再会と約束
後片付けを終え、服を着替えた百合が荷物を持つ。
階段前でエドの顔を見た百合が小さく噴き出す。
いつもの無表情だが、少しだけ眉が下がっている。
「もー心配しすぎだよ」
「本当に大丈夫か?」
「大丈夫、行ってきます」
「待て、これを持っていけ」
エドが自分のシャツの二番目のボタンを外し、首にかけていたネックレスを外した。そのまま百合の首にかけて、髪を後ろに流す。
俯いて良く見てみる。チェーンの部分は金だろう。エドの体温が移ってほんのりと温かい。ペンダントトップには細長い棒が付いている。同じく金で出来ており、蔦のような細かい飾り彫りがされている。真ん中に小さな赤い石が一つ輝いていた。
「これは何?」
「魔獣除けの笛だ。命の危険があった時にこれを使え」
この細長い棒は笛だったのか。エドも毎日のように森に入るから、こういったものは必要なのだろう。
どんな音がするのだろうかと眺めていると「命の危険があった時だけだぞ」と念押しされた。
ありがたく受け取り、今度こそドアを開ける。
「必ず返してくれ」
「わかった、ありがとう。行ってくるね」
「あぁ、気を付けてな」
百合はそのまま森の方へ歩き出す。途中何度か振り返ると、エドは階段の手すりに持たれてずっと見送ってくれていた。何度も何度も手を振り、やがて木に隠れて見えなくなった。
今日の百合の服装は、ニールに貰った綺麗なピンク色のワンピースに、歩きやすい低いヒールの靴を合わせている。それにいつもの赤色の鞄を掛けている。鞄からはガシャガシャと音がした。
歩き続けていると、ふと吹く風が少し冷たくなっていることに気づく。日差しはまだ強く、照り付けるようだがそれでも少しばかり暑さがマシになっている。
「もう九月だもんね」
百合がこの世界に転移してから二ヶ月だ。この二ヶ月の間で様々なことがあったな、と思い出していると、あっという間に湖の端に着いた。
斜め掛け鞄の中に手を入れ、ゴソゴソと手を掻きまわす。お目当ての物を発見すると、一気に腕を引き上げた。
ぬるり、と出てきたのは熊手の熊ちゃんだ。
「ごめんね、狭かったよね」
暗い所で窮屈な思いをさせていたのだろう、やっと外に出れた、と言わんばかりにビュンビュンと百合の周りを飛び回った。
この小さな鞄から、長い熊手が出てきたのには理由がある。鞄にはメアリーに習った『拡張魔法』と『軽量化魔法』を掛けてあった。
この『拡張魔法』は生活魔法の一部で、対象物の容積を拡げる魔法だ。鞄にかけるのが最もポピュラーな使い方だが、他には馬車や個人部屋などを大きくする為にも使われる。
同じく『軽量化魔法』も読んで字のごとく、物の重さを十分の一まで減らす魔法だ。
百合が今日したいことをローゼスとメアリーに伝えた時、物の持ち運びに便利だからと教えて貰ったのだった。両方とも単体では難易度はそれほど高くない魔法だったが、重ね付けをするとバランスが悪ければ効果を打ち消してしまうという事なので、必死に習得した。勉強時間は約半日。人間やろうと思えばどうにかなるものである。
熊手に乗り、湖を横断する。今日の湖面は魚が少なく静かだ。
見慣れた斑花の群生に足を下ろす。
「花の色が変わってる」
鮮やかなピンク色は、白の斑がぽつぽつと浮いている。日の長さが短くなったから、日の当たる場所も変わってしまったのだろう。夢のような光景は、いつか終わってしまうものなのかもしれない。
「よし」
荷物を地面に下ろした百合は湖に向き合い、大きく息を吸う。
「エヴァー! 百合が来たよー!」
大声は湖面を滑り、遠くまで届く。それが水底にいるエヴァに届くのかは分からない。でも、待ち合わせのしていない、そして連絡方法を持たない二人が会うにはこうして呼び続けるしかない。
「エヴァー!」
百合は声が届くまで叫び続ける。
いくらか時間が経ち、百合の声が枯れ始めた頃、ぽちゃん、と小さな音がした。
恐る恐る水面から黄色が顔を出していた。
「エヴァ! 体はどう?」
「ユリ……」
辛うじて声が届く距離のまま、エヴァは一向に近づいてこない。
二人の間を水気を含んだ風が通り過ぎる。
「エヴァ、こっちに来て。顔を見せて!」
「あたしユリが死んだとばっかり……」
エヴァの声に涙が滲む。
「どうしてそんなこと」
「だって、ユリを放って帰っちゃったし、シンは衰弱してたから、血の匂いに釣られた魔獣に襲われただろうって、森の魔獣は獰猛だから、湖にも姿を現さないし、あたしのせいでユリが死んだとばっかり」
しゃくりあげる声に混ざる言葉には脈略がない。感情がぐちゃぐちゃになって、思いつく言葉をそのまま口に出しているのだろう。だが、百合を心配していたことは十分に伝わる。
「大丈夫よ、あのあとちょっと熱を出しちゃって、療養してただけだから。生きてるよ。さ、こっちに来て」
「ユリー!!」
バシャバシャと大きな音を立ててエヴァが飛んでくる。金色の瞳が涙に濡れている。
二人の体温が合えば、きっと熱く抱擁をしていただろう。この世界で唯一の友達。
「本当にごめんね、あたし」
「謝るのはそこまでよ。私だってエヴァに怪我をさせてしまったんだから」
「それこそユリのせいじゃないよ。でも、あたし今度は絶対にユリのこと守るからね」
流れる涙を乱暴に拭いながらエヴァは言った。
その言葉に百合は嬉しそうに頷いた。




