玉座の間にて
「馬車で移動しないといけないなんて、どんな距離よ……」
白いレンガで舗装された道に降り立つ。
目の前には、首が痛くなるほど見上げなければならない大きな王宮があった。
驚くことにあの大きな教会は、城内にあったものだったのだ。
外壁は白色で屋根には鮮やかな青色が使われている。
城塞としての機能はなく、壁や塔は細かく美しい装飾が成されていた。
入り口までの道すがら、ラベンダーが見事に咲いている。
こちらの季節は夏前なのだろう。風に混じる香りは青々と生命力に満ちていた。
正面から城に入ると、クジャが「こちらへ」と声をかけた。
「今から王太子と王妃に会っていただきます。
が、その前に身なりを整えましょう。あまりにも服装が違いすぎると、驚かれてしまうかもしれませんから」
確かに百合の今の格好は、上は中学校の修学旅行で買ったクタクタのTシャツで、下はスウェットの寝間着だ。
王族どころか、他人に会う服装ではない。
そのことを思い出し、自分は何て格好で男の人、しかもとびっきりの美形の前にいたのかと羞恥で顔を赤らめた。
通されたのはホテルのような一室だった。
裾の長いクラッシックなメイド服を着た5人の女性が、百合とクジャを出迎えた。
「身支度は彼女達にお任せします。用意が済みましたら迎えに参りますので、そのままお待ちください。
では任せた」
クジャの言葉に無言で深々と頭を下げたメイド達は、扉が閉まると視線を百合に向けた。
5人の中でも一番年上と思しきメイドが一歩前へ出る。
彼女だけエプロンにレースが使われている。どうやらこの場の責任者のようだ。
「初めまして。聖女様の身支度を手伝わせていただけるなど、これ以上ない喜びでございます。短い時間ですが、どうぞよろしくお願いいたしますね。
ではこちらへ」
大人しく着いていくと、案内されたのは浴室だった。
ここも広く白い。床も壁も浴槽も大理石でできている。
「すごーい」
「失礼いたします」
「え、ちょっと!」
メイド達の手が百合の服へと伸びる。
慌てて抵抗するが、数の力には勝てない。
5人がかりで服を脱がされ、あっという間に浴槽へ沈められた。
「ふわぁー」
思わず声が漏れた。
銭湯のように広い浴槽には、ぬるめの湯が張られている。
緊張しきっていた心と体を解きほぐすような、柔らかな香りが満たされていた。
湯面にはフレッシュハーブがたくさん浮いている。
カモミール、ミント、ラベンダー、ローズマリー、タイム……底に沈んでいるのは塩の結晶だ。
浴室の天井には大きな天窓があった。
明るい太陽の光が燦燦と降り注ぎ、湯面を光らせていた。
「湯加減はいかがでしょうか?」
「気持ちいいです……」
百合以外は浴槽の外に座り、髪や腕を丹寧に洗い出す。
豊かな香りに癒され、目を瞑る。
見知らぬ人間に身体を洗われることに抵抗を感じなかった訳では無いが、もはや抵抗する気力も残っていなかった。
長い黒髪は魔法であっという間に乾かされ、アップに纏められた。
化粧はもちろんのこと、爪の形まできれいに整えられ、クジャの前に立つ頃にはどこに出してもおかしくない淑女になっていた。
「これはこれは、この国の衣装がとてもお似合いになる」
パジャマから一転、着替えさせられたのは白いドレスだった。
着心地の良いドレスは袖を通すと勝手に縮み、上半身にピッタリと沿った。
体に凹凸の少ない百合に良く似合うデザインだった。
オフショルダーで腰から下はふんわりとボリュームがあり、光る銀糸で細かな刺繍が施されている。
糸自体にも魔法がかけられ、歩くたびに雪のようにきらきらと光った。
仕上げに床まである長いマリアヴェールまで被らされてしまえば、全て白色で統一されていることもあって、まるでウエディングドレスのようだ。
百合はクジャの服も変わっていることに気づいた。
ローブの色は黒から白へ。シャツの襟は立てて、銀色のスカーフが巻かれている。
普通の人なら服に負けそうなぐらい上質な素材だが、均整のとれた体に良く似合っていた。
「では、参りましょう」
差し出された腕をどうすれば良いのか迷っていると、腕を絡めるように言われた。
履きなれない高い靴ではドレスの裾を踏んでしまうかもしれない、と足元を見て歩いていると、クジャが歩きやすいようにエスコートをしてくれた。
王座の間までの回廊は、壁も天井も余白なくフレスコ画で埋め尽くされていた。
「え?」
驚くことに、額縁に入った絵は動いていた。
