金と銀
作戦は練るからこそ作戦なのだ。
僕は素早く作戦を練る必要があった。荷台の中はガタコドと音がしたり、走行音が酷いので多少の音は紛れてくれるだろう。
まず僕は同乗者が魔法に本当にかけられているか確認した。
物の見事に全員が魔法にかかっていた。きっとキンターがかけたんだろう。僕がたまたまペッシで下手くそだったから助かったのだ。
目の前で手を振ったり、手の甲を抓ってみても全く反応がない。
ところで僕は催眠魔法を解く方法なんて知らない。
手の甲を抓って見た時にあわよくば目が覚めてくれないかと思ったがそう上手くは行かなかった。
さあて、どうしたものかな。
手元に太刀打ち出来るような武器はない。加えて僕は根っからの平和主義者で喧嘩なんてごめんのタイプなんだ。
あーあ、隕石でも降ってくれないかな3人の頭の上に。
この荷台、つまりは荷馬車が走行中に行動するべきだ。
というのもキンターたちの1人は運転しなければならないし、もし3人で行動すると決めたらまず停車させるという一拍置いた行動を強いられるからだ。
いつまでこの荷馬車を走らせるか分からないがそれまでに僕は催眠魔法を解く術を見つけなければ助からない。
というわけで僕はいくらかやりやすいと思った大男を相手に色々と試す事にした。
口を左右に引っ張ってみたり、鼻を摘んでみたり、頬を軽く叩いてみたり、してみたのだが効果はない。
恐らく魔法をかけた本人が行うスイッチで目覚めるものだと思われた。
僕が実験的にあれこれするので相手の大男がちょっぴり可哀想になってくる。
ずいぶん悪い気がしてきた。
個人差というものがあるかもしれない。隣に座っている小男、ネズミのような男に同じ事を試してみよう。
成果はない。
小男も大男と同じように目を覚ます事はなかった。
どうしたらいいだろう。
僕は頭を抱えた。
髪の毛を引っ張ってみた。脛を蹴ってみた。
あれやこれやとしてみた。
一向に催眠魔法にかかった人たちは目覚めなかった。
僕はそれからもほとんど無意味な実験を繰り返した。
例えば鼻を摘んで口を塞いでみた。呼吸を止める事が出来れば苦しさのあまりに我に返るかもしれないと期待したが驚く事に彼らは僕の行動を意に介さず、僕なら耐えられないような時間を無呼吸で過ごすのだった。
それからは刺激を組み合わせる事を思い付いてあれこれと組み合わせてみるのだが全く成果は上がらなかった。
僕は計画を変更する必要に駆られて焦り始めた。
他の方法に時間を使った方が良いかもしれない。
でも、この荷台には10人の人が乗っている。10人もいれば立ち向かえると思ったが出来そうにもない。
そして遂に荷馬車が停車した。
僕の心臓は凍りついたように一気に冷え込んだ。
急いで元の位置に戻るとキンターたちの話す声が聞こえてきた。
「よし、ルードはボスに品物が着いた事を報告してくれ。俺とペッシが品物を下ろす。ペッシ、準備しろ」
「分かった」
「了解っす!」
やばい、かなり不味い状況だ。僕はなんの打開策も講じられなかった。
時間は凡そ3時間ほど馬車に揺られていた。僕は無駄な実験で好機を無にしてしまったのだ。
まずこの荷台から密かに出るべきだ。
なぜなら僕は一転して不自由な状況に追い込まれてしまったからだ。まさに袋小路、どこから敵がやって来るか分からない状況だった。
