珈琲の苦味
「温生湯……ですか」
店主のパスカは複雑そうな顔で、丸眼鏡の奥の瞳を閉じた。
外は秋祭りの準備で人が沢山行き交っているのに、秘密の止まり木には今日も誰も客が居なかった。
パスカはいつも通りの清潔な服を身に纏い、カウンターの向こうでカップを磨いている。
店に訪れたエド、百合、そして事情を先に話したジェイコブは、それぞれ珈琲を楽しんだ後(エドは苦そうに飲んでいた。彼は意外と甘党だ)本題を切り出した。
「温生湯は私もお世話になったことがあります。あれが季節風邪の予防薬になるとは知りませんでした。沢山の人に飲んで貰うために秋祭りで販売するのも賛成です。ですが、あの匂いの横で珈琲を入れるとなると……」
やはりと言うか何というか、パスカは難色を示した。
「香り高い珈琲の香りが死んでしまうと」
「えぇ、申し訳ありませんが。こればかりは私にもこだわりがありましてね」
苦笑いをしながら、やんわりと断られてしまった。百合は肩を落とす。
「人命がかかっていると言っても?」
少し言い方を変えたエドが聞いた。こだわりは人命の前で優先されるべきことなのかと問いかけている。
「ずるい言い方ですね。……話を聞く限り、蓋つきの瓶を三百本用意すれば良いんですね」
「あぁ」
『増えよ』
パスカの声の後、エドの手元にあった飲み終えたコーヒーカップが二つに増えた。
いつの間にかパスカの手には飴色の杖が握られている。
「瓶を持ってきて下されば、魔法で増やします。それで勘弁していただけませんか?」
「魔法使いだったのか……」
パスカがもう一度杖を振ると、片方のカップは消えた。
エドの低い声がBGMに乗って店に広がる。
「確かに魔法を使えばよかったんだ……」
百合は呟いた。一番簡単な答えの筈なのに、その発想が出てこなかった。
「貴方は魔法使いが嫌いなんですね」
「お前に何が分かる」
パスカが杖をベストの内ポケットに仕舞った。
「魔法使いは俺からすべてを奪った」
「貴方が魔法使いを嫌うのには、何か事情があるのでしょう。ですが、魔法使いもオストラもドンプも、全て同じ人間です。頭ごなしに否定しているのは、個人を見ていないのと同じ。相手に失礼ですよ」
エドが口をつぐむ。目を見開き絶句している。
パスカの言葉はエドに深く刺さったようだった。
親が死に自らも殺されかけた。傷ついたエドを思い、その言葉は誰も口にしなかった。
偏見に偏見を返していれば、いつまでたってもその溝は埋められない。魔法使いがオストラを差別するように。
「……邪魔したな。話は無かった事にしてくれ」
エドがローブの内ポケットから取り出した小銭をカウンターに置いた。
「またのお越しをお待ちしております」
言葉が言い切られる前に、重い扉が閉められた。
「年を取ると説教臭くなっていけませんね」
重い沈黙を、パスカ自らが破った。
「パスカさんは魔法使いだったんですね」
「えぇ、パルース魔法学校を卒業して、そのまま近衛歩兵になりました。攻撃魔法は得意でしたので」
近衛歩兵というのは君主の警護が最たる仕事だが、ベルブレイユ王国では「王の民は王と一緒」という信念のもと、警察のような役割もしている。
城の中や王都の中では至る所に立ち、国民を警護している。
「そこで一人の男と友人になりました。彼には半分ドンプの血が流れていましたが、努力して近衛歩兵になりました。近衛歩兵には、王の警護に着く人間は全て貴族であることが望ましい、という暗黙のルールがありましてね。貴族は魔法使い以外と結婚しませんから、それは即ち純粋な魔法使いでなければ近衛歩兵にふさわしくないということです。私は一応貴族の出でしたので特に何もありませんでしたが、彼は行く先々で良く絡まれていました」
パスカは懐かしい過去を思い出すかのように目を細めた。
「優秀で、優しく、明るい人でした。私は彼のようになりたいと思いながら、いつも行動を共にしていました。ある日、出自を知った守るべき要人に心無い言葉を掛けられる彼を見ていたら、果たして人間は他人を差別出来る程偉いのかと思いまして。その足で近衛歩兵を辞めていました」
「それはまた……思い切りましたね」
「えぇ、若かったのです」
パスカはにこやかに笑った。その顔に後悔をしている様子は全くない。
「そのまましばらく国中を放浪した後、彼の生まれである伝手を頼ってアブ・フレイラ村に来ました」
「え、アブ・フレイラ村に魔法使いが居たんですか?」
「えぇ。ユリさんはアブ・フレイラ村を魔法使いが探せない理由を知っていますか?」
「探知避けの魔法が掛かっているって……」
「ではその魔法は誰が掛けたんですか?」
そう言われてやっと気づいた。
アブ・フレイラ村にオストラしか居ないのであれば、検知避けの魔法なんて掛けれる筈がない。
「アブ・フレイラ村には、ジェイコブの奥さんのように魔法使いも住んでいた。その魔法使いが、差別された愛するオストラを守る為に検知避けの魔法をかけました。それがだんだん血が薄くなって魔法使いが生まれなくなったから、オストラだけの村になったんです」
「なるほど……」
オストラと共に生きたい人達が集まったのが、アブ・フレイラ村だったのだ。
パスカの優しい色の目を見ていると、百合は心の奥にあった言葉を吐いてしまう。
「ジェイコブさんもパスカさんも気が付いていると思いますけど、私は魔法使いです。事情があってエドに養って貰っています。私はあの人が大切で、傍に居たいけど、エドは魔法使いを憎んでいる」
魔法使いとオストラの問題。
でも魔法使いとしてではなく、百合自身を見て欲しい。
「誰にも言えない秘密に苦しむのであれば、ここに来なさい。その為の止まり木です。あなたに珈琲を入れましょう」
「苦い苦いブラックコーヒーですか?」
「えぇ、吐き出した苦しみを吸い込んだから、珈琲は苦いんです」
パスカはわざとらしくパチリとウインクを飛ばした。




