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魔法陣

「実は今から教える魔法陣は簡単です。魔力を持った魔法使いもしくは魔女で、使い魔になる魔獣と信頼関係が築いており、かつ方法を知っていれば確実に出来ますからね。とはいえ、意味を知らなければ勉強にはならないので一から教えますね」


 書斎へ移動した二人は、いつものように向き合っていた。百合は席に座り、ニールは黒板の隣に立つ。この部屋でニールと百合が一緒に居る時は隣に座ったことがない。

 ニールが書斎の黒板を杖で叩く。すると白い文字がぶわりと浮かび上がる。


「これが使い魔の契約魔法の魔法陣です」


 大きな二重の円の中に五芒星が書かれている。二重線の中に文字がびっしりと書かれている。この世界の文字が読める百合でも読めないということは、おそらく古代語だろう。

 療養中に書斎の本を片っ端から漁っている際に、全く読めない本があった。それをニールに見せると古代語だと教えて貰った。パルース魔法学校でも勉強するそうだが、それは表面だけだ。まだまだ分かっていない事の方が多い神秘的な学問だそうだ。

 五芒星の頂点の上には三角形が一つ。これにも周りに複雑な文字が書かれている。

 百合は魔法陣をじっくりと見た後、顔をしかめた。見覚えがある。

 百合の表情を見て、ニールは静かに頷いた。


「えぇ、そうです。『聖女召喚の儀』も魔法陣を使ったものです。あれは古代語よりも古い失われた言語で書かれていますから、これよりももっと複雑です。ですがその分力の強いものを召喚したり、契約が出来ます」


 百合がこの世界に召喚された時に初めて見たものだ。白いペンキのようなもので書かれた文字に血を流す少年達。十二人の命と引き換えに、百合はこの世界に来た。


「今更なんですけど、亡くなった少年達の遺体はどう説明されたんですか?」

「王国の方から、名誉の死という形にされました。遺体は家に、魂は特別に王宮の教会へ納められました。犠牲になった子達は有力貴族の子供が多かったので、納得してくれました」

「そうですか……」


 百合は机の下で拳を握りしめた。

 日々の忙しさにかまけて、彼らの事を思い出すことも無かった。流れる血の赤も、錆びた匂いも。

 あぁ、なんて自分は薄情なのだろうか。若い命をいくつも犠牲にして、のうのうと生きていた。

 俯いてしまった百合の首筋を、温かい何かがくすぐる。


「ピイ」

「慰めてくれるの? ありがとう」


 子烏を両手で掬い、柔らかな羽毛に頬を寄せる。温かくてとくとくと早い脈を肌で感じる。生きものの命の温かさだ。

 ニールは「覚えていて欲しいのです」と暗い声で語った。 


「どんな魔法であっても、魔薬であっても、失った命は元には戻りません。そして、若い命を奪ったのは、私たち王宮魔法使いです。ユリが気にすることはありません。この罪は、私が償っていきます」


 百合はニールの顔を見て、この人の肩にいくつの責任がのしかかっているのだろうと考えた。

 王宮筆頭魔法使い、広大な土地の領主、若き侯爵。彼を指す言葉が多い分だけ責任が増える。

 自分の物差しで他人を図るのは良くないことだ。だが、どうしても心配になってしまう。

 他人の罪まで背負おうとする優しい人が潰れないかどうかが。

 

「いえ、私にも責任の一端はあります。ですからもし教会へ行く機会があれば、私を連れて行って下さい。もう何もできないけど、墓標に手を合わせたいんです。お願いします」

「……えぇ、わかりました。必ず」


 微笑んでニールは頷いた。

 

 約束を受け入れて貰った所で、百合はノートに魔法陣を書き始める。

 暗記はしなくて良いし、手本のまま見て写せば良いのだが、これがなかなか難しい。図形はともかく、書かれている文字がぐにゃぐにゃと曲がっているせいで書けている感じがしないのだ。


「これって書くのミスったらどうなるんですか?」

「何が起こるかわかりませんね。魔獣と魔法使いの中身が入れ替わったとか、交じり合って一つの体になった、というのは文献で読んだことがあります」

「えぇ……」


 顔は百合で体が子烏、顔が子烏で百合の体、どちらがマシなのか想像してみたが、どちらもバケモノには違いない。


「如何せん古代魔法はまだ判明していないことが多いんですよ」

「魔法陣も聖女召喚の儀式も古代魔法なんですよね? なんで魔法使いが使えなくなっちゃったんでしょうね」

「文献が紛失してしまったことと、そもそも使える人が居なくなってしまったせいで廃れたのと」

「使える人が居なくなったのはどうしてですか?」

「古代魔法は文献が非常に少ない。それは元々口語で人から人へと教えられてきたからで、書き留めた人が居なかったと言われています。魔法使いは原初の人々から比べると、人が増えた分随分と血が薄くなっています。減っていく過程で発動しない魔法は忘れられていったのかと推察できますね」


 卵が先か鶏が先か。教える人間がいなくなったから廃れたのか、使える人間がいなくなったから廃れたのか。どちらが先だったのだろうか。

 そしていつもながらニールの知識の深さには感心する。


「ニールさんって博識ですよね」

「こう見えて筆頭魔法使いですから。でも私は要領が悪くて知識を吸収するのに時間がかかります。ユリより物事を知っているのは、ただの年の功ですよ」


 ニールが苦笑いを零した。長い髪の向こうの表情は謙遜ではなく、どこか自分を卑下しているような苦さがあった。


「ヴォルやエドもそうですが、覚えの良い彼らをうらやましく思います。エドは魔薬の調合が、ヴォルは魔法のセンスがずば抜けています。二人とも天才ですよ」


 ぽつり、と呟いた言葉が広い書斎に落ちた。


「……継続は力なり」

「え?」


 百合の言葉にニールが落としていた視線を上げた。


「私の母国の言葉です。小さな事でもコツコツ続けていれば、いつか努力は身を結ぶっていう意味です。学ぶことを止めなかったニールさんだからこそ、こうして私に教えてくれてるんですね。過去と今のニールさんに感謝しないと。それに、物事を成し遂げるまで続けれることはそれ自体が才能です。あの二人が天才なら、ニールさんは努力の天才ですよ」


 この書斎の本で、ニールが読んでいない本はない。彼は物覚えが悪いといいながら、学ぶことを止めなかった。

 人は生きてきたようにしか生きれない。王国筆頭魔法使いの地位は、ニールが自分で手に入れたものだ。

 ニールはしばらくの間言われた言葉を噛みしめているようだった。やがて何かを飲み込むように少しだけ笑った。いつもの笑顔とは違う、柔らかで泣きそうな笑顔だった。


「ありがとう、ユリ。さぁ、手が止まっていますよ」


 ニールの声色に変化はない。だが百合には見えない机の下で、爪が食い込む程掌をきつく握りしめていた。

 そうでもしないと、泣いてしまいそうだった。


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