下ろされた幌の端から外を窺ってみた。
幸いな事に荷台の周りには人はいない。そっと荷台から降りてひとまず荷馬車の下に身を潜ませた。
この人売りたちは廃墟をアジトとしている。
古い柱があちこちに見えていた。松明の光が辺りを照らしている。
何か使える物がないかと探していると柱の影に1本の剣が立て掛けられていた。
剣なんて扱えないが無いよりはマシだ。
僕は荷馬車の下から出るとその柱の方へと静かに走った。
剣は錆びていて切れ味は酷く衰えているような代物だった。もはや棒としてしか使えないだろう。
でも、やっぱり無いよりはマシだ。
柱の影に潜んで剣を改めて見ているとキンターとペッシが荷台の幌を上げているところが見えた。
ペッシが命じて人を下ろしていく。
みんな、ペッシの言う事に従っている。
ペッシが魔法をかけていたのか。僕にかけた失敗は偶然だったのか。
「あれ、変だな」
「どうした?」
「ルードさんに面を見せてあげようと思ったんですけどジェイクの野郎がいないんです」
「馬鹿言え、いるはずだぞ。乗るところを全員が見たんだからな。数をかぞえろ」
「はい!」
ペッシは全員の顔を確認して人員を数えた。
「やっぱりいません!」
「くそ、魔法が切れたのか」
「どうしますか?」
「待ってろ、すぐにルードがボスと一緒に戻って来る。その前にどこにいるかだけでも突き止めておくんだ。走ってる時は音がしなかったからな。走行中に降りた可能性は低い」
「分かりました!」
キンターはやっぱり難敵だ。
ボスって言うのが気になるがどうにか機会を掴むんだ。
すると、キンターが両手を前に突き出して唱えた。
「キテクーサ」
空気が水面の波紋のような波動で震えた。
「ん?」
「どうしました?」
「おかしい、あの辺りで魔法が消えた。ペッシ、あの柱の周りを調べて来い」
「分かりました!」
僕が潜んでいる柱だ。
もうどうとでもなれ、だ!
「みんなを解放しろ!」
僕は剣を鞘から抜き出して飛び出した。
「あ、こいつ!」
「ちっ、武器なんて持ってやがる」
「みんなを解放するんだ!!」
「ジェイクさん、誤解ですよ。あなたは何かを勘違いしていらっしゃる。さ、武器なんてしまって下さい」
「止めろ、僕に近づくな!」
ペッシが愛想良く笑いながら近づいてくる。
するとその傍でキンターが指先をくるりと回して唱えた。
「ラビリンス」
僕は素早く目を逸らした。
「へっ、馬鹿め。無駄だ、目を逸らしたぐらいじゃ防げねえさ」
キンターとペッシは笑っていた。それがよく見える。
「ジェイク、武器を捨てろ」
これも僕には不発だった。
だから僕は言ってやった。
「嫌だって言ってるだろ」
2人は呆気に取られて開いた口が塞がらないようだった。
僕はそれだけで勝ったような気がした。
「この野郎、防衛魔法を張ってたのか?」
「どうしますか?」
「仕方ねえ、力づくで取り押さえるんだ」
「そっちの方が俺の得意分野ですよ。あんな錆びた剣じゃ何も出来ませんて」
キンターがこくりと頷いた。その後にペッシに向かって合図した。
まずペッシから来る、そう思った。
「皇帝魔法を見舞ってやるぜ!」
ペッシが右手を突き出して唱えた。
「ボルテックス・ヴァイパー!!」
手の先から獣の形をした雷が僕を目掛けて疾駆して来る!!
