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アブ・フレイラ村にて

 自立までの半年間が始まった。


 朝食を終えた後、ニールは「仕事がありますので、これで」と立ち上がった。


 その背中を追って話しかける。


「あの、魔女だってことと聖女だってことは、エドにも言わない方が良いんですか?」

「えぇ、両方とも言わない方が良いでしょう。エドは今貴女のことをどこかの男爵令嬢だと思っている。そのままにしておいたほうが良い」

「でも、お世話になるのに騙すのなんて」


 ニールは首を振った。


「エドは、私たち魔法使いを憎んでいる。魔法使いだと話すと、必ず「出ていけ」と言うでしょう。黙っていた方が貴女の為になる」


 憎んでいるとは物々しい言い方だ。どういう意味なのだろう。

 しかしニールは視線で「それを聞くな」と制した。

 そんな態度を取られれば、これからの生活がかかった百合は、返す言葉が無い。

 口を閉ざした百合を見て、ニールは「くれぐれも口に出さないように」と念押しして帰っていった。


 エドと百合は場所を移した。

 家の一階は店舗、二階が住居だった。エドは一人で魔薬――魔法薬のことだ――の薬屋を営んでいた。

 店舗と言っても販売スペースがあるわけではなく、大小さまざまな鍋や薬草の吊るされた部屋は研究室や実験室といった様子だった。


 エドは百合に様々な質問をした。

 ベルブレイユ魔法王国の成り立ちからお金の単位、簡単な計算、祭事の日付といった、この世界で生きていれば知っているであろう、常識的な質問だった。

 勿論百合は答えられない。エドは頭痛を抑えるように米神に手を当てた。


「よっぽど箱入りのお嬢さんらしい。その割には無知すぎる。どんな教育を受けてきたんだ」


 面と向かって馬鹿扱いをされた。「教育を受けてないんだからしかたないでしょう!」そう反論したい気持ちをぐっと我慢する。


 エドは机の上にあった紙のノートと鉛筆を差し出す。


「分からない事があればそれにメモしろ」


 百合は受け取ったそれをまじまじと見つめる。


「羊皮紙と羽ペンかじゃないんだ」


 創作(ファンタジー)の世界では皆羊皮紙を使っていたのに。


「羊皮紙なんぞ高すぎて使わん。千年保存する魔術書じゃあるまいし紙で十分だ。それに羽ペンは歩きながら使うのに不便だろう」


 百合の疑問に淡々と答えながらエドは出かける支度を始めた。スラックスとシャツの上に、使い込まれた濃い紺色のローブを着込んだ。百合にも色違いのベージュのものを渡した。着てみるとさらりとした素材で案外涼しい。


「町に出るぞ。そこでいろいろ教えてやる」



 皮の鞄を背負い二人は外に出た。

 建物の丁度裏側に厩があった。特有のにおいが鼻につくが顔をしかめる程でもない。

 そこで綺麗な白馬が一頭、まったりと草を食んでいた。


「ファレノプシス、牝馬だ。生まれた時から一緒にいる俺の家族だ」


 エドが頬を撫でるとファレノプシスは嬉しそうにいなないた。真っ黒な目を伏せて、エドの手に頬ずりする。


「お前にはまずファレノプシスの世話を覚えてもらう。次に畑と温室の薬草の世話の方法と、商品の配達。並行して素材の調達方法と種類を覚えて、最後に調合だ。

 半年間やることは多いぞ、死ぬ気でついてこい」

「はい! よろしくお願いします!」


 気合の入った返事にエドは軽く頷く。


 エドは百合に大きな専用ブラシを渡した。自分も同じものを手に取りブラッシングを始めた。

 ファレノプシスの隣に立つと、見上げる程大きい。田舎育ちとはいえ農村出身の百合は、こんなに身近で馬を見たことがなかった。

 目を見て「これからよろしくね」と声を掛けるとプイっと顔を背けられた。


「ファレノプシスは賢いぞ。乗る人間を選ぶからな。ちなみに知人は何度か蹴り飛ばされている」

「私がブラッシングしても大丈夫なのかな?」

「余計なことをしなければ暴れたりしないさ」


 つまりその蹴られた知人は余計なことをしたということか。

 エドに倣いそっとブラシを当てるとプルプルと首を振る。嫌がる素振りは無いのでそのまま全身をくまなくブラッシングする。もともと綺麗な毛並みがさらに輝くように美しくなった。

 その後馬具のつけ方を教えて貰い、出かける準備が完了した。


「ブラシや箒なんかはそこに纏めておいてある」


 裏手の木の棚にブラシを置きに行くと、箒などが立てかけてある場所に一本の熊手が置かれていた。


「あ!」

「それはお前のだ。なんだそんなに気に入ってたのか」


 ひしり、と熊手に抱き着くとエドは「変わったやつだな」と眼をしばたたかせた。


「この子だけは一緒に来てくれたので」


 あの時、現状を打開してくれたのはこの子だ。

 薄い黄色の熊手を撫でると、柄がくねった気がした。気のせいだろうか。見れば見る程やけに愛嬌のある熊手だ。

 町から戻ってきたら迎えに来ると熊手に約束して、馬に跨った。


 エドの家は森の深いところにあり、舗装された道に出るまで並足で四十分程度要した。更にそこから町の中心部までに二十分ほどかかった。


 初めての乗馬、しかも二人乗り。

 背中に感じる体温に「イケメンと密着なんて……」と緊張していたが、馬に慣れていない百合の身体にはとある異変が起きていた。まったりと歩く馬に座っているだけなのに、足がプルプルと震えだす。腹筋は息をするだけでも痛い。早くも筋肉痛が出始めていた。


