悪寒
「痛いなぁ、もう!」
魔薬で傷は塞がったが、痛みが取れた訳ではない。痛む体に鞭打って、百合はなんとか立ち上がる。
何故痛み止めの魔薬を持ってきていなかったのかと後悔する。
ちなみに理由は簡単で、現代とは違い痛み止めの魔薬は錠剤ではないからだ。保存が効かず、作って一週間しか持たないから病院ぐらいでしか手に入らない。
エドが調合している時には何も思わなかったが、相当不便だ。
さっさと帰って、保存が利く錠剤タイプが無いか聞こう、と体に張り付く生地を鬱陶しいそうに剥がしながら考える。
ようやっと少し落ち着いて、辺りを見回しても見覚えが無い。
目の前には何処までも広がる巨大な湖。後ろには鬱蒼と茂る暗い森。
一見するとエヴァと待ち合わせしていた場所のようにも思えるが、近くに斑花は無く、生えている木の種類も違うことから、全く別の場所だと想像がつく。
「ここ何処よ……」
結局百合には湖をぐるっと回って帰る方法しか無かった。
頼みの箒替わりの熊手も見当たらない。湖から落ちた時に失くしてしまった。
痛む体を引きずって、ひたすら歩く。
道中、暗くなって他の魔獣に襲われなかったのは幸いとしか言いようがなかった。
出来るだけ気配を殺しながら、音を立てずに歩く。
靴も履いていなかったので、足の裏が傷つき皮が何度も捲れた。その度に立ち止まって魔薬を塗る。
運の悪い事に途中で通り雨に当たってしまった。濡れた体を風が攫い、容赦なく体温を奪った。頭はぼーっとするのに身体がガタガタと震える。
何刻歩き続けたのだろうか。日もどっぷりと暮れた辺りで、ようやくエドの家が見えてきた。
外階段に座っていたエドは、百合の姿を見るなり立ち上がる。
「遅かったな……どうしたその恰好は!」
傷こそ塞がっているが、左肩の辺りはシャツが破けて血が張り付いている。裸足で、真っ青な顔をしている。昼間出て行った時とは余りにも違う様子に、エドは思わず大声をあげた。
「エヴァと……人魚の友達と湖で会ってたら黒烏に襲われて……」
「黒烏だと!? とにかく風呂を沸かすから上に上がれ!」
「エド……寒い……」
「待て、暖炉に今火を入れるから!」
真夏なのにガタガタと震える百合は、ついに立ってられず膝をついた。
地面に倒れこむ前にエドが何とか受け止め、背中に担いで階段を急いで駆け上る。
ローテーブルを端に押しのけ、ソファーを暖炉に近づけて百合を横たわらせる。真夏の間使われることは無かった暖炉に薪をくべ、火を起こすが、そう簡単に部屋は温まらない。その間も百合の体の震えは酷くなるばかりだ。拭き入る風以外涼をとれないこの家で、だ。
エドは自室の押し入れから毛布を持ってきて、百合に掛ける。
「服は脱げるか?」
「エド……迷惑かけてごめんなさい……」
「クソ、おいしっかりしろ! 意識を保て!」
ひどく頭が痛んだ。歯の付け根が合わずガチガチと音がする。エドの言う通り服を脱がないと、と頭の端で思うが、指先にまで意識がいかない。
「先に魔薬を飲ませた方が良いか……? いや、先に温めないと。脱がすぞ」
エドの手が肌に触れる。大きくて、燃えるように熱かった。
あぁ、またこの手に迷惑をかけてしまう。それでなくても、お世話になりっぱなしなのに。
百合の口からは自然と謝罪の言葉が零れた。
「ごめんなさい、ごめんなさい、エド……」
「もういい、静かにしてろ。少し運ぶからな」
エドの声の後に、かん高い音が聞こえた。
その正体を確かめることも出来ず、記憶がぷつりと途切れた。
次に目を覚ました時にはベッドの中だった。
柔らかい寝具に包まれて、ぼうっと上を眺める。薄い水色の布が何層にも重なった天井に、見覚えがあるような、無いような……。
良く回らない頭で記憶を探っていると「起きましたか?」と声が掛けられた。
「メアリーさん……?」
声のした方向へ首を回すと、額に置かれていたタオルがずり落ちた。
「えぇ、メアリーばぁやですよ、お嬢様。お加減はいかがですか?」
「お加減……」
頭はぼーっとする、体はギシギシして動かない。首筋に触れると随分と熱い。まるでインフルエンザに罹ったときのように、ガンガンと頭痛がする。
「喉が渇きました……」
「はい、こちらをどうぞ」
ストローが差し出された。飲むと冷たくて美味しい。ほんのり甘くてレモンの味がする。スポーツドリンクのような味だった。
「ありがとうございます……」
「お嬢様は昨日、エドさまと一緒にヴォルガングさまがこの屋敷に運んできました。エド様が熱さましの魔薬を煎じて下さったので、食後に飲みましょうね」
「エドは……?」
「馬の世話があるからと、つい先ほどお帰りになりました。それまでは夜通し看病なさってたんですよ。夫婦でもない女性の寝室にいるのは良くないと言ったんですけど、譲らなくてねぇ」
ベッドの隣に椅子が一脚置かれている。その隣のベッドテーブルには洗面器があった。エドがそこでタオルを絞ってくれていたのだろうか。嬉しくて、申し訳なくて、少し恥ずかしくて、唇がむずむずしてしまう。
「そうですか……メアリーさんもご迷惑おかけします」
「いいえ、前にも言いましたが、お世話したくてたまらないんですよ、私は」
枕の下に落ちたタオルを拾い、魔法で冷やした洗面器の中で絞る。それを百合の額に置いて続けた。
「食欲がありそうでしたら、何か持ってきますよ。食べれそうですか?」
「あるような、無いような……」
「では果物を用意しましょうね」
ずれた布団を直して、メアリーは部屋から出て行った。
メアリーが帰ってくるまでの短い間も、うつらうつらと眠っていたようだ。
果物を食べ、食後に苦い薬を飲む。作って貰って何だけど、ひどい味だ。生の渋柿に魚のコゲた部分をかき混ぜたような、渋く苦い味に顔を歪める。
しかし暫くするとぽかぽかと身体が温まって、汗をかいてきた。熱が下がってきたのだろう。
メアリーに手伝ってもらい服を着替えてたっぷり水分を摂り横になると、あっという間に睡魔が襲ってきた。
夢も見ないまま、百合は深い眠りについた。




