの層構造がこの都市内での貧富の格差を生んでいる。
この都市は複数名の建築家によって建てられた素晴らしいところのようだが私はそうは思わん。もっと素晴らしい建築の形、都市の形があるはずだ。
そう兄上や姉上に訴えているのだがどうも届かん。父に至っては日和見主義で貧富の差など気にかけている風でもない。金銭を得る術の多くの方法に許可を与えていてそれを知らん方が悪いと言うのだ。それではいけない、知識には当然偏りがあるものだ。
知識と金銭の関係が等しくなってしまえば貧富の差は大きくなるばかりだ。それにある一方では賢者の如く知識を見せる者があるのにこれが全くの貧乏という例まであるし、その逆もある。全くの馬鹿なのに富豪の如く資産を蓄えているという例もあるのだ。
理解があるのは大臣たちばかりだ。まあ、妹も理解を示すが深い理解ではなく浅い理解で力とはなり得ない。それに私は昔からこうした騎士道が好きだからな。これも金にはならん。なんといっても騎士ランパルド・エラ・ロキスムスの物語は最高だ。大好きだ」
難しい顔で難しい事をアリアは語った。
「騎士ランパルドの物語は幼児向けの本ですよ」
ノアが教えてくれた。
「私は原本の方を言っているんだ」
「原本も幼児向けですよ」
「いや、幼児向けとされていてもあれにはこの世の真理が率直に描かれている。私はあれが好きなんだ。煩いな、馬鹿め、魔法使いには分からんのだ」
いわゆる脳筋なんだな、アリアは。
馬車は5つの城壁を抜けて城内へと入った。そこは厩舎となっていて複数の馬がそこにいた。
この数日で馬と触れ合う機会が多くあったのだがこの動物の事が好きになっていた。思ったよりも大きい。
日本に帰ったら競馬なんて見てもいいかもしれないな。
馬車をおりるとそこには独特の空気が広がっていた。
開かれた扉の先に敷かれていた真紅のカーペット、豪華な意匠の窓、天上、扉が見える。一斉にこれらが目に入ると学校のシンプルな白壁ばかりを見て来た僕には情報量が多すぎて何が何やら分からなくなった。
アリアが中へ入ると従者たちが彼女を迎えた。
「私はすぐに着替えを済ませて来る」
アリアが僕とノアに言って従者たちへ剣などの武具を預けている。
「あの2人は私が客分として迎える知人だ。それ相応にもてなす様に。まずは客室に案内して」
「かしこまりました」
アリアは上半身の甲冑を脱いで廊下の奥へと歩いて行った。
アリアの命を受けた従者が僕たちを案内して先導していく。
僕らはとても広い部屋へと通された。
扉の傍に立った従者は良く通るはきはきした声で言った。
「ご要望がございましたらお申し付けください。アリア様がいらっしゃるまで私が承ります」
そう言って女性に何かを命じると目を閉じて扉の傍で立ったままでいた。
「すごい部屋だなあ」
「ええ、とても豪華ですね」
ノアが微笑んでいる。
なんだかとても楽しそうだ。
「なんだか、とっても楽しそうだね」
「ごめんなさい、失礼でしたか?」
「いや、ぜんぜんいいんだ。ノアは素敵だからね」
「あら、まあ。私、なんだかあなたを見ているととても楽しい気持ちになるんです。その、上手く言えませんが心が温まる気持ちになるんです」
「いやあ、なんだか照れるね」
僕が頬を掻くとノアが「ふふふ」と笑ってくれた。
そうして客室の様子を眺めているとアリアが戻って来た。
彼女が着替えた服は非常に豪奢だった。
身軽な様子で表情は甲冑を着ていた時よりも明るいように見える。
「やれやれ、困ったものだな。ラッカス、なにか問題があったようだな?」
アリアは扉を開く僕たちを案内した従者に尋ねた。
「はい、大広間に保管されていた≪グリシャの天杖≫が盗まれました。現在、犯人の確保に全力を挙げています」
「あんな古い遺物を盗むなんてどこの誰でしょうね。置物になっていたのだから金にしかならないでしょう」
僕は隣にいたノアに尋ねた。
「ねえ、ノア、≪グリシャの天杖≫ってなに?」
「私もそれほど詳しくありませんがグリシャという正義魔法のすごい使い手がいたそうです。なんでもこのロンドリアンを興した賢人たちのひとりだそうですよ」
「由緒ある杖なのにアリアは興味ないのかな?」
「そうですね、あまり無いように見えます」
アリアが椅子に座った。
ゆったりとした動作はこの城外では見られないもので新鮮だった。
「やれやれ、どこもかしこも問題ばかりだな。さて、ようやく仕事が出来る。ラッカス、私がこの2人に質問をする。その答えを書き留めなさい」
「かしこまりました」
そうしてアリアはたくさんの質問をした。
ノアは簡潔に答えた。
僕はと言えばはぐらかすようなはっきりしない答えばかりになったがアリアはその返答に言及しない。
ようやくこのやり取りを終える頃には夜も深くなっていた。
軽い夕食が出されて僕らは食事を行った。
「夜も深い、もう寝る事だな。明日にも都市の中を案内してやろう。ノア、君は女性だからな、この男と同じ部屋では色々と不味いだろう」
「まあ、確かにね」
「私は同室でも構いませんよ」
え?