僕は避けようと左へ移動したが間に合わない。
だが、避ける必要もなかった。
ペッシの魔法は僕からまだ離れたところでパシィっと音を鳴らして掻き消えてしまったのだ。
「ペッシ、魔法は使うな。こいつ、強力な防衛魔法を展開させているかもしれん!」
「分かりました」
いや、そんな魔法を展開させた覚えはないんだけれど。
とにかく好機だった。ペッシは得意の魔法が消えた事にショックを受けて慌てているし、キンターは警戒して近づいて来ない。
「みんなを解放するんだ!! そうすれば今回は僕も手を引くよ」
僕の目的はあくまでそれだ。変わらないんだ、それさえ通ったら僕はお前たちの事をさっぱり忘れる。
「そうは行かねえよ。お前たちを売って得た金は俺たちの食い扶持なんだ」
「ボス!!」
廃墟の奥から大きな鎌を背負った背の高い男がやって来た。
ガリガリに痩せた男でくせっ毛は長く洗っていないと思われた。それに痩せこけた頬と目の下の隈が異様なほど男を恐ろしげに見せて来た。
「ペッシ、魔法を弾かれたからと言って慌てちゃいけねえ。これが本物の戦闘だったらお前から狙われる事になるぞ。冷静さを失わねえために次の一撃を考えるんだ」
「ペイトン兄貴、すまねえ」
「馬鹿野郎、ここではボスと呼べと言ってるだろうが!」
「す、すまねえ、ボス!」
ボスが真ん前に出てくるとペッシとキンター、ルードと他の数名が後に回った。
「おい、妙な正義感を見せるのは止めな。それで死ぬ事もあるんだぜ。ここで死ぬよりか働きながらでも生きた方が身のためじゃないか?」
「嫌だね、僕は売られるなんて真っ平御免だ!!」
「へっ、初めはそうかもしれねえさ。でも、売られてみたらそこまで重く考える必要もない事だって知るかもしれないぜ。なあ、気楽に考えようや。俺たちの提案を飲んだ方が良かったって後悔するかもしれないぜ」
「僕はこれまで非生産的に生きて来た。でも、今はそれが間違いだったと思う。
生み出そうと思っていたのに踏み出せなかったんだ。僕はこっちに来て色々な経験をした。高い所から落ちたし、こんな風に人売りとも接した。今までになかった事だ。僕は変われる気がするんだ、その気がここでお前たちの要求を飲んで人売りを見過ごしてしまったら掻き消えてもう取り戻せなくなってしまう気がする。だから僕は戦う事を選んだんだ!!」
僕の叫びを聞いたペイトンは背後にいた部下に手を振った。
それが散開の合図となって僕を要とした扇型に広がり始めた。
明らかに不利だった。
地の利も向こうにあるし、数的有利も向こうにある。
「ふー」
ペイトンは後頭部を掻いていた手を下ろすと僕を見て言った。
「じゃあ、死ね」
ペイトンは鎌を構えて鋭い切っ先を僕の胸元へと突き込んで来る。
背の高い男だがとても敏捷だ。
僕が顔に表情として恐怖を出すよりも速くペイトンの突き込んだ鎌の切っ先は胸に突き刺さった。
かと思えたが突き刺さる事無く何かに阻まれている。
まあ、僕はちょっとだけ期待していた。だってあの塔から落下して地面に激突した時でも無傷だったんだ。それが今回でも見られやしないかと考えたのだ。
僕は何かに守られていると思った。
ペイトンは瞬時に退いていく。
その間にも手で部下に指示を出した。退く隙を作るための攻撃を命じたのだ。
扇型に展開していた部下たちが一斉に僕を目掛けて魔法や投擲武器を投げてくる。
なんだかちょっと不味いような、平気なようなよく分からない状況だと思った。
とにかく出来る限り攻撃は受けない方が良いと思えたので回避しようと動いたら僕とペイトンたちを隔てるように氷の壁が出現した!
