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ヴォル先生の初めての授業

 メーガス侯爵領は、王都より西に位置する。穏やかな風が吹き、冬でも雪が積もらないほど温暖な地域である。ニールを含めた領主が代々大変な美術好きだったということで、整えられた美しい街並みと職人が多く住む芸術の街らしい。

 特産物は広大で豊かな土地を利用した農業を中心に、咲き誇る花を使った香水と養蜂、他は美術品だ。隣国に接しているが関係は良好で、貿易も盛んである。税収には困らないそうだ。


 花の香りを十分に纏った柔らかい風が、百合の白い帽子を撫でる。眩しい太陽に目を細めた。

 屋敷の門から外に出なければ良いということで、広大な裏庭を散歩していた。

 庭と言いつつも、もはや森といっても良いような規模である。なんせ自然の川も流れているぐらいだ。野生動物も多く住んでおり、今もリスが驚いたように走って逃げて行った。

 ニール自身も全貌を把握していないと言うが、ローゼスとメアリーのおかげで綺麗に整えられていた。

 屋敷から程よい場所にある木陰に腰かけて、持ってきた本を開く。エドがお見舞いに持ってきてくれた、愛の媚薬の調合が載っている『失われた魔法薬』という分厚い本だ。



 暫く本を読みふけっていると、百合を呼ぶ声がする。本から顔を上げて辺りを見回すと、向こう側から大きな影が歩いてくる。


「ヴォル?」

「これお前のだろ?」


 ヴォルが手にしていたのは、見慣れた熊手だった。


「熊ちゃん!」


 百合が駆け寄ると、ヴォルの手から飛び出した熊手が百合に突進してくる。それを大きく腕を広げて受け止めた。


「熊ちゃん~! よかった無事でー!」

「この熊手、持ち主を探してか森の中をずっと飛んでたんだよ。大した忠誠心だ」

「勝手に飛んでたの!?」

「これ魔法具だろ?」

「え、そうなの?」


 百合は熊ちゃんと名付けた熊手を見る。森で彷徨っている間に穂先が折れたり傷が入ったりしているが、腕の中で嬉しそうに柄をくねらせているあたり大丈夫そうである。


「知らなかったのか? 自分で勝手に動いていた辺り、長い間使われてて魔法具になったパターンかもな」


 魔法具というのは、専門の職人が作り出した道具と、ただの物が長い間魔法使いに使われることによって変性した道具の二種類がある。


「ただの魔法具は魔力が無いと動かせないが、魔力を浴び続けた魔法具は自分の意思を持って動くからな」

「付喪神が付いたのかな?」

「ツクモガミ? なんじゃそりゃ?」


 百合のつぶやきにヴォルが不思議そうに尋ねる。


「私が元に居た世界で、百年大切に使われた道具は神様が宿るって言われてたの。百年っているのは唯の目安らしいけどね」

「ほー、魔法具と一緒だな。まぁ百年も魔法使いに大事にされたら、動き出すだけじゃ済まないがな」

「本当に?」

「ニールの屋敷にも勝手に動いて中身を朗読し始める本が何百冊もあるぞ。あそこの本は古いものが多いからな。大体は大人しいんだが、中には勝手に飛んできて耳元で内容を叫ぶ本があってな。課題の邪魔ばかりするから腹を立てたニールが、ある時を境に本棚を全部、本が勝手に動き出さない魔法具に変えたんだ。それまでは良く本が動き回ってたぞ」

 

 あの書斎を本が浮いているのはロマンがあるが、勝手に中身を話されるのは煩そうだ。

 百合は熊手を撫でるのを止める。


「熊ちゃんを直す方法ってある?」

「お、丁度良いじゃねぇか。オレが実践魔法を教えてやるよ」

「え~ヴォル人に物教えるの下手そう……」

「良く分かったな、でもオレはこう見えてもパルース魔法学校を主席で卒業してるんだぜ?」

「ウッソ!」


 ふんぞり返るヴォルを見上げる。この顔でこの性格、その上頭も良いとなれば、モテる以外ないだろう。

 しかし、そんなに優秀ならニールと同じように王宮付き魔法使いにも成れそうだが、何故小銭稼ぎの運び屋をしているのだろうか。


「まぁ魔法はセンスでどうにかする派だからな、人には教えるのはからっきしだ」

「やっぱり。じゃあ教えてくれなくていいよ」

「まぁまぁ、アレクサンダーに杖借りてるんだろ」


 ヴォルが黒壇の杖を取り出したので、百合もホルスターから杖を取り出す。今回は檜の(すべ)らかな杖だ。

 二人は木陰に座り込んだ。ヴォルがその辺りに転がっていた木の枝を折った。

 真っ二つになったそれを胡坐をかいた自分の前に置く。

 一つ咳払いをしたヴォルが、杖を振る。


「杖の動きはこう、腕はこの角度、気持ちを込めて『直れ(リクニット)』」


 黄色い閃光が割れた枝に巻き付いたかと思うと、あっという間に枝は一本に戻った。

 手に取ってじっくり見ても、折れていたなんて思えないぐらい綺麗に直っている。継ぎ目も跡も全く見えない。

 鮮やかな手並みに百合が拍手をする。


「おーすごい! でもこれって巻き戻しの呪文でも良いんじゃないの?」

「まぁな、だがあっちは時間がかかるし、大規模に物を直す時に使うな。さ、やってみ」

「『直れ(リクニット)!』」


 百合の杖からは何も出ず、膝の上に乗せた熊手は全く反応しない。


「気合が足りて無いな。腹から声出せ!」


 アドバイスに従い、大きく息を吸う。


「『直れ(リクニット)!!』」


 やはり杖からは何もで出ない。折れた穂先にも反応は無かった。


「もっとだ!」

「『直れ(リクニット)!!』」

「気合いだ! 気合いだ! 気合いだー!!」

「『直れ(リクニット)!!』」

「何をやってるんですか、貴方たちは……」


 叫びすぎで百合の声が枯れ始めた頃、呆れたニールの声でヴォルの初めての授業は終了した。

 この後「理論も理解していないのに、呪文が発動する筈もないでしょう」と、座学の授業に突入した。

 びっちりノート二枚分を書き収めた授業の甲斐もあって無事に直った熊ちゃんは、嬉しそうに書斎をビュンビュンと飛び回っていた。


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