ダメだ、ダメだ。僕は女性と同室で過ごすなんて母親か双子の妹たちだけなんだ。
他の人なんて落ち着かない。どぎまぎしてどうしようもなくなってしまうぞ。
なんてったってノアはとびっきりの美人なんだ。
「いや、それは困る。ノアには隣の部屋に移ってもらう」
「分かりました」
良かった、本当に良かった。
するとアリアが立ち上がってノアに立ち上がるように促した。
ノアが僕を見る。何かを訴えているようだがそれが何かは分からない。
ノアが部屋を出て行くとアリアが振り返って奥の扉を指さした。
「あの扉の先は別室になっている。そこにベッドがあるからお前はそこで寝ろ」
「うん、分かった」
アリアが出て行った。
ラッカスと呼ばれた従者も扉の前で一礼して部屋を出て行く。
ほとほと疲れていた僕はさっそく眠りに就く事にする。
ベッドは天蓋付きのベッドでふかふかで気持ちがいい。こんなベッドで寝るのは初めてだ。
やっぱり僕はしっかり疲れていたらしい。横になった途端にもう眠気が来た。
ひそひそと話す微かな声で僕は起きた。
部屋の中で誰かが喋っている。それもひとりやふたりじゃない。もっとたくさんいる。でも、変だな。気配はそんなにしない。
「あら、寝てるわね」
「それはそうよ、だって今は真夜中よ。人間は夜にはぐっすり眠るのが普通だもの」
「でも、ベルが言うには普通じゃないって言ってたわ。普通じゃないのに普通ってわけね!」
「ねえ、お姉さま方こんな隅でゆっくりしてちゃ顔が拝めないわ。近づいて見てみましょうよ」
「そうね、そうしましょう。でも、ずいぶんなベッドに寝てるわね。こんな趣味の男なんて嫌だわ、わたくしは」
「あら、バンお姉さまが嫌でもベルにはいいのよ、きっとね。あの子もこんな趣味があったのねえ」
「あらあら、そんな風に言ってはダメよ。趣味なんて人それぞれだわ」
僕はこの声の主たちが誰だかすぐに分かった。
ベルティーナが言っていた姉妹たちだ。
でも、当のベルティーナがいない。
「君たちは誰?」
「あら、目を覚ましたみたいだわ」
「ベルの話だと起こしても起こしてもぜんぜん起きないって話だったのに!」
「こんばんは、ベルの良い人!」
「目は見えてるかしら? 鼻は利いてる? 耳は聞こえてるようだけれど!!」
「起こす手間が省けたわね!!」
絶対にベルティーナの姉妹だ。
間違いない。でも、ベルティーナの声は聞こえてこない。
「ベルティーナはいないの?」
「ベルティーナですって!」
「呼び捨てよ!」
「あらあら!」
「もっと踏み出したらいいのに!」
「あたしったらワクワクして来たわ!」
「「「「「ベルティーナの事どう思ってるの?!?」」」」」
蛍の光のように柔らかく光っている彼女たちは本当にベルティーナにそっくりだった。
「どうって、そんな………」
「もう! どうしてこういう時にあの子ったらいないのかしら!!」
「だって、秘密で来たじゃないの。あの子ったら今頃、夜の月を眺めながら良い人の事を考えていてよ!!」
「とりあえず名乗りましょうよ! 私はバンディーナよ、順にタウラリーナ、ルトルーナ、フラウディーナ、メロウディーナね!!」
「名前ぐらい自分で名乗れるわ!」
