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呼び寄せ呪文

 荒れた部屋は結局、執事のローゼスとメイドのメアリーが直してくた。

 二人が『ひっくり返した砂時計――巻き(イエイウム)戻れ(リウィンド)』と杖を振ると、逆再生のように壊れた物が元に戻っていく。

 散らばったガラスは枠に収まり、鮮やかな夏の庭を映し出した。割れてしまったティーカップも、綺麗に元に戻った。中には琥珀色の紅茶が満たされている。

 見事な手腕だ。この広い屋敷を二人で回しているというのは伊達ではない。

 部屋の惨状に百合が謝り続けていると「いいえ、旦那様とヴォルガング様が屋敷内で大喧嘩した時ほどではありませんよ」とメアリーに暴露されて、ニールとヴォルは揃って苦い顔をしていた。


「オイオイばぁさん、何年前の事だよ」

「何十年経とうと、忘れはしませんよ。あの時は屋敷が半壊して、直すのに丸々一日かかったんですから!」

「あれは骨が折れましたな」


 ローゼスも苦笑いしながら頷く。

 

「魔法学校に入る前だったから、あれだけで済んだんですよ。まったくもう」

「少し休憩にしましょう。ユリも疲れたでしょう。顔色が悪い」


 話題を変えるようにニールが言った。

 そう言われてみると、少し身体が怠い気がする。移動の為に立ち上がると、かくんと膝から力が抜けた。


「魔力の使い過ぎだな」


 ぐらついた百合を左手一本で受け止めたヴォルが、呆れたようにため息をついた。

 お礼を言おうとした百合の身体を、ふわりと浮遊感が襲った。


「うわっ! 降ろして!」

「そんなザマで歩けんのかよ」


 百合を横抱きにし、軽々と持ち上げたヴォルが長い脚で歩き出す。

 ヴォルの背が高いせいで、地上が遠い。太い腕でしっかりと抱えられているので、ぐらぐらとはせず安定感はあるが、この姿勢は恥ずかしい。


「魔法で飛ばしてよ!」

「嫌だね」

「何で!」


 ヴォルの燃えるような赤髪が近づく。

 真っ黒な瞳の中に、叫ぶ百合の姿が見えた。


「照れるユリを見れないだろ」


 鼻が触れ合うほどの近さで、にやりとヴォルが笑った。


「女たらし! スケコマシ!」


 ヴォルの思惑通り真っ赤になった百合は、近すぎる顔を押しのけた。



 結局お姫様だっこで移動したのは、今まで入ったことの無い部屋だった。

 天井まで続く本棚が壁一面に置かれている。広い空間は古い本の匂いがした。どうやらここは書斎のようだ。

 ようやくヴォルから解放され、体が沈むほどの柔らかいソファーに腰かけると、ぐったりと身体から力が抜けた。


「どうぞ」

「ありがとう」


 ニールに差し出されたのは温かい紅茶だ。

 百合はすん、と鼻を鳴らす。


「柑橘の香りがする」


 紅茶からふわりとオレンジの香りが立った。

 一口飲んでみるとしつこくない甘みが身体に染みる。


「オレンジの蜂蜜です。口に合ったのなら、包ませましょう」

「ありがとうございます。少し落ち着きました」


 魔力の使い過ぎに、低血糖も起こしていたのだろう。

 甘いものをお腹に入れると、気分の悪いのはマシになった。


「さて、杖石が決まったのなら、次は杖芯ですね」


 ニールはアレクサンダーの隣に座る。アレクサンダーの前に百合、百合の隣にヴォルという席順だ。


「そうですね。でも天眼石ですか……正直何を合わせれば良いのか見当もつきませんね」

「難しい杖石なんですか?」


 ええ、とアレクサンダーも紅茶を一口飲む。


「先代の時でも作ったことが無いですね」

「いっその事魔獣狩りにでも行くか?」

「魔獣狩り?」


 ヴォルの言った聞きなれない言葉に首を傾げる。

 ニールが口を開いた。


「魔獣からは杖や薬、魔法具の元になる素材が取れますので、商人が狩りに行くことがあります。もしくは増えすぎて人に害を及ぼすようになると、国から駆除隊が派遣されることもあります。どちらも魔獣狩りと呼ばれています」

