ただいまの言葉と冷製パスタ
翌日の昼前にニールの空間魔法で森の中のエドの家まで送って貰った。
外階段を昇り扉を開くと、ソファーに座ったエドが出迎えた。
「おかえり」
「……ただいま」
ただいまの言葉が、当たり前のように感じる。
ここが今の百合の帰る家になったのだ。
ニールの屋敷は快適だが、エドの家の方がやはり安心する。
エドの隣に腰かける。見慣れた景色にほっとして大きく息をすると、香りが変わっていることに気づいた。
「良い香りがする」
百合はもう一度大きく息を吸う。ログハウスの若木の香りの中に、青葉の香りが混じっている。それに少し甘い香りは柑橘類だろうか。
「あぁ、前の精油を貰い損ねたからな。温室にあるハーブで実験してみた。器具は使わせて貰ったぞ。この家はニールの屋敷と違って暑いからな。少しでも気がまぎれると良いんだが」
「私にはエドの家が帰る場所だよ」
爽やかな香りは暑さを忘れさせた。それもそうだ。八月はもう終ろうとしている。
「今日は家でゆっくりしていると良い」
「ありがとう。でも人魚のエヴァの事が心配だから、湖の方に顔を出してくるわ」
「また黒烏に襲われるんじゃないだろうな」
「今回は大丈夫よ。エドも来る?」
「いや、今日は町の方へ行く。ジェイコブから相談していた呼吸器が出来上がったと手紙を貰った。折角だから見せて貰ってくる」
「わかった。とにもかくにも、お昼にしましょう」
「そうだな」
「あ、エド待って」
立ち上がり台所へ向かおうとするエドを引き留める。
「たまには私も作って良い?」
「構わないが……作れるのか?」
そういえば、この家に来てから何だかんだ料理は作ったことが無かった。竈で料理を作ったことが無くて、手伝いだけしていたのだ。一日三食エドに頼りっぱなしだった。
「男爵令嬢とはいえ、料理人は居ただろう」
「あ」
百合は思わず声を漏らす。男爵令嬢という設定自体を忘れていた。
この国の貴族たちは料理をしない。仕事に焙れている下人を家で働かせてあげることは、貴族としての責任のようなものらしい。なので料理をする貴族は、働き口を奪うロクデナシとみなされるそうだ。
「あ、あんまり大きな声では言えないけど母親の趣味で、料理は習ってたの。今週は何もできていないから、動かせて欲しいな」
苦しい言い訳だったが、エドは納得してくれたようだった。
「あ、トマトがある」
「大量に採れたから、サラダにして、余ったらソースにしようと思ってな」
一階にあるキッチンのタイル張りの台の上には、籠に入った山盛りのトマトが置かれていた。
「完熟だ」
つつくだけで実が弾けそうなぐらい熟している。こちらのトマトは身が小ぶりで、皮が薄くとても甘い。井戸水で冷やしたトマトがデザートとして屋台で売っているぐらいだ。
真っ赤な宝石を前に、百合の頭の中に食べたいものが浮かんだ。
「昼間パスタでも良い?」
「あぁ。無理してないか?」
「大丈夫、エドは上で座って待ってて!」
なおも手伝おうと渋るエドの背中を押し、台所から追い立てた。
「さてと」
髪を結び手を洗った後は、まずは火おこしからだ。
電気も魔法も無いエドの家の台所は、竈で調理をする。なのでまずは火を起こさないといけない。これが意外と面倒なのだ。なので、冬の間の煮込み料理などは二階の暖炉でしてしまうことも多いそうだ。
フライパンや鍋はいわゆるダッチオーブンと呼ばれる鋳鉄製のもので、持ち上げるのも一苦労な程重いが、その重さで水分を閉じ込める料理が出来る。
魔薬の調合で火を起こすのは上手くなった。薪や枝を組み合わせてマッチを放り込み、手早く火を起こす。その間にパスタを茹でる用の水に塩を入れておく。
あらかじめ摘んでおいたトマトを切っていると、台の端にふきんがかけられた皿を見つけた。真っ白な塊に鼻を近づけて香りを嗅いでみる。
「チーズ? これってもしかしてモッツァレラチーズかな?」
包丁で薄くスライスしてみると、切るのが難しい程もっちりとした感触だ。一口食べてみると、味が濃い。おそらくいつもの酪農家のおじさんから貰ったのだろう。
「これも使っちゃお」
パスタを少し長めに茹でて、水にさらす。汲んできたばかりの井戸水は、夏でも冷たいので氷がなくても十分だ。
オリーブオイルとトマトと、すりつぶしたバジルで合えた簡単冷製パスタだ。タコなどの魚介類を入れても美味しいが、今回は上にスライスしたモッツァレラチーズをたっぷり乗せる。
「エドー! できたよ!」
エドは居間のテーブルに並べられたパスタを前に、目をパチパチと瞬かせた。
「本当に出来ている」
「失礼ね」
百合はフン、と鼻を鳴らす。これぐらい簡単なものなら一人暮らし歴の長い百合でも出来るのだ。
エドは席に着き、目を閉じた。いつもより長い祈りの後、フォークを手に取る。上品に巻き付けて一口口に含んだ。
「うまい」
ぽつりと呟かれた言葉に、百合は内心ガッツポーズを決める。
「冷たいのが良いな。こんなパスタは初めて食べた」
話しながらも食べる手は止めない。意外と大食漢のエドは、あっという間に大盛りのパスタを食べ終えてしまった。
「他にも作れるのか?」
「まぁ、大体は。でも簡単なのしか作れないよ。エド程上手じゃないし」
「十分上手いぞ。また手伝ってくれ」
食後の紅茶を飲みながら、「しかし」とエドは呟く。
「並んで台所に立つなど、庶民の夫婦のようだ」
紅茶が変な所に入った百合は、思わず盛大に咽たのだった。




