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悪臭

「何だったんだろうね」

「心の病気だろう。ジェイコブに連絡しておいた方が良いな」


 疲れたようにエドはため息を吐いた。

 百合も同じ気持ちだった。抱きしめた小さな体の温かさを思い出す。


「あんなひどい言葉、子供に聞かせるべきじゃない」

「そうだな。幸か不幸か、体には虐待の跡が無かった。父親は普通そうだから、最悪の時には母親をジェイコブの病院に隔離できるように相談しておこう」


 エドが服を捲ったりしていたのは、虐待の跡を確認していたのだとこの時気づいた。そしてその手際の良さに悲しくなった。

 きっとこういった事を経験したのは、一度や二度の事では無いのだろう。


「あんなに髪を短くして……魔法使いとして育てないつもりなのかな」

「そうかもしれないな。俺達みたいに魔力が無くて親に捨てられる子供もいれば、魔力があるから子供を捨てる親もいる。いつでも子供は振り回されるばかりだな」


 背負った籠を二階で降ろしたエドは「ファレノプシスを繋いでくる」と階段を下りて行った。

 足音と共に被ったままのフードが揺れる。


 エドの言葉に百合の胸は痛くなる。オストラであるが故に母が死に、自らも殺されかけたエドと百合は違う。百合は魔法使いだ。

 太ももに巻いた杖が熱を持った気がした。


「そろそろ、言った方が良いよね」


 好きな人に嘘をつき続けることが、こんなに辛いこととは思わなかった。

 

「秋祭りが終わったら、言おう」


 きっとエドを傷つけるだろう。自分の事を嫌いになるだろう。

 出て行けと言われたら、荷物を持って出て行こう。


「それまでは、ごめん」


 最後にエドと過ごした楽しい思い出だけが欲しい。

 伝えられない謝罪が唇から零れ落ちた。



「良いな、このオムライスってやつ」


 夢中で食べていたエドは、満足そうに腹をさすっている。


「お口に合ったんならよかった。また作るよ」


 たっぷりのタマネギに、大きめの鶏肉が入ったボリューム満点のオムライスをエドは気に入ったようだ。ケチャップライスなのに、卵の上からもケチャップを掛けるというお子様感満載のオムライスだ。気取ったデミグラスソースを使わないのが、家庭の味だ。


「この一週間で材料を全て揃えて、残り一週間は集中して調合をするつもりだ。予定数は三百本。容器の調達が間に合うか心配だな」

「いつものガラス瓶のお店だよね?」

「あぁ。ある程度在庫は持っていると思うが、流石にこの数を用意できるか……」

「アブ・フレイラ村って三百人ぐらいしかいないんだね」

「アブ・フレイラ村は王都から逃げ出してきたオストラだけだからな。他の領地にも同じような村はあるはずだぞ」


 百合が訪れたことが無いだけで、国内にはオストラの村は点在しているようだ。


「瓶じゃないとダメなの?」

「どういうことだ?」

「屋台なんだからさ、前に飲んだジュースみたいな入れ物に入れて、その場で飲んで貰えば良いんじゃない? 洗ったら使いまわし出来るし。持って帰る人用に瓶に詰めたものもある程度必要だと思うけど」

「成程な。それなら瓶を大量に用意せずに済むか……だがなぁ……」


 エドが渋い顔をする。


「匂いがな……」

「匂い?」

「口で説明するより実際に嗅いだ方が早いな」


 そう言ってエドは作業場から一本の瓶を持ってきた。

 茶色の遮光瓶の蓋を取ると、むわっと匂いが広がる。


「臭っ! てか苦っ!」


 何とも言えない苦い匂いが部屋中に広がる。ツンと鼻を突くのは、駅のトイレなどで嗅いだことのあるアンモニア臭だ。百合は慌てて蓋を閉じ、窓を開いた。


「どの場所で売るにしてもこの匂いは迷惑になるだろうからな……」


 食べ物の屋台の近くなら美味しい香りに混じって悪臭になるだろうし、小物屋や服屋の近くなら商品に匂いがつきそうだ。どちらにせよ嫌がられるだろう。


「確かに……」


 鍋から尺で掬って渡すとなると、匂いが拡散するのは止められない。


「家から瓶を持ってきて貰うとか? でもそうすると結局鍋ごと屋台に置くことになって匂いは変わらないか」

「そうだな」

「うーん……」


 二人して知恵を絞る。


「匂い消しの薬草を入れるとかは?」

「相性が良さそうな数十種類を試したことがあるが、どれも効果が薄まってしまったな」

「せめてアンモニア臭だけでも消せたらな…」


 苦い匂い自体は、魔薬を飲みなれている村民達には慣れたものだろう。こういうものだと思えば我慢出来る筈。だが鼻をつくアンモニア臭は只々不快だ。


「あ、良いこと思いついた」


 百合の頭に一つの方法が思い浮かぶ。


「どんなだ?」

「上手くいくか分からないけど、より強い匂いをぶつけるのはどうかな?」

「相乗効果で匂いがきつくならないか?」

「珈琲はどうかな?」

「珈琲……あぁ、ジェイコブの知り合いの店の」


 やはりエドも店に行ったことがあったらしい。


「そう、秘密の止まり木のパスカさんに協力を仰いでみるの。珈琲は強い消臭効果があるから、この匂いを消せるんじゃないかな」


 百合も日本のマンションのトイレで、珈琲を入れた後のカスを消臭剤として使っていた。


「だがあの店主はこだわりが強い。臭い匂いのする横で屋台を出してくれるか……」

「確かに。でもお願いしてみないことにはわからないよ。そもそも魔薬の匂いを珈琲の匂いで消せるかもわからないけど。何事も試してみないとわからないって、エドも毎回言ってるじゃない」


 トライアンドエラーは魔薬調合の基本だ。

 エドはぱちぱちと目を瞬かせた。そしてにやりと口元だけで笑う。


「そうだな。実験もせずに頭だけで考えていても研究は進まない。お願いしてみるか」

 

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