「昔は自分で狩った魔獣を杖芯にしてたって言ってたろ。ならいけるんじゃねーかと思ってな。連れてってやろうか?」

「杖も無く、魔法も使えないユリには自殺行為です」


 ぴしゃりとニールが遮った。

 百合もその言葉に頷く。


「魔獣の相手なんて無理ですね。あ、そうだ。ニールさん相談があるんですけど」

「何でしょう」


 ユリは鞄の中からガラス瓶を取り出す。中には先日湖の畔で摘んだピンク色の斑花(まだらばな)が入っていた。


「これは斑花ですか? 珍しいですね」

「この花を水中でも散らないようにする魔法って無いですか?」

「水中? なんでまたそんなことを?」


 訝し気にニールが尋ねる。


「えーと話すと長くなるんですけど、人魚の友達が来週にある水中でのパーティーで、この花を持って行きたいそうなんです」

「待て待て待て待て、情報量が多い」


 ツッコミに入ったヴォルが頭を抱える。


「まぁ色々あって。水圧に耐えれるようにコーティングとかできないですか?」

「そうですね……花束にするんですか?」

「すいません、言葉が足りませんでした。耳の上に差して髪飾りにするみたいです」

「なるほど」


 ニールが杖を振ると、花瓶に生けられていた花が手元へ飛んできた。

 ピンク色のトルコキキョウを左手で持ち、右手で杖を振った。


「『固まれ(ジェルル)』これでどうですか?」


 渡された花は少し重くなっていた。花弁に触れるとコツ、と固い音がする。

 まるでプラスチックでコーティングしたようだが、花本来の鮮やかさは損なわれていない。


「この茎の所にピンをつけて髪に留めれば、水中でも動かないと思いますよ」


 さらにニールは『小鳥の羽ばたき――飛べ(ヴォリテール)、ヘアピン」と唱えると、ピュンと黒いピンが飛んできた。


「呼び寄せ呪文です。すごく便利なので覚えると良いですよ」

「おお……」


 感嘆のため息が漏れた。

 百合にとって呼び寄せ呪文はあこがれの魔法だった。

 コタツに寝転んで温まっている時に、あと少し届かないチャンネル。緊急で使用した駅のトイレで、切れていたトイレットペーパー。これで何もかも呼び寄せることが出来る。

 呪文を反復しながらも、早速斑花にも硬化呪文を掛けてもらい、ヘアピンに固定する。


「ありがとうございます、友達も喜びます」

「それは良かった」

「あと相談だけなんですが……これをピアスにするのはいくらぐらい掛かりますか?」


 百合は鞄の中からもう一つ小さなガラスケースを取り出し、おずおずと差し出した。

 綿の敷き詰められたガラスケースの中から出てきた「人魚の涙」に、男性陣は目を見開く。


「人魚の涙ですか? これは珍しい」

「おま、どこで手に入れたんだよ!」

「あぁ、もしかして人魚のお友達に貰いましたか?」


 上からアレクサンダー、ヴォル、ニールの発言だ。

 何も話していないのに当たりをつけたニールは流石である。


「助けた人魚の友達がくれたんですけど、すごい高いって聞いて。お世話になりっぱなしだしエドに渡そうと思ったんですけど「男が真珠をつけてどうする」って受け取って貰えなくて。ピアスにすれば良いって言ってくれて……」


 頬に触れた温度と、柔らかい笑みを思い出す。

 じわじわと赤くなった顔に、ヴォルがにやぁと笑う。


「何なに何かあったの~?」

「何もないよ!」

「何も無い人間は、思い出して赤くなったりしないのよ~」

「ヴォル煩い! とにかくピアスにするならニールさんに相談しろって言われたんです!」

「なるほど」


 ニールの細い指がガラスケースを持ち上げる。


「下手に宝石店へ持っていけば、出所を吐かされるでしょうね。良いでしょう。好みのデザインは?」

「派手で無いものなら。どちらかというとシンプルな方が好きです。でも普段使い出来る金額じゃないもんなぁ」

「確かに真珠はフォーマルな場所で活躍しますが、物は使ってこそ価値があるんですよ。ユリは髪も長いので目立たないですし、ピアスなら落とす心配もないですよ」


 ニールの言葉はもっともだ。


「金貨二百枚を着けるにはちょっと覚悟が足りないかなぁ……」

「では式典に使えるようなものにしますね。星屑の糸のドレスに合わせるようにしましょう」

「トータルでいくらになるんだろうな。お高い女だな」

「服と物だけ立派じゃねぇ」

「服装に相応しいように、中身も磨けば良いのです。さ、ユリの杖石も決まりましたし、今日から本格的に座学の勉強を始めましょう」


 ニールが杖を振ると、本棚に収められていた本が綺麗に机の上に重なった。


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