金の髪の青年
夜空の中を、我が物顔で熊手は進む。
「あははは!」
百合は不可思議なこの状態に一人爆笑していた。立て続けに起きた出来事に脳のキャパシティーが追い付いていないが、ポカンと間抜け面をした男達を思うと、胸がすっとした。
「さてさて箒さん、貴方は何処へお向かいですか?」
箒、もとい熊手は勿論返事を返さない。だが、心持ち楽しそうにジグザグと飛んで百合を楽しませた。
「ラジカセと黒猫が無いのが残念だ」
振り返っても影は無い。追手は巻けたようだ。
安心し、鼻歌を歌いながら心行くまま夜空のピクニックを楽しむ。
見上げると月が出ている。今まで見た中で一番大きく、輝く月だ。このまま飛んでいけば、月の裏にも届いてしまいそうだ。
異世界でも月は丸く、星は瞬いていた。
眼下に広がる光景は、街からどんどん遠ざかっていった。一つ二つあった家屋が完全に消え、風景は木々が生い茂る森に代わっていた。
安全運転で熊手は森へ着地した。
百合の目の前には一軒のログハウスが建っていた。煙突のある三角屋根の二階建てで、それなりに大きい。レースのカーテンの引かれた二階の窓からは、少しだけ明るい光が漏れている。どうやら住民が居るようだ。
辺りに漂う煮込み料理の美味しそうな香りに、百合のお腹がぐぅと鳴った。時計が無いので正確な時間は分からないが、日の高い内から行動しているのに口にしたのは紅茶一杯だ。今までの怒涛の展開のせいで感じていなかったが、体は相当消耗している。
「どうしよう……」
自分の身体を見下ろす。この世界の常識はわからないが、見知らぬ女が「食事を分けて欲しい」と言うのはあまり良くはないだろう。その女はズタズタに破れたドレスを身にまとい、腕のあちらこちらから血を流している。
「やっぱやめよう……」
幸いなことに今は夏前で、この格好で野宿したとしても最悪死ぬことはないだろう。空腹もそこらにある木の実でしのごう。想像するだけで辛そうだが。
寒さに体を震わせる。日が完全に落ちた森は急激に温度を下げていた。熊手をぎゅっと手に持ち踵を返そうとすると、ガチャリ、と扉が開いた。
「なんだお前は」
二階の扉から顔を出したのは、おそらく男だ。
そう思ったのは、背が高く放った声が低かったからだ。何せ逆光の上、暗い色の長いローブを着て、鼻の真ん中までフードを被っている。
フードの男は訝し気な声色で問いかけてきた。
「魔女か」
「え、いいえ、魔女と言いますか何と言いますか」
まさか異世界からやってきた聖女です、なんて言えずに口ごもると、青年はフードを少し上げてじっとりと百合を見る。
「ここには侵入除けの魔法がかけられている。どうやって入ってきた」
「あの、えっと」
何もかも答えれずにいる百合は、しどろもどろに狼狽える。
怪しい女の登場に男の身にまとう空気が厳しくなる。なんと返すべきか考えているとぐううぅという間抜けな音が二人の間に響いた。
百合は慌てて腹を抑える。どうにか止めようと思っても、一度鳴り出した音は止まらなかった。
男はじろじろと百合を見て、背後の扉を開いた。
「……入れ」
顎で示されて百合はおずおずとそれに従った。
外階段を通って、ログハウスの二階に案内された。
室内は、暗めの木の色に合わせて家具が揃えられている。モダンな雰囲気だ。部屋の奥に火の入っていない大きな暖炉がある。その前にはソファーセットが置かれていた。手前には四人掛けのダイニングテーブルがあり、食後だったのだろうか、ランプが照らすテーブルの上には空の皿とコーヒーカップが置かれていた。
百合はソファーに座らされた。男は暖炉に火をくべて、その上にヤカンと鉄鍋を乗せた。
「星屑の糸を使ったドレスを着ているなんて、どこの令嬢だ」
火の世話をしながら男は問いかけた。百合は何と答えたらよいか悩む。
自分は聖女で、異世界の人間です。今は元の世界に帰る為に、失われた古代魔法とやらを探しに城から逃げ出したところです、と言うのか。それはおかしいだろう。
何も言わず、脳内で自問自答を繰り返す百合に男は鼻で笑った。
