あばら家に居る男-①
僕はそれまですきま風なんて感じた事がなかったんだと思った。
僕が家族と住んでいたマンションは全室エアコンがついているマンションで空調管理は行き届いていたし、風もそれほど強くならない地域だった。
僕はそれがとても幸せな事だったんだとこのディーノの家に入った時に思った。
ディーノの家は全ての物が低かった。
背の捻くれた彼が過ごすのに調節されていて半ばまで燃えたロウソクがあちこちにあるがそれは僕の膝下ぐらいの高さまででそれより高い所には置かれていない。
真っ暗な部屋の中でリビングらしいところにまで来ると1人の男が窓際に立っていた。
「おや?」
その男が振り返らずに言った。
「誰ですか?」
「僕は、夏厩夏天です。あなたは?」
「ふむ、私はここでディーノ・ノーパスという男を待っているんですが君もですか?」
「ディーノ・ノーパスは今どこに?」
「なるほど、借金取りには見えませんね。私が託かりましょうか?」
「いや、大丈夫です。あなたはどうしてディーノ・ノーパスを待っているんですか?」
この男は何者か答えなかった。
僕は剣を持っている、戦う覚悟は出来ている。
「ある物をここまで届けて欲しいとお願いしたんですよ」
「なんですか、そのある物って?」
「素晴らしい物ですよ。ある所に保管されている、ね。ただ彼は受け取ってここまで運ぶだけの運び屋ですけどね。仕立て屋という人々は城へも行きますから彼は何度も行っているんですよ」
「杖ですね?」
「ほう、あなたは何から何までご存知のようだ」
「今すぐディーノ・ノーパスを止めてください」
「彼は何かしましたか?」
「大きく膨れ上がって巨人のようになって城にしがみついています。もっと酷い事態になる前に彼を止めてください!」
「そうですか、彼はあの黒玉を使用したんですね。素晴らしい、彼の愛は本物だ」
「あなたがグランドールですか?」
「おや、困りましたね。私は前言撤回しなければならないようですよ。あなたはどうやら何も知らないようだ。グランドール様は私の師ですよ、私はバートン・シェイダンと申します。以後、お見知り置きください。いずれ、あなたにはまたお会いする機会があるかもしれませんから」
「彼を止めてください!!」
バートンは高笑いをした。
「私は今、とても気分が悪いんですよ。まあ、要するに非常にご機嫌が良いという事です。おや、信じていませんね。では、あなたにひとつまみの真実をお教えしましょう。この世界はいずれ滅びますよ。破壊の後には創造がある。我が師が導いてくれるでしょう。感じませんか、この鼓動を。私は喜んでいます、ディーノ、あなたの鼓動はなんと心地よいのでしょうか。あなたは止めろとおっしゃいますね、いけませんね、生命活動を始めた赤子の鼓動を止める者がおりますか。古今東西いませんよ。今まで生きていなかった命が今、鼓動を始めているんです。耳を傾けなさい、目で追いなさい。きっと素晴らしい成長を見せてくれますよ」
僕は剣を抜いた。
戦うしかない。
「おやおや、あなたも本気のようだ。が、無意味ですよ。私に向かって剣を抜いてもあなたが守ろうとしているものはここにないでしょう。抜くところを間違っていますね。ああ、あなたは剣よりも目で私を切ろうとしていらっしゃる。目では切れませんよ。あの男もそれほど追い込まれていましたかね。今のあなたと同じように。私たちは彼に囁いたんですよ、グランドール様の粛清の対象から君の愛しい人を除外するよう取り計らいますよ、とね。すると彼はそのためなら何でもすると言いました。あなたもまた何でもするんですね」
「彼を、止めろ!!!」
「私は止めるつもりはありませんよ。さて、私はここを去るとしましょう。彼を待っていても来そうにありませんからね。私から出向いてさしあげる事にします。私、朝が嫌いなんです。あなたは今、何時だか分かりますか?」
僕は答えなかった。
要求はたったひとつだ。
止めるために僕はこの男に斬り掛かるつもりで剣を握る手に力を込めた。
「今はもう6時ですよ。本来なら日の出があってもおかしくありません。我々はついに朝を消滅させたんですね。世界から朝を破壊したんですよ。そして我が師がその余地に新たな朝を創造してくださいます。その時を待っていてください。すぐですよ」
僕は、斬り掛かるために飛び上がるとそれよりも速くバートンは飛び退いていた。
空振りする剣が床の板を割った。
「それではごきげんよう」
バートンが夜闇に消えていく。外へ出たバートンを追って僕も外へ出るとそこはもう瘴気の海となっていた。
その海の中を高笑いして行くバートンの声が聞こえて来る。
僕は、ディーノの家の中に戻った。
ベルティーナたちがテーブルの上で寄り集まって苦しんでいた。
彼女たちを逃がさないといけない!
僕は彼女たちを抱えると高いところを目指して走った。
ヨハンは瘴気に耐えられずに倒れている。
「か、夏天、いいから放っておきなさいよ、馬鹿ね」
「ダメだ、絶対にダメだよ。みんな、意識をしっかり持つんだ!」
「これからどうするの?」
ベルティーナが弱々しい声音で僕に尋ねる。
どうするもこうするもない。まずは助けられる人を助けるんだ!
「城に、戻るのはおよしなさいね。ダメよ、あの男が言っていたけれど城の内部も奴らの手先が潜んでいるのよ。あの男、『ディーノが受け取って』と言ってたわ。あの城に行く事は敵のアジトに行くようなものだわ」
僕はいくらか高い屋根の上に立った。
そこならまだ瘴気は薄い。
彼女たちはようやく元気を少しだけ取り戻したようだった。
「すぐにここから離れるんだ」
「嫌よ、わたしはずっと夏天と一緒にいるわ!」
「ダメだよ、少しでもここから離れるんだ」
「みんな、ベルティーナをお願いね」
「「「「ええ!!」」」」
「嫌、離れないわ。止めて、わたしに触らないでちょうだい。いい事、わたしに少しでも触れたりしたら一生あんたたちを恨むわよ!」
「いいわ、恨んでも!」
「恨まれてもあんたを助けたいんだわ!」
「恨まれてもあんたはわたしの姉なんだもの!」
「嫌よ、嫌!!!」
「ベルティーナ、お願いだから行ってくれ。そうしてくれたら僕は嬉しいんだ。だって、まだ助かるかもしれないんだから。無事にすんだら僕は君に会いに行くよ。だって、僕は君の名前を知ってるんだ、つまりは君がどこに住んでいるのかも知ってるんだからね。会いに行くよ、絶対にね。君が会いに来てくれなくても、会う事を望んで居なくっても会いに行くよ。だから、行ってくれ!!」
僕は放り投げるようにベルティーナたちを押した。
ベルティーナの姉妹たちは抵抗する彼女を引っ張って空を飛んでいく。
良かった、これで彼女たちだけでも助かるかもしれない。
僕はノアとアリアの元へと行かなくちゃならない。
他に良い一手が思いつかないんだ。
瘴気の海はますます深く濃くなっていく。
遠くの方からまだディーノが城の魔法壁にぶつかる音が聞こえて来た。
それが鐘の音のように聞こえて城の方向が分かった。
僕は屋根から下りてものの数歩で耐えきれずに膝をつくといくらか這い進んだところで動けなくなった。
もうダメだ、そう思ったところで僕は気を失った。