その魔法の出処はすぐに分かった。
催眠魔法をかけられて連れて来られた中のひとりが手を突き出して唱えたからである。
「ノア・エメリカ!」
キンターが叫んだ。
彼女は僕の方へと歩み寄って来て言った。
「助太刀致します」
透き通るようなとても綺麗な声をしていた。フードを取ったノア・エメリカはとても綺麗な女性で短い銀髪で驚くほど白い肌をしていた。そして蒼色の瞳、これが最も美しかった。
「あ、いやあ、ありがとう」
いや、色々と聞きたい事があるが後にしておこう。
「いいえ」
彼女はそう言って僕の隣に立った。
すると氷の壁が砕けてペイトン一味の連中が姿を現した。
「ノア・エメリカは女教皇魔法の使い手です。それもかなり強力な使い手のはずです」
キンターがペイトンに囁いた。
「おいおい、ノア・エメリカ、お前はそいつの知り合いか?」
「いいえ。今日、初めてお会いしました」
「助太刀する友情をいつ築いたんだよ。そんなのは無駄さ、止めようぜ」
「あなたとお喋りをするつもりはありません」
そう言うとノアは僕の方を見て尋ねてきた。
「どうなさいますか?」
どうなさるもなにもないんだけれど。
とにかく僕は他の人たちも助ける気でいたからそうしようと思う。
「僕は他の人も助けるよ」
「なら、そうしましょう。手を引くように要求してください」
「お、おい、手を引け。今なら僕たちは追いはしないぞ!」
ペイトンは僕の要求を飲もうとしなかった。
ただ付き従う部下たちは及び腰になっている。戦意は薄れていた。
「へっ、ふざけやがって。ちょっと助けがあるからって良い気になるな」
ペイトンの隣に出たペッシが言った。
「ペッシ、下がってろ。おい、お前ら戦うぞ。小娘とガキなんかにビビってんじゃねえ」
うーん、戦うって事は僕の正体不明の防御を超える術があるのかもしれない。退いてくれれば良かったんだがなあ。
「ところでノア、お前は催眠魔法をどう切り抜けたんだ?」
「あの程度の催眠魔法なんて初めからかかりませんよ。弱い暗示程度にしか感じられませんでしたね。魔法構造を理解していれば防御魔法を展開させるまでもありませんでした」
え、それならどうしてこんな所まで来たんだ?
「お前ら、行くぞ!!」
ペイトンの号令で一味は一斉にノア目掛けて襲いかかっていく。
それも当然だった。僕は脅威とならない。防御は凄いかもしれないが攻撃は錆びた剣のみなのだ。
男7人が1人の美女に襲いかかる様は壮絶だった。
僕は奴らと類の違う男として何としてもノアの助けにならなければならなかった。
ただその助けも必要ないように思われた。
7人を相手にノアは上手く立ち回っていたのだ。
「アイスフォール!」
超巨大な氷塊がペイトンたちの頭上を浮遊してノアが振り上げていた手を下ろすと7人を目掛けて落下していく。
明らかにペッシよりも数段格上の実力者だ。そしてよく訓練された女性でどこかで鍛えられたものらしい。
ペイトンたちも組織だって戦っている。
攻撃と防御で分担している。攻撃はペイトンを中心にキンターとルードが行って他の4人がサポートして防御に回っていた。その分担は徹底していてサポートの者たちは一切攻撃しなかった。
恐らくこうした戦いを何度も経験してきたのだろう。
そうとなれば僕の役割も決まってくる。
僕もサポートして防御に回るのだ。
念のために錆びた剣も持っている。何も無いよりは良いだろう。
僕も戦闘の真ん中にいるためか身体が変に熱いのだった。
「ファイヤー・スネーク!!」
炎の蛇がノアを目掛けて伸びていく。
僕はその胴に錆びた剣を叩きつけた。
すると何も無かったように炎の蛇が消えてくれた。
やっぱり僕には魔法を打ち消す力が備わっている。何時どこでそんな能力を手に入れたのかは分からないし、今ここで考える事でもない。
「よし、やれ!!」
ペイトンが叫ぶと攻撃に回っていた3人が瞬時にノアの周囲から退いた。
それを見たノアもその場から離れようと飛び退いたがペイトンたちの方が速かった。
「ブラック・プリズン!!」
黒い幾条もの線がノアの身体に巻き付いて捕らえてしまった。
「ガキを近づけるんじゃねえ!!」
膝を着いて黒い縄に捕縛されてしまったノアと僕との間にキンターとペッシの2人が立ちはだかった。
「馬鹿をしたな、ノア・エメリカ。あんなガキについて何になる?」
「さあ、私にもさっぱり分かりません。でも、不思議と後悔はしていませんよ。私は別にあのまま売られても良かったんですから。あの人があの荷台の中で懸命に人を助けようとする様子を見ていたら力になってみようと思っただけなんです。家族を失ってしまった今、もうどんな幸福も有り得ないと思っていたのに、こんな力が湧いてくるなんて思いも寄らない事でした」
ノアの顎に手をかけて彼女の顔を上げさせるとペイトンは悪そうに笑った。
僕は今こそ命を張る時だった。
僕に協力しようと言ってくれた人を見捨てるなんて出来っこない。
身体の熱はとんでもないぐらいになっていてまるで戦えと言っているようだった。
ただ改めて見てみると相手は3人に減っていた。どうやらノアが4人を倒してしまったらしい。
「や、やってやる」
この錆び付いた剣で出来る限り戦ってやる!
