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ただ一滴の血

 こういう時に、抱きしめてあげれたら良いのにな、と百合はエヴァの涙を止めれない自分を恨む。ようやく涙も止まったころ、地面に座った百合と水中から肩より上を出したエヴァは改めて向かい合う。


「エヴァ、鱗の具合はどう?」

「うーん、やっぱり生えてこなかった」


 水面に持ち上げた尾びれは、部分的に鱗が剥げてしまっている。黒烏(クロクロウ)に掴まれた箇所だ。

 エヴァの尾びれは桜色で、先端に向かって紫色にグラデーションがかかっている。それが所々白く抜けてしまっている。綺麗な色であるが故に、目立ってしまっていた。


「何か言われた?」

「……うん、ちょっとだけ。でもちゃんと黒烏(クロクロウ)に襲われたって言ったよ。信じてくれなかったけど」


 最後の方はささやきに近い声だった。俯いた顔に悲しみが映る。


「今日のパーティーはどうするの?」

「行かない。というかユリのことで頭一杯で、行く気にもなれなかった」

「行かないのね?」

「うん、どうしたの?」


 百合が余りにもしつこく確認したせいでエヴァは小首をかしげる。


「王子さまはいないけど、小さいティーパーティーを用意をしたの」

「本当に!? すごい!」

「エヴァの気持ちが少しでも晴れたらなーとか思って」

「うれしい! ありがとう!」


 泣いている姿よりも、落ち込んでいる姿よりも、エヴァは笑っている方が良い。そう思いながら百合は腕を拡げて喜ぶエヴァに微笑んだ。


 さて、もう一つの問題がある。


「パーティーを始める前に。シンはエヴァはにちゃんと謝った?」

「シンが何か言ってきても全部無視してたからわかんない」

「あぁ、やっぱり」


 百合はエヴァはの後ろ、岩陰にオレンジ色が見え隠れすることに気付いていた。仲直りをしたのであれば、堂々と隣に立てるはずだ。


「シン! そこに居るんでしょ? 出てきたら?」


 エヴァも振り返る。


「またエヴァに人間の食べ物なんぞ与えようとしたな……」


 唸るような低い声のシンが近づいてくる。横に並んだ姿にエヴァは眉間に深く皺を寄せたが、その言葉に反論しなかった。なるほど、賢い行動だ。好きの反対は嫌いではない。無関心だ。

 シンには確実に効いている。ガーンとショックを受けた顔になり、そのまま涙目で百合を睨む。


「お前のせいだ……」

「誠意が足りないんでしょう」


 百合はしれっと返す。


「後からシンにごちゃごちゃ言われると面倒だから呼びました。さて、エヴァ。ここに魔薬があります」


 百合はローブの中からひし形の細長い瓶を取り出した。中には大さじ一杯ほどの赤い液体が入っている。


「鱗が生えるかもしれないし、生えないかもしれない魔薬です。ちなみに副作用は不明。それでも飲む?」

「飲むわ」

「エヴァ! 止めろ!」


 きっぱりと言い切ったエヴァに、咎めるようにシンが叫ぶ。


「良いの? 効くかどうかも分からない薬だよ?」

「うん。生える可能性があるなら」


 百合からガラス瓶を受け取りエヴァが頷いた。

 やはり人魚にとって鱗が剥げるということは、それだけ辛い事なんだろう。


「勘違いしないでね、鱗が剥げたのはそこまで気にしていないの。でもね、人間と関わったからだーって言われる方が辛い。私とユリの友情を否定される方が嫌なの」

「エヴァ……」


 ビンの蓋を取り、戸惑うことなく飲み干す。とろりとした赤い液体は、残さずエヴァの体内に入り込んだ。


「なんか変わった味ね……」


 魔薬と言ったものの、中身は百合の、いや『聖女の血』だ。小指をナイフで少し切って、小瓶の中に一滴血を落とした。鉄錆の味が分かると気持ち悪いと思うので、色をごまかす為にも昼食に使ったトマトの残りを絞って作ったトマトジュースを注いだものが、瓶の中身だ。決して魔薬なんかではない。

 もし百合に流れる『聖女の血』が本物なら、遅かれ早かれ何かしらの変化が訪れるはずだ。


「うわっ!」


 変化はあっという間だった。

 エヴァの身体が金色の光に包まれた。あまりの眩しさに、一瞬目を瞑ってしまう。

 溢れ出た光は水に反射し、辺り一帯を黄金に染める。

 柔らかく温かい風が吹きその粒子が霧散した時には、鱗が元に戻っていた。


「治った!」


 自分の尾びれを見下ろしたエヴァが、わぁ! と歓声を上げる。


「ユリ見て! 治ってる!」

「……えぇ、そうね、良かった魔薬が効いて……」


 喜ぶエヴァの向かいで、百合は顔色を失くしていた。


「(本当に効いてしまった)」


 今まで聖女だと持て囃されても、そんなものは嘘だと心の片隅で思っていたのだ。他人の言葉は百合に聖女の自覚を与えなかった。

 それでも、血が与える効果を自分の目で確かめてしまった。

 本当に自分は聖女なのだと、この時初めて自覚したのだった。


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