「もうお節介焼きなんだから!」
「手間が省けたってわけね!」
「バン姉さんったらみんなの広告塔ね。次にも名乗りの機会があるなら姉さんにお願いしようかしら!」
「あんたたちとばかり話してたら明日になってしまうわ!」
「あら、良いじゃない。私たちはいつも通りって事よね。明日も話しましょうよ、明後日も!」
「話してるだけで明日が来るなんて幸せね!」
「とりあえず落ち着いて」
もう何が何だか分からない。
「そうよ、落ち着きましょうよ!」
「メロウ姉さん、波立つ湖面に石を投げ入れても波立つばかりよ!」
「あたしたちは水ってわけ?」
「あら、水なんて嫌よ!」
「あたしもごめんだわ。ねえ、ジェイクさん、ベルはあなたの前でどんな子だったか教えてくださる?」
「メロウディーナったら抜け駆けね!!」
「抜け目ないわ!!」
「あんたってば手も足も早いのね。口の早さも尋常じゃないわ!!」
「それならわたしは棺の中でどんな風に2人で居たのか聞きたいわね、あの子ったらぜんぜん教えてくれないんだもの!!」
「わたしはまず確認したいってわけ。棺の塔でベルを懐の中に招き入れたって本当?」
「あら、ダメよ。順番よ。まずは長姉の私からよ。お下がりなさい、お下がりなさい。えーっと、ジェイクさん、そうねえ、うーん、ベルは果物のレモンが好きなの。覚えておいてくださる?」
「長姉だなんて関係ないわ!!」
「みんな、同じ日に生まれたのに!!」
「ここぞとばかりに姉ぶるのね!!」
「質問じゃないわよ!!」
「だって、仕方がないわ。いざとなったら質問が頭からすっぽり抜けちゃったんだもの!!」
「転がってるかもしれないわよ。探して来たらいかがかしら!!」
「こんな夜に物を落とすなんて不注意ね。大事に持ってなさいよ!!」
もう一度寝よう。
朝には落ち着いてるかもしれない。
布団を頭から被ってしまえば少しは静かになるかもしれないからね。
「あんたたち、何してるのよ!!!!」
「「「「「ベルティーナ!!!!!」」」」」
ベルティーナだ。
「いないと思ったらこんな所にいるのね。信じられないわ!!」
「だって………」「ねえ………」「まあ………」「その………」「これは………」
ベルティーナがまたふんぞり返って他の姉妹を叱り始めるのを僕は眺めた。
しゅんとなった姉妹たちはベルティーナにそっくりだった。
「やあ、ベルティーナ」
僕がベルティーナに挨拶をするとピタリとお叱りが止んで部屋は静寂に包まれた。
「あの塔から下りられたのね」
「うん、見た通り羽根は生えなかったけれど下りられたよ。ありがとう、心配してくれてたの?」
「さあ、覚えてないわ。実はドントールたちにあの塔の周りの事を調べるように言っておいたの。それでここが分かったのよ。何だか大変な目にあってたみたいだけど平気なの?」
「うん、大丈夫だよ。怪我もないんだ。7姉妹って聞いてたけど6人だね」
「ええ、グランディーナは用があるみたいで最近、とても忙しそうにしてるのよ。わたし、あなたにまた会えて嬉しいわ。まだ怒ってる?」
そういえば喧嘩みたいに別れたんだった。
今なら僕も謝れるけれど謝った方がいいかな?
でも、どうして喧嘩したんだっけ?
