契約と名前
その後、ひたすらペンを走らせること一鐘。
ノートに五十枚ほど写し取って、やっと見れるほどの魔法陣が書けるようになった。ニールも頷いてくれたので、ようやっとペンを置くことが出来た。酷使した手首に熱を持っている気がして、プラプラと動かす。
丁度良いタイミングで、ヴォルがアレクサンダーを連れて帰ってきた。アレクサンダーは仕事をしていた所無理矢理連れてこられたようで、いつものきちんとした服装ではなく着古された作業着を着ていた。
「すいません無茶言って」
「いいえ、野生の黒烏なんて見たことがないのでワクワクしています」
「見た事無いんですか?」
「えぇ、彼らからしたら私なんて食べ応えのある食料と言ったところでしょう。姿が見えたらすぐに逃げますよ」
そういえば人魚を食べる程の大食漢だ。ネズミの姿のアレクサンダーなどは一飲みだろう。
そんなことを話しながら四人は連れだって庭へ出た。
涼しい風が先を歩くニールの長い髪を揺らす。
雲が橙に染まる。青にも紫とも言えない色が空を覆いだす。もうすぐ日が暮れようとしていた。
全貌はニール自身も知らない程、屋敷の庭は広大だ。急ぐ様子も無く庭を歩き続けると、遠くに古びた建物が見えた。
「あれは?」
「牢屋です」
百合はぎょっと目を剥く。思わず足を止めてしまった。色とりどりの花が咲く整えられた庭の中で、武骨な石の建物は浮いて見える。
「何でそんなものが」
「あぁ、見て分かるように現在は使っていませんよ。王都に比べて我が領は穏やかな民が多いですが、問題が全く起きないという事もありません。領主自ら裁かなければいけない重大な犯罪があった時に、罪人を閉じ込めるための建物です」
いわゆる領主裁判権というやつだろう。領主の仕事も楽ではない。
そんな話をしている内に四人は建物の前に着いた。ニールが代表して扉を開ける。
中はそれほど大きくは無かった。隅にホコリが積もっている以外は、がらんとした殺風景な建物という印象だ。籠った空気はひんやりとして、少しかび臭い。牢屋というぐらいだからもっとおどろおどろしい光景が広がっていると思っていた百合は、ひそかに胸をなでおろす。
檻は正面見て左右に二つあるのみだ。脱獄出来ないように格子がはめられている。檻の中は五畳ほどで、空間に椅子だけが置かれていた
檻の外、今百合達が立っている空間には、見張りの為に簡素な机と椅子が置かれている。檻の数が随分と少ないが、凶悪犯罪を起こす人間などそういない。個人の持ち物ならこんなものなのだろう。
「こっちです」
ニールは杖を振り机と椅子を端に寄せた。そうして現れた石の壁をコンコンと杖で叩く。
すると壁がすうっと消えた。そして人が一人通れるほどの長方形の穴が姿を現した。
「おお……」
百合は思わず感嘆の声を上げた。石壁に隠された入り口など、本棚の裏の隠し扉ばりに浪漫がある。物凄く魔法っぽい。
穴の先は真っ暗で何も見えない。だが穴から漏れた風が百合のドレスを膨らませる。どうやら穴は階段になっており、地下へ進めるようだ。
『燃えよ』
ニールの呪文で階段に備え付けてあった蝋燭が一気に燃え上がる。炎の光は随分先まで揺らめいており、この階段が長く続いていることを示していた。
足元に気を付けながら階段を下るとだだっぴろい空間に出た。明り取りの窓も無く、蝋燭の明かりで頼りなく照らされた石づくりの空間は、暗く不気味だった。澱のような澱みが眼前を漂っている気がする。それは人の痛みや涙を吸った負の空気なのかもしれない。
「相変わらず暗ぇな、ここ」
「来たことあるの?」
ヴォルが思い出したように話し出す。
「おう。ガキの頃に一回だけな。この地下牢は実はアリの巣みたいに広がってて、屋敷からも入ることが出来るんだ。扉の先に何があるか知らなかったオレ達は、地下牢に続く扉を「開かずの扉」って名前つけて「この先にお宝があるー」とか言って壊しちまったんだ。話を聞いたニールの親父さんに「そんなに気になるならお宝が見つかるまで出て来なくて良いですよ」って放り込まれたんだが、まぁ魔法もロクに使えないガキがこんな所に閉じ込められたら泣くしかないよな」
「私もヴォルもエドも、泣いて謝って扉を叩いても父は半日開けてくれませんでしたね」
ニールも懐かしそうに目を細める。
「怒鳴ったりはしなかったが、笑顔でえげつないことするタイプだったよな」
「それ何歳ぐらい?」
「五歳ぐらいだったと思う」
五歳の子供を地下牢に放り込むとは中々に鬼畜である。トラウマになっても可笑しくないだろう。笑い話で済んでよかった。
「ここに来たのは、この建物自体が魔法の干渉を受けないからです。内からも外からも脱獄させないような造りになっています。ここなら百合の魔力が暴走しても壊れることはありませんから」
「暴走するんですか?」
「失敗したらですけどね。さ、書き始めて下さい」
ニールに渡された白いペンキに筆を入れて、慎重に書き始める。でこぼこした石畳は書きづらかった。魔法陣は契約者本人が書かなければ意味がないので、他の三人は壁側に立って静観している。
手本を見ながらなので随分と時間がかかってしまった。不格好ながらも手本通りの魔法陣が書きあがる。
「ではその三角形の真ん中に黒烏を置いて、ユリも五芒星の真ん中に立ってください。杖を効き腕に。後は分かりますね」
一つ頷き百合は大きく息を吸った。三角形の真ん中に子烏をそっと置く。子烏はそのまま動かなかった。今から起きようとする出来事をすべて分かっているようだった。
『汝の魂は我の物、我の命は汝のもの。我の元へ下れ』
刹那、魔法陣が強く光った。黄金の光の真ん中で、子烏と百合の視線が合う。
「おかぁさんは死んじゃったの?」
黒烏が最初に言った言葉がこうだった。
「私の言葉、通じるの?」
「うん、難しいことは解らないけど、ユリ達が話していたことはなんとなく分かる。おかぁさんが死んじゃったってことも」
黒烏は小さな羽を動かした。
「ユリは契約したら、僕の家族になってくれるの?」
百合にだけ聞こえる声で、子烏が鳴いた。
家族。使い魔は四六時中傍に居る。命も運命も共にするなら、それは家族より強い絆だ。
「うん、私も一人ぼっちなの。この世界に家族は居ない。だからね、家族になって欲しいの」
「うん。僕はユリの家族になる」
「なら。『此処に契約を結ぶ――八咫』」
百合が名を呼ぶと、黄金の光は子烏――八咫の体に吸い込まれた。
誰もが動けぬ世界の中、八咫だけが小さな羽で飛び上がり、百合の肩に止まった。
「これからよろしくね」
「うん」
今この瞬間、血より重い契約の上で百合に家族が出来たのだった。




