プロローグ
僕ほどのオタクはなかなかいないと思う。
そもそもオタクというものは非生産的な一面から世に出なければならないものなのだ。
生産的なオタクなどもはやオタクとは呼べない別物に違いない。
最近は生産的なオタクが増えているがそれはもうオタクではなくてプロやそれに類するなにかだと常々思っている。
言わんやこの僕こそが非生産的な一面から世に出る正しきオタクだろう。
僕の非生産さといえば折り紙付きでうんこぐらいしか生み出したことが無い。
希少価値を言う訳では無いがこの理解がなかなかいない事の根拠なのだ。
学校のクラスメイトがあるFPSゲームで海外のストリーマーから一緒にプレイしようという誘いがあったと言っていた。
そして彼もまた動画配信サイトで配信してプレイする事を勧められてやるようになったらしい。
つい先日までオタクっぽい事を話し合っていた仲だったのに突然、オタクとオタクではないそれに類する者の会話になってしまった。
僕はこれに憤慨しない訳にはいかなかった。
彼の言葉をあれ以上に聞いていられなかったのでトイレに行くと断って教室を出たのだ。
僕はこの決行に後悔はない。むしろあいつの方が喋った事の後悔を抱くべきなのだ。
教室に戻った時には彼の話は終わっていて転じて明日の小テストの話をしていた。
僕がこの時、一体感と充実を覚えたのは言うまでもないだろう。
彼は今頃、この会話を大いに反省しているに違いない。
オタクとは非生産なのだよ。
といっても僕たちはのっぴきならないほど大人へと近づいている。いずれやってくる労働の日々では嫌が応にも生産的な日々を送らなければならない事ぐらいは分かってる。
だからこそこの非生産的な日々とオタクという生業を邪魔立てされずに楽しみたいのだ。
さてそうこうするうちに目的の書店へと辿り着いた。
今日は待望の新作ノベルの発売日だ。
なんと言ったって作家の名前が素晴らしい。他に良い名前を思いつかなかったのか。オムライスが好きなのかもしれない。
オム・オム・オムライスという作家で若手らしい。驚く事に学生と言うのだ。
高校生か、大学生かと思案してみたがすぐにやめてしまった。どちらにせよ大差はない。
これが中学生や小学生と言われれば大いに驚くのだが。
目当てのライトノベルはたくさん積まれていた。
店内の人はいつもより少なかったが手垢の付いた物は取りたくないので3つ下の本を取った。
すると少し離れたところにある大衆小説の新作コーナーの影からくすくすと笑う声が聞こえてきた。
僕はムッとした。
破顔して喜びと満足が表れた表情が一気に暗くなった。
書店で目当ての物が買えたなら誰だってこうなるべきなのに。
僕を嘲笑した訳ではないかもしれないが耳に届いた笑いは僕には嘲笑としか思えなかった。
こうしたオタク活動に冷笑的な人が未だにいるなんて信じ難い。
それほど他人の動向が気になるのか、小市民めが。
ああ、これだから女という奴は嫌なんだ。
さっさと書店を出よう。
僕は思い立つと行動は速いんだ。
購入して書店を出ると僕は途端に読書意欲が湧いてきた。
駅地下にある喫茶店へ行ってきりのいい所まで読む事にしよう。
他人の事なんか構うもんか。
何を言われたって、思われたって僕は僕のままでいいんだ。
はて、そういえば僕は嘲笑の主を見た訳でもないのにどうして女性と分かったんだろうか。
たぶん笑った時の感じが女性っぽいと思ったんだ。
きっとそうに違いない。
まあ、今となってはどうでもいい事だ。
喫茶店ではいつもアメリカンコーヒーを頼む。
ブラックだと嫌なんだ。
アメリカンがちょうどいいよ。
縦に長い駅地下のアーケード街の一画に喫茶店がある。
僕が入った時は満員でちょっと待つ事になった。
幸いな事に待ち人は僕しかいない。
通されたカウンター席で僕はノベルを読み始めた。
冒頭に力はなかったが文体はなかなか読めるものだったのでスラスラと読めた。
カウンターの席の前はガラス張りで狭い通路に面している。
それなのに多くの人が通るので僕の集中力はかき乱された。
テーブル席か隅の方に案内してもらえば良かったかもしれない。
でも、僕の意欲は削がれずに固く保たれていた。滾滾と湧き出るこの意欲に僕は驚いている。
なんと言ってもこのノベルはハイファンタジーであらすじを読んだだけでもワクワクする。
僕は、読み続けた。
読んで、読んで、読みまくった。
もう半分以上は読んでしまった。
我に返ったのは店員がもうすぐ夜の11時になる事を教えてくれた時だった。
スマホにも7件ほどの着信履歴と20件にも及ぶメッセージが来ている。
その全てに気が付かないで僕は読み耽っていたらしい。
このノベルは、盗作だ。
僕の考えて幼い頃から繰り返し頭に描いていた世界観とあまりにも似通っている。
盗まれた僕の作品。
創作のシンクロニシティなんてあるのだろうか。
提供される本やドラマ、映画などから影響を受ける社会の形は変わらない。
それぞれからもたらさせられるインスピレーションから偶然にも物語の根源的な骨子のプロットとシステム、キャラの役割、テーマの全てが合致する確率なんて天文学的な数値になるだろう。
ああ、この作者・オム・オム・オムライスの頭上に隕石が振り落ちますように。
ただひとつ言える事がある。
僕の方が面白い物語を書ける、絶対に。
店員が市の条例を教えてくれた。未成年の僕は夜の11時以降は家にいなければならない。
柔らかく早々と帰るように促された。
でも、僕は失意の中にあって帰る所じゃない。帰り道すら分からないんだ。
とにかく僕は自宅の自室を安住の地として目指すしかないのだった。
地下鉄に乗った。
いつもなら本を読むのに読めなかった。
この本日発売の《ファンタジスト・ラプソディ》は盗作だ。
疑いなく盗作だ。
僕の頭はどうにかなってしまいそうだった。
母親から着信があった。
電車内では応じられないのでメッセージを送る。
喫茶店で本を読んでいた事、夕食は済ませてある事を書いて送った。
返事はすぐに送られてきた。
どうやら駅まで迎えに来てくれるらしい。
きっと相当怒っていることだろう。
いったい誰が書いたのだろう。
僕が誰にも話した事のないこの物語をどうやってここまで再現したのだろうか。
震える手で僕はノベルを取り出した。
車内の揺れをものともせずに僕は頭痛が始まったのを我慢して続きを読み始めた。
もし結末まで一緒なら僕はもう生きて行かれない。