「ぜんぜん怒ってないよ。ごめんね、色々と心配かけたんだね」
「そうね、心配してたわ。塔から下りられたかしらとか、人売りに騙されても大丈夫なのかしらとか、戦闘になって戦えるのかしらとか心配ばっかりよ。でも、ずっとあなたの事ばかり考えてたわ。ジェイクはわたしの事を考えていてくれてたの?」
「考えてたよ。後で渡したい物があるんだ」
「渡したい物?」
「うん、約束してたでしょ?」
「さあ、さっぱり分からないわ。後なんて嫌よ、今ちょうだい」
「なあんだ、でも、秘密にあげなきゃね。こっちに来てよ」
僕がシーツを持ち上げて影を作るとそこにベルティーナが入って来た。
僕はポケットに入れっぱなしにしていた5本の歯をベルティーナに見せた。
「塔から下りる時に取っておいたんだ。罰当たりだから念仏を唱えながらね」
「馬鹿ね、本当に馬鹿だわ」
「要るんでしょ?」
もうその話は無しになったのかな。
「ううん、馬鹿なのはわたしね。わたしったら本当に心配だったのよ。また会った時に怒ってて喧嘩が再開しないかしらとか、笑って話せるかしらとかね。別れ方ももう少し良かったらいいのに。でも、あなたったらそんな心配はお構いなしでこんな約束を守ってくれてたのね。わたしの約束をずっと持っててくれたってわけね。わたしの賞賛と栄光を持ってきてくれたんだもの受け取らない訳にはいかないわ。本当にありがとう、ジェイク」
「いいよ」
こんな小さな歯を5本なら荷物にもならないからね。
「ね、わたしはあなたをなんて呼んだらいいかしら? ジェイクと呼ぶか、夏天と呼ぶか迷ってるの。わたし、どうしたらいいかしら、あなたが決めてくださる?」
ずいぶん弱気なベルティーナだな。
「夏天でいいよ。友達はみんなそう呼ぶんだ」
「良かった、なら夏天って呼ぶわね。そうね、わたしったらちょっと落ち込んでたわ。ね、夏天、わたしのお願いを聞いてくださる?」
「うん、なに?」
「わたしの本名はまだ覚えてるかしら、覚えていたらここで言ってみせて」
「いいよ、君の名は、ベルティーナ・ギースラクーヤ・マクラカン・ゼンドーラント・リトリーナント・ジュイエイスト・セべレナス・アン・トロセスカ・ジャンドゥラン・ザンザローサ、だね」
僕が言う間、姉妹たちはひそひそと小声で話をしていた。僕にははっきりと聞こえていたがベルティーナは聞く必要すらないと言わんばかりに耳も向けなかった。
(見て、うっとりしてるわ!!)
(そりゃあ、そうよ!!)
(誰も好きじゃなければこんな長い名前を覚えやしないわ!!)
(じゃあ、もうってわけね!!)
(それどころじゃないわ、首ったけよ!!)
僕は言い終えた。しっかりと覚えていた。僕の特徴はここで生きたってわけ。
「ふーん、ふーん、夏天の長所がここで生きたのね。そうなのね、合ってるわ。でも、合ってなくても良かったのよ。だって、女は一生男の些細な失敗を許すんですものね。わたしの失敗も許してくださらなくては嫌だわ。でも、そういえば夏天が酷い失敗をするのはあまり見ないわね。嫌よ、失敗しないなんて。良いのよ、約束のひとつやふたつをすっぽかしったって。わたし、今晩にも5つほどあなたとの約束を拵えようかしら。そうしたら1つくらい忘れてしまうかもしれないもの」
「え、そんなに約束をしたくないな」
「そうよねえ、わたしも5つも覚えてられないもの。夏天の方が覚えていて言われた時に思い出すのが関の山だわ。でも、ひとつくらいは良いわよね。わたし、夏天と普通に散歩してみたいわ。またあなたの肩に乗って歩くの。歩く方向はわたしに決めさせてね。わたしが指で示した方に歩いて下さらないとダメよ。そうしてゆっくり過ごしましょ」
「そんな約束なら大歓迎だね」
「良かった!!」
べルティーナがにっこりと笑うので僕も笑った。
「わたしたち、蚊帳の外だわ」
「そうね、きっぱりと外に居るわね」
「恋をすると妖精って変わるのねえ」
「でも、お母さまとお婆さまは惚れさせろと言っていたけれど………」
「「「「「惚れてるわねえ、あれは」」」」」
丸聴こえなんだけれど聞かない事にしよう。
「あら、あなたたちってまだいたの?」
「あらまあ、御挨拶です事!!」
「とんだ妹だわ!!」
「ええ、とんだ姉だ事!!」
「あーあ、あたしも良い人が欲しいわ」
「あら、あなたにはエルドールがいるじゃない」
「嫌よ、あんなにっちもさっちもいかない男」
エルドールだったり、ドントールだったり、妖精の男たちは大変だな。
