ウェルガリアの国王は鹿だった
ここは何処だろう?
どうやら寝ていたみたいだけどその姿勢は横になっている感じじゃない。
「おい、夏天よお、いつまで寝てんだよ?」
男の声、聞き慣れた声が聞こえる。
「もうすぐ矢野が来るぞ」
矢野は僕のクラスの数学の教師で授業のみならず学校内での居眠りを許さない教師でもしその居眠りする様子を見られたら授業で当てられる事は必至なのだ。
「お、起きたな。さすがにお前も当てられるのは嫌か」
僕の前で笑うのは友人の前川だ。
間違いなく前川でそれは夢という実感がない現実だった。
「げ、顔洗って来いよ。ヨダレが垂れてるぞ。きったねーなあ」
「うん」
僕は立って洗面所の方へ向かった。
顔を洗うと意識がはっきりして来た。
僕は今、学校にいる。
ポケットにはスマホが入っている重みがある。そんな重みがとても懐かしい気がする。いや、制服に身を包んでいる感覚がとても懐かしい。
スマホで日にちを確認すると公園で本を読んだあの日から5日も経過していた。
やらなくちゃいけない事がある。
本の事を調べないといけないし、直斗に会わなくちゃならない。
幸いな事に授業も数学を最後に今日の予定は消化される。
それからは自由だ。
授業が始まったが僕がノートに書いたのは今後の予定・やらなければならない事のリストだった。
リストと言っても数は少ない。
まずは直斗に会って本について知ってる事を尋ねよう。
直斗は僕よりも早く本を複数冊買っていた。
どうして複数冊も買う必要があったのだろう。
もし、僕と同じ理由なら………
授業を終えると僕は直斗がいるクラスへ向かった。
直斗のクラスの知人を呼んだ。
「直斗を呼んでくれない?」
「直斗は休みだよ」
「え、体調不良で?」
「そうだったかな?」
「分かった、ありがとう」
すぐに直斗の家に向かおう。
いや、電話かメッセージにしておくか。
直斗に電話をかけてみるけれど出ない。メッセージを送ってみたが電話に出ない以上は返信がすぐに来るとも思えない。
もう直接直斗の家に行くしかない。
訪ねてみると直斗のお母さんがまた対応してくれた。
「それがねえ、家に居るのよ。それも健康に。体調不良なんてしてないのよ。ゲームの大会に出るって言って今日と明日の休みをとってるのよ。本当にあの子の将来ってどうなっちゃうのかしら」
ゲームの大会?
「ありがとうございます。まあ、今はプロゲーマーっていう職がありますから」
念のためフォローしておこう。
「暇が出来たら僕のメッセージに返信してくれって言っておいてください」
「ごめんね、しっかり伝えておくから」
マンションに帰って来たんだから僕の行く先も自然と自宅になる。
エレベーターに乗り込んで僕の家の階を押した。
自室に入ると僕はあの本と作者のオム・オム・オムライスについて調べた。
性別は分かっていない。本の売れ行きはなかなか良いらしい。高校生作家という噂で買う人が多いようだ。
再びダイレクトメッセージを送る気にはなれない。
多分相手にされないだろうから。
家に帰るとリビングに母親がいた。
前回の別れ方を思い出すと僕はちょっと接しにくい。
でも、どう変わったのか見たい気持ちがある。
「ただいま」
リビングと廊下を繋ぐ扉を開いて中へ声をかける。
ゆっくり振り返るような動作の音が聞こえる。
「ん、おかえり」
普段の優しい母親の声だった。
「今日の夕飯は何時ごろ?」
「えー、何時ごろだろな。多分、7時過ぎぐらいだよ。なに、なんかある?」
「いや、特に何もないけど」
本当に何もない。
でも、どうしていつも通りなんだ?
いや、待てよ、僕は気を失ったはずじゃなかったか、あの公園で。
「母さん、僕が昨日、何してたか覚えてる?」
僕が尋ねると母親はきょとんとした顔をして笑い始めた。
「おかしな子ねえ、母さんが知るはずないじゃない。覚えてないの?」
「いや、老化のチェックをしてみただけでーす」
からかいを言い残して僕は自室に向かった。
リビングの方から「余計なお世話ですー!!」と言っているのが聞こえる。
そうだ、僕は確かにあの公園で気絶したはず。
それからの5日間を僕はどうやって過ごしていたんだろうか。
すると、スマホがメッセージの着信を知らせた。
直斗からかと思ったが母親だった。
[あんたが昨日の夕飯を食べてる時に話した内容なら覚えてるよ。見てるアニメが期待通りの出来で良かっただとか声優が新人で不安だったけどすぐに好きになっただとか言ってた。母さんは全然ボケてませんから!!]