「う、わぁあぁあ……」

「運動不足だな」


 フン、と鼻で笑ったエドは、村が見え始めた頃にローブのフードをしっかりと被った。元々長い前髪で目元は隠れていたが、鼻の上まで影が差し顔半分が全く見れなくなる。それでも前方は見えているのだろう。慣れた様子で共同の厩にファレノプシスを繋いだ。


 アブ・フレイラ村は活気に満ちていた。赤茶色のレンガで統一された町並みは思っていたよりも大きく、沢山の人でにぎわっている。

 百合と同じようなジャンパースカートの女達が、屋台で買った食べ物を手に話し込んでいたり、エプロンをつけた八百屋の店主がよく通る声で客引きをしていた。赤ん坊を抱いた女性が紙袋片手に買い物をしている。ちょっとした繁華街よりよほど賑わっている。

 これが全員オストラだと思うと、ニールの言っていたことは本当なんだろうと感じた。


「こっちだ」


 エドは速足でにぎやかな町を通る。テントが並ぶ道を抜けると、すこし落ち着いた雰囲気の通りに出た。行き止まりの白い二階建ての建物の中に入る。


「エドさんいらっしゃい」


 女性がにこやかに出迎えた。王宮で世話をしてくれたメイドのように足首まであるスカートを履いているが、こちらは真っ白なワンピースだった。髪の毛はすっきりと後ろでお団子に纏め、大きな白いバンダナを巻いている。明るい清潔な室内と消毒液の香りに、懐かしさすら感じる。


「ここはアブ・フレイラ唯一の病院だ。頼まれたものを持ってきた。院長はいるか」

「えぇ、お待ちですよ」


 女性の先導で診療所内を歩く。物珍しさに見渡すと、白い壁にはいくつもの油絵が掛けられていた。特に動いたりはしなかったが、朝日に照らされた海の綺麗な絵だった。磨き上げられたノリウムの床が、歩く度にキュッキュッと音を立てた。


 階段を通り過ぎ、一番奥の「院長室」と書かれた扉をナースがノックする。


「院長先生、エドさんがお着きです。お茶を用意しますね」

「うん、ありがとう」


 室内にいたのは白髪で、同じ色の豊かな髭を生やした老人だった。読んでいた本をパタンと閉じると百合に気が付いたようで、おやっ、という顔をした。


「はじめましての方だね、どこか痛いところがあるのかな?」

「ジェイコブ、彼女は患者じゃない。今日から半年店で面倒をみることになった見習いだ」

「初めまして、ユリです」

「おぉ、エドもついに弟子を取ることにしたんだなぁ、わしは医者のジェイコブ・バートン、よろしく頼みますぞ」


 ジェイコブは老眼鏡の奥の目を嬉しそうに細めた。

 ジェイコブは立ち上がり手を差し出した。軽く握手をする。皺が多くて温かい、安心する手だった。


 勧められたソファーにエドと百合は並んで座る。


「俺の店は基本的にここにしか卸さない。直接訪れる奴もいるが、それはジェイコブの病院の人間が、急ぎの魔薬を発注しに馬で来るだけだ。受付はここですべて行っている」


 調剤薬局のようなイメージで良いのだろうか。

 しかし昨日の百合の怪我をあっという間に直してしまったように、魔薬があれば医者いらずではないのだろうか。そう考えているとエドが補足を加えた。


「医者は症状に合わせた魔薬を処方するのが仕事だ。魔薬は即効性があるといえば良いが、言い方を変えれば劇薬だ。手っ取り早く大量に魔薬を飲めばどうにでもなるわけじゃない。量を間違えれば毒になる。性別、年齢、体重や持病などを聞き、飲む量、塗る量を診断する。それが医者だ。

 その他、カウンセリングを行ったりもする。オストラだとバレて、王都で悲惨な目に合わされてここに逃げ込んだ人間も、少なくはないからな」

「カウンセリングといっても、ここで話を聞いて、温かい飲み物を薦めるだけじゃがな」


 院長室は白と緑で統一された部屋だった。部屋のいたるところに観葉植物や絵画が飾られている。こちらは夕陽の沈む海の絵だった。院長は海が好きなのだろうか。

 天井に飾られたスズランの形のランプはオレンジ色のやわらかな光を照らしている。この暖かな部屋で柔和な老人に話を聞いてもらうのは、リラックスできそうだと思った。


 とても良いタイミングでナースが紅茶とクッキーを持ってきてくれた。薄く切られたレモンの輪切りが浮いたレモンティーだった。

 ゆっくりと喉を潤した所で、エドが鞄からガラス瓶をいくつも取り出しローテーブルに並べていった。


「切り傷の薬、火傷薬、鎮痛薬、虫さされ薬、腫れ取りの包帯、骨接ぎ薬、胃腸薬、下痢止め、咳止め薬、風邪薬、こっちは個人依頼(いつもの)のものだ。納品は以上。確認してくれ」


 塗り薬も飲み薬もある。個人依頼のものは白い紙袋に入れられて、流れるような美しい筆記体で名前が書かれていた。

 ジェイコブは丁寧に一つ一つ確認した後「ありがとう、すべてそろっているよ」と頷いた。そして布の袋と封筒をエドに差し出した。袋の中身は金貨や銀貨がたくさん入っていた。封筒の方は次回の薬の注文票だ。


「次からはこいつが届けに来る。何かあったらこいつに言付けてくれ」

「おや、じいさんとのお茶会は嫌になったか?」


 深く被ったフードの下でエドの口が歪む。


「そんなんじゃない……呼ばれたら顔を出すさ」

「それじゃぁ毎日呼ぶとしようか」


 ふぉっふぉっふぉと嬉しそうにジェイコブは笑った。


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