野に咲く花が気持ちよさそうに風に揺れていたり、兎が草原を駆け巡っている。
「ここの絵画は天候や気分によって自在に絵を変えます。今はリリー様の心を映しているようですね」
そんなにご機嫌ではないのだが……と絵を見つめるが、淡い色合いの小花は百合の好むものだ。
ふと、ここには2人、百合とクジャがいるのに何故百合の心だけを映しているのかと不思議に思ったが、正面にひと際豪華な扉が現れた所で、その疑問は霧散した。
着いたのは玉座の間だった。
天井には豪華なシャンデリアが下がり、赤と金で揃えられた部屋には荘厳な雰囲気がある。
正面の天井近くの壁に掛けられた大きな絵は、全て男性の姿絵ばかりだ。
全員が頭に王冠を被っているので、歴代の王の絵なのだろう。
絵の下に設置された金色の玉座には、少年がちょこんと座っていた。
玉座から一段下がった場所には、真っ赤なドレスを着た女性が少年時代に寄り添うように立っている。
壁際には白いローブを着た魔法使い達が、ずらりと並んでいた。
王座の前まで進み、クジャが足を折って最敬礼をした。
見よう見まねで百合も腰を折ると、クジャから「リリー様はしなくても良いのですよ」と窘められた。
「どうしてですか?」
小声でクジャに問う。
「貴女は聖女。このベルブレイユ王国で唯一、王族の前で膝をつかなくても良いお方なのですよ」
頭を深々と下げたまま、クジャが答えた。
「おもてをあげよ」
少年の声で、クジャと百合は顔を上げた。
玉座の少年は言葉を言葉を続けた。
「余はベルブレイユ王国王太子 アルバート・ラグナロクだ。聖女よよくぞ来てくれた」
長い背もたれの半分もない少年が、目的の王子であることに百合は驚いた。
頬は赤く、頬に丸みがある。日本人の感覚では、小学校に入ったばかりぐらいに見える。なのにこんなにもしっかりと話せるのか。
「アルバート王子、こちらはリリー様です。本日行われた聖女召喚の儀式にて我が国を救いにやってきて下さいました」
「うむ、うれしく思うぞ」
クジャの言葉に頷くが、王子の顔には喜びも何も浮かんでいなかった。
ただ言わされているだけのようで、全く中身がない。
意味もわかっていないのではないか、と百合は勘繰る。
「クジャ、それは本当なの?」
割り込むように女の声がした。
王子の隣に立っていた、薔薇のような赤いドレスの女だ。黒髪を綺麗に結い上げ、釣り目を疑わしそうに向ける。ハリウッド女優のように苛烈な美しさのある女だった。
「勿論です、王妃」
「じゃぁ何かしてみせてよ」
女は扇子で口元を隠して言った。
陰険な横目で百合をじろじろと見る。隠した唇も、さぞかし不快げに歪んでいるのだろう。
「王妃、リリー様は魔法のない国から来られました。今すぐに何か出来る、ということではありません。
ですが私は聖女の金色の魔力を目にしました。彼女こそが聖女。我が国を救ってくださいます」
「信用できないわね。その貧弱な身体で遊女なのかしら? 貴女どうやってクジャに取りいったの?」
あまりの言いように、言葉を失った。
ーー今私は商売女だと思われたのか。
面と向かってこんなにひどい言葉を投げかけられたのは初めてで、百合は絶句する。
「王妃、僭越ながらリリー様はこの国を救う聖女です。そのような言いようはお止め下さい」
クジャの静止は火に油を注いだだけだった。
王妃の形の良い眉が吊り上がる。
「綺麗なおべべを着た所で、礼儀知らずがにじみ出ているわ。ここは貴女の様な下賤の民が来れるような場所じゃないの。とっとと失せなさい」
百合は虫けらを見るように嫌悪感を丸出しにする王妃を睨む。
今しがた会ったばかりの女に、何故ここまで言われなくてはいけないのだろう。
すると王妃はクジャに近づき、豊かな胸を押し付けた。
クジャは「王妃、お戯れを」と咎めるが、振り払う素振りはない。
なるほど、そういう事かと納得する。
が、少なくとも王妃と呼ばれている限りこれは不貞になるのでは? と思った。
百合は大きく息を吸った。
正面切って王妃を見つめる。
「出会ったばかりの人間に、そんなことを言う人が国を担っているなんて信じられませんね。
私はこの世界に無理やり連れて来られました。聖女か何だかは知りません。不要ならさっさと元の世界へ返して下さい」
睨みつける百合に心底不思議そうな顔で、王妃が首を傾げた。
「何言ってるの? 貴女が本当に聖女なら、帰れるはずないでしょう」
王妃の言葉に耳を疑った。