[そうみたいだね、良かったー]
適当に返事をする。
僕はそれを知らないけれど今季のアニメで期待通りだったものはいくつかある。
心当たりがないとも言えないのだ。
僕は、夕飯前にあの本を手に取った。
《ファンタジスト・ラプソディ》は冊数が減っている。
2冊になっているのだ。
読んで向こうの世界へ行って目覚めると消えている。
いや、今回は公園での事だから置き忘れたと言う事も考えられない事は無い。
原因はこの本以外に考えられない事は確かだ。
僕はこの本を最後まで読めていない。酷い頭痛で気を失ってしまうから。
もし、最後まで読めたならどうなってしまうのだろう。
読んでみよう。
最後まで、何とか気力を振り絞って。
目を覚ました。
今度は横になって柔らかい布の上で横になっていた。
手を持ち上げて見た。
小さな手が見える。赤子のままだった。
「お、起きたか」
アリアの声が聞こえた。
「お夕食が出来ていますよ。食べましょう」
ノアがスープの入った湯気の立つ椀を持ってやって来た。
僕を抱き上げてスプーンに掬ったスープを僕の口元に持ってくる。
「はい、あ〜んですよー」
スープは美味い。
「さて、夏天が目を覚ましたから話していた今後の事をおさらいしよう。夏天、言葉は理解出来るな、出来るなら右手を挙げてくれ」
僕はアリアの言う事に従って右手を挙げた。
「よし。サーシャ、始めてくれ」
「夜がやって来るのがいつもより早い。今日はこのままここで夜明けを待つ。夜明けはしっかり陽が出るまで待つ。その後はすぐに首都へ向かう。全速力で」
「よし、夏天にも聞こえてたな。明日の事が分かったら右手を挙げろ」
僕はまた右手を挙げた。
そうして僕たちはまた眠りに着いた。
起きた時、僕は身動きが取れなかった。
というのも両隣がアリアとノアで仰向けに寝る僕のお腹と胸の辺りにそれぞれの手が置かれているし、アリアに至っては足も絡んでいる。
身動きが取れなかった。
少しでも動かそうものなら2人の安眠を妨害する事間違いなしで規則正しい寝息は安眠間違いないのだ。
「君たちはそういう関係なんだな?」
起きていたサーシャが声を潜めて僕に言う。
僕は首をふるふると振るだけで否定する。
「ん」
ノアが僕の耳元で漏れた声を出した。
「夏天が悪い、もう全部」
アリアがボソボソと言った。が、聞かなかった事にする。
「よしよし、みんなを起こそう」
サーシャが揺すったり、叩いたりしてみんなを起こしていく。
アリアとノアも起こされた。
ようやく解放されると思ったのだが。
「おはようございます、夏天さん」
「お、戻ってるじゃないか。夏天、昨日の事は覚えているか? 赤ちゃんになってたんだぞ。私とノアが夕飯のスープをあげたんだ。お返しに何か要求しても罰は当たらないなあ」
「おはよう、昨日はありがとうね。お返しなんて思いつかないんだけれど」
「いいえ、良い体験をさせてもらいました。それだけでも十分です」
「まあ、私も意外と子供が好きって分かったしな」
「もう2度と月光は浴びない、絶対に。ところでバジャールは?」
「戻って来ていない」
太陽は東の方角から昇っている。
そして西へ沈む事はなく夜へと飲み込まれていく。
「よし、出発しよう」
サーシャが言ったので僕たちはテントの片づけを始めた。
僕はフレンのところへ行って彼を撫でた。
すると彼は僕を心配してくれるように顔の傍に鼻先を持って来てもそもそと動かした。
「ごめんね、僕も気を付けるから」
僕たちは首都へ向かって走り出した。
ウェルガリアの首都フランティアは巨大な都市だった。
円形の城壁の中に国王が住む城があり、城壁を囲うように街並みがある。
僕たちはいくらか余裕をもって城内へと辿り着いた。
到着するまでの道のりで見て来た街並みは活気がなく、人が歩いているのもほとんど見られなかった。
サーシャの案内で馬を厩舎へと入れると僕たちはさっそく国王の居る広間へと向かう。
「すぐに話をしよう。まずは夜の足が早くなっている事を確認して今後の対策を講じたい」
「うん」
「ふむ、ウェルガリアの城の内部はこうなっているのか」
アリアとノアはこの城の内装に注目しているようだった。
そう言えばノアは建築の勉強をしているんだったっけ。
「済まないがここで待っていてくれ。国王に話を付けて来る」
僕たちは頷いてサーシャが広間の扉を開けて入って行くのを見送った。
「侍従が誰もいないのですね」
「そうだな、ここまで来るのにもすれ違った人は極端に少ない」
