エドワード殿下
眠る百合の顔をエドは見つめていた。
赤い頬に触れる。熱い。また熱が上がってきたようだった。苦しそうに荒い呼吸をしている。
絞られた照明が、真っすぐな長い髪と伏せられた睫毛を照らしている。寝顔を見るのは初めてではないが、起きている時と印象が違う。
こうして眠っていると、否が応でもあの姿を思い出す。
白い花を抱いて、土に還った母親を。
「ユリは眠りましたか」
「……あぁ……」
背後から声を掛けられる。パタンと小さな音を立てて、ニールが部屋に入ってきた。
「黒烏に襲われてこれだけで済んだのは、不幸中の幸いでしたね」
「そうだな」
額に乗せたタオルを取る。先ほど変えたばかりなのに、もうぬるくなってしまっている。少しだけ目を覚ました時に解熱剤を飲ませたが、熱が高い所為ですぐに吐き出してしまった。まだしばらく辛い時間は続くだろう。
洗面器に浸し絞り、もう一度額に乗せてやる。冷えたタオルに、百合の苦しそうな顔が少し和らいだ。
百合が倒れた後、ヴォルを呼び出してエドの屋敷に運ばせた。慌てて出迎えたローゼスとメアリーに事情を説明し、部屋へ運び込んだ。
ここなら、エドの家よりも万全に看病を出来る。夏は涼しく、冬は暖かい。魔法の力でコントロールされた、この家なら。
「なぁニール」
「なんですか?」
「……」
エドは、濡れた百合の服を脱がしている時に、ジャンパースカートの下の白い太ももに巻かれたホルスターに気づいてしまった。
それは百合に不要の物のはずだ。魔法使いが杖を持ち運ぶ為のものだからだ。
そこに杖は入っていなかった。
幼い頃に自分もした、魔法使いに憧れる行動なのだろうか。
それとも。
「……お前は俺を裏切らないよな」
彼女が魔女なのだとしたら、住むように言ったニールが一枚咬んでいるはずだ。
ニールはエドを危険に晒さない。
「勿論です、エドワード殿下」
あの日、第二王妃に毒を盛られ、死にかけのエドを森に運んだのはニールだ。
「死なせて欲しい」と泣くエドを叱咤し「生きろ」と水を飲ませた。エドに忠誠を誓ったニールは、決して裏切らない。
だが、百合は?
あまり要領は良くないが負けん気が強く、努力家で、少し頑固者。
一人で毎日夜遅くまで魔薬の勉強をしているのを知っている。
食べ物を美味しそうに食べる。ファレノプシスに可愛がられている。
そんな百合が居る毎日が、当たり前のようになってきていたのだ。
心臓が痛むのを無視する。彼女は魔女ではない。嘘をついていない。
それでも疑団を拭い去ることはできなかった。
苦い解熱剤の効果もあってか、熱はすぐに下がった。だが無理は禁物ということで、今週はニールの屋敷に泊まることになった。
熱も下がり気持ちは元気だというのに、ベッドから出れないのは退屈だ。
ファレノプシスの世話も畑も温室も、エド一人では大変だろうから、気持ちだけが焦ってしまう。
「うー」
柔らかな枕に頭を預ける。
見覚えのある青い天井は、安息日の度に着替えに使っていた部屋のベットの天蓋だった。
この部屋、なんとニールが百合の為に与えてくれた部屋だった。趣味の良い家具と、一際目立つ大きなクローゼットが置かれてある。これは魔法具で、いつしかの馬車のように見た目よりも空間が広い。そこにぎっしりとドレスが詰められていた。勿論、百合の部屋に置いているものとは別のものである。
コンコン、と軽いノックの音が響く。
「様子はどうですか?」
入ってきたのはニールだ。運ばれてきてから初めて顔を合わせる。
「すっかり元気です。ご迷惑をかけてごめんなさい」
上半身を起こした百合の謝罪に、ニールは首を振る。
「いいえ、遠慮せず何かあったらこれからも頼って下さい。しかし黒烏に出会うなど、不幸でしたね。命に別状がなくて良かったです」
「あー、すいませんもう一つ謝らなければいけない事が……アレクサンダーさんに借りていた杖と、私の杖を失くしてしまいました……本当にすいません」
ニールは紫色の目を大きく見開いた。
「全身の青あざといい、熱といい、一体何があったのですか」
熱が高く寝たきりで、きちんとした事情を誰にも説明できていなかった。
百合はあの日あった出来事をニールに話した。
「成程、人魚の鱗に釣られてきたんですね」
「人魚のエヴァ自身もそう言ってました。光物が好きだって」
「えぇ、黒烏は光るものに目がありません。巣の中には大量の金貨や、人魚の鱗を始めとする貴重な素材をため込んでいるので、魔法使いが狩りに行ったりもするんですよ。しかし、アレクサンダーに借りている杖は良いとして、ユリの杖が無くなったのは痛いですね……」
ニールは細い指を顎に当てて考え込んだ。
「アレクサンダーさんの杖は良いんですか?」
「えぇ、ユリの魔力が暴走して折れるかもしれないと先に言っていますので、借り物と言いつつ練習用に購入していました。でも、ユリの杖は貴女の魔力を吸わせた特別なものです。同じ杖石を用意しても同じようになるかは分からないですね」
「本当にすいません」
小さくなる百合を見てニールは首を振る。
「黒烏は今丁度孵化が終わり子育ての時期で、気が立っている個体も多い。その中で自分を守る術も知らないユリが無事に帰ってきただけでも十分です。杖石についてはアレクサンダーに事情を説明しますね」
ニールは優しく微笑んだが、事情は好転しなかった。
「手紙を書いてきます」と言い残し、部屋を立ち去った。
入れ替わりに入ってきたのはエドだった。
背中にクッションを置き、上半身を起こしている百合の顔色を見て、ほっと息を吐く。
「調子はどうだ」
「ありがとう、もうすっかり大丈夫。エドこそファレノプシスと畑と温室の世話なんて大変じゃない?」
「お前が来るまではずっと一人でやってきたんだ。今更どうってことない」
言われてみればその通りで、百合の手などわざわざ借りるまでもないのだ。
「だが、家が広く感じるのは確かだな」
小さく呟かれた声は、しっかりと百合の耳に届いた。
「早く戻りたいな」
「あの家は暑すぎる。万全になるまでここで休んでいろ」
エドがベッドサイドの椅子に座る。ちょっぴり気恥ずかしくて話題を変える。
「エドが作ってくれた解熱剤なんだけど、あれってもう少し味はどうにかならないの?」
「陳皮を使う方法が開発されてから随分味はマシになったんだぞ」
陳皮とはオレンジの果皮を干した素材のことだ。
「アレで? 例えば蜂蜜を入れるとか、苦すぎるんだよね」
「他の調合師も実験をしていると思うが、今の所有効な手法はないな。砂糖や蜂蜜をいれると効果が無くなってしまう実験結果が出ている」
「えー、あれ子供も飲むんだよね?」
「半量で処方するな。俺も子供の時鼻をつまんで飲んでいた」
「絶対他の方法があるって」
あんな苦いもの子供は嫌がるだろう。百合は子供の頃風邪を引くと、妙に人工的なオレンジ味の甘いシロップが飲めるのを楽しみにしていたものだ。
「ならお前が研究してみれば良い。誰かの為に作りたいと思う気持ちが、技術を新しく生み出すからな」
「うん、がんばってみる」
家に戻ったらまずは調合方法の見直しから始めてみよう。