細かい泡が浮いたヤカンを火から下ろし、半分だけお湯を洗面器に注いだ。それを百合の足元に置く。
「足を洗え。血まみれだ」
言われて始めて自分の足が傷だらけな事に気づいた。ふくらはぎや太ももからは血が流れ、一番酷い足裏は皮が捲れてしまっている。腕のそれとは比較にならない程、石や枝で切れていた。床を見ると百合が歩いた所は点々と血の跡が付いていた。
傷口を見てしまえば、感じなかった痛みが徐々に増してくる。でも、まずは謝らなければ、と歯を食いしばった。
「ごめんなさい、床」
「良いから洗え」
おずおずと洗面器に足を浸すと、ビリっと電気のような痛みが走る。とても傷口に染みたが、人肌程の暖かい湯にほっとする。
男はもう一つ、タオルの浸した洗面器と小さなガラス瓶を持って、百合の隣に座った。
「ずいぶんとお転婆な令嬢だな」
そう言って腕の血を一つずつタオルで拭っていく。ガラス瓶の蓋を回して開くと、中には濃い緑色の軟膏が入っていた。それを慎重に掬うと、腕の傷にべとりと塗りつけた。
「痛っ!」
「我慢しろ」
ジュウ、と焼けた鉄を押したような音をして煙が上がった。鋭い痛みに身体を跳ねさせたが、煙が晴れると傷口は元から何もなかったかのように綺麗に治っていた。
百合は目を丸くする。
「これも魔法?」
「魔薬だ。なんだそんなことも知らないとはドンプなのか?」
「それは……」
正直にすべて話すか、何も知らないフリをするか。口調はきついが目の前の男は親切そうだ。
だが、クジャに騙されたことが尾を引いた。開きかけた口を噤む。
それに百合が聖女だと知られたら、何をされるかは分からない。
「わからないんです。気づいたらあそこにいました」
熊手が知らないあそこに運んできた。魔薬とやらのことは何も知らない。嘘は言わないが、本当の事も言わないでおいた。
男を仰ぎ見る。不機嫌そうな顔で、鼻で笑った。
「少なくとも魔法族に関係あるみたいだな。ドンプという言葉を聞き返さないのが証拠だ。それなのに魔薬を知らない。着ているものは特上のもの。お前もオストラか」
「オストラって?」
「魔法族でありながら、魔法の使えない人間のことだ……良くわからんな、記憶喪失か?」
その時、一層大きな音で腹の虫が鳴いた。何を話し込んでいるんだ、忘れてくれるな、と訴えているようだった。
男はまたフンと鼻で笑い立ち上がった。
「食え」
差し出されたのは、シチューだった。どうやらこれを暖炉で温めてくれていたようだった。
大きなじゃがいもと、キノコがたくさん入っている。やわらかいミルクの香りがする。
口の中にじゅわりと唾液が溢れた。
「……いただきます」
器を受け取り、木のスプーンで一口口に含む。
温かくて、優しい味だ。とろりとしたシチューの柔らかさが、疲れ果てた身体の隅々まで行き渡る。美味しい。
夢中でもう一口食べる。
「ゆっくり食え」
差し出された黒パンにも噛り付く。百合の知っているものより少しすっぱくて固いが、美味しい。
百合の目から涙が溢れた。
この人の暖かさと優しさは、本物だ。
青年は皿を持ちながら嗚咽を零す百合を見て、警戒心を解いたのだろう。ローブを脱ぎ捨てた。金色のサラサラした髪が揺れた。
百合と同じ年ぐらいだろうか。やけに前髪が長いがとても整った顔つきの青年だった。
青年はふう、っと長いため息をついた。
「……お前名前は」
「ユリです」
「俺はエドだ。……今日はもう遅い。早く寝ろ」
「……泊めてくれるんですか?」
「怪我人を、こんな時間に放り出すほど腐っちゃいない。それにこの森は魔獣が出るぞ。お前なんて一咬みでお陀仏だ」
慣れた手つきで百合の足にも薬を塗ってくれた。暖炉の温かい火が百合を癒す。エドはこれ以上何も聞かなかった。その優しさにまた涙が零れた。
完食するとお腹がいっぱいで、体温が上がっている。ぽかぽかとした眠気に抗えなくなってきた。考えなければいけないことは沢山ある、これからどうしたら良いのか。何より、もっとちゃんとお礼も言わないと。
だがふわりと毛布が掛けられたところで、百合の長い一日が終わりを告げた。




