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晩餐会と鹿のロースト

 ヴォルのおかげで白木の根を潰して洗う作業は、予定よりも早く終わった。あとは目の細かい竹のザルを使って茶色い水を濾し、日が当たらないように布を被せて一晩置く。これで今日の作業は終了だ。


 ヴォルが杖を振れば、盥も金槌もあるべき所へ戻って行った。


「さ、行くぞ」


 そう言ったヴォルはやや険しい顔つきだった。キリっと凛々しい顔は男前だが、ただ空腹が限界なだけだった。そういえば陸上部の大会の打ち上げで行った食べ放題の焼き肉屋で見た顔だ、と残念な男前を百合は白けた目で見ていた。


 ヴォルが『空間移動』の扉を開いた。一歩踏み出すと目の前の色が暑い西日の射す森から、シャンデリアの繊細な光に変わる。青い絨毯の敷かれた磨き上げられたホールで、執事のローゼスとメアリーが出迎えた。

 にっこり笑ったローゼスが言う。


「いらっしゃいませ、お待ちしておりました。食事の前に湯あみに致しましょう」


 言われて初めて気づいた。三人の服装は泥まみれだった。


 百合の部屋の広いバスタブでメアリーに頭を洗われながら、ふと思ったことを口に出す。


「エドとヴォルの部屋もあるんですか?」

「えぇ勿論。お屋敷に頻繁に来られて、そのまま泊まることも多いですから」

「へー幼馴染ってすごいなぁ」

「此処は田舎屋敷(カントリー・ハウス)ですから、部屋は無限に余っています。お嬢様も希望がありましたら部屋を替えますからね」

「いえいえ十分です」


 広いバスタブ、天蓋付きのベッド、大きなクローゼットとドレッサー、無数のドレス。一体何に文句があるのだろうか。

 恐縮する百合を見て「お嬢様は控えめですねぇ」とメアリーは笑った。


 伸ばしっぱなしの黒髪は綺麗に結われ、晩餐会(ディナー)に相応しい落ち着いた赤のドレスを着せてもらった百合は、食堂に向かった。


 朝食は居間、お茶の時間はティールーム、魔法の勉強は書斎と、用途がしっかりしている屋敷の部屋は全て豪奢だが、人を招くことの多い食堂は一段と気合が入っている。

 天井には玄関よりも凝った造りのクリスタルのシャンデリア、何十人も座れるマホガニーのテーブルには皺ひとつ無いクロスが掛けられている。その上には磨き上げられた銀の燭台や食器、薄く繊細なグラスが完璧な配置で並んでいる。

 エドとヴォルも着替えを済ませて座っていた。エドもヴォルも同じような白のシャツに黒のスラックスを身に着けていたが、着こなしに差があった。エドはきっちりとシャツを着てジャケットを羽織っていたが、ヴォルは襟元を崩している。そして主賓であるニールは白いタイをきちんと結んでいた。


「お仕事お疲れ様です、ニールさん」

「ユリもお疲れ様。赤色も似合いますね」


 久々に会うニールは、少し疲れているようだった。

 最近ニールは多忙を極めているようだった。週に一度の安息日の授業も仕事が忙しいニールからではなくローゼスから学んでいた。

 宮廷魔術師としての仕事が忙しいのか、領主としての仕事が忙しいのかは聞けていない。だが、すこしピリついた雰囲気を纏っていたことから、良い忙しさではない事は予測できた。


「さぁ食事を始めましょうか。温生湯の調合の成功を祈って」


 テーブルの上に置いた手を組み祈りを済ませると、晩餐が始まった。

 この世界でオードブルから始まる改まった食事は初めてだった。

 ヴォルは「めんどくせーな」と言いながらもそつのないナイフ捌きで食事をしている。マナーを知らない百合はせめて音を立てないように、と細心の注意を払ってナイフとフォークを動かしていたら「身内だけの席ですから、そんなに肩肘張らなくても大丈夫ですよ」とニールに笑われてしまった。


 オリーブの実の乗ったサラダと透き通ったコンソメスープ、白身魚のポワレを味わい、口直しのカシスシャーベットを食べ終えた所で、今日のメインディッシュが出される。


「鹿のローストです」


 薄く切った鹿肉は、花のように盛り付けてあった。マッシュポテトとアスパラガスが添えられた皿の上は春の花畑のようだった。

 火の通り具合はレアで赤く光っている。見るからに柔らかい肉を口に運ぶと、しっとりとした触感と旨味が口いっぱいに広がる。


「おいしい……」


 今まで食べてきた鹿肉も美味しかったが、こちらは段違いだ。臭みも野性味も無く鹿肉本来の赤身の美味さが口いっぱいに広がる。


「今までのと全然違う。どうやったんですか?」

「捌くところまでは一緒です。ただ、低温でじっくりと火を通しました。そうすることで柔らかく仕上がるんですよ」

「へぇ、鹿は固いものだと思い込んでいました……このソースもすごくおいしい。甘いけど何だろう?」


 鼻から抜けるねっとりとした香りに覚えがある。考え込んだ百合の隣に座っていたエドが、フォークとナイフを置いて問いかける。


「もしかして柿か?」

「流石エド様。ご明察の通りです。柿をピューレ状にし、スープで伸ばしたものです。今日は女性もいますし、華やかな味付けにしてみました」

「美味い! お代わり!」

「そうおっしゃると思って、ヴォルガング様にはこちらを。本来コースで出すものではありませんが」


 先に断って出されたのは、ブラウンシチューだった。


「赤ワインで、すね肉を煮込みました。パンと一緒にどうぞ」

「あー最高だ。うめぇ」


 しっかりと煮込まれたすね肉はスプーンの上で崩れる程柔らかく、口の中でとろける。大きく切られたバケットを毟ってシチューに浸すと、たまらなく幸福の味がする。

 百合も食べたかったが、残念ながらもうお腹が一杯だ。

 ここまで本格的なコース料理は出来ないが、煮込み料理なら家でチャレンジできるだろう。作り方を聞くとローゼスはレシピを書いたメモを燕尾服のポケットから取り出した。出来る執事は客が喜ぶことを知り尽くしている。


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