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憎み続けるという事

 エドは厩で待っていた。繋がれたファレノプシスの鼻先に頬ずりし、難しい顔で考え込んでいる。

 伏せた睫毛が頬に長く影を作っていた。


「待っててくれたんだ」


 百合はてっきり怒って先に帰ったと思っていた。


「そうじゃないとお前が帰れないだろう」


 百合とは目を合わさずぶっきらぼうに言って、ファレノプシスを連れて厩を出た。



 町から離れた所でファレノプシスに乗る。二人で乗る時はいつも初心者の百合が前に座り、エドが後ろから抱きしめるように手綱を握る。

 心地よい揺れとエドの体温を背中に感じる。


「怒ってる?」

「いいや」


 低くも高くも無い、丁度良い声が耳元で聞こえる。


「頭の中で分かっていたことだが、他人から言われると改めて刺さるものがあるな」


 百合に聞かせる訳でもない。心に浮かんだ言葉を呟いている様子だった。


「俺の何がわかるのかと叫びたい気持ちもある」


 ファレノプシスの足音とすれ違うかのように、楽しそうな声を上げた子供が駆けていった。


「母を可哀想と思うばかりに、考えることを止めてしまっていた。もう少し、考える」


 時間薬という言葉がある。愛する人の体温をいつか忘れてしまうように、時は残酷な程平等に物事を忘れさせる。

 人を恨み続けることの、何と難しいことか。

 辛い記憶を思い出す度に心を痛め着け、まだ忘れてはいないと安心を得る毎日の、何と虚しいことか。


 エドは前に進み始めている。優しい人に囲まれ、優しい彼は歩き出す。

 そっと秋風がエドの背中を押した。



 翌日、畑と馬の世話を終えた百合とエドは、一階の調合室で作業をしていた。


翡翠花(ひすいばな)、翡翠花、っと」


 几帳面にラベリングされた引き出しを指でなぞりながら、お目当ての品を探す。


「あれ? ここじゃないのかな?」


 背より高い棚の一番上まで見ても、翡翠花はどこにも仕舞われていない。


「引き出しじゃない、瓶の方だ。左から二番目」


 そう言われて脚立から降り、これまた流れるような筆記体でラベリングされた透明な瓶を探す。


「あった、これか」


 翡翠花という位だからてっきりエメラルド色なのだと思っていたが、実際は濃い緑色だ。茶道の時に頂く濃茶の色と言ったらよいのだろうか。


「思った色と違う」

「乾燥させているからな。咲いている時は宝石のように光っている。摘むと一段色が落ち、時間と共に色が褪せ、乾燥させるとその色になる。乾燥の度合いで効能が違うから、色はしっかり覚えること。例えば摘んですぐは、毛を生やす魔薬に使われる」


 エドは分厚い本のページを捲って百合に見せた。

 本の中の翡翠花はこれまた百合の想像と違い、梅の花のように木に花をつけていた。いわゆる花木というやつだろう。

 そよそよと気持ちよさそうに風に揺れている瑞々しい緑は、翡翠の名前を付けるのにふさわしく輝いている。

 そう、絵が動いているのだ。

 この本には魔法が掛けられている。過去、魔法使いの血がもっと濃かった時に作られた本は、製作者の魔力を記憶して動き続けることが出来る。

 だが、今現在はそういった物を作れる職人も少なくなり、流通する品物は一般市民では手を出せない程高価だ。

 エドが言うには、一定間隔でずっとかき混ぜ続ける柄杓だとか、思いのままに強さを変える火種だとかがあるらしいが、未だに現物は見たことは無い。

 魔法使いは自分で魔法が使える為こういう物は必要としないが、オストラからすると喉から手が出る程欲しい商品だ。ニールの領地には専門店があるそうなので、いつか見に行ってみたいものである。


「毛を生やす薬……」


 もしかしたら魔法使いにハゲは居ないのだろうか、と百合はエドの見事な金髪に目を向けた。


「どうした?」

「いや、それこそ世の男性が一番必要とする魔薬なんじゃないかと思って」

「確かに。この魔薬の作り方を知っているだけで家が建つほど儲けれる。毛を生やす魔薬の調合は、資格がいるからな」


 百合は最近知った事だが、魔薬調合師は免許制なのだ。一年で一人合格すれば良い方の、最難関の国家資格である。

 免許が無い人間が魔薬を作ること、販売することは、法律で禁止されている。

 じゃあ百合は無免許で作っているが、それは違反ではないのか? と思うだろう。答えはセーフだ。

 魔薬の中でも簡単なものは資格が無くても作れる。実際にパルース魔法学校では魔法薬草学の授業があり、そこで基礎を学ぶ。

 そして国家資格を持つ魔薬調合師が後継者を育てるために、弟子に難しい魔薬を調合させ、販売することは法律で認められている。だがその魔薬で万が一のことがあれば、師匠の資格がはく奪されてしまう。

 飲む、もしくは肌に塗るなどして命にかかわるような魔薬は、資格が無いと作れないとざっくり覚えておけば良いだろう。


「資格がいるの? 毛を生やす魔薬は命に係わることじゃなくない?」

「それは、まぁ……覚えれば定期的な収入になるからな。上の方でもいろいろ利権が絡んでくるんだろう。俺たち下っ端は知らない方が良いことだ」

「そうなんだ」


 どこも金が絡むときな臭い。一般市民は黙って手を動かすだけだ。

 するとエドが珍しく、唇を不器用に曲げて笑いを堪える。


「この魔薬の一番大切な素材を教えてやる」

「何?」

「本人の毛髪だ。だから自分の髪が完全に無くなると作れなくなる」


 髪を得るために毛を毟るのは、本末転倒ではないのだろうかと百合は思ったが、口には出さなかった。


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