「みんなこの事態に困り切っているんだろうね」
「だろうな、実際に活動が制限されるというのは酷い苦痛となるはずだ」
しぃぃんと静まり返っている城内は恐ろしい。
アリアと過ごしたロキアーノの城の中がとても良い場所に思えるほどだった。
「は、入ってくれ」
広間の扉を開けてサーシャが言った。
その声は涙ぐんでいて非情なショックを受けたようだった。
僕たちは広間の中に入った。
そこは凄惨な様子をしていた。
女性や男性が入り混じって王国を立て直すためにあれこれと考えているようだった。
国王が中央に居てそれぞれに指示を出したり、報告を聞いたりしているのが見える。
だけど、その姿は異様だった。
僕たちがサーシャに引き連れられて国王へと近付くと仕事を中断した国王が威厳を保ったまま挨拶を始めた。
「ご協力に応じてくれるようで感謝申し上げる。私はウェルガリア王国の国王アノール・ウェルガリアだ。こんな状態だが国王として働いている。状況としては非常にまずい」
国王の姿は下半身が鹿だった。その上、上半身も毛に覆われようとしている。人間らしいところは顔と腕の一部だけだった。
「どうしてそんな姿に?」
「月光を浴びた回数が多いためでしょう。何度も浴びていると徐々に身体が変化した先の一部が残存するようでね」
そうなると分かっているのなら月光を浴びないようにしたら良いのに。
「月光を浴びたら変化すると分かっているんだ。浴びなければいいのではないか?」
アリアが尋ねた。僕もそう思う。原因が分かっているのなら対処は容易のはずだ。
「それが夜の侵食が広がると共に月光の影響も拡大しているのだ。初めは我々人間のみの変化だったのが建物までも変化するようになってしまった。これが非情に大きな問題となっている。夜になるとこの城は草木が生い茂る森へと変わる。月光もその間を通って注がれる事になる」
勢力を増して及ぼす力も大きくなったんだ。
でも、僕はそこでピンと閃いた。
「穴を掘って月光が届かないところへ避難したらどうですか?」
「我々もそれなら安全と思ったのだが『人工物』では全て変化の対象となってしまうし、月光を遮る事も出来ない」
「八方塞がりって事か」
アリアが呟いた。僕は何か手があると信じたい。
「ところで私たちと共に来た男が月光を浴びて変化すると我を失ってどこかへ行ってしまった。そうした例はそちらでも見られるのか?」
「ええ、ありますよ。数人いた。それに変化が進行して人間的な部分がなくなるとそれだけで去っていく者もいる。我を失っての行動なのか、それとも意識的な行動なのかは分からんがね」
「で、では、お父様、これだけ人が少ないのは………」
「野に下った者が大半だ。後は国外に出て行った者もいるだろう」
国王の言葉を聞いたサーシャは酷いショックを受けたらしい。
「よし、現状がとても酷い状況だという事は分かった。解決策を考えよう。夏天、何かあるんじゃないか?」
僕が考えていた事を見透かしたようにアリアが言った。
国王とサーシャが僕を見る。
確かに問いかける事が出来る。
それが打開策になるかは分からない。
「僕たちはロキアーノで似たような事件を解決しました。その時に対峙した男はグランドールの配下で『朝を奪い、グランドール様に再創造していただく』と言ってました。その時にロキアーノにあった《グリシャの天杖》を盗む必要があったみたいなんです。何か物が無くなっている事はありませんか?」
国王もサーシャも考えこみ始めた。
ここまで事態が進行していると分からないかもしれないが僕はあるんじゃないかと思っている。
「確かにこのウェルガリアにも《グリシャの天杖》と並ぶ遺物がある。だが、あれはもう使い物にならない代物でこんな事を引き起こす力は無いと思うのだが」
「どこに保管しているんですか?」
国王は信じていない。
原因は他にあると思っているようだ。
ただサーシャが答えてくれた。
「城の倉庫にあるはずだ」
「確認しましょう」
ノアが提案したので僕は頷いた。
「私が案内する」
サーシャが申し出てくれたので任せると広間の外へと向かった。
僕が歩き出す直前に国王が呼び止めた。
「そのグランドールの配下という男の名前は分かるのか?」
「はい、確かバートン・シェルダンと名乗っていました」
「ありがとう」
何か意味があるような表情をして国王は仕事に戻った。
「夏天、急げ」
アリアが急かすので僕は違和感を拭いつつサーシャたちが向かう城の倉庫へと急いだ。