戦うと意志を固めた瞬間、僕の内に沸々と湧いて来ていた熱が一気に凝結していく感覚があった。
「な、なんだそれ?」
ペッシが言ったが驚いているのはペッシだけじゃない。キンターもペイトンも手が止まってノアさえも驚きに目を見開いていた。
その視線は僕の後方へと向けられている。そしてその後方にこそ僕の凝結した熱を感じていた。
僕もつられて振り返って見てみるとそこには、太陽があった。
煌々と照り輝く太陽が眩しいほどよく見えた。
「せ、世界魔法………」
ノアがぽつりと呟いた。
「へっ、そんなのは嘘だ。世界魔法なんておとぎ話だ」
「そうだよ、そんな上等な魔法をこんな馬鹿が使えるはずねえさ」
「キンター、攻撃しろ!!」
ペイトンに命令されてキンターは両手を前に突き出して唱えた。
「ファイヤー・アックス!」
炎の斧が僕を目掛けて振り下ろされてくる。
だが、その炎の斧は僕からいくらか離れたところで消えてしまった。
なんか今が好機みたいだ。みんな、僕の後ろにある太陽を恐れている。
「おい、彼女を離せ!!」
虎の威を借る狐の気分でちょっと嫌になるがこの際は仕方がない。
それなのにペイトンは前の2人に下がるように命じなかった。
ノアの捕縛も解こうとしない。
「ちっ、景気づきやがって。嫌いだぜ、てめえみたいなお調子者はよ」
ダメかもしれない。
ペイトンが強気なのに影響されてペッシとキンターも勢い付いて僕と面と向かって対していた。
えい、もうこうなったら突進するしかない!
最強の防御が展開されているならこのまま突っ込んでこの錆び付いた剣で叩きまくってやる!!
いざ突進!!
行くぞお!!!
僕は阻むペッシとキンターの間へと走り出した。
すると太陽もまた僕から離れないで付いてくる。
その迫り来る光景に恐れをなしてペッシとキンターは飛び退いた。
ペイトンへと至る道が開けたので僕はいよいよ剣を振り上げた。
「へっ、錆びた剣で何が出来るってんだ。中身は心得のねえガキじゃねえか」
ペイトンは振り上げた剣を鎌の湾曲した刃とその長い柄で挟み込むと言った。
「剣の振り方を勉強してから来るんだな。折ってやるよ」
僕が握る剣に偏った力が加えられていく。
錆び付いた剣がピシッと鳴って罅が入るのが分かった。
折れてしまうと思ったが僕は唯一の武器を手放す訳にはいかずにそのまま固く握りしめるのだった。
パキャっと音がすると茶色い錆が砕け散るのが見えた。
そしてそのまま剣の刀身を固定していた鎌の刃と柄をするりと斬ってしまった。
まるで包丁で豆腐を切るかのような滑らかさだった。
僕が握りしめていた剣は新たな光り輝く刀身を見せていた。
ただ鋭く光っていて太陽の輝きとは異なっている輝きだった。
ペイトンは刃を失った柄を呆然と見てからすぐに身を翻して柄を僕へ投げかけて来た。
それも僕に届く前に掻き消えて塵として空を漂っていく。
僕はすぐにノアの傍へと駆け寄って3人に向かって剣を構えた。
確かに僕は素人で実力は皆無に等しいが何かとてつもない力が宿っている。これを上手く使うしかない。
「ちっ、面倒な事になって来たな」
ペイトンはまだ何か余裕を保っている。比べてその背後にいるペッシとキンターは今にも逃げ出してしまいそうな表情だ。
逃げてくれないかな、2人が逃げてくれたらさすがにペイトンも退くだろう。
「そこまでだ!!!」
この号令を機に騎士たちがこの辺りを囲っていく。
軽装備の騎士が並んで僕たちを注視する様は圧巻だった。
いや、悪人はこいつらで僕らは被害者だから。
号令をかけたのは甲冑に身を包んだ長い金髪の女性だった。
明らかに率いる騎士たちとは身分が格上だと主張する甲冑をしている。
金属部は白金でプレート部分の縁は金色だった。
強い眼差しでペイトンを睨みつけている。そうです、こいつです、悪者は!!
囲む騎士たちは僕の背で煌めく太陽に目が行くようだが女性騎士は目もくれずペイトンを捕らえるべくゆっくりと歩み寄って行く。
状況が膠着したので僕はペイトンたちをこの騎士たちに任せてノアの捕縛を解く事にしよう。
「大丈夫?」
僕が尋ねるとノアは「はい」と答えてくれた。良かった、平気そうだ。見たところ大きな怪我も無さそうだしな。
「動くな!!!」
女性騎士が僕に怒鳴った。
「次、また動いたらお前も捕らえてやるぞ!」
えー!!
この人、脳筋タイプか。
まあ、騎士たちの中でやって行くにはそうなってしまうのかなあ。
美人に見えるんだが。
僕はノアの隣に体操座りで座って経過を見守る事にした。
「ペイトン・コリダー、年貢の納め時だな。アリア・ロレンツォ・ロンドリアンがお前を逮捕する。抵抗するなよ?」
「けっ、この時を待ってたってか。ロンドリアンのクズ共め」
「両腕を前に出せ」
ペイトンは要求に従って両腕を前に出した。
その滑らかさに僕は少しの違和感を感じたが僕は何も言えない。
多分なにか仕掛けてくるだろう。
「ドラゴン・フォグ」
ペイトンが唱えると身体から黒い霧が吹き出した。まさしくドラゴンの息吹のように辺りに立ち込める。
「ロイド隊、フェルガス隊は追走しろ!!」
「「承知!!!」」
黒い霧が徐々に晴れていく。
僕はと言えば背の太陽が霧を払ってくれるのでこの辺りは全く影響がない。
「やっぱり何かすると思ったんだよね」
「はい、騎士たちの要求を素直に聞き入れていましたもの。何か講じていたんですね。でも、騎士たちの動きも迅速でした。予期していたのでしょう」
「うん、捕まったら良いんだけどな」
「大丈夫ですよ。ロンドリアンの騎士は優秀ですから」
ノアと喋っていたら黒い霧はほとんど無くなって夜闇に紛れてしまった。
僕も戦闘の熱が萎んでいき、背の太陽も同じように小さくなっていく。
すると目の前にアリアと名乗った女性が僕たちを見下ろしていた。
「君たちはどこから来たんだ?」
「まず、私たちはペイトンの被害者です。拘束を解いた上で話しましょう」
ノアが言った。
「いいだろう」
ノアの要求に応じてアリアは捕縛を解いた。
ノアはこの捕縛を苦にしていた様子がない。
立ち上がって伸びをしてアリアと僕を交互に見ると僕ににっこりと微笑んで言った。
「助かりました。本当にありがとうございます」
「いや、僕は何もしてないよ」
「いえ、そんな事はありません。あなたがいたからみんな助かったんです」
こうして礼を言うノアだが彼女はこのまま売られてもいいとペイトンに言っていた。
礼とその打ち明けはそぐわないような気がする。
「でも、ノアはこのまま売られても良いって言ってたよね? あれって本当なの?」
「はい、あの荷台で催眠魔法にかけられた人々を助けようとするあなたを見るまではそう思ってました。そして荷台を出て行った時にまた売られると思いました。それもそれで良いと思ったんですがあなたが戦いを始めたので助太刀したんです」
「ダメだよ、自分を大切にしなきゃ」
「はい、自暴自棄になっていました」
にっこりと微笑んでいるノアは綺麗だ。
こんな女性も7人の男を相手にして4人も倒してしまう実力者なのだから恐ろしい。
すると、アリアが咳払いをして注目を集めた。
「再度、尋ねるが君たちはどこから来たんだ?」
「ベリエスデスの天啓台からです」
ノアが答えたので僕も同じくとして頷く。
「なるほど、それで君たちの名前と関係を教えてもらえるかな?」
「その前にロンドリアンと名乗りましたね、それもアリアと?」
「いかにも、アリア・ロレンツォ・ロンドリアンだ」
「ロンドリアンの第3皇女がどうしてここに?」
「ふん、騎士の真似事だと揶揄うなよ。私はそう言われるのが1番我慢ならないんだ。ペイトンは盗み、人売り、殺し、様々な悪事をロンドリアンの国内でも働いていた。それほど大きくないが活動拠点がロンドリアンとローグロウの間だったからな、目の上のたんこぶのようになっていた。奴は鼻が利く、拠点を頻繁に変えて上手く立ち回っていたが遂に尻尾を掴んだ今日なんだ。まあ、一味は瓦解した。時間の問題だろう。さあ、君たちの答える番だ」
「私はローグロウから来ました。ノア・エメリカです」
「エメリカ?」
「ええ」
「ローグロウのエメリカと言えば女教皇魔法のスペシャリストと聞いているが?」
「さあ、そのエメリカかは分かりませんね。母は確かに凄腕でしたが父と共にグランドールの粛清の犠牲となりました」
「そうか、ご両親のご冥福をお祈りする。女教皇魔法の跡がある。あれは君だな?」
「ええ、戦いましたから」
「なるほど、戦闘の訓練は受けているんだな。よろしい。さて、じゃあ君はどこの誰だ?」
アリアはそれまで僕にはまるで興味がないと言わんばかりに見向きもしなかったのがくるりと向きを変えて僕を見て尋ねた。
ノアまで僕をじっと見ている。だか、その目は優しげでなぜだか僕の全てを分かってくれているような、つまりこの世界の外からやって来たという事すらも理解してくれているような目をしていた。
対してアリアはと言うと敵愾心に燃えた目をしている。
「僕は、ジェイク・アロンソだよ。よろしく」
「ふむ、君もローグロウから来たんだな?」
あれ、僕はなんと答えたら良いだろう。
ローグロウについて答えろと言われると僕は答えられない。
ええい、どうとでもなれだ。あの時にあの塔の傍に居たのならきっとローグロウさ!
「はい、ローグロウからです」
「そうか、君とノアは昔からの知人なのか?」
「いいえ、今日初めてお会いしました。ペリエスデスの天啓台での崩落事故で見たような気がしますけど特に目を留めた覚えはありません。ここへ連れられて荷台に乗り込んだ際が初対面です」
ノアが答えた。
僕は助かったような気がした。
「ノア・エメリカ、私が君に聞くまで話は彼から聞く。君は君の質問に答えてくれればいい。ジェイク、いいかな?」
ノアは頷きもせずに僕を見ている。
アリアの質問がこれ以上に穿ったものでない事を祈りつつ僕は頷いた。
「とは言うもののこれと言って質問はない。が、君たちの身柄は私たちが引き取るつもりだ。ペリエスデスの天啓台の事故とペイトンの事など話をよく聞きたい。どうだろう?」
僕としてはあの棺の塔の崩落の責任を問われる事さえ避けられるならなんでもいいんだ。
とりあえず何か日本の事や異世界の事情を知りたい。
「ノア・エメリカ、君は家の事情もあるだろう。帰るか?」
「いいえ、エメリカの家は兄が家督を継ぐ事に決まっています。私は、そうですねえ」
悩む素振りを見せながらノアは僕の方を真っ直ぐに見て何かに納得したように頷くと、
「彼に従います。彼があなたに付いて行くと言えば私もそうしますし、付いて行かないと言えば私も付いて行きません」
そんな人の行方を委ねられても困るんだが。
「ふふ、決めました。今ここで」
そう笑ってノアは言った。
「僕は、ローグロウに行くつもりは無い」
僕は言った。
「そうか、ならロンドリアンは君たちを客分として迎えよう」