人魚姫の王子様
「ユリ、どうしたの? 大丈夫?」
異変に気付いたエヴァが、心配そうに百合の顔をのぞき込む。百合の顔は今まで見たことの無いぐらい真っ青だった。目を見開き、地面に着いた膝や手が細かく震えている。エヴァの目から見て何か百合にとてつもない恐怖が乗りかかっているようだった。
「うん、大丈夫。誰も飲んだことなかったから、上手くいくか不安だったの。よかった。でももし少しでも変わったことがあったら、教えてね。副作用が無いかは確信が持てないから」
「うん、わかった!」
百合は頭を振る。
不安に思うことなど、自分一人で十分だ。エヴァの鱗が治ったことを、今は心から喜ぼう。
その場を取り繕うように、百合は話題を変える。
「さて、エヴァ。パーティーを始める前にお願いがあるの」
「なぁに?」
「パーティーに来ていく予定だったドレスを着てきてくれない? 今日の主役はエヴァなんだから、可愛い姿が見たいの」
「うわぁ! 私が主役なの? そうよね! せっかくのパーティーなんだもの! すぐに戻ってくるから待ってて!」
「ゆっくりでいいからね~」
ザブンと水に潜ったエヴァの姿が、水泡に紛れて見えなくなる。
居なくなったのを確認した後、むっつりと不機嫌なシンに向き合う。
「シン」
「何だ」
「エヴァは今から可愛い恰好をするわよ」
「それがどうした」
「貴方にはエヴァの王子様になって貰います」
「はぁ!?」
シンの目が驚愕で見開かれる。
「何故俺がそんなことを!」
「私とシンのせいで、エヴァがパーティーに行けなくなったのよ。その責任を取らなきゃ」
「おま、無茶苦茶言うな!」
「私は友達を喜ばせたい。シンは好きな子を喜ばせたくないの?」
ぐっ、とシンは言葉に詰まる。視線をうろうろと彷徨わせている。
彼の中で人間になんて協力したくない、という思いと、エヴァの笑顔が天秤にかけられているのだろう。
しばらく考え込んだ後、やがて諦めたかのように深く息を吐いた。
「わかった。何をすればよい」
百合はにんまりと笑う。そして指先でちょいちょいと手招きをした。
「耳を貸して」
エヴァは超特急で家に帰り、クローゼットの奥に仕舞い込んでいたドレスに袖を通した。
百合に作って貰った花飾りを耳に差し、鏡をのぞき込む。口紅をいつもより濃く塗り、アイラインを引く。
「まさかこのドレスを着てパーティーに行けるなんて」
鏡の中のエヴァは、とても嬉しそうに笑っている。その気配に釣られてか、色とりどりの小魚がくるくるとエヴァの周りで踊り出した。
「ふふ、嬉しい」
だが、楽しい気持ちは長く続かなかった。
家から出た所で三人の人魚が立っていた。
彼女たちはエヴァと同じように新品のドレスを身に纏い、きらきらと光る夜光貝の粉を髪に振りかけていた。
真ん中に居た人魚がわざとらしく「あら」と声を掛けた。
「そんなに着飾って、結局パーティーに行くことにしたの? やめてくれない、抜けた鱗で行くなんて、人魚がみんな人間に憧れているって思われたらどうするの?」
くすくすと両脇の取り巻きも笑う。その様子からみて、わざわざエヴァが出てくるのを待っていたのだろう。
昔から何かとエヴァに突っかかってくる彼女の名前は、ルナと言う。同じ頃に生まれた筈なのに、エヴァ一人だけを仲間外れにしたり陰口を言ったりするグループの主犯格だ。
昔は仲良くしたくて後ろをついて行ったりしたが、嫌な思いをするだけだった。
人間に興味があるエヴァに嫌悪の目を向けたり、珍しい桜色の鱗を馬鹿にしたりもされた。
「何でそんなこと言うの?」と泣いているエヴァの前でくすくすと笑い、沢山の女の子を連れてどこかに行ってしまった。
そんな時いつもシンは傍にいてくれた。
「エヴァに嫌なことを言うな!」とルナやその仲間を怒鳴りつけてくれた。
私の何がいけないのかと悩んでいたが、もうどうでもよかった。エヴァには今、ユリとシンがいる。
「今から私の為に友達がパーティーを開いてくれるの。だから王子様のパーティーには行かないわ」
「嘘おっしゃい。貴女に友達なんていないでしょう」
「居るわ。人間のユリと、シンよ」
ルナの顔がカァっと赤く染まる。
そう、結局のところルナがエヴァを気に食わないのは、シンのせいなのだ。
昔からルナはシンに片思いしている。そして鈍いシンは何時までたってもその事に気づかない。だからエヴァを目の敵にするのだ。
「二人とも私のとっても大切な人だわ。パーティーを楽しんでね。私も楽しんでくるわ」
ユリは優しい。とっても大切な友達。
シンは口うるさくて怒りっぽいけど、いつも守ってくれる大切な人。
手を振って泳ぎ出す。後ろで何かルナが叫んでいたがどうでもよかった。ユリとシンが待っている地上へ、光の指す道を真っすぐに向かうのだった。
「ただいま!」
エヴァが水面から顔を出す。百合の隣にいたシンが振り向いた。エヴァの顔を見て眉間に皺を寄せる。
「……何か嫌なことがあったか?」
まただ、とエヴァは思う。
エヴァが嫌な思いをすると、シンはすぐに気が付いてくれる。泣いている時だって、誰よりも早く涙を拭ってくれる。
その度にエヴァの心は温かくなる。シンの手を握った。いつもエヴァを守ってくれる大きな手だ。
「何でもないよ。あのね、シン。馬鹿っていってごめん。大っ嫌いなんかじゃない。大好きだよ」
「あぁ、オレも酷いことを言った。ごめん。人間は……やっぱり俺の先祖を殺したから、すぐに好きにはなれない。でも、ユリはそこまで嫌いじゃない。それと、オレも、す、好きだぞ」
シンの顔が赤く染まる。それを見てエヴァの頬も尾びれと同じ桃色に染まる。シンはそんなつもりで言った筈もないのに。エヴァの胸がどくどくと音を立て始めた。
ごほん、と改まった空咳が聞こえる。
「おーいご両人、私が居ることを忘れてはいませんかね」
シンとエヴァの手がぱっと離れる。二人の間に流れていた淡い空気をかき消すかのように、エヴァが手を上げる。
「パーティーを始めましょう!」




