盾の呪文
「盾の呪文」を習得するべく、まずは教科書を読みこむ所から始まった。
理論を理解しなければ魔法は発動しない、というニールの言葉を信じ、みっちりとノートを埋めていく。
途中解らないことがあれば、その都度質問をする。ニールは一切嫌な顔をせず丁寧に教えてくれた。どんな簡単な事でも怒らず呆れず、根気よく教えてくれる。こういう人が教師だったら百合は勉強嫌いにならなかっただろうな、と急に知識を詰め込んだせいで沸騰しそうな頭で思った。
座学の授業をみっちり二刻分終えた所で、ヴォルが帰ってきた。
休憩を挟み、次は実演だ。
机を脇に退かし空いた空間で、ヴォルとニールが5m程離れて向かい合って立った。
ヴォルが右手でくるくると杖を弄ぶ。
「今から実践するぞ。盾の呪文は分かるか?」
「『誰も私を傷つけれぬ――盾よ跳ね返せ』だよね」
「そうだ。腕は左から右へ小さな円を描くように回す。頭の中で明確に盾をイメージするんだ。よく見ておけよ。ニール、1、2、3で頼む」
「わかりました。では、1、2、3」
『粉砕せよ!』
『盾よ跳ね返せ!』
『盾よ跳ね返せ!』
まずはニールが動いた。攻撃魔法が杖の先から赤い光線になって、まっすぐにヴォルへ向かう。
一拍置いて、ヴォルが唱えた盾の呪文に当たった。見えない壁に光がぶつかって反射し、同じ軌道を通ってニールへ跳ね返った。
それを更にニールが後ろ側へ弾いた。光線の当たった本棚が破壊音と共に砕け散り、焦げた紙がバラバラと宙を舞った。
「おま、粉砕魔法って殺す気か!」
「まさか、ただのデモンストレーションですよ」
ヴォルの焦りもなんのその。ニールはにっこりと笑っているが、抉れた本棚を見ると相当な威力なのだろう。あれが直接当たったら、怪我だけじゃ済まないだろう。
ニールが『巻き戻せ』と呪文を放つと、砂時計がひっくり返ったかのように、時間が巻き戻る。千切れた紙屑が一枚の紙に戻り、本に戻った。まるで何事もなかったのような光景の中で、百合は思う。魔法使い共はすぐに直せるからと言って、物の扱いが雑ではないだろうか。
「っとまあこんな感じで、盾の呪文は元々の攻撃魔法の威力+自分の魔力を乗せて跳ね返すことが出来る。身を守れる上に、相手を攻撃できるんで一石二鳥だ。が、慢心するなよ。タイミングが悪かったり、自分が作り出した盾の方が弱かったら、普通に攻撃は貫通するからな」
「ではユリはこれを使いましょう」
ニールから渡されたのは一本の杖だった。
「アレクサンダーから預かった、持ち主の無い杖です」
「持ち主の無い杖?」
「持ち主の髪の毛を入れない状態で作り上げたものだそうです。自分の杖ほど力は出せませんが、他人の杖の様に反発はしない杖だそうです。自分の杖が壊れた時などに、一時的に貸し出す為のものだそうですよ」
つまり代替機みたいなものか。掌の中の杖をまじまじと見てみる。
薄い黄色の木の杖で短めの杖だ。握ってみると細身で少し柔らかい。
「では私がクッションを投げますから、跳ね返してみましょう」
ニールが百合の前に立ち、山なりにクッションを投げる。身体に当たりそうな丁度良いタイミングで『盾よ跳ね返せ!』と杖を振った。が、何も起きずクッションはそのままぼふりと顔面に当たった。
「ふむ、もう一度」
再び『盾よ跳ね返せ!』と呪文を唱える。だが再びクッションは百合の顔面にぶつかった。
「イメージが足りませんね。どんな盾を想像していますか?」
「どんな盾……?」
そう言われて言葉に詰まる。
ただ漠然と、自分を覆うように透明のバリアが貼られているイメージで唱えていた。
「大きさはどうか、素材は、重さは? 片手で守るのか両手で守るのか。大きい盾を作ろうと思えば思うほど、難しくなります。目の前のクッションを跳ね返せるような盾を、しっかりと想像して」
そう言われたので、目を閉じてイメージを膨らませる。
片手で持つ金属の盾で、大きさはお盆ぐらいだ。
「もう一度行きますよ」
『盾よ跳ね返せ!』
すると、杖先から何か靄のようなものが細く出た。
「自分の身体を流れる魔力を意識して。もう一度」
『盾よ跳ね返せ!』
その後二刻分みっちりと練習をしたが、結局細い煙しか出せなかった。
「魔力が外に出ただけでも大したものです。魔法は一日にしてならず。魔力のコントロールを覚えましょう」
ニールはそう励ましてくれたが、百合は内心がっかりしていた。
魔力が多い、聖女だ何だと祭り上げられていたから、てっきりすぐにできるものだと思っていたのだ。
魔薬の調合もそうだが、出来ない事ばかりである。
書斎に備え付けられてあった蓄音機から、鐘の音が六回鳴った。鐘六つ時とは、随分と長居してしまった。そろそろ帰らないとエドが心配するだろう。
「ユリ、これを」
ノートを鞄に仕舞っていると、ニールが皮のホルスターを渡した。
「杖のホルスターです。外に出る時はローブの中に仕舞えば良いですが、家の中でコートを着るのは不自然でしょう。これに入れて、アレクサンダーの言う通り肌身離さず持ち歩いて下さい」
「寝る時もですか?」
「えぇ。魔法使いは意識せずとも体から微弱な魔力が出ています。それを杖に吸わせて下さい。杖石の成熟が早まりますからね。一流の魔法使いは風呂場にも杖を持って入るんですよ」
「わかりました」
ベルトを足に巻くタイプのものだったので、スカートを少し捲り太ももに着けてみた。重さは感じないが違和感はある。すぐに慣れるだろうか。しかし収めているのが拳銃だったら、まるで女スパイのようだ。
「次回は教科書に書いてあった簡単な魔法を練習しましょう。でも盾の呪文の復習と、杖に魔力を流すのを忘れないで下さいね」
「はい。今日はありがとうございました」
百合は頭を下げた後、ヴォルが開いた空間魔法を通り帰っていった。
その後ろ姿を確認して扉を閉める。
書斎に残ったニールとヴォルは、大きく息を吐いた。
「ピンピンしてたな」
「えぇ、流石金色の魔力です」
「杖にあれだけ魔力を流して、少し休憩しただけで復活するのも可笑しいよな」
数刻ほど前にこの部屋に運んだ時には、魔力は相当消耗していたはずだ。
百合が練習していた「盾の呪文」は難易度が高い。その理由の一つとして、魔力を大量に消費することが上げられる。
その呪文を未完成とはいえ連発していた。ましてや百合はまだ魔力のコントロールも出来ず、垂れ流している状態だ。普通なら魔力切れで気絶していても可笑しくはない。
それなのに平気な顔をして自分の足で帰っていった。異常だ。
「これが聖女の力ってか」
「そうです。彼女さえいれば、エドだって……」
「お前余計なことをするなよ」
ヴォルが一度言葉を切り、隣に立つニールを見下ろした。
「エドは魔法を使えなくても、調合師として立派にやってる」
「ですがエドは、魔薬を作るのが持って生まれた使命ではない」
ニールはヴォルの強い視線を真正面から受け止めた。
「人は誰しも、持って生まれた使命があります。それは義務です。エドは帰らなければいけない」
昔から何度も言い交してきた議論。そう言えば、屋敷を無茶苦茶にした大喧嘩の発端も、この話題だったきがする。
何年経っても二人の考えは平行なままで、いつまでも交わることは無い。
「やる気の無い人間をお膳立てしてどうするんだ。本人がやる気じゃねぇなら、周りが何といったって意味がねぇよ」
「他の人ならそうでしょう。でも、エドは違う」
ニールは瞳を閉じた。その瞼の向こうに泣いている幼い頃のエドの顔が浮かぶ。
「エドワードは違うんです」
繰り返した言葉は、エドの耳には届かないのだった。




