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残留思念

 与えられた部屋に戻り、メアリーがコルセットを緩めた所で百合はようやく口を開いた。

 

「ありがとうございます。後は自分でします」

「わかりました。何かありましたら、遠慮なく枕元のベルを鳴らしてくださいね」

「はい」

「おやすみなさいませ、良い夢を」


 普段のメアリーなら、百合をもう一度風呂に入れ、髪を乾かし、寝つきの良くなるハーブティーを入れてくれるだろう。

 だが今日は、そのどれも行わなかった。何も聞かないメアリーが杖を振ると、部屋のあちらこちらに飾られた蠟燭の光が一段階暗くなった。

 背中で扉が閉まった音がした。わずかな空気の振動で、堪えきれなかった涙が零れた。


「ふっ、うっ」


 痛い。心も、体も。

 絨毯にうずくまる。つま先から全身に痛みが走る。

 襲われた女性の恐怖が百合の体に襲い掛かる。


「本来は、私が受けていた筈だった」


 ドレスの赤が目に入る。着心地の良い、上質な生地だ。

 優しい人たちに恵まれ、毎日が楽しかった。魔薬を調合し、魔法を学び、夕食を一緒に食べる。沢山の物を与えられて贅沢な時間を過ごしている間に、誰かが死んだ。

 百合の幸せが、誰かの幸せを奪ったのだ。

 ドレスの裾が、地面に広がる血の色と似ている。色に気持ちが引きずられ、どこまでも沈んでいきそうだった。


「それは違いますよ」


 柔らかく、凛とした声が聞こえた。

 顔を上げるとニールが立っていた。筈だった。

 何故か長い銀髪が黒髪に、白いシャツが血に塗れたワンピースに被って見える。背が縮み華奢な骨格に変わる。冷静なアメジストの目が痛みに歪んだ顔に変わって……。


「いやぁ!!」

「大丈夫、百合、落ち着いて」


 ニールは床にへたり込んだまま後ずさる百合を捕まえて、無理やりソファーに座らせる。

 百合の目は恐怖に見開かれている。焦点は合わず、ひっひっ、と泣きながらひきつけを起こしている。

 力強い腕が、四肢をばたつかせて必死に逃げようとする百合を抱きしめる。


「ごめんなさい! ごめんなさい!」

「ユリ、大丈夫。目の前にいるのは私です」


 どれぐらいそうしていたのだろうか。

 やっと百合の呼吸が落ち着き、意識が戻ってきた。


「ニールさん……?」

「えぇ、貴女のニールです」


 蝋燭のオレンジ色に光る髪も、抱きしめる腕の温かさも紛れもなくニールのものだった。


「すいません、なんで私」


 見慣れたニールを性別すら違う被害者と重ね合わせたのだろうか。


「謝らないでください。私が悪いんです」


 百合が落ち着いたのを確認し、抱きしめていた腕を解く。しかしそのまま大きな手が肩を抱き寄せる。

 鍛えているのか案外太い腕に頬を寄せる形になってしまった。普段なら恥ずかしさのあまり飛び跳ねて逃げる所だが、泣いて暴れた百合にそこまでの体力は残されていなかった。


「百合は『残留思念』を読み取ってしまったんです」

「『残留思念』……?」


 どこかで聞いた覚えのある言葉だと百合は思う。しかし酸欠気味の頭では思い出せそうにない。


「私が最近忙しくしていたのは、聖女狩りの犯人を探す為です。実は今日食事前に新しく犯行が行われた被害現場に行ってました。百合はそこに残された被害女性の恐怖や痛み、恨みの思念を読み取ってしまったのです」

「ニールさん越しにですか?」


 心霊スポットに行くと頭痛を引き起こすことがある。それはその場所に人間の恐怖心や強い思いが溜まっている為、肉体的に悪い影響を受けるからだと言われている。

 だが、行った事のない場所の思念なんて読み取れるものだろうか。


「えぇ。聖女は人に魔力を与えたことから、慈しみの性質を持っています。故に負の感情に飲まれやすいのでしょう。その上強すぎる魔力が現場に行った私に纏わりついていた残留思念を感じ取り、あたかも自分に起きたことのようにフラッシュバックを引き起こしたのでしょう。物に残った残留思念を読み取る人を知っていますが、ユリ程魔力が強ければ他人を媒体しても読み取ってしまうんですね。迂闊でした」


 突き付けられたナイフの冷たさも、刺される痛みも確かなものだった。それだけ被害者の女性が強く恐怖を感じたのだろう。


「ユリ、聖女狩りが自分のせいだなんて思わないでください」


 立ち上がったニールに持ち上げられ、ふわり、と身体が宙に浮く。そのまま重さなんて感じないような軽い足取りで、百合をベッドに寝かせた。

 敷かれたシーツの冷たい肌触りが、今の待遇を表しているいるようだった。


「そもそも、我々が勝手に呼び出したりしなければ、こんなことは起きなかったのです。悪いのは、あの場に居た魔法使い全員です」

「でも私が逃げ出さなければ……」

「貴女は逃げ出したんじゃない。自分で道を選び取ったんだ。そうでしょう?」


 大きな手が百合の髪を撫でる。まるで家族にするような優しい手つきに、止まっていた涙がまた浮かびそうになった。


「ありがとう……」


 良いように言って貰っただけで、死んだ人は帰ってこないし、もしかしたらこれからも犠牲者は増えていくのかもしれない。

 でも、百合は今の生活を壊したくなかった。


「ごめんなさい」


 卑怯だ、ずうずうしいと言って貰っても構わない。百合はまだ、死にたくなかった。


「罪は私が背負います。優しい貴女を呼び出してしまった罪と一緒に」


 こぼれた雫は自分を責める為じゃなく、犠牲者へと捧げる涙だった。



 ニールが杖を振ると、キラキラと光る雪の結晶のようなものが百合に降りかかった。

 すると着ていた赤いドレスが、就寝時に着るネグリジェに変わった。光が頬に触れると化粧も落とされ、髪も解かれて清められる。


「魔法って便利ね」

「女性の身だしなみを整える魔法は、メアリーの方が得意なんですけどね」

「男性のニールさんが知ってるってことは、誰かにしてあげた事があるんですか?」


 涙目でにやりと笑う百合の髪を撫でて、ニールが笑った。


「姉の支度を手伝わされていただけですよ」


 大きな手がそのまま目元に降りてくる。温かさを感じ目を閉じると、百合はそのまま深い眠りの世界へ旅立った。


「おやすみなさい、良い夢を」


 誰もが使える眠りの魔法を使って、ニールはその場を後にした。


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