枷
輝く雨が降り終わり、静かな夜が戻ってきた。
百合がついに出来上がった杖を受け取った後、アレクサンダーがその場で倒れてしまった。
魔法陣を発動させるのは術者の魔力を大量に消費する。魔力の多い百合は顔色を悪くするだけで済んでいたが、本来は倒れても可笑しくない魔法なのだ。
「今日はこのまま泊まって貰いましょう。彼も溜まっている気持ちがあるでしょうからね。誰かで発散してほうが良い」
ソファーに横になっているアレクサンダーを見てニールが言った。
無事職人としての最後の仕事を終えた彼は、獣人であるが故にもう王都に帰ることが出来ない。
「彼が嫌がらないのであれば、私の領に引っ越ししてもらおうと思っています」
「本当ですか?」
「えぇ、彼は私の信用を勝ち取りましたから」
意味が分からず百合は首を傾げた。
ニールはアレクサンダーの腕に巻かれた金色の腕輪を指さした。
「魔法具です。彼が百合の事、聖女の事、私とヴォルに協力していることなど少しでも他人に漏らせば、職人の命である利き腕が飛ぶように着けて貰っていました。表向きは屋敷の通行許可証だと言って」
紫の石がはめ込まれた、洒落たデザインの腕輪だ。まさかそんな仕掛けがあったなど知らず、百合は絶句する。
「勿論、話すだけではなく書いたり手話で伝えたりする場合も有効です。でもまぁ、もう必要ありませんね」
ニールが杖を振ると、腕輪は真っ二つに割れた。
「どうして……いえ、聖女の血の事で秘密にしないといけないのは分かっているんですけど」
「貴女の為だけじゃありませんよ。私の為です。国を挙げて聖女を探している今、王国に仕える魔法使いが聖女を匿っている、なんて知られたら終身刑じゃ済みませんから」
言葉の重みが胸に刺さる。全くもってその通りだ。
ニールはいつでも親身になってくれているが、もしバレたら彼はタダでは済まない。薄氷を踏む思いの中で協力をしてくれている。
「ニールさん、いつもありがとうございます。ニールさんがこうして力を貸して下さってるから、私は異世界で暮らせています」
深々と頭を下げる。感謝してもしきれなかった。
「頭を上げてください。百合は何も気にしなくて良いんですよ。私の為にしているだけですから」
ニールは感謝の言葉を受け取ってくれなかった。
ニールは優しいが、それだけの人間では無い。いや、誰だって百パーセントの善意など持ち合わせていない。彼は彼なりに百合に協力することで得られる見返りがあるはずだ。
それを知りたかったが「さぁ、そろそろ本当に帰らないとエドが心配しますよ」と会話を閉められてしまえば、百合には返す言葉が無かった。
アレクサンダーの世話はニールと彼の優秀な執事とメイドに任せて、百合はヴォルと共に『空間移動』で帰ることになった。
「帰る前に言うことがある」
「なぁに?」
百合はヴォルの浅黒い顔を見上げた。
「八咫の事はエドに言うな。エドは魔獣や使い魔について詳しい。肩に乗った黒烏なんて、すぐに使い魔だと気づくだろう。お前が魔女だとバレるリスクがある」
「そのことなんだけどね、私何時までエドに魔女だって隠さないといけないの?」
百合の小さなつぶやきを拾ったヴォルは、同じように小声で返した。
「エドは魔法使いを憎んでいる。継母に殺されそうになったからだけじゃない。もっと根の深いことだ。オレは、正直に話すことが全てではないと思う。だからエドを傷つけたくなかったら、黙っておいたほうが良い」
「エドを傷つけたくなかったら……」
エドに隠し事をしたくない。ありのままの自分を見て欲しい。その気持ちの理由はもう理解している。
けど、知って欲しいと思う気持ちと同じぐらい、傷つけたくない。頑なにフードを被り続け、外の世界と一線引かなければ安心できないあの人を、生乾きの傷に苦しむ彼をこれ以上傷つけたくない。
「わかった」
「八咫も理解したか? 無意味に飛び回って主人に迷惑かけるんじゃねぇぞ」
「はーい」
八咫が調子よく右の翼を上げる。そしてそのままいそいそとローブのポケットに収まった。
「――お互いが、素直になれたら恋は楽しいんだがな」
ヴォルの大きな手が、俯く百合の髪を撫でた。
「ただいま」
「遅かったな。未婚の女子が出歩くには良くない時間だぞ」
時刻は鐘九つ時。夕飯も水浴びも済ませたヴォルは、ゆったりとソファーでくつろいでいた。
帰ってきた百合を見るなり苦言を呈した。
「ごめんなさい、つい。あと笛も吹いてしまって」
「ヴォルから聞いた。吹くことなんて無ければ良いと思ってたんだがな」
百合の差し出した金色の笛を受け取り、もう一度自身の首にかけた。
「メシは?」
「食べて無い……でも大丈夫、もう遅いし」
そう答えた百合のお腹から、間抜けな音が聞こえる。
「あ」
空腹は意識してしまうともうダメで、何度も何度も腹の虫が鳴く。
ふっ、とエドの纏っていた空気が緩む。しょうがなさそうに、苦笑いを零す。
「スープを温めてくるから、着替えてこい」
「はーい」
食事も済ませエドにおやすみを言った百合は、馬小屋に置いてあった木箱を使って八咫のベットを作る。巣の素材は流石に無いが、ファレノプシスの藁をたっぷり詰めたベッドを八咫は喜んだ。
「おやすみ、八咫」
「おやすみ、ユリ」
ベッドサイドの蝋燭を吹き消し、百合は目を閉じる。
今日も一日色々あった。目まぐるしく動く毎日ではあったが、その中でも特別に長かった気がする。
エヴァとの仲直り、黒烏の再来、八咫との出会い、契約、そして自分の元に返ってきた杖。
百合は太ももに着けたホルスターから杖を取り出す。月の明かりも無い真っ暗な部屋でも、天眼石の杖は木星のように輝いて見える。
軽く杖を振ると、また星屑が零れ落ちた。天井にたどり着いた星は、百合を眠りに誘うようにゆっくりと瞬いた。
眠りに落ちる瞬間ふと百合の頭の中に疑問が生じる。忙しくて忘れていたことだったが、頭の端で引っ掛かっていたことだ。
「どうしてエドは魔法具が使えたんだろう」
ヴォルを呼び出す笛を魔法具だと言った。だが、エドは魔法を使えないオストラの筈だ。なのに持ち続けていた意味は何なのだろう。
だが霞のかかった頭の中で生まれた疑問は、目を閉じるとすぐに霧散した。そのまま柔らかな眠りに落ちていく。
そして百合は、夢を見た。




