秘密の止まり木
今日の昼食は若鳥の香草焼きとスープと塩パンだった。鼻から抜けるバジルとローズマリーの香りが、暑さで失われた食欲を掻き立てた。
紅茶を飲んでひと心地つく。午後からは魔薬の納品の為に町へ行く日だ。
「よろしくね」
厩にいるファレノプシスのブラッシングを丁寧に行う。道具を片付けると手早く鞍を着け、手綱を引く。馬の扱いも、ここ一ヶ月半で随分と慣れた。いつもより随分と高い視線の景色を眺めながら、段々と生活が肌に馴染んでいることを実感する。
ファレノプシスを厩に繋ぎ、今日も賑わう朝市を通り抜けてジェイコブの病院へ納品へ向かうと、診察を終えたジェイコブと入り口で会った。
「あぁ、ユリさんこんにちは」
「こんにちはジェイコブ先生。薬の納品に参りました」
皮の袋を掲げると、ジェイコブはにっこりと笑った。
「ありがとうございます。ユリさんこの後の用事は?」
「今日は納品を終えたら買い物をして帰ります」
「では少しお茶に付き合って貰えませんか?」
「もちろん、喜んで」
検品を終えて二人は町へ繰り出した。
森の中の家と違って町は開けているので、その分暑い。日陰を練り歩くようにテントからテントへ移動し、ジェイコブは一軒の店の前で止まった。
黒に近い木の扉には、小鳥が彫られている。ジェイコブが重い扉を引いた。
薄暗い店内に入ると、まず香りが変わった。ふわり、と苦く香ばしい香りがする。慣れ親しんだ、しかし長らく嗅いでいなかった珈琲の香りだ。
「いらっしゃいませ」
カウンターの向こうでカップを磨いていた手を止めて、男性が挨拶をした。年の頃はジェイコブと同じぐらいだろうか。シャツにネクタイとバーテンダーのような清潔感のある服装をし、小さな丸眼鏡をかけている。
「ここは紅茶じゃなく珈琲の専門店でね。この町で珈琲を出すのはここしかない」
「町民達には珈琲が不評でね。「泥水の店」なんて呼ばれているよ。初めまして「秘密の止まり木」へようこそ。店主のパスカです」
差し出された手を握り「ユリです」と自己紹介を終える。
「秘密の止まり木」の店内は、真っすぐなカウンターに足の長いひじ掛け椅子が六脚置かれただけの小さな店だった。窓の無い室内は昼間なのに薄暗く、天井から吊り下げられたランプがいくつも灯されている。
日光が入らないとはいえ、店内は不思議なほど涼しい。まるでニールの屋敷のようだ。
パスカの立つカウンター側の棚には、様々な色のコーヒーカップやミルがいくつも飾られている。低い弦楽器のBGMが、落ち着いた雰囲気を醸し出していた。
ゆったりとした椅子に座ると、注文もしていないのにパスカが珈琲を入れ始めた。その澱みの無い動きを見ていると、エドが魔薬の調合をしている様を思い出した。
ぽたぽたと落ちる珈琲の音を聞いていると、ジェイコブが口を開いた。
「先日のお礼をしようかと思ってな。貴重な気泡貝を譲ってくれてありがとう」
「いいえ、お役に立てたのならよかったです」
「肺が悪い患者がおってな。おかげで呼吸が楽になったと喜んでいる。もう少し延命できそうじゃ」
魔薬は万能薬ではない。先天的に患った病気は治せないし、加齢と共に発症した病気は、症状を楽にすることが出来ても完治できない。魔法使いであっても、死からは逃れられないのだ。
目の前に、モダンな柄のカップが置かれた。
「ブレンドコーヒーです」
砂糖もミルクも用意されていない辺り、パスカの強いこだわりを感じる。
一口飲むと深煎りの濃い苦味が広がる。でもいやらしく舌に残らず、スッキリと消えていく。目が覚めるような美味しさだ。
「おいしい」
「ユリさんはドンプかな? それとも魔法使い?」
カップを傾ける手を反射的に動きを止めそうになったが、何とか堪えてジェイコブの方を見る。
「少なくともオストラではないじゃろう」
ジェイコブは優し気な目で百合を見つめた。確信を持った言葉は、確かに真実である。
だが、ジェイコブが何を考えて言ってきたのかが分からない。
答えずにいると、ジェイコブは一口珈琲を飲んで続けた。
「秘密を話すときは、自分も秘密を話さなければならない。実はわしはドンプなんじゃよ」
驚きで百合の心臓が激しく鳴った。
「魔法には縁の無い普通の人間として生まれ、軍の医者をしておりました。ひょんな事で妻と出会ってのう。結婚の挨拶をしにベルブレイユ王国へ行き、魔法などという夢のような世界があると知ったんじゃよ。その時までわしは妻が魔法使いだとは知らなかった」
「それなのになぜアブ・フレイラに?」
「当時も今も、ドンプは魔法使いに嫌われている。挨拶をしに行ったその日に妻は実家に勘当された。住む所を転々とし、この村に流れ着いた。今から四十年ほど前のことじゃ」
こちらの世界では一時間を一鐘と呼び、時間の管理は鐘の音でする。鐘は十二で一周で、今は鐘二つ時、つまり二時ごろだ。
四季がはっきりとしており、一ヶ月は三十日で一周する。一月から十二月までで一年だ。
つまり四十年は百合の知る四十年とまったく同じ年月である。
「そんなに昔からアブ・フレイラってあるんですね」
「王都程じゃないが、歴史のある町じゃ。それはオストラが迫害されてきた歴史でもあるから、喜ばしくはないがね」
「奥様は今は?」
「町の外れの墓地に眠っておるよ。魔法使いより長生きするとは思わなんだ」
ジェイコブが楽しそうにふふふと笑った。
「ユリさんがドンプでもオストラでも魔法使いでも何でも良い。だが自分と同じように、ここに来た時の不都合さを感じているなら、手助けしたいなと思っただけなんじゃ。老婆心ってやつかな」
少し濁った不思議な目の奥に、嘘は感じれなかった。
「半年後、独立する時にでも声を掛けてくれたら住む場所ぐらい紹介するよ」
「感謝します。その時には是非」
カップの中身を飲み干して百合は立ち上がる。
そろそろ家に帰らなければ。