「わたしたち姉妹っていつもこうなのよ。ずっとこうなの。わたしはもう嫌だったわけね、このやり取りが。でも、今はなんだか優しい気持ちで見られるわ。前まではうんざりしてたのに」
「僕も妹たちと母さんが話すところを見るのは好きだよ」
そうして喋り続ける姉妹たちを見ているとコンコンと扉をノックする音が聞こえて来た。
小さな音だったのに姉妹たちもベルティーナも僕もハッとして扉の方を見た。
ただノックの音は安心だった。もしこれが敵意など不穏なものを持つ人であれば無断で入って来たに違いない。
僕は、あえて沈黙を作る事で断りなく入ろうとしない扉の先の人物がピンと来た。
このマナーを守る辺りはノアだろう。
「どうぞ!」
僕がノックの相手を招き入れるのにぎょっとした姉妹たちはササッと僕の背中に隠れてしまった。それに対してベルティーナは僕の右肩に飛び乗って「さあ、こんな真夜中にいったい誰が訪ねてくるのかしら?」と言わんばかりに脚を組んで腕組みをすると待ち始めた。
果たしてノックの相手は僕の予想した通りにノア・エメリカだった。
「ずいぶん騒がしいようだったのでお邪魔しました。賑やかな夜ですね」
「そうだね、ちょっと人が増えたんだ」
「人、ですか?」
「うん」
「あら、妖精が居ちゃいけないって訳?」
「そうは言いませんよ。はじめまして、ノア・エメリカです」
「ふん、わたしは名乗らないわ。あんたが勝手に名乗ったんですからね!」
「ノア、ベルティーナだよ。僕がこの辺りに初めて来た時に出会ったんだ」
「ちょっと!!」
「だって………」
(二股!?)
(そんなのってないわよ!!)
(可哀想なベル!!)
(男なんてやっぱり軒並み碌でもないのね!!)
(男って相手が女であれば大なり小なり構いやしないってわけ!?)
僕の後ろで散々に好き勝手言うベルの姉妹たちは背中を踏んだり蹴ったり殴ったりした。
痛くはないけれどなんだか心に来るから止めて欲しい。
「ふん、そのノア・エメリカだか知らないけれどいったい何の用なのかしら?」
「いえ、用という程ではありません。声がしたのでお窺いしただけです」
「ふーん、じゃあ、もう用は済んだのね。夜は深まるけれどわたしたちの仲を深める必要はなくってよ!」
「ノア、他の人たちにも聞こえるかな?」
「どうでしょうか、近くに居れば聞こえるかもしれませんね。隣室にいた私には聞こえていましたが」
「困ったね。あんまり煩くすると怒られてしまうかもしれないし」
「まあ、人の気配はないようですけど。この時間でも例の窃盗事件の調査がされているようですからね。見回りはあるかもしれませんよ」
「窃盗?」
「うん、窃盗事件があったみたいなんだ。物騒だよね」
「ジェイクって盗まれるほどの物を持ってたの?」
「いや、僕じゃないよ。城内にあった物が盗まれたんだ」
「あらそうなの、それでどうするの?」
「え、城の人に任せてるけれど」
「そんなんじゃダメよ、ダメダメよ。前にも言ったけれど喜びはもっと喜んで悲しみはもっと悲しむの。いけない事はいけないとはっきり言うべきだわ。泥棒が周りにいるなんて嫌よ、安心して寝られやしないわ。ううん、違わね。こんな状況でも寝られちゃうあなたが眠りに対して貪欲なのね。それも特徴かしらねえ。とにかくわたしたちで泥棒を捕まえましょうよ、そうした方がいいわ、そうするべきよ!!」
「そうよ、わたしたちも協力するわ!」
「お喋りだけが能じゃなくってよ!」
「泥棒を探すなんてわたし初めてよ!」
「なにを盗んだのかしら。花束でも盗んだならとんでもない悪党だわ!」
「寝る手間もお喋りする手間も省けたってわけね!」
「そ、そうだねえ。まあ、捕まるのが一番なんだからそうした方が良いのかね」
僕はノアの意見も聞きたくて彼女を見た。危険だとか城の人に任せた方が良いだとか言ってくれやしないかと期待している。
ただノアはにっこりと笑うだけでうんともすんとも言ってくれない。
「さあ、行きましょう!!」
「待ってよ、行くってどこへ?」
「わたしたちが情報を集めて来るわ!」
「そうよ、うってつけってわけ!」
「お城の探検なんて楽しそうだわ!」
「余計な物を見つけてしまったらどうしましょう!」
「見つけた物はここへみんな集めてしまいましょうよ!」
そう言いながら笑って姉妹たちは部屋を出て行った。
高速で飛行する彼女たちは簡単に夜の暗がりの中へと紛れていく。
僕は嫌な予感